株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門 ヘルスケア・事業創造グループ
シニアマネジャー 大津順一
コンサルタント 立林 穣
第2回では、健康経営を経営戦略として推進するために踏むべきロードマップの「Step1:現状分析と問題発見」と、「Step2:企業として目指すビジョンの策定」について解説しました。第3回では、「Step3:戦略の策定と実行」について、日本総合研究所(以下、日本総研)における実践事例を紹介しながら解説します [図表1]。
[図表1]健康経営推進のロードマップ
Step3:戦略の策定と実行
このステップでは、経営視点で解決すべき健康問題を絞り込み、効果的な施策とそのターゲットについて、“仮説を立てて検証する” 姿勢で取り組むことが重要です。健康経営推進における戦略の策定と実行は、以下の三つのプロセスで進めます。
プロセス1:ビジョン実現に向けた経営目標と測定指標(KPI)の明確化
プロセス2:経営目標の達成に向けた健康経営施策の設計
プロセス3:施策の仮説検証的ブラッシュアップ
プロセス1:ビジョン実現に向けた経営目標と測定指標(KPI)の明確化
目指すビジョンを実現するためには、最終的な青写真にたどり着くまでに企業・従業員がどう変わる必要があるのか、経営目標を明確化し、その達成状況をモニタリングするための指標(KPI)を設定することが必要です。
最初のプロセスとしては、ビジョンが実現された場合の企業・従業員の具体的な状態をイメージし、それを表現するために用いるべきKPIを組み合わせて落とし込むことになります。
プロセス2:経営目標の達成に向けた健康経営施策の設計
経営目標の達成に向けて、実施する施策を設計します。このプロセスでは、できるだけ具体的にターゲットと取り組みの内容を定め、その対象者にピンポイントで届ける認知・広報の施策をセットで検討することが重要です。その上で、確実に実行していくためのアクションプランを整えます。
プロセス3:施策の仮説検証的ブラッシュアップ
施策の実施後には、その効果の検証を忘れてはいけません。検証結果を基に、適宜施策のチューニングや改良・改善を行います。施策の実行段階から仮説検証プロセスを組み込んでおくことにより、継続的にブラッシュアップし、より実効性を高めることができます。
日本総研における戦略の策定と実行の事例
プロセス1~3について、日本総研の実践事例を基に、押さえるべきポイントを解説していきます。
プロセス1:ビジョン実現に向けた経営目標と測定指標(KPI)の明確化
[1]ビジョンに基づく経営目標の設定
日本総研では、健康経営を通じて目指す組織のビジョンを次のように定義しました(第2回参照)。
【健康経営を通じて目指すビジョン】
従業員が自身の健康状態に “主体的に” 目を配り、改善していくことにより、全員が前向きにエンゲージメントされている状態を目指す。会社はその行動を徹底的に支える
このビジョンを出発点に経営目標を設定していきますが、いきなり具体的な経営目標を考えようとすると、途端に手が止まってしまいます。
日本総研では、まず、このビジョンを実現した際の「従業員の働く姿」を明らかにするために、会社として大事にしている価値観までさかのぼって考えることから始めました。その結果、特に重視されたのは、従業員個人の “主体性” でした。これは、従業員が主体的に意識・行動を変化させ、自身の成長や働きがいにつながる状態です。
この視点から、目指すべき従業員の働く姿が、「生き生きと仕事に取り組むとともに、互いの健康へ配慮・尊重し合うこと」であると考え、このような従業員を増やしていくことを経営目標としました。
実のある経営目標を設定するためには、「目指すべき従業員の働く姿を考える」ことから始めるのがポイントです。
[2]経営目標達成を測るKPIの設定
KPIの設定においては、“経営目標の達成を阻害している健康問題” から逆算して考えました。
日本総研では、特に “見えない健康問題” が経営に大きな影響を与えることが分かっていました。“見えない健康問題” とは、「肩こり・腰痛」「眼精疲労」「睡眠問題」「メンタルヘルス不調」「生理痛」「片頭痛」など、周囲からは見えないことで理解してもらうのが難しく、つらさや支障、その程度について認知度が低い健康問題のことです。現状分析の結果、“見えない健康問題” が従業員の生産性を気づかないうちに低下させ、誰にも気に留められることなく、働く意欲を低下させている状況が見えてきました。
従業員が生き生きと働ける状態をつくり、経営目標を達成するためには、会社として “見えない健康問題” にも目を向ける必要があります。その上で、一人ひとりの従業員が自身の健康状態に “主体的に” 目を配り、行動を変化させることによって、改善に取り組む従業員の数が増えていくことが重要だと考えました。
最終的には、以下の2点を測定可能な指標として重要なKPIに設定しました。
・生活習慣の改善に取り組む従業員の割合
・体調の改善を実感する従業員の割合
プロセス2:経営目標の達成に向けた健康経営施策の設計
[1]“見えない健康問題” と施策の設計方針
“見えない健康問題” の中でも、特に着目したのは「肩こり・腰痛」「眼精疲労」「睡眠問題」「メンタルヘルス不調」でした。これらの健康問題に対し、情報提供や相談窓口の設置などの施策は打っていましたが、いずれも職場全体に対するものばかりでした。
そこで、管理職やリーダー層を対象に、個人に直接的に介入する施策に着目して検討を進めることにしました。例えば、「メンタルヘルス不調」は多くの会社で問題となっていますが、その実態はさまざまです。継続的なストレスが原因で体調が優れないという自覚症状が出始めているケースもあれば、体調は悪くないけれど強いストレスを感じているケースもあります。
