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プロが語る 成果を上げる社員の条件【社長編】佐藤文男
LIXIL藤森義明社長
[2011.12.13]

MBA留学で得た“反骨心”。「絶対勝つぞ」と思い続けると、アメリカ人を怖いと感じなくなった ~プロが語る 成果を上げる社員の条件【社長編】-LIXIL藤森義明社長に聞く(1)


プロが語る 成果を上げる社員の条件【社長編】-LIXIL藤森義明社長に聞く(1/3)

藤森義明さん

(住生活グループ 取締役代表執行役社長兼CEO 兼 LIXIL代表取締役社長)


インタビュアー:佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
文:千葉はるか(パンクロ)

一流の経営者は、“デキる社員”にどんな思考・行動様式を求めているのでしょうか? ――各界のリーディングカンパニーを率いる経営者にご登場いただき、ご自身の体験談も踏まえた“デキる社員”像を語っていただく本連載。最終第3シリーズのゲストは、住生活グループ 取締役代表執行役社長兼CEO 兼 LIXIL(リクシル)代表取締役社長の藤森義明さんです。
住生活グループのトステム、INAX、新日軽、東洋エクステリア、サンウエーブ工業の5社が統合して誕生したLIXIL。2011年8月に同社新社長に就任した藤森さんは、これまで総合商社(日商岩井)と外資系メーカー(GE)でキャリアを積んできた、グローバル経験の豊富なビジネスパーソンです。まず今回は、ビジネスパーソンとしての出発点となった商社時代、その大きなターニングポイントであったMBA留学について振り返っていただきます。

■大手商社では規模の小さい会社をあえて選んだのは、“いかに抜きんでるか”を意識していたから

―大学卒業後、日商岩井(現双日)に入社された理由を教えてください。

もともとは数学や物理が得意で東京大学工学部に入ったのですが、勉強してみて「自分には技術系の能力はないな」と感じていました。

石油工学を専攻していたので、同級生は石油関係の会社に行ったり今の経済産業省に入省するのですが、私は「石油工学の知識を深めるより、それを利用してビジネスをやりたい。それなら商社に入るのがいいだろう」と思ったんです。

それでいくつか大手商社を受けましたが、日商岩井を選んだのは、当時の“6大商社”の中で規模が一番小さくて、東大の先輩も少なかったからです。私は常に“自分がいかに抜きんでるか”を意識していたので、「規模の小さい会社のほうが社長になれる可能性が高い」と考えました。

藤森義明さん (住生活グループ 取締役代表執行役社長兼CEO 兼 LIXIL代表取締役社長)

―入社後はどのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?

最初は、学生時代の専攻が活かせる天然ガス開発の部門に配属されました。

イランのガス田開発に投資して、液化天然ガス(LNG)として回収する――というプロジェクトを担当していたのですが、これはまさに私がやりたいと思っていたビジネスでしたし、面白かったですよ。

当時は天然ガスに詳しい人材が少なかったので、新入社員の頃から副社長への技術的な説明を任されていましたね。入社2年目には、海外出張でイランに行くようになりました。

ところが、1979年2月にイラン革命が起きたんです。私はちょうどイランに出張中だったのですが、「これはまずい」と出張旅程をすべて取りやめて出国しました。次の日には空港が閉鎖されましたから、まさにギリギリのタイミングでしたね。もちろん、プロジェクトは中止です。入社3年目のことでした。

ずっと取り組んできたプロジェクトがなくなってしまい、「次は何をやろうか」と考えていたときに、ちょうど社内でMBA留学者を募集することになりました。

200人の応募に対して1、2人しか選ばれないのですが、上司から「応募したら行かせてやるから応募するように」と命じられて。でも、最初は断りました。「せっかくビジネス人生を歩こうとしているのに、いまさら2年も大学に行って何の役に立つのか」と思ったんです。

すると副社長に呼び出され、「君は優秀かもしれないが、了見が狭い。アメリカに行って視野を広げて、人間を大きくしてきなさい」と言われて、「そういうものかな」と思って留学することにしたんです。半ば、無理やり行かされたようなものですね。

■MBA留学で得たものは“反骨心”。「絶対勝つぞ」と思い続けると、アメリカ人を怖いと感じることがなくなった

―当時は、今のようにMBAが注目されてはいなかったのではありませんか?

