jin-jour(ジンジュール) |人材育成、リーダーシップ、モチベーション、メンタルヘルス対策など 人事の視点から、働く人と会社の関係を元気にする情報を発信

ログイン
MENU

メニュー

×

プロが語る 成果を上げる社員の条件【社長編】佐藤文男
セコム木村昌平会長編
[2011.10.05]

創業者飯田からの「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」の言葉で、セコム人生が始まった ~プロが語る 成果を上げる社員の条件【社長編】セコム木村昌平会長(1)


プロが語る 成果を上げる社員の条件【社長編(1)】-セコム木村昌平会長に聞く(1/3)

木村昌平さん

(セコム株式会社 取締役会長)


インタビュアー:佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
文:千葉はるか(パンクロ)

各分野で活躍されている方にご登場いただき、ご自身の体験談も踏まえ、“デキる社員”にはどんな思考、行動様式が求められるのかに迫ります。今回から装いも新たに【社長編】をお送りします。
第1回のゲストはセコム株式会社 取締役会長の木村昌平さんです。木村さんは、同社の創業時からのメンバーで、2002年代表取締役社長に就任して「第二の創業」を宣言し、同社を支える幅広いセキュリティサービスへの布石を打ってきた人物です。

●大学卒業後、日本警備保障(現セコム)に入社された理由を教えてください。

私は学生時代に演劇をやっていて、映画監督になりたいと思っていました。当時、スウェーデンの名監督イングマール・ベルイマンに憧れていて、昭和42年に大学を卒業してセコムに入社したのは、実はスウェーデンに行くための資金稼ぎが目的。実家が北海道だったので札幌支社に応募して、警備員として働き始めました。小樽の家から片道2時間かけて出勤して、拘束時間が13時間。家に帰ったら寝るだけですし、給料がそこそこ良かったので、資金稼ぎにはぴったりでした。会社は2年くらいで辞めるつもりだったんです。

木村昌平さん(セコム株式会社 取締役会長)

会社のことを真剣に考えるようになったのは、入社した翌年のことです。きっかけになった出来事が二つありました。一つは飯田(セコム創業者の飯田亮氏)に会ったこと、もう一つは東京で幹部研修に参加させてもらったことです。

入社してしばらくは企業に常駐する警備員をしていましたが、札幌支社の支社長は、私の派遣先によくやってきては「木村君、頑張れよ」と声を掛けてくれました。警備員の仕事は長時間で単純労働ですし、当時、大学を卒業して入社した私は社内でも“変わり種”でしたから、支社長は「辞めさせるわけにはいかない」と思ったのかもしれません。実際、入社して4、5カ月もすると、警備員をコントロールする管制の仕事に就けてくれました。それで支社で働くようになった頃に、たまたま飯田が札幌支社にやってきて、その場にいた社員を集めて話をしてくれたんですね。その時、とにかくエネルギーが自分のほうに押し寄せてくる感じがして、「この世の中にこんなすごい男がいるのか」と感銘を受けました。

東京で幹部研修に参加したのは、入社した翌年の夏でした。札幌支社長が「行ってこい」と送り出してくれたんです。全国から研修に集まってきたのは、以前は有名な広告代理店の営業部長だったという人や、警察署の署長経験者、元陸上自衛隊員などそうそうたる顔ぶれで、私はかなり若いほうでしたね。その研修で実施されたのは非常に特殊なプログラムで、グループワークを通じて「リーダーシップは肩書や年齢によって決まるものではなく、人を動かすには相手の心を揺さぶらなくてはならない」ということを会得していくものでした。入社2年目にしてリーダー層向けの研修を受け、それまで気に留めたことがなかったリーダーシップというものについて考えさせられ、私は目を開かれる思いでした。

木村昌平さんと佐藤文男さん(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)

●映画監督を目指すことをやめ、「セコムで頑張ってみよう」という気持ちが固まったのはいつごろですか?

