2026年02月13日掲載

Point of view - 第293回 松井勇策 ― 雇用関係の法令・政策の “点と線” 、人材戦略の重要性 ~労基法大改正と、すべての法令対応に必須の新しい視点

松井勇策 まつい ゆうさく
雇用系の産学連携シンクタンク iU組織研究機構 代表理事
社会保険労務士
情報経営イノベーション専門職大学 客員教授(人的資本経営・雇用政策)

先端的な「働き方」や人的資本経営と、雇用系の法令政策活用によるイノベーションが専門性の核心。多くの企業へのコンサルティング等を行う。名古屋大学法学部を卒業後、株式会社リクルートにて組織人事系企業支援、のち上場時の内部統制整備等を担当。退職後独立。著書『人的資本経営と開示実務の教科書』等多数。

 雇用に関する法令や政策について、企業の人事労務担当者はどのような視点で向き合うべきだろうか。「改正後の内容に自社の制度が適合するよう、その時々のタスクとして取り組もう」という視点から、個別の作業として、毎年のように行われる法改正を捉えている場合が多いのではないかと思われる。
 しかし、先進企業の中では、これとは全く違う、本質的ともいえる視点を持って取り組む人事労務担当者が増えている。つまり、法改正の背後にある政策の流れを理解し、人的資本経営(働き方の多様性と価値の向上を目指し、戦略視点で、経営とつながった人事施策を行っていくこと)の推進材料として法令を捉え、先行して計画的に対応していく視点である。この視点があると、雇用関係の法令は「組織変革を推進するための有効なツール」へと姿を変える。
 それが可能になるのは、近時の雇用政策の目指す方向性が、個別の法令を超えて明確に一つのゴールを目指しているからである。筆者はその方向性を「働く人一人ひとりの多様性を尊重し、その価値を最大限に引き出すこと」であると理解している。この大きな流れを理解すれば、法令・政策は企業にとって人材戦略推進の促進材料として積極的に活用すべきものとなる。重要なことは、一つひとつの法改正を “点” として捉えて個別に対応するのではなく、政策全体の方向性という “線” をしっかりと読み取り、中長期の変化を見越して自社の経営戦略・人材戦略と “線” とを連動させることなのである。

1 育児介護休業法改正が示す方向性 ~戦略視点は対応の価値だけでなく、効率性も向上させる

 近年の法改正の内容を上記の視点から見てみよう。例えば、2025年10月に施行された改正育児介護休業法(以下、育介法)はその好例である。この改正で、3歳から小学校就学前の子を養育する労働者に対して、①始業時刻等の変更、②テレワーク等、③保育施設の設置運営等、④就業しつつ子を養育することを容易にするための休暇の付与、⑤短時間勤務制度の中から、二つ以上の措置を選択して講じることが義務化された。つまり育介法は、「復職後の働き方まで含めた複数の選択肢を従業員に提示し、個々の要望を丁寧に反映する仕組み」へと転換したと読み取ることができる。この改正の根本目的は、前項の方向性のとおり “個別の状況に応じて多様な働き方を最も良い形で実現せよ” というものにほかならない。厚生労働省公表の事例集を見ると、法施行前から類似の取り組みを自主的に進めていた企業が多数存在する。労働時間の柔軟性を向上させる改革や個別面談による働き方の調整など、先進的な企業は政策の “線” を人材戦略の観点で先取りしていたのである。
 産学連携シンクタンクのiU組織研究機構では、本件に関係する雇用関係の法令への意識に関する調査を2025年に実施した[図表1]。すると、人的資本経営を認知し、推進の意識が高い企業では、近ごろの法令や政策を「戦略的に活用できる度合いが上がった」と捉える割合が多く、法令等が「複雑になり対応しにくくなった」という印象が顕著に少なくなっている。個々の法改正を超える “線” の戦略的視点を持つ企業では、法改正は戦略に有用であると捉えているため、対応負荷が減っていることが示されたのである。

[図表1]人的資本経営の人材戦略への意識と、雇用関係の法令政策への印象

図表1

[注]1.()内は集計人数

2.人事・ESG・経営企画・経営担当者への調査

資料出所:エル・ティー・エス、iU組織研究機構「人的資本経営と法改正対応に関する調査」

2 労働基準法の大改正における論点の拡大と、根本的な戦略設計の必要性

 こうした戦略的な “線” の対応が求められる法改正のうち、最も大きなものが、現在検討が進行している労働基準法(以下、労基法)であろう。2027年以降の施行が目指されている労基法の改正が実現すれば、1987年改正(週法定労働時間を48時間から40時間に短縮など)から実に約40年ぶりの抜本的な見直しとなる。
 一方で2025年12月、労基法改正案について2026年の通常国会への提出見送りが報じられた。労基法改正に向けた議論のスタートから政策転換までの時系列をまとめると[図表2]のようになる。“見送り” という言葉から後退を連想するような反応的な意見も散見されるが、実態は全く逆である。高市早苗首相が上野賢一郎厚生労働大臣に向けて「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討」を指示したことにより、改正の論点が大幅に拡大・深化し、より包括的かつ本格的な改正を前倒す仕切り直しが行われたのである。

[図表2]労基法改正案の提出見送りの経緯と背景 ~時系列と対立構造

図表2

資料出所:筆者作成

 当初から議論されていた改正に向けた論点は、事業(場)概念の見直しなどの人材ポートフォリオに基づく戦略構築、副業・兼業における割増賃金計算の簡易化による促進、労働時間情報の開示義務化、連続勤務の規制、勤務間インターバル制度の導入促進や過半数代表制の実効性向上などが挙がっている。「働き方の価値の向上」にも重きが置かれていたが、どちらかというと労働者保護的な法制度が目立つものだった。
 しかし、高市首相の指示により、この構図に大きな変化が生じた。当初は中長期的な課題として先送りされていた労働時間制度の再検討や裁量労働制の適用拡大などの重要論点が、前倒しで検討対象に加わったのである。
 社会的な注目度もより高まると思われ、改めて労基法の大改正が国策の中心に据えられたといっても過言ではない。この改正は、本稿の最初に述べた雇用政策の方向性「働く人一人ひとりの多様性を尊重し、その価値を最大限に引き出すこと」と連動している。企業には、自社にふさわしい形で「多様で価値の高い働き方」を戦略的に設計することが求められる。こうした取り組みは、対応の質の差が大きく出るものでもあると思われ、事業推進力や採用力の差となって顕在化するであろう。
 今こそ、雇用政策を “線” として捉え、法令を人的資本経営と連動した戦略的取り組みの促進材料として積極的に活用していくことが、企業規模問わず必須である。労基法改正については今後各論がどのようになるにせよ、本稿で述べた政策の方向性は不動であると思われ、現時点で検討できることは多くある。これを機に人事労務担当者には、法改正に対するスタンスを再確認した上で、自社の体制整備に取り組んでいただきたい。