2026年04月24日掲載

Point of view - 第298回 安藤至大 ― AIは若者の仕事だけを奪うのか ~労働経済学から見る、組織における「意図的な非効率」の重要性

安藤至大 あんどう むねとも
日本大学経済学部教授

1976年東京生まれ。2004年東京大学博士(経済学)。政策研究大学院大学助教授、日本大学大学院総合科学研究科准教授などを経て、2018年より現職。専門は、労働経済学、応用ミクロ経済学。社会的活動として、厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で公益代表委員などを務める。著書に『これだけは知っておきたい働き方の教科書』(ちくま新書)、『ミクロ経済学の第一歩 新版』(有斐閣)などがある。

AIは誰の仕事を代替するのか

 2026年に入り、米国では新卒者の就職が目に見えて厳しくなっている。ゴールドマン・サックス、ダラス連邦準備銀行、アンソロピック(Anthropic)など複数の独立した機関による研究が同じ結論を示した。それは、生成AIの影響は一様ではなく、若年・エントリーレベルの労働者に集中している――という事実である。しかしこれは単に「若者の就職難」にとどまらず、組織全体の知の継承と革新能力を根底から揺るがしかねない構造的な問題がある。
 2026年2月、ダラス連邦準備銀行のスコット・デイヴィスは、AIが労働市場に与える影響を分析する上で「体系的知識(codified knowledge)」と「暗黙知(tacit knowledge)」を区別して議論した。
 体系的知識とは、教科書やマニュアルに記述できる知識のことだ。法令の条文や会計基準、プログラミング言語の文法、定型的なビジネス文書の書き方などが該当する。一方、暗黙知とは、経験を通じてのみ獲得される知識である。顧客との交渉における「間」の取り方、異常値を見たときに「何かおかしい」と感じる “直観”、チーム内の力学を読んでプロジェクトを前に進める能力などだ。
 生成AIは、本質的に体系的知識の処理に()けている。膨大なテキストデータから学習したパターンに基づいて、定型的な文書を作成し、コードを生成し、データを分析する。しかし、特定の職場の文脈で長年の経験を通じて培われるような暗黙知は、現在のAIにはまだ手が届かない。
 エントリーレベルの労働者にとって、大学で学んだ知識、資格試験で身に付けた技能、研修で習得したスキルなど、体系的知識こそが自分の「専門性」の中核を成す。しかし、これらはAIが最も得意とする領域と重なる。一方、経験豊富な中堅・ベテラン労働者にとって、体系的知識は既に日常業務の「補助的な部分」に過ぎず、むしろAIがそれを代行してくれることで、自身の暗黙知をより高度な判断や意思決定に集中させることができる。
 ここから導かれる帰結は明快だ。同じAI技術が、若手に対しては “代替効果” として、ベテランに対しては “補完効果” として作用する。

データが語る若年労働者への集中的影響

 この理論的予測は、幾つもの実証データによって裏付けられている。ゴールドマン・サックスの分析によれば、AIによる代替効果は月約2万5000件の雇用を消滅させる一方、補完効果は月約9000件の雇用を生み出しており、差し引きすると月約1万6000件の純減と推計されている。そしてこの影響は、若年労働者に対して不均衡に集中している。AI代替への曝露(編注:AIにより業務が代替・補完される可能性の高さ)が最も大きい職種では、30歳未満の労働者と31〜50歳の経験者との間の失業率格差が、コロナ禍前と比べて顕著に拡大した。
 ダラス連邦準備銀行による別の分析も同様の傾向を示している。AI曝露の高い職種における20〜24歳の雇用率低下は、レイオフ(解雇)の増加ではなく、労働力外から就職するまでのフローにおいて、つまり新卒者がそもそも職に就けない状況によって主に引き起こされている。企業は既存の従業員を解雇するのではなく、新規採用を絞っているのだ。
 アンソロピックが2026年3月に発表した研究も同じ方向を指す。AIの業務利用データから測定した「観測された曝露」は、プログラマーで74.5%、カスタマーサービスで70.1%に達しており、22〜25歳の就職率は既に低下の兆候が見られるという。
 ボストン コンサルティング グループ(BCG)の報告書は、この状況をさらに端的に表現している。エントリーレベルの職種が代替リスクの高い領域に集中しており、企業は反復的なタスクを担う「学びながら働く」ポジションを削減しているというのである。

10年後の組織は中堅が不在か

 ここまでの議論は、若年労働者自身にとっての就職難という問題として語られることが多い。しかし、これを企業・組織の将来に目を向けて考えてみると、もっと大きい影響がある。
 今日の企業における中堅層である30代後半から40代の労働者にとって、10年後はキャリアの後半に入る時期である。その時、組織の中核を担うべき次の中堅層が、キャリアの初期に十分な現場経験を積んでいなかったらどうなるか。
 エントリーレベルの仕事がAI代替によって削減され、若手が現場での試行錯誤を経験する機会が失われれば、5年後・10年後に「現場を知っている中堅」が組織内に極端に少なくなる。つまり、キャリアのはしごの最下段が消えるということは、その上の段に上る人がいなくなるということである。
 さらに深刻なのは、AIへの過度な依存がもたらす知識の空洞化である。AIの出力をそのまま報告し、そのまま実装し、そのまま送付する。業務は一見回っているようでも、「なぜそうなるのか」を理解しないで働く人が増えれば、誤りを見抜き、より良い方法を考案する能力は組織から静かに失われていく。
 製造業の “カイゼン” が示すように、現場の革新は手を動かし、失敗し、原因を考える試行錯誤から生まれる。新商品のアイデアも、顧客の反応を直接観察し、プロセスの不具合を体感するところから始まる。こうした暗黙知はAIによる代替が困難であるだけでなく、AIを使いこなす上での前提条件でもある。AIを使いこなすには、AIが間違えたときにそれを見抜く能力が必要であり、その能力は実務経験を通じてしか培われないのである。

「意図的な非効率」を人材戦略に位置付ける

 この問題に対する処方箋は、AIで代替可能なタスクであっても、教育的・育成的な観点から「意図的に手作業の経験を残す」という組織的判断を行うことである。
 AIが瞬時に処理できるタスクを、なぜ人間にやらせるのか。一見すると非効率だが、労働経済学の観点からすれば、これは将来の生産性を支える人的資本への投資にほかならない。
 例えば、AIがデータ分析の大部分を自動化できる環境であっても、若手社員に生データから手作業で分析させる課題を定期的に与える。AIが契約書を自動生成できるとしても、一から起案する経験を積ませる。AIがコードを書ける環境であっても、基本的なアルゴリズムを自分で実装させる。
 これは医学教育における考え方と似ている。画像診断AIの精度が向上しても、研修医が自分の目で “X線写真を読む” 訓練が廃止されることはない。基盤となる知識と判断力がなければ、AIの診断結果を適切に評価することもできないからだ。
 重要なのは、このような「意図的な非効率」を、個々の現場任せにせず、組織としての人材戦略に位置付けることである。短期的な生産性の最大化と、長期的な組織能力の維持・発展との間には、トレードオフが存在する。このトレードオフを経営判断として明示的に認識し、若手が現場で試行錯誤する機会を制度上で確保することが求められる。
 AIが最も得意なことを人間にもやらせる。その「無駄」こそが、10年後の組織の底力を決める。