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加藤京子 かとう きょうこ 青山学院大学卒業後、日商岩井株式会社(現双日株式会社)入社。1998年社会保険労務士資格取得、2000年独立開業し、H・Rサポート事務所設営。2004年研修事業を開始し、管理職選抜の事業の一環として部下指導の相談(面談)を受託。年間約100日(20年間)の研修・セミナーを開催し、研修講師と人材アセスメントチーフコンサルタントとしての活動を並行する。著書に『部下からの逆パワハラで “もう無理” と思ったときに読む本 悩める上司への処方箋』(日本能率協会マネジメントセンター)、『Z世代に嫌われる上司 嫌われない上司』(ぱる出版)がある。 |
管理職が最も孤立する瞬間
職場のハラスメントというと、多くの人は「上司から部下へのパワハラ」を思い浮かべる。しかし、昨今、日本のみならず、海外でも、“逆方向” のハラスメント、すなわち部下から上司に対して行われるハラスメントが問題視されている。これはupward bullying(アップワード・ブリーイング)と呼ばれる。このテーマに関連する知見として、カナダのLoraleigh Keashly教授らの研究[注]では、管理職が受ける心理的ストレスは、単に部下からの攻撃だけでなく、組織から十分な支援が得られない状況によって増幅されることが示唆されている。つまり、問題の本質は「部下の行動」そのものではなく、会社の対応や沈黙にあり、これが管理職の孤立を助長する可能性があるということである。
日本の職場でも同様の相談(部下が指示を無視する、SNSや職場内で上司の悪口が広がる、「パワハラだ」と言われることを恐れて指導できない等)が増えている。この時、多くの上司が口にする言葉は、「人事に相談したが、様子を見ましょうと言われた」である。この “様子見” という行為が、組織としては慎重な判断のつもりでも、現場(上司側)では “放置された” と受け取られやすく、ここに差異が生じている。その間に問題は少しずつ悪化し、被害者である上司の心を削り、悲劇を招く、というのがよく見聞きするパターンである。
誤解しやすい点をもう一つ挙げると、ハラスメント相談を受けたとき、会社側はつい「本当にハラスメントか、誰が悪いのか」を判断しようとする、ということである。もちろんそれは大切なことではあるが、人事の役割は、事態を裁くことではない。必要なのは、この問題に対して「ぞんざいに扱っていませんよ、深刻な問題として丁寧に受け止めていますよ」というメッセージを発信し、それに基づくアクションを行うことである。例えば、相談を受けたら、初動対応として「事実の整理、関係者への初期ヒアリング、対応方針の検討等」を開始するといったものである。これらのアクションの目的は、問題をすぐ解決することにとどまらず、「組織は常に動いてくれる」ことを示すためである。人は孤立すると、問題を深刻に感じるものだが、「組織が一緒に考えてくれている、動いてくれている」と認識するだけで、心は安定するものである。くれぐれも、メンタルや耐性を責める発言、管理職としての責任を過度に求める発言は、いったん控えるべきだろう。
組織構造からみる職場トラブルの本質
もう一つ、今回のような部下から上司へのパワハラを扱う上で、看過できない問題点について触れておきたい。職場トラブルの本質は個人の性格や行動ではなく、組織構造にある、ということである。ここでは、「集団極性化」と「心理的安全性」について述べたい。
「上司の指示を軽く扱う」「周囲を巻き込みながら組織の空気を変えてしまう」という部下の振る舞いは、単なる性格の問題として語られがちだが、これは少し違う。同じ考えを持つ人が集まると、その意見が次第に強まり、より極端な方向へ進んでいく集団極性化という心理現象が起きる。例えば、「上司が厳しすぎる」ことへの不満が数人の間で共有されると、やがて「あの上司は問題だ」「みんなもそう思っている」という空気へ変わっていく。このように、最初は小さな不満だったものが、集団の中で正当化され、強化されていくという現象である。