入社して1年8カ月後に、飯田から電話がありました。「津を知っているか」と聞かれて「三重県の県庁所在地です」と答えたら、「津をお前にくれてやる」と言うんです。三重県にあった日本警備保障三重という会社を、入社2年目の私に全部任せる、と。そのうえ「三重の会社がつぶれようが生き残ろうが、たいした問題じゃない。俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」とまで言われて、これは殺し文句でした。言ってしまえば、私は飯田に背中を押されて舞い上がったんですね。これから自分がどんな道に進むか見えていない状態のときでしたら、ものすごい動機付けでした。「面白い、この会社でやってみよう」——そう思った時に、私のセコム人生が始まったんです。

いざ三重に行ってみたら、会社は債務超過状態で、前任者は夜逃げしていて、かなり厳しい状況でした。地元企業との合弁会社だったんですが、本社から派遣されていた人間は、私が赴任してすぐに地元の役員とけんかしていなくなってしまってね。本当に、私が自力で経営することになったんです。

もちろん、学生時代は演劇しかやっていませんでしたから、経営のことなんか何一つわかりませんでした。でも、地元の社員からすれば、私は“親会社から派遣されてきた生意気な若造”。ここで「わかりません」と言うわけにはいきません。やむを得ず、私は通信講座で勉強することにしました。経営に必要不可欠な財務と法務、それに「将来、絶対必要になる」という直感があって、コンピュータのことを学んだんです。

●ゼロから自力で経営について学ばれたわけですね。三重の子会社の業績はどうなりましたか?

私はまだ若くて、実績も人脈もない状態からスタートせざるを得ませんでした。だからこそ、オーソドックスなやり方で進めていきました。その甲斐もあって、業績は短期間に改善し、累積損失を1年で解消して、2年で配当を出せるまでになりました。

私がやったのは、経営効率を上げることでした。当時のビジネスモデルはマンパワーによる巡回警備です。クオリティと経営効率を上げるには、地区あたりの警備の密度を濃くするしかありません。ですから、地域を決めて全勢力をそこに投じたんです。これは、兵法の定石。1万人の軍隊で100万人に勝つことはできませんが、相手を5000人、あるいは1000人ずつに分断して1万人で勝てる規模にすれば、必ず勝てるんですね。

もちろん、私は運も良かったのだと思います。赴任した当初は、まさに“どん底”で、社員にまともな給料も払えないような状態でしたから、それ以上、悪くなりようがなかったんです。

Profile 木村昌平さん(セコム株式会社 取締役会長)
1943年生まれ、北海道出身。1967年に同志社大学文学部を卒業し、日本警備保障(現セコム)に入社。翌年、日本警備保障三重に出向し総括部長。1972年に企画管理課長、1975年電算部長、1978年企画室長、1982年人事部長、1985年取締役、1988年常務取締役、1995年専務取締役などを経て、2002年に代表取締役社長に就任。2005年4月より現職。

profile 佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
一橋大学法学部を卒業後、総合商社、外資系証券会社、メーカーといった異業種においてキャリアを積み1997年に人材サーチ(ヘッドハンティング)ビジネスへ。2003年に佐藤人材・サーチを設立。
著書は共著1冊を含め転職に関する本を12冊出版。 主な著書に『40歳からの転職術」(日経BP社)、『ヘッドハンティング・バイブル』『転職後、いい仕事ができる人の条件』(共に経済界刊)。今年3月に『転職のバイブル2012年版』を経済界より出版。
佐藤人材・サーチ ホームページ: http://www.sato-jinzai.com/


労務管理、人事評価、ハラスメント対応など充実のコース!

労務行政eラーニング 詳しくはこちら

禁無断転載
▲ ページの先頭に戻る

ログイン

×

人事・労務に役立つ商品・サービス検索

  • カテゴリとジャンルから検索

検索

注目商品ランキング 新着商品