2023年08月01日掲載

ケーススタディ 人事データ活用のノウハウ - 第4回 人事データを活用したリテンション強化とガバナンス強化

熊倉佑哉 くまくら ゆうや
株式会社浜銀総合研究所
情報戦略コンサルティング部 上席主任研究員

1.はじめに

 第3回では「理想の人材ポートフォリオの実現」を目的に、現有従業員を対象とした人事データを活用として、ハイパフォーマー分析による適材適所の配置と人材育成を紹介した。引き続き現有従業員を対象としたデータ活用の事例ではあるが、今回はある種、これまで以上に人事担当者を悩ませるであろう「退職」と「コンプライアンス」の二つのテーマを紹介したい[図表1]

[図表1]労務分野・定着施策に向けた人事データの活用

[図表1]

資料出所:浜銀総合研究所(以下、特に明記のない限り同じ)

2.ケーススタディ4:退職リスク予測分析によるリテンション強化

 「近年退職が増えている」という声を、筆者も多くのクライアントより耳にするが、終身雇用の崩壊や働き方の多様化に伴い、転職市場がにぎわっていることを読者の皆さんも肌感覚として持たれていることだろう。
 マイナビの転職動向調査2023年版(2022年実績)によれば、20~50代の正社員の転職率は7.6%と、2020年にコロナ禍で一時的に低下したものの、2022年度は2016年度以降最高水準となった[図表2]。男女ともに20代が最も高いが、かつては「転職は35歳まで」といった風潮も今は昔、現場で働き盛りの30~40代でも、特に男性では上昇している。

[図表2]正社員転職率の推移

[図表2]

資料出所:株式会社マイナビ「転職動向調査2023年版(2022年実績)」

 組織の新陳代謝のためには、退職は必ずしも問題ということではないが、第2回でも触れたように採用の競争激化が進む中で、優秀人材を中心に退職超過が続いてしまえば、残された従業員は業務量だけでなく心理的負担も増加し、モチベーション低下は想像に難くない。そして、それはさらなる退職を招き、ひいては事業の存続にも影響を及ぼすこととなる。
 そこで、今回の前半パートでは、人事データを活用した退職リスクの予測分析の事例を紹介する。「退職リスク予測分析」を題すると、「辞めそうな人」を予測して、「辞めそうな確率」の高い順番に面談でフォローアップするなどのデータ活用がイメージしやすいだろう。なお、本連載ではその辞めそうな人の“的中率”を上げるために、どうすればよいかという技術論を深掘りするのではなく、これから人事データを活用する読者の皆さんに向けて、課題解決へとつなげるためのポイントを伝えたいと思う。
 まずは手順のおさらいをしよう。本連載の総論に当たる記事『労政時報』第4057号 23.6.2)「実践!人事データ活用のノウハウ」(以下、誌面版)でも記載したとおり、データ分析の大枠は、①分析要件の検討→②可視化・基礎分析→③モデル構築→④実務展開検討の流れであることに変わりはない。今回もこの流れで紹介する。

[1]分析要件の検討
 これは第3回のハイパフォーマー予測分析でもそうであったが、「教師あり学習」ともいわれる分析では、ターゲットの定義が重要である。一口に「退職」といっても、定年退職や関連会社への転籍など会社都合のケースもあれば、自己都合の転職をはじめ、結婚・出産・引っ越し、あるいは体調不良や介護、その他家庭の事情などを理由としたものまで実にさまざまである。分析時においても、退職時のコミュニケーションやそのデータ蓄積ができている企業では、「転職」以外の理由が明らかな場合は、ターゲットに含めない等の処理をしてもよいだろう[図表3]

[図表3]退職リスク予測における分析要件の検討

[図表3]

 いずれにしても、「何を明らかにしたいのか」、目的の明確化により、おのずとターゲットの定義も見えてくる。また、[図表3]の使用データを整理する際は、どのような事象がターゲット発生と関連がありそうか、そうした仮説設定を十分に行っておくとよい。次の工程に当たる可視化・基礎分析を、ある程度“あたり”をつけて実施することで、データの海におぼれずに済むだろう[図表4]。なお、この仮説設定には、データ分析の対極にあるようにいわれる「経験・勘・コツ」が極めて重要であることを付け加えておく。

[図表4]退職理由から仮説を設定する

[図表4]

[注]上記の「退職理由」は、「マイナビ転職動向調査2023年版(2022年実績)」の「転職を始めた理由(単一回答)」の上位3項目に当たるもの。

[2]使用するデータ
 基本的なデータは、これまで紹介したケースと大差ないが、上記のとおり、退職時の面談等のデータがあれば、どのような理由で退職するのか、どのような業種・職種に転職するのかといった分析も可能となる。
 退職時の面談は、言うまでもなく人事諸施策や職場環境改善のヒントとなるが、データ活用の意味でも通常得られる人事データ(属性情報や評価、労働時間など)や各種サーベイとは異なる、極めて貴重な情報資源となる。

