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Point of view [2015.12.11]

第55回 濱中淳子

いま、「大卒の価値」にどう向き合うべきか


濱中淳子  はまなか じゅんこ
独立行政法人大学入試センター 准教授

1974年生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。著書は『大学院改革の社会学-工学系の教育機能を検証する』(東洋館出版社、2009年)、『検証・学歴の効用』(勁草書房、2013年、第37回労働関係図書優秀賞受賞)、『大衆化する大学-学生の多様化をどうみるか(シリーズ大学第2巻)』(編著、岩波書店、2013年)など。教育社会学専攻。

 

変わる大学

 近年、大学のありようは変わりつつある。「象牙の塔」と言われたのは、いまや昔。大学教員は、学生の学習やケアに力を注ぐようになっている。
 学期前にシラバスを作成し、各授業の内容とともに育まれる能力を説明するのは当たり前。補講などのやり繰りによって15回の開講は死守され、終盤には学生による授業評価が実施される。その評価をどう活かすかについてコメントを提出することが求められることもあり、ここ最近は、能動的な学習を促すアクティブ・ラーニングを活用した授業設計も熱心に検討されている。ラーニング・コモンズ(※1)というおしゃれな学習空間も整備され、学生たちを学習に向かわせるべく、まさに「あの手この手」が尽くされているという状況である。

※1 ラーニング・コモンズ:学生が集まり、電子情報や印刷物を含むさまざまな情報を用いて議論する自律的な学習を可能にする学習空間。

 大学側にこのような動きが見られるようになったのは、なによりも政策側の誘導が大きい。1990年代以降、文部科学省は大学教育の内容にまで踏み込んだ施策を矢継ぎ早に策定するようになった。単位制度の実質化や成績評価の在り方、双方向型授業の実施をはじめとする教育内容・方法をめぐるさまざまな提言が出され、FD(ファカルティ・ディベロップメント)(※2)など教職員能力開発も義務化された。さらには大学教育の質を保証するべく、機関別認証評価制度など、大学側の取り組みを評価するためのシステム構築が試みられている。

※2 ファカルティ・ディベロップメント:教員が授業内容・方法を改善・向上させるための組織的な取り組み。教員相互の授業参観、授業方法の研究会などさまざまなものが考えられる。

 とはいえ、大学の変化が必ずしも政策の影響ばかりによるものというわけでもないだろう。実際に大学教員の話を聞いていると、自ら教育の改善に取り組んでいる者は多い。大学進学率の上昇や高校教育、大学入試の多様化に伴い、従来型のタイプとは異なる学生が入学してくるようになった。この学生たちを、大学にいる間に少しでも成長させてあげたい。そのためには、どのような教育が効果的なのだろうか――教育に携わる者であれば、よほど偏った志向を持っていない限り、このような模索を始めるのはごく自然の流れともいえる。

キャリアを豊かにする「学ぶ習慣」

 政府誘導という側面があったにせよ、大学が学生の教育に対して精力的になることは、歓迎すべき変化である。そのように述べるのは、なにも「ヒトこそが最大の資源」という抽象的な理由だけではない。これまで手掛けてきた卒業生調査のデータから、大学での意欲的な学びがその後のキャリアを豊かにすることが見えてきているからである。
 詳しくは拙著『検証・学歴の効用』(勁草書房,2013年)に譲るが、調査データの分析からは、大学での学習経験は、そのとき得られた知識ではなく、学ぶ習慣を身に付けることを通してキャリアの向上に寄与することが明らかになっている。すなわち、大卒の価値は、自己学習の習慣を付けることで上昇するのであり、大学に進学したとしても、その習慣を身に付けることができなければ、効用も小さいということだ。
 大学全入時代という言葉がささやかれるようになって久しい。大学進学率は6割ほどになり、大卒という肩書を持つ人材も多くなった。こうした中、学歴としての大卒の価値は見えにくくなっているかもしれないが、教育あるいは学習の価値がなくなっているわけでは決してない。
 政策の議論の上では、いまだ大学教育改革の不十分さが主張されている。国際的に見たときの学習時間の少なさゆえのことだ。しかしながら近場で見ている限り、大学教育の変化はすでに始まっている。主体的に学習する学生も増えている。大学時代に何をどのように学習したのか。企業で働くに当たって、この点がより重要な武器になる日も遠くないように思われる。

企業側の認識に問題はないのか

 ただ、言うまでもなく、大学での学びを軸にしたキャリアの構築が実現するには、大学や学生側の構えのみならず、企業側にも学習を評価する姿勢が備わっていることが必要となる。では、果たして企業の状況はどうなのだろうか。昨年、大卒人材の採用面接の実態を探るべく、企業人2470人を対象に質問紙調査を実施する機会を得たが、このデータからは、企業側の認識にも課題があることが見えてくる。
 すなわち、採用面接の場において、大学時代の学習について尋ねるために割かれる時間は、およそ3割程度(残り7割は、サークルやアルバイト、趣味などについて)。その少なさもさることながら、さらに注目されたのは、採用面接担当者自身の大学時代が学習から遠いものであった場合、それだけ学習について問う傾向が小さくなるという事実だった。
 そしてこうした関係性を踏まえたとき、いま、企業の重要な判断を任される年齢層が、「大学=レジャーランド」と揶揄(やゆ)された時代に学生時代を過ごしたという点が危惧される。というのは、大学での学習に意味を見いださない人事が続くという状況が予見されるからだ。

 今春、人事担当者向けのシンポジウムで、大学教育問題に対しても積極的に言及し続けているある登壇者が、「大学生はテニサー(テニスサークル)に勤(いそ)しんでばかりで、勉強していない」「だから、もっと大学の在り方を変えていかなければならない」と発言していたことにいささかの驚きを感じた。ただ、ここで付け加えれば、彼もまたレジャーランドと言われていたときに学生時代を送っていた者の一人。いったん植え付けられた理解というのは、そう簡単に変わらないのかもしれない。
 大学や学生の側が、その教育や学習を改善するべく、いまだ課題を抱えていることは言うまでもない。けれども、社会や企業の側も、「いまの大卒に意味はない」「大学教育は役立たない」という認識から自由になる必要があるのではないだろうか。大学と企業の間の良好な関係は、その先にこそ築かれるものと考えられる。


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