2026年03月27日掲載

Point of view - 第296回 林田康裕 ―「人を動かす」から「行動を見いだす」へ ~VUCA時代のマネジメント変革

林田康裕 はやしだ やすひろ
株式会社轍(わだち)コンサルティング 代表取締役

1974年生まれ。1997年関西外国語大学外国語学部英米語学科卒業。外資系メーカー東京本社にて営業チームのマネジメントを行う中で、部下がチャレンジングかつ自発的に動き出すための関わり方を学ぶ。専門領域は人材教育とマーケティング。企業に対して伴走型スタイルで他者の主体性を引き出すコンサルティング支援を行う。主な著書に『部下の良さを引き出すリーダー』『人を動かす傾聴力』(ともにぱる出版)がある。

人は、指示や命令で動かない時代になった

 「なぜ言われたとおりにやらないのか」
 「ここまで説明しているのに、なぜ行動が変わらないのか」
 管理職や人事担当者と話していると、こうした言葉を耳にする機会は少なくない。現場では日々多くの指示が出され、会議でも方針は丁寧に共有されている。それにもかかわらず、期待した行動が返ってこない。あるいは、言われたことはこなすが、その先の創意工夫や主体的な動きが見られない。そんな違和感を抱く管理職は決して少なくないだろう。
 かつては、指示や命令は組織を動かすための強力なエンジンであった。業務内容が比較的安定しており、やるべきことが明確だった時代には、上司が決め、部下が実行するという役割分担は合理的だった。上司の経験や判断は正解である蓋然(がいぜん)性が高く、「言われたからやる」という行動様式が組織の推進力を生んでいた。
 しかし現在、その前提は大きく揺らいでいる。丁寧に説明しても、論理的に伝えても、人は以前ほど素直に動かない。これは個々人の意欲が低下したからでも、若手社員の価値観が変わったといった表層的な問題でもない。時代そのものが、指示や命令では人を動かせない構造へと変容しているのである。

背景にあるVUCAという環境変化

 この変化の背景にあるのが、「VUCA」と呼ばれる時代環境だ。将来の予測が難しく、変化のスピードが速く、物事が複雑に絡み合い、明確な正解を見いだすことは極めて難しくなっている。
 現場で起きている問題は、もはや単一の原因で説明できなくなった。顧客ニーズは多様化し、市場環境は刻々と変化する。昨日まで有効だった施策が、今日は通用しないことも珍しくない。マニュアルや過去の成功事例をなぞるだけでは、十分な成果を出せない場面が増えている。
 管理職や人事担当者であっても、常に正解を持っているわけではない。むしろ、「この判断は本当に妥当なのか」「状況が変わったら、どう修正すべきか」と葛藤しながら意思決定をしているのが実情だろう。指示する側自身が確信を持てないまま発する言葉は、現場にも無意識のうちに伝わる。その結果、上からの指示や命令は、以前のような説得力を失っていくのである。

VUCA時代では、指示や命令は機能しにくい

 このような状況では、指示する側にも戸惑いが生まれる。管理職自身も、以前のように確信を持って判断できる場面が減っているからだ。それでも組織として前に進まなければならない以上、何らかの方針を示す必要がある。その結果、「これが正解か分からないが、取りあえずやってほしい」という曖昧な指示が増えていく。
 部下は、その曖昧さを敏感に察知する。「この施策に本当に意味があるのか」「途中で方針が変わるのではないか」「責任は誰が取るのか」という不安を抱えたままでは、リスクを取って主体的に踏み込むことは難しい。結果として、部下は「言われたことだけをこなし、それ以上の判断はしない」という安全な選択をする。この反応は、決して消極的だからではない。不確実な環境における、部下なりの「合理的な行動」なのである。

「人を動かす」のではなく、「行動を見いだす」という発想

 ここで一つ、立ち止まって考えてみたい。人を動かそうとするとき、管理職や人事担当者は、無意識のうちに「相手を正しい方向に導こう」としていないだろうか。善意であればあるほど、相手の行動を修正し、最短距離で成果に近づけようとする。しかしその姿勢が、結果的に相手から納得感を奪い、思考停止を招いている可能性がある。
 これからの時代に必要なのは、人を「動かす」のではなく、相手の中に「行動を見いだす」という発想である。行動を見いだすとは、相手を放置することでも、判断を丸投げすることでもない。相手が何に迷い、何を大切にし、なぜ踏み出せないのかに向き合うことである。そのプロセスを通じて初めて、行動は「やらされるもの」から「自分で選んだもの」へと変わっていく。
 これは、反抗心や怠慢から来るものではない。むしろ、変化の激しい環境に適応しようとする、極めて健全な反応だといえる。納得できないまま動くことは失敗のリスクを高める。だからこそ現代のビジネスパーソンは、自分なりに考え、腹落ちした上で行動しようとするのである。
 その結果、指示や命令は以前ほどの影響力を持たなくなった。命令されても腹落ちしなければ動かない。あるいは、表面的には従っているように見えても、主体的な工夫や改善は生まれにくい。行動はしているが、当事者意識が伴わないという状態が、組織の中に広がっていく。