[3]可視化・基礎分析
 ここでは誌面版で詳細割愛した「可視化・基礎分析」について、具体例を紹介しよう。まずは分析要件の検討の過程で設定した仮説を基に、データを用いて定量的にターゲットの発生の傾向を見ていくとする。
 このとき、例えば、労働時間やエンゲージメントサーベイの指標など、時系列で取得できる項目については、単純に退職直前の状態だけでなく、前年比でどうであったか、月次での推移はどうであったかといった、時系列での“変化”に注目することも重要である[図表5]

[図表5]統計的観点、人事業務的観点などから傾向を整理する

[図表5]

 また退職発生の傾向は、時間軸(年齢や入社後経過年数)によって変化することも想定される。[図表6]のように、経過年数ごとに発生状況を分析するとよいだろう。このとき、例えば、第2回で紹介した適性タイプ分類の結果と組み合わせることで、どのようなタイプがどのタイミングで退職しやすいか、そうした観点からの分析もできる[図表7]

[図表6]退職発生の期間構造把握

[図表6]

[図表7]適性タイプの違いによる退職パターンの違い

[図表7]

[4]モデル構築
 モデル構築は、第3回のハイパフォーマー予測分析とおおむね同様の手順である。上記のとおり定義したターゲット(退職発生)を目的変数として、可視化・基礎分析で特徴の見られた項目を説明変数として、「ロジスティック回帰モデル」(いくつかの要因=説明変数)から「2値の結果(目的変数)が起こる確率を説明・予測することができる統計手法」や「ランダムフォレスト(複数の決定木の出力を組み合わせて一つの結果に到達する統計手法)」などにモデル構築するとよい。

[5]実務展開検討(活用事例)
 ここでは、「退職リスク予測分析」を実践した際に得られた“気づき”をどのように実務展開したか、その事例を紹介する。

(1)対従業員:ハイパフォーマー予測モデルとの組み合わせたフォロー優先順位の設定
 少々残酷ではあるが、企業や組織としては絶対に退職してほしくない人と、必ずしもそうとは言い切れない人がいる。今回の退職リスク予測モデルの結果をそのまま活用する方法もあるが、第3回で紹介したハイパフォーマー予測モデルと組み合わせて、優先的にフォローすべき人材を特定することができる[図表8]
 実運用としては、モデルスコアが悪化しきってからでは手遅れになることもあるため、頻度高くモデルスコアを算出し、特にハイパフォーマーについては、退職予測スコアの変化に応じたきめ細やかな対応を求められたい。

[図表8]ハイパフォーマー予測モデルとの組み合わせたフォロー優先順位の設定

[図表8]

(2)対人事施策:分析結果から異動・配置や研修に反映することで退職を予防する
 可視化・基礎分析で紹介したように、適性タイプ別、入社からのタイミングによって転職の特徴が見えることがある。例えば、[図表9]のような分析結果が出た場合には、異動・配置あるいは管理職研修等の人事諸施策で対応を検討する材料になろう。

[図表9]退職のタイミングと退職者の特徴の分析結果

[図表9]

 さて、ここまでは第1回で紹介した「従業員構造把握」をベースとし、採用・異動・育成・退職といった一連の人材フローを基に、人事データを活用した事例を紹介した。
 今回の後半パートでは、これまで紹介したテーマとは趣が異なるが、「人事データ活用」として、可視化・基礎分析、モデル構築といった“作業手順”はそのままだが、企業経営へのインパクトの大きい「コンプライアンス」に関する事例の概要(分析の考え方)を紹介する。

3.ケーススタディ5:データ活用を通じた内部管理体制強化

 企業を取り巻く環境が急速かつ激しく変化している昨今、持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のためには、経営戦略やビジネスモデルを円滑に機能させるとともに、ガバナンスの強化が必要とされている。こうした背景の下、コーポレートガバナンス・コード(2021年6月改訂)では、不祥事対策にとどまらない「攻めのガバナンスの実現」を求められている。
 しかしこれは、一部の上場企業や大企業に限った話ではない。持続可能な企業価値向上のためには、企業は主体的に内部管理体制を強化していくことが必要といえる。一方で、多くの企業においては以下のような課題が散見される。

①受動的
 問題発生やその指摘を起点に対処される。「事業部門による自律的管理」が不十分。

②連携不足
 現場(事業部門)と本社(管理部門)の意識共有・連携ができていない。「管理部門による牽制」が不十分。

③検証不足
 内部監査部門が準拠性監査等の表面的な検証にとどまり、管理体制についての検証ができていない。「内部監査部門による検証」が不十分。

※下線部は、金融庁「コンプライアンス・リスク管理に関する検証・監督の考え方と進め方(コンプライアンス・リスク管理基本方針)」(2018年10月)において、「リスク管理の枠組みに関する着眼点」より。

