Point of view [2014.08.15]

第24回 遠藤 薫

理想の上司・恩田木工はどのようにして藩政改革に成功したか
~『日暮硯』から考える組織内「合理的信頼」の重要性~


遠藤 薫  えんどう かおる
学習院大学法学部 教授
東京大学教養学部卒業。東京工業大学大学院博士課程修了。信州大学助教授、東京工業大学大学院助教授を経て、現職。専門は、理論社会学、社会情報学。情報、メディアの観点から社会変化を解読。
『メディアは大震災・原発事故をどう語ったか』『間メディア社会における〈世論〉と〈選挙〉』(ともに東京電機大学出版局)、『社会変動をどう捉えるか1~4』(勁草書房)、『廃墟で歌う天使』(現代書館)ほか著書・論文多数。

 

理想の上司はどこにいる?

 バブル崩壊以降、日本経済は停滞し、社会のそこここに閉塞感が漂っている。「クソ上司め、覚えていやがれ!」、「やられたらやり返す、倍返しだ!!」の決めぜりふで驚異的な視聴率を獲得した「半沢直樹」(2013年夏、TBS)や、若い女性行員が「お言葉を返すようですが」と上司に啖呵(たんか)を切る「花咲舞が黙ってない」(2014年春、NTV)などのTVドラマは、日頃たまった職場での鬱憤(うっぷん)を晴らす清涼剤の役割を果たしているのかもしれない。
 しかし、「上司」の立場にいる人たちの中には、「あちらを考え、こちらを考え、全体マネジメントを円滑にし、部下を一人前に育てようと奮闘しているんだ。どうして分かってくれないんだ!」と悩んでいる人も多いに違いない。
 そこで本稿では、幕末に書かれた藩政記録『日暮硯(ひぐらしすずり)』から、「理想の上司」について考えてみたい。

江戸中期の経営改革を描いた『日暮硯』

 『日暮硯』とは、江戸中期(18世紀半ば)、信州松代藩の家老恩田木工(おんだ もく)が窮乏した藩財政の改革に尽くしたプロセスを、後代の人が書き留めた書である。
 信州松代藩はしばしば水害に襲われ、財政は破綻に瀕していた。歴代藩主は何度も改革を企てたが失敗ばかりだった。追い詰められた第六代松代藩主真田幸弘は、家老の中でも若手の恩田木工に改革のすべてを託した。
 恩田は、勝ち目のない戦のような藩政改革に挑む決意をした。
 しかし、当然のことながら、行く手を阻む壁は高い。
 まず、年配の重役たち。若輩の恩田がトップに立つなんてと、妬み嫉みで憤懣やるかたない。彼らに対して恩田は「今後はすべて私の指示に従っていただく」と厳しく言い渡す。主君の命だからと不承不承うなずく重役たち。「ついては、財政逼迫の折から倹約は当然のこと」。とはいえ、と恩田は言葉を続ける。「藩としての面目を保つための出費を惜しむべきではない。またこれまで行ってきた給与カットは廃止する。だから、決められた仕事はきちんとやっていただきたい。その上でなら、楽しみごとなども慎む必要はない」。重役たちは拍子抜けし、また安心し、むしろ進んで改革に協力する気持ちになったことだろう。
 次に、家族や家臣など親しい者たち。彼らは恩田が担った役務の重さを気遣い、どうぞあまり無理をしないで、と願っている。恩田はそんな彼らに対して、冷たく「縁切り」を申し渡す。驚き、哀しむ人びと。恩田は彼らに言う。「藩立て直しの大役を仰せつかった私は、今後、決して嘘をつかず、生活を極限まで切り詰め、ただひたすら、任務を果たすためだけに生きるつもりだ。だが、それにお前たちまで巻き込むことはできない。どうぞ、皆はこれまで通り自由に生きてほしい。そのためには、私との縁を切ったほうがいい」。そんな風に言われて去るものなどいない。「あなたさまと一緒に仕事できるなら、私たちも決して嘘をつかず、節制に努めます」。
 最後が、領民たちだ。藩財政を維持するためのしわ寄せは、長く領民たちを苦しめてきた。厳しい年貢の取り立てばかりでなく、年貢の引き上げ、年貢の先払い、労役などの負担、さらには多額の(返済されない)借上金を課されて、藩内では領民の一揆やストライキなども発生していた。そこにさらに新たな改革を行うという。領民たちは、「これ以上俺たちから搾り取ろうというのか」と一触即発の状態。
 そんな領民たちを城に呼び集め、開口一番、恩田はこう言った。「このたび、私が改革の大役を務めることとなった。しかし、私だけでそんなお役目を果たすことはできない。まずは皆と相談したいと思い、ここへ集まってもらった。どんどん意見を言ってほしい」。領民たちはさぞビックリしただろう。
 さらに、「皆はこれまで、役人たちが嘘ばかり言うことに悩まされてきただろう。私は、今後一切、嘘は言わない。その代わり、私を助けてほしい。私には、皆だけが頼りなのだ」。
 その上で、役人たちの横暴、理不尽な搾取を詫び、今後、そうした非合理な取り立ては決してしないと約束する。ただし、「知っての通り、藩財政は、ない袖は振れない状態なので、これまでのことは水に流してほしい。そして、今後、決められた年貢だけは、きちんと納めてほしい。それでよいだろうか?」と尋ねたのである。領民たちは納得して協力を誓った。
 こうして藩内をまとめた恩田は、無駄な内輪もめを起こすことなく、じっくりと政策を練り、領民に過剰な負担を強いずに、財政再建に成功したのだった。