情報過多の時代、人は「自分なりの答え」を探すようになった

 指示や命令が機能しにくくなった背景には、情報環境の変化も大きく影響している。現在、人は日常的に膨大な情報に触れている。SNSや動画など各種メディアを通じて、仕事に関する考え方や成功事例、失敗談までもが容易に手に入る時代になった。
 分からないことがあれば、まず自分で調べる。上司や会社の判断が「唯一の正解」ではなく、ほかにも多様な選択肢が存在することを、人は常に目にしている。その結果、「言われたからやる」という理由だけでは、行動の動機として弱くなっているのである。
 この環境では、人は無意識のうちに、「自分なりに納得できる答え」を探そうとする。そこに納得感がなければ、行動は最低限のものにとどまる。これは反抗ではない。自分で考え、選び、納得して動くことが当たり前になったという現代において、個人の「納得感」は行動の原動力そのものなのである。

納得感を伴わないまま人を動かそうとしたとき、組織で起きる弊害

 納得感を伴わないまま、指示や命令によって人を動かそうとすると、組織には特有の変化が現れる。
 まず増えるのが、確認と報告である。部下は自分で判断することを避け、ささいなことでも上司に判断を仰ごうとする。その結果、判断は上に集中し、管理職は忙しくなる。現場は上司の指示を待ち、上司は細かな意思決定に追われる。この構造が続くと、組織全体のスピードは落ち、柔軟な対応が難しくなっていく。
 さらに厄介なのは、「考えないこと」が学習されてしまう点である。言われたとおりに動くほうが安全で、余計なことをしないほうが評価を下げない。そうした経験の積み重ねが、主体性を静かに奪っていく。これは誰かの能力不足のためではなく、納得感を伴わないまま動くことが「最適解」となってしまう構造的な問題である。
 ここで一度、管理職や人事担当者の立場に目を向けてみたい。指示や命令が効かなくなっていると感じながらも、日々の業務の中で「ではどう関わればよいのか」という問いに、明確な答えを持っている人は多くないだろう。現場を止めるわけにはいかず、成果も求められる。その板挟みの中で、従来のやり方を続けざるを得ないという葛藤もあるはずだ。
 しかし、だからこそ視点を切り替える必要がある。人を「どう動かすか」という問いを立て続ける限り、関係性は上下の構図から抜け出せない。相手の行動をコントロールしようとすればするほど、納得感は遠ざかる。必要なのは、行動そのものではなく、その行動が生まれる「背景」に目を向けることだ。この視点の転換が、これからのマネジメントの分かれ目になる。

主体的な行動は、どこから生まれるのか

 こうした状況を踏まえると、これからのマネジメントに求められるのは、「人を動かす」という前提そのものの見直しである。重要なのは、外から行動を強制することではなく、相手の中にある納得感の延長線上で、行動を見いだしてもらうことである。
 人は、自分の中で「これならやってみよう」と思えたときに、初めて主体的に動く。そのとき、行動には創意工夫が生まれ、継続し、状況に応じた自律的な修正も行われる。管理職や人事担当者の役割は、正解を与えることではない。相手が何に引っかかり、どこで迷っているのかを理解し、その思考の整理を支援することである。
 相手を理解しようとする姿勢があってこそ、納得感は育つ。ここを飛ばして行動だけを求めても、主体性は生まれないのである。

相手を理解するために必要な「傾聴」

 相手の理解を支える具体的な関わり方が「傾聴」である。傾聴とは、単に話を聞くことではない。相手の言葉の背後にある考えや感情、前提条件に関心を向け、理解しようとする姿勢そのものを指す。
 傾聴が機能するかどうかを分けるのは、聞き方のテクニックではない。話を聞きながら評価や判断をしていないか。結論を急いでいないか。相手の話を自分の枠組みに当てはめようとしていないか。そうした内的な姿勢が、相手には敏感に伝わる。
 人は、理解されていると感じたときに、初めて自分の考えを深め始める。傾聴は、人を説得するための技術ではない。相手が自分自身と向き合い、納得感を育てるための土台なのである。

傾聴において問われるマインドセット

 傾聴が形骸化してしまう背景には、「自分が正解を持っている」「相手を導かなければならない」という無意識の前提がある。この前提に立ったままでは、どれだけ話を聞いても、対話は誘導や評価になってしまう。
 本来の傾聴は、「相手の中に答えがある」という前提に立つことから始まる。管理職や人事担当者は答えを与える存在ではなく、相手が考えを整理し、意味づけを行うプロセスを支える存在である。このマインドセットがあって初めて、傾聴は主体的な行動につながる。

人を動かす組織から、人が動きたくなる組織へ

 人は、指示や命令で動かない時代になった。しかしそれは、管理が不要になったという意味ではない。関わり方の質が、これまで以上に問われる時代になったということである。
 VUCA時代において、人を主体的に動かすために必要なのは小手先の手法ではない。相手を理解し、納得感のある行動をともに見いだそうとする姿勢である。
 人を「どう動かすか」ではなく、人が「どうすれば動きたくなるか」。その本質的な問いに向き合うことこそが、これからの人事とマネジメントの真の出発点ではないだろうか。