 そこで人事データをはじめ、各部門が保有する情報を組み合わせることで、前記の退職者の分析と同様のアプローチを通じて、コンプライアンス事案など問題発生前や、内部監査の結果悪化の予兆管理を行うことが可能となる。分析結果を基に、人事部門やコンプライアンス部門を中心とした管理部門にて横断で協議し、それを事業部門とともに具体的な対策に移すことで、「攻めのガバナンスの実現」につながる[図表10]

[図表10]コンプライアンス違反等の要因を客観的に浮き彫りにする

[図表10]

[1]分析要件の検討
 ここからは、「ケーススタディ人事データ活用」と題する本連載の文脈から、「攻めのガバナンスの実現」に向けて、どのようなデータ活用をすればよいか、そのポイントを紹介していこう。
 まずは目的の明確化であるが、分析のコンセプトとして「コンプライアンス事案を未然に防ぎたい」や「最近内部監査不合格が増えたが、その要因を探りたい」などを挙げるとしよう。
 分析要件の検討では、[図表11]と同様に整理するとよい。分析対象は、これまで同様従業員とするほか、業務区分や部署、多店舗展開している企業では拠点ごとなど、後の施策を見据えて定義する。なお、従業員単位で分析することも可能であるが、“コンプライアンス違反の見込み度”を算出するアプローチとなるため、分析結果の活用には細心の注意を払う必要がある(“犯罪者予備群”のような扱い方をしてはならない)。

[図表11]内部管理体制強化における分析要件の検討

[図表11]

 これまで本連載ではタイトルにあるとおり、「人事データ」に特化した事例を紹介した。しかしながら、特に本テーマでは、分析の目的やターゲットの定義に合わせて、自社内に蓄積された幅広なデータ、例えば、営業部門が持つような営業支援システム内にある営業担当者と顧客とのやりとり(訪問頻度、内容、交渉相手等)などを活用してもよいだろう(やみくもにデータを用いればよいということではない点に注意が必要である)。

[2]基礎分析・モデル構築
 上記のとおり、データ分析の“作業手順”はこれまでと同様のため詳細は省略するが、過去の事案発生での教訓、内部監査部門をはじめとした熟練者の「経験・勘・コツ」をベースとした仮説検証型のアプローチで基礎分析を行うことを推奨する。また、ケーススタディ4と同様にして、可視化・基礎分析の結果、ターゲット(内部監査不合格など)と関連性の認められた項目を用いてモデル化を行う流れとなる[図表12][図表13]にあるような各仮説カテゴリの合計得点をもって、「監査不芳予兆スコア」などとしてもよいだろう。

[図表12]仮説カテゴリごとに要因を探っていく

[図表12]

[図表13]拠点ごとに仮説カテゴリの合計点数で序列化する

[図表13]

[3]活用事例
 [図表14]は、総合スコア(監査不芳KPI)やテーマ別・拠点別スコアの測定、監査不芳テーマ・拠点の予測、不芳予兆要因把握のため、「モニタリングレポート」として取りまとめた事例である。当該レポートを月次など定期的に観察することで、内部監査の質の向上とともに、問題発生の未然防止・早期発見へ活用につなげることができる。

[図表14]モニタリングレポートとして結果をとりまとめる

[図表14]

 こうした取り組みは、レポートの開示範囲に工夫は必要ではあるが、先に挙げた課題それぞれに対して、以下のような効果も期待される。

①受動的⇒能動的

  • 監査不芳懸念を検知できるようになり、2線(管理部門)による攻めのフォローが可能。損失につながるミスなどの未然防止

②連携不足⇒認識共有

  • 効率的な認識共有が実現されることで対応の実行性が改善
  • 1線(事業部門)と2線(管理部門)との意識共有が進み、1線独自の自浄意識が向上

③検証不足⇒検証プロセスの確立

  • 定期的に定量化することで2線(管理部門)・3線(内部監査部門)の対策の効果検証が可能

 今回は前回までと打って変わって、人事担当者の大きな悩みである「退職」と「コンプライアンス」をテーマに、人事データ活用の事例を紹介した。
 こうしたテーマでは、分析の過程において“高リスク”と判定された従業員が、そのことで不利益を被らないよう細心の注意を払う必要である。したがって、データが誤った活用のされ方をしないよう、人事データ活用を担う人材には高い倫理観が求められるのである。
 次回は「人事データ活用のノウハウ」の最終回として、上記のような人事データを活用する際の実務上の留意点について紹介する。

熊倉佑哉 くまくら ゆうや
株式会社浜銀総合研究所
 情報戦略コンサルティング部 上席主任研究員

東京工業大学大学院社会理工学研究科修了後、株式会社浜銀総合研究所入社。マーケティング高度化支援、組織・人材管理領域のデータアナリティクス業務等を担当。一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 認定人事データ保護士。