2026年08月14日掲載

Point of view - 第305回 佐倉健史 ― 従業員の自殺後の対応で左右される組織の行く末 ~信頼を失わないためのポストベンション実践

佐倉健史 さくら たけし
さんぎょうい株式会社 メンタルヘルス・ソリューション事業室 室長

臨床心理士・公認心理師・キャリアコンサルタント・メンタルヘルス法務主任者。精神科クリニック併設型外部EAP機関にて13年在籍後、現職。メンタルヘルス施策の立案、体制構築、ストレスチェックの結果活用のコンサルティング、社内でのカウンセリング、社内教育研修の企画・講師などを通し、多くの企業のメンタルヘルス課題解決の支援経験を持つ。学会活動では発表・講演に加え、委員会等において企画・運営に携わる。

自殺発生後の対応が組織の将来を左右する

 読者の皆さまは、「自社の従業員が自ら死を選ぶ」という出来事に遭遇したことはあるだろうか。筆者は、企業のメンタルヘルス支援の現場で、自殺発生後の対応に数多く関わってきた。大切な従業員を失うことは企業にとって大きな痛みであり、会社全体に深刻な影響を及ぼす。しかし、自殺そのものによる影響以上に、その後の対応次第で組織の将来が大きく左右されることも少なくない。

誠実な態度や行動が組織への信頼を守る

 自殺発生時の事後対応は「ポストベンション」と呼ばれる。ポストベンションの目的は、悲嘆や混乱による組織機能の低下を最小限に抑えるとともに、精神疾患の発症や同様の事態の発生を防止することである。ポストベンションでは個人に対する支援も重要であるが、本稿では特に組織として講じるべき対応に焦点を当てたい。なぜなら、自殺が発生した後の組織では、従業員は会社の態度や行動に対して平時より敏感になり、よく観察している。そして、会社側の対応を厳しく評価する傾向になり、ともすれば会社との溝を深めかねないからだ。
 まず検討しなければならないのが、死亡の事実のアナウンス方法だ。従業員の自殺というセンシティブな出来事に対して、企業は遺族の意向やプライバシーに最大限配慮する必要がある。一方で、事実を隠そうとすると、残された従業員の間で臆測やうわさが広がり、組織への不信感を招くこともある。そして大抵の場合、会社が正式にアナウンスする前に、うわさを通じて従業員の間に事実は広がっていく。そのため、情報を公開できる対象範囲やその内容を慎重に見極めながらも、誠実かつ透明性のあるコミュニケーションを行うことが求められる。事実、筆者らが行う面談では、この点についての会社側の物事の進め方や態度についての不満や不信が頻繁に語られる。

故人との別れの機会を組織として確保する

 また、故人との別れの機会を組織として最優先で確保すると良い。遺族の了承を得るよう努めた上で、従業員が葬儀や追悼の場へ参列する機会を積極的に設ける。従業員が故人を悼み、気持ちを整理できる環境を整えることは、見落とされがちだが、意外と重要だ。職場の仲間としてともに働いた人をきちんと送り出すという経験は、残された従業員が喪失を受け止める上で大きな意味を持つ。実際、葬儀に参列してお別れができた人とそうでない人とでは、気持ちの整理の進み方が大きく違うと感じている。昨日まで一緒に働いていた同僚の死について、突然の知らせだけでは到底受け入れられず、亡くなったことを実感できない。葬儀で顔を見て手を合わせることで実感が持て、そこから気持ちの整理が始まるものだ。

自殺発生後に表面化する組織課題と不信感への対応

 さらに、自殺発生後の職場にはしばしば構造的・心理的な課題が表面化する。業務負荷、人員配置、マネジメントの在り方、コミュニケーションの不足など、以前から存在していた課題が改めて問題として認識されることがある。一方で、客観的な事実とは別に、従業員の間で「会社が故人を追い詰めたのではないか」「誰かに責任があるのではないか」といった見方が広がる場合もある。
 自殺は多くの場合、個人要因、健康要因、家庭要因、職場要因などが複雑に絡み合って生じるものであり、単一の原因に帰することは困難だ。しかし、人は理解できない出来事に直面すると、何らかの説明を求めようとする。そのため、複雑な出来事を理解しようとする過程で、「会社が原因だ」と解釈する従業員も少なくないわけだが、それに合わせて会社への不信や怒りが増幅され、職場への帰属意識やモチベーションの低下につながることがある。こうした状態を放置すると、生産性の低下だけでなく、人材流出や組織風土の悪化を招く可能性が高まっていく。
 そうした状況に陥らずに会社が従業員と向き合えるよう、筆者は残された従業員との面談内で了承を得た上で、生々しい不満や不信、課題の指摘などをカテゴリーごとに整理し、経営層への報告会で伝え、改善の提言を行うようにしている。

トップマネジメントが示すべき三つのメッセージ

 こうした臆測や不信感の拡大を防ぐために、トップマネジメントはできるだけ早い段階で組織としての認識と方針を示す必要がある。特に重要なのは次の3点である。

1.会社としてこの事態をどのように受け止めているのか

2.現時点でどのような課題があると認識しているのか

3.再発防止のためにどのような方針と具体的施策を講じるのか

 これらをトップマネジメント自らがメッセージとして発信することで、従業員は会社が事態を真摯(しんし)に受け止めていると理解しやすくなる。また、「同じようなことが再び起こるのではないか」という不安を軽減し、組織への信頼回復にもつながる。

ポストベンションは重要な経営課題である

 自殺という出来事に向き合うことは、経営者にとっても非常に苦しい経験だ。「できることなら目を背けたい」と感じるのは自然な感情であろう。しかし、自殺の事実を曖昧なままにせず、組織として誠実に受け止め、必要な改善に取り組むことこそが、残された従業員を守ることにつながる。人事総務部門には、職場全体への影響を見据えながら、トップマネジメントを巻き込み、組織としての学びと再発防止につなげる役割が求められる。従業員の自殺後に企業が示す姿勢は、残された従業員との信頼関係を大きく左右する。だからこそポストベンションは、一時的な危機管理ではなく、組織の未来を守るための経営課題として位置づけられるべきなのである。