また、近年、多くの企業で重視されている心理的安全性だが、この概念が誤解されてしまうと、「相手に何を言ってもいい」「上司に反発してもよい」という空気に変わることがある。心理的安全性の本来の姿は、率直な意見と責任ある行動が両立する状態を指すが、ルール、責任、組織秩序が弱い職場では、この概念が「無秩序」と混同されることがあり、ここに、上司が孤立する構造が生まれる。強く指導すれば「パワハラ」、指導しなければ「管理不足」という板挟みの状態に陥り、上司は次第に組織の中で孤立していく。
ハラスメントやトラブルの本質は、誰が悪いかではなく、なぜ組織がそのような状態を許してしまったのか、何が構造的な引き金になっているかという点にある。この本質を理解していないまま、相談を受けたり問題を処理したりしても再発防止に至らない。組織の構造を理解した上で、ルール、責任、組織秩序等、多面的な視点で、制度や体制を整備する必要がある。信頼関係や心情交流はもちろん重要で、その上でルールと組織の体制を整備することでトラブルを最小限にとどめていくことが求められる。
組織が動くと、問題の半分は解決する
繰り返しになるが、ハラスメント問題は、加害者・被害者間だけの問題ではなく、そこには必ず「組織の対応」という第三の要素がある。個人・当事者任せではなく、組織としての体制整備が不可欠である。以下では、その点を掘り下げていく。
① 相談窓口・初動体制の整備
・相談があった際、事実整理・関係者へのヒアリング等、初期対応を開始する体制を明文化する
・人事担当者だけでなく、直属上司・コンプライアンス担当・経営層まで初動の連携フローを整備する
・相談記録は必ず残し、後続の調査・判断に生かす
初動対応を迅速化することで、組織として動いていることを示し、上司・部下の双方を孤立させないようにすることが重要である。ただし、ここでの事実整理と関係者へのヒアリングは、相談者(上司に当たる人)に確認を取りながら進めるべきである。勝手に加害者側(部下側)にヒアリングをして、あっという間に職場に広がり、問題がこじれるケースは避けたい。冒頭に述べた “様子見” と “アクション” のバランスを意識しながら進めるとよいだろう。
② ハラスメント防止規程
・上司・部下・同僚間すべてに適用されるハラスメント防止規程を整備する
・「逆パワハラ」という言葉は学術的には存在しないが、理解しやすくするために、部下から上司への攻撃的行動もハラスメントの一種として言及する
自社の規則に、「逆パワハラ」を意識した条文があるかどうかを確認したい。特に確認すべきなのは、(a)部下→上司という逆転現象もハラスメント対象であると明記されているか、(b)集団圧力・心理的優位も優越関係に含まれているか、(c)業務指導はハラスメントではないと明確化されているかどうか、である。これらの記載がなく、現場任せになると、「指導をしているのにパワハラと言われる」「上司や管理職が何も言えない」という問題が起きる。
③ 上司を守る仕組みと防御策の明文化・教育の徹底
・指導・注意の記録テンプレートを標準化する(上司が行った指導の事実を組織として把握し、上司を支援する)
・定期研修で「上司の孤立」を防ぐ行動を促し、「心理的安全性」に対する正しい理解を浸透させる
心理的安全性を誤解すると、上司が孤立する構造が生まれる。上司が「叱れない」「指導できない」と感じる環境は、部下の行動をエスカレートさせる温床になる。「安全である」ことの本来の意味を、研修等で浸透させていきたい。
④定期的なレビューと改善
・相談件数・対応状況・結果のレビューを四半期ごとに実施する
・初動対応の遅れや体制の不備を検証し、改善策を検討・実施する
いくら制度を整備しても放置してしまっては意味がない。組織が常に自らの対応能力を点検し、改善を試みることが重要である。
大切なのは、ルール・体制・文化の「3本柱」で整備すること、そして、「あなたを一人にはしませんよ」という愛のあるメッセージである。これらが、部下からのハラスメントの早期解決と管理職の孤立防止のカギといえる。
【参考文献】
注 Keashly, L., Hunter, S., & Harvey, S. (1997). Abusive interaction and role state stressors: Relative impact on student residence assistant stress and work attitudes. Work & Stress, 11(2), 175-185.
