2025年08月22日掲載

Point of view - 第282回 西脇 巧 ― 「かとく」時代の経験から、企業や管理者に伝えたいこと

西脇 巧 にしわき たくみ
ニシワキ法律事務所 弁護士
社会保険労務士、労働衛生コンサルタント、労働安全コンサルタント

厚生労働省に労働基準監督官として15年勤務(最終官職は主任労働基準監督官)。2016年11月~2017年4月には東京労働局過重労働撲滅特別対策班(通称「かとく」)に所属し、大規模司法事件を担当。弁護士のほか、社会保険労務士、労働衛生コンサルタント、労働安全コンサルタントとしても活動。四つの士業を通じて得てきた専門的知見や行政経験を踏まえ、労働分野における総合的なリーガルサービスを提供している。

はじめに

 私の職業人としてキャリアは、役人から始まっている。厚生労働省に労働基準監督官(以下、監督官)として15年勤務し、東京労働局過重労働撲滅特別対策班(通称「かとく」)に所属するなど、司法事件を多く担当してきた。その経験から、本稿では、“管理者はなぜ決められたルールを守らずに行動するのか” について述べたい。

企業風土が個人の行動に与える影響

 監督官が担当する司法事件は、労働基準法違反被疑事件と労働安全衛生法違反被疑事件が多いが、私は、前者では違法な長時間労働、後者では労災事故絡みの事案を担当することが多かった。いずれの事件も、企業それ自体ではなく、管理者(役員や役職者)という「人」の行動によって発生する。そして、ここでいう管理者は、企業が事業活動を行うに当たって遵守すべき法令を守らなかったことにより刑事責任を問われるのであり(刑事罰が科された場合には管理者個人に前科が付く)、私生活における個人的な活動によって責任を問われるわけではない。その意味では、(部下を持つ)管理者は誰しも、労務管理や安全管理を怠ることによって刑事責任を問われるおそれがある。

 もっとも、企業によっては、労働関係法令違反は、談合、脱税、背任、横領等の重大事犯と比較して、必ずしも対応の優先順位が高く設定されていない。私の実務経験からしても、2019年4月に施行された働き方改革関連法で時間外労働の上限規制ができる前は、36協定違反リスク対応の優先度を “中程度以下” に設定して管理する企業はいくらでも見られたし、事業活動のために一時的に長時間労働となることはやむを得ない、という風潮すらあったように思う(現在もそのような事案が少なくない)。
 過去に私が担当した36協定違反の司法事件を振り返ると、総じて、「お客さんや会社のために皆頑張っているのであるから、一時的に36協定の限度を超えても仕方ないだろう(会社からとがめられることはないだろう)」「労働者もここを踏ん張れば成果を共有できるのであるから、皆理解してくれるだろう」という管理者の意識、ひいては “法令遵守よりも、顧客や会社の利益を優先” “誤った信頼関係” というような、企業における暗黙の了解があったように思う。

 一方で、労災事故絡みの事案においても、企業として法令遵守や安全・健康確保の重視を表明しつつ、いざ労災事故や司法事件に発展すると、管理者は以下のように述べて、危険防止措置や健康障害防止措置を怠っているケースが多く見受けられた。
「具体的に法令でどのようなルールが定められているのか知らなかった(企業が教育周知をしない)」
「費用・時間・労力が限られていた(企業が適切に資源配分しない)」
「従前から同じようにやっているので問題ないと思っていた(前例踏襲の企業風土)」
「労働者一人ひとりが適切に行動を取れば、重大な事故にはつながらないと思っていた(現場任せ)」
 このように、違法な長時間労働の事案であれ、労災事故絡みの事案であれ、管理者が労働関係法令違反を犯すのは、企業の風土や管理の在り方(よりどころ)が、管理者(または一人ひとりの労働者)の行動に影響を与えているからではないかと思われる。しかも、このように違法な長時間労働や労災事故に影響を与える企業の風土や管理の在り方は、昔から根付いていることがある。こうした場合、払拭や改善をしていくことはなかなか難しく、経営層が主導して、粘り強く時間をかけてアプローチしていく必要がある。

 もっとも、ひとたび労災事故や司法事件に発展すると、企業の風土や管理の在り方は大きく変わる。これは、事故・事件を契機として社会的な評価を受けることによって、これまで自社のルールや慣例に従って物事を判断し処理してきた管理者が、自らの判断や行動は社会的に見て何がどのくらい問題なのかに気づき、責任を自覚するに至るからだと思われる。
 実際に、私は監督官として司法事件を担当していたときに、「事故・事件が発生してからでは遅いのに、なぜ管理者はルールを守らないのであろう」という問題意識を持っていた。一方で、管理者や労働者に話を聞くと、「会社からとがめられたことはないし、会社のために良かれと思ってやっていた」「まさか会社や管理者個人が責任を問われることはないと思っていた」と述べることが多かった。こうした話を聞いていると、管理者がルールを守らない背景には、“内向き志向のために(社内的に問題ない)、外部視点を欠落している部分があること(社会的に問題ないに違いない)” が影響していると感じたのである。

 また、立ち入り調査をした際、調査を受けること自体を快く思わない企業が見受けられた一方で、外部視点で評価を受けられるとして、調査を肯定的に捉えている企業も複数見られた。もちろん、調査に応じるためには資料等を準備しなければならないし、指摘された場合の対応などから負担に感じることがあるかもしれない。しかし、外部視点を入れて評価を受けることを肯定的に捉えて、組織活動やマネジメントに生かす企業は、管理者の意識やルールの浸透度が比較的高く、実際に法違反を指摘することも少なかったように思う。

「社内的に問題ない」ではなく「社会的に問題ない」行動へ

 近年、雇用をめぐる環境が変化していることもあって、労働分野における法令やガイドラインの内容も複雑化・多様化しており、管理者がすべてを網羅して対応することは容易ではない。もっとも、労働関係法令の中でも、行政取締法規、特に、違法な長時間労働や労災事故に発展しそうな危険防止・健康障害防止措置を怠ることは、司法事件も含め重大事案に発展しかねない。場合によっては、管理者が企業のために良かれと思って行動していたことが、刑事責任を問われる原因にもなってしまう。
 このような最悪の事態を回避するためには、管理者が自社の環境における内向き志向である「社内的に問題ない」から脱して、外部の環境や視点となる「社会的に問題ない」にも意識を向けて行動しなければならない。労働者一人ひとりがこうした行動を取ることができるように、企業の風土や管理の在り方を形成していくことが重要となるのではないだろうか。