そうですね。ちょうど、ほかの大手商社が海外の大学へ積極的に社員を送り込み始めた頃だったと思います。そうした流れの中、日商岩井も「社員を留学させたい」と考えたのでしょう。

しかし留学することに決まったのは4月のことで、MBAは本来なら前年のうちに願書を出さなければならないものですから、どこにも受け付けてもらえなかったんです。しかたがないので「取りあえずアメリカに行きます」と言って渡米し、ミシガン大学の英語コースに入って、そこから自分でいろいろな大学と交渉し始めました。

「願書を出すにはもう遅いというのは分かっているけれど、とにかく入れてさえくれれば頑張る」と、10校くらいへアプローチしたんです。すると、ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学から「8月から日本人が2人入学する予定だったけれど、1人キャンセルしたので、あなたにチャンスをあげましょう」という回答があったんです。

そうやって何とか入学したわけですが、最初は苦労しましたよ。英語なんて全く話せませんでしたし、出願のために受けたGMATやTOEFLなどの英語テストの成績も悪かったですからね。

藤森義明さん (右)と佐藤文男さん(佐藤人材・サーチ株式会社・左)

―MBA留学をして、「ためになった」と思うのはどんな点でしょうか。

必死にもがいたおかげで、いろいろな力がついたことですね。

これまで商社で勤めながら「俺はエリートコースを進むんだ」と思っていたのに、いざアメリカ社会で戦うことになったら、自分は底辺にいたわけです。英語はできないし、もともと工学部なのでビジネススクールの講義もピンと来なくて、勉強でも周囲にかないません。しかしそんな状況でも、「絶対に負けないんだ」という反骨心を持ち、「2年間でいったい何をつかめるのか」と模索し続けました。

その結果、まずアメリカ人を怖いと感じることがなくなりました。「絶対勝つぞ」と思い続けると、だんだん怖くなくなってくるんです。

それから、異質なものに対する抵抗感がなくなりました。日本人とアメリカ人ではものの考え方が異なりますし、生活習慣も違います。アメリカの社会は、明らかにそれまでの“自分の領域”の外でした。しかしそのような場でも、挑戦しようという気概を持つようになったんです。

相手の顔を見据えて話すようになると、自然にあごが上がって姿勢が前向きになります。ウジウジとしたウェットな思考から離れ、ドライに物事を考える習慣も身に付きました。優柔不断だった私が、複数の選択肢から不要なものをバッサリと切り捨ててスピーディーに決断できるようにもなりました。

こうして振り返ってみると、ビジネススクールで得たことは、学問というよりも、感覚的な部分も含めた内面の変化が大きかったですね。

藤森義明さん Profile
住生活グループ 取締役代表執行役社長兼CEO 兼 LIXIL代表取締役社長
1951年東京都生まれ。1975年に東京大学工学部を卒業し、日商岩井(現双日)に入社。1981年、カーネギーメロン大学にてMBA取得。 1986年、日本ゼネラル・エレクトリックに転職。1990年、米GEメディカルシステムズ核医学ビジネスゼネラルマネジャー、1992年、CT事業のGMに。 1997年、米GE副社長兼GEメディカルシステムズ・アジアCEOに就任する。2001年、米GE上席副社長に昇格。2005年より日本GE会長兼GE Moneyのアジアプレジデント。2008年より日本GE社長も兼務。2011年8月に住宅設備最大手の住生活グループ 取締役代表執行役社長兼CEO 兼 LIXIL代表取締役社長に就任。

佐藤文男 profile
佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役
一橋大学法学部を卒業後、総合商社、外資系証券会社、メーカーといった異業種においてキャリアを積み1997年に人材サーチ(ヘッドハンティング)ビジネスへ。2003年に佐藤人材・サーチを設立。
著書は共著1冊を含め転職に関する本を12冊出版。 主な著書に『40歳からの転職術」(日経BP社)、『ヘッドハンティング・バイブル』『転職後、いい仕事ができる人の条件』(共に経済界刊)。今年3月に『転職のバイブル2012年版』を経済界より出版。
佐藤人材・サーチ ホームページ: http://www.sato-jinzai.com/


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