現代にどう活かすか~―イノベーションにおける「合理的信頼」の重要性

 恩田の改革の第一歩は、まず藩内のさまざまなグループから「信頼」を取り付けることだった。[図表]にも示すように、改革の試みの多くは、改革の方策自体が悪いというより、むしろ組織内の抵抗と闘うことに多くの力を割かれてしまい、実質的に改革のパワーを発揮することができず、挫折しているように見える。そもそも組織改革には、それまでのやり方に対する否定が含まれざるを得ないので、抵抗があるのは当たり前なのである。
 これに対して、改革のリーダーが組織内の信頼を獲得し、その自発的な協力を取り付けることができたなら、改革のパワーは驚くほどの力を発揮する。恩田の成功は、まさに、この「組織内信頼」を獲得できたことによって決まったのである。

[図表]失敗する改革と成功する改革

 

 ただし、気をつけなければならないのは、「信頼」は「情」によって得られるものではないということである。「誠意」や「心情」も必要だけれど、感情的な共感だけでは、「信頼」は長持ちしない。「精神論」は失敗のもと。無理なことは無理なのである。
 恩田の説得にはいくつかの特徴がある。
 第一に、自分自身は「嘘をつかない」「ギリギリまで節制する」と厳しく律し、謙虚であり、最終的な責任を引き受けることを明言する。
 第二に、相手を責めない。過去に過ちがあったとしてもそれを咎(とが)めることなく、現状をきちんと説明した上で、未来に向けて合理的で最低限の協力を求める。その上で、適度の楽しみや贅沢(ぜいたく)は、むしろ推奨する。
 第三に、対等の話し合いによって最善の方針を決定する。
 第四に、ルールを明確化し、相互にそれを守ることを約束する。
 単なる情緒に頼らず、合理的に実現可能性を見極めた上で、改革を進めること。それが「理想の上司」の条件なのである。
 そして、もう一つ。恩田の説得には「サプライズ」がある。上司には、まず脅すようなことを言っておいて、その後安心させる。近しい者たちには「縁を切る」と別れを告げ、改めて結束を強める。領民たちには、彼らの不満を理解し、むしろ彼らの意向を尊重する。それはコミュニケーション戦略でもあり、また、茶目っ気ともいえる。
 合理的改革に邁進する求道者のようでありながら、他者には寛容で、遊び心も忘れない。そんな恩田を人びとは信頼したのだろう。

『日暮硯』における理想と現実

 ところで、『日暮硯』に書かれていることは、史実そのものなのか。本当にそんな「理想の上司」がいて、藩の窮状をスーパーマンのように救ったのだろうか。
 岩波文庫版の校注者である笠谷和比古氏によれば、さすがに『日暮硯』に書かれているほど劇的な成果を上げたわけではないらしい。現実はやっぱり厳しいのである。
 それでも、恩田の努力は、松代藩が破綻することなく明治を迎えたことに貢献したであろうし、藩の人びとが恩田によって藩政への信頼を取りもどしたことの証しが、『日暮硯』という(理想化されているとはいえ)記録の存在なのだろう。
 『日暮硯』を「お伽話」と切り捨てず、そのエッセンスを、企業の改革や日々のマネジメント、社内コミュニケーションなどに活かしてみてはどうだろう。

 

【参考文献】
笠谷和比古・校注 [1988] 『日暮硯』 岩波文庫

禁無断転載
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