日本総研の場合、最も深刻だったのは、新任管理職をはじめとした中堅リーダー層の従業員が「ストレスと付き合っていく」(自身がストレスを抱えていることに早めに気づきコントロールする)ことに不慣れな点でした。現状分析の結果を基に、誰がどのような不調を抱えているのかまで分解して捉え、「管理職になりたての層を対象に、メンタルタフネス向上のための健康行動を取らせることができること」を要件に施策を設計すべき——という方針を明確にしました。また、KPI の「生活習慣の改善に取り組む従業員の割合」から、“従業員が自らの健康状態を適切に認識し、ストレスに対する効果的な対処法を自ら学べること” も、施策設計の重要な要件として挙げられました。
これらを踏まえ、メンタルヘルス不調に対しては、最終的に次のような論点に応えられる施策を設計することとしました。
・新任管理職をはじめとした中堅リーダー層が、その効果を実感しやすいか
・従業員個人のメンタルタフネスを向上させることができるか
・従業員が自身の状態を認識できるか
・ストレスに対する効果的な対処法を自ら(時間や場所の制約を受けることなく)学ぶことができるようになっているか
これらを軸に検討した結果、「個人のメンタルタフネス向上のためのデジタルヘルスプログラム」が最も効果的であると結論づけました。そして、スマートフォン端末用のアプリとメンタルヘルス不調に対するリテラシーを高めるコンテンツ、プログラム導入による効果のレポートまで含めた “デジタルヘルス活用パッケージ” を外部から新たに導入することにしました。
ここで最も大事なのは、「根本原因を捉えた解決策を設計・実践する」ことです。解決したい健康問題を抱える従業員を特定し、問題の根本原因を捉えて施策を設計することを意識してください。
[2]施策の実効性を高める仕組み
施策の設計だけでは不十分で、ターゲットとする従業員に届いてこそ意味があります。日本総研では、施策の設計と必ずセットで、参加する従業員を最大化するための認知・広報の取り組みも検討しました。
具体的には、メンタルヘルス不調を抱える従業員のボリュームゾーンである中堅リーダー層が施策に参加するまでの行動変容フローを描き、その中で施策への参加を阻害する要因を分析しました[図表2]。
[図表2]対象層が健康経営施策に参加するまでの行動変容フロー
例えば、同層は非常に多くの業務を抱える傾向があり、施策への参加案内を送付しても気づかない、あるいは気づいても放置して認知に至らない状況にあることが想像されました。そこで、全社一律の案内だけでなく、同層向けの研修で告知する、部門の全体会議で取り上げてもらうなど、他の人事施策や他部門の業務活動の中でも認知と関心を高めてもらえるよう工夫しました。
また、そもそも「メンタルタフネス」という概念自体の認知度が低く、「よく分からないし、自分には関係なさそうだ」と思われている可能性もありました。そこで、同層のペルソナを活用しながら、“自分ごと” として捉えてもらうために “刺さる” 表現やキーワードを使うよう、言葉の一つひとつに徹底的にこだわった告知文を作成し、発信主体やタイミングまで検討し、実行しました。
ここで紹介したのは小さな工夫ですが、施策に参加するまでの行動変容フローに沿って、考えられるさまざまな認知・広報施策を検討し、一つずつ愚直に取り組むことが重要です。意識すべきは、「参加しない理由を捉えて適切な認知・広報施策を設計する」ことです。ターゲットの従業員が施策を認知しない・参加しない要因を分析し、それを排除できるように、複数の施策を組み合わせて設計します。
プロセス3:施策の仮説検証的ブラッシュアップ
施策の実行後には、効果の検証と継続的な仮説検証的ブラッシュアップが求められます。
日本総研では、年1回の全社アンケート調査のほかに、個別の施策を新たに実施・導入する際の効果検証も行いました。従業員の生活習慣・健康状態や経営に対する効果について、施策ごとに小さく仮説検証サイクルを回しながら、素早く改良・改善を図っていくことが狙いです。
効果検証とは、単にプログラム実施後の満足度や感想を問うアンケートを行うことではありません。プログラムの実施前後に、健康状態や生活習慣の改善状況、仕事のパフォーマンス、行動変容の状況などについて同一の質問をすることにより、その変化を評価できるよう設計したアンケートを実施することです。さらに日本総研では、施策を認知したきっかけ、参加した理由など、認知・広報施策の評価もできるよう、質問項目を設計しました。
また、すべての施策を横並びで比較評価するために、同一の質問項目を設計し、各施策の良かった点/悪かった点を他の施策の改善にもつなげられるようにしています[図表3]。
[図表3]健康経営施策の仮説検証方法
ここでポイントになるのは、「小さく回す仮説検証 “方法” を設計する」ことです。個別の施策に対し、その認知・広報施策とセットで小さく仮説検証サイクルを回し、継続的な改良・改善を可能にするための方法を検討することが重要です[図表4]。
[図表4]健康経営施策の効果を最大化し実効性を高めるポイント
まとめ
今回は、健康経営における第3ステップ「戦略の策定と実行」について、経営目標やKPIの設定、個別の健康経営施策の設計と継続的にブラッシュアップする仮説検証の仕組み、施策の実効性を担保するためのポイントを解説しました。
次回は、リモートワークが普及し、より働き方に多様性が求められる昨今の職域において、従業員の健康管理を担保するための取り組みとして徐々に広がり始めている「デジタルヘルスの活用」について、日本総研の事例を交えて紹介します。「戦略の策定と実行」のステップをさらに進化させるため、注目いただきたい内容です。
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大津順一 おおつ じゅんいち 株式会社日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門 ヘルスケア・事業創造グループ シニアマネジャー 新卒で医療機器メーカーに入社後、一貫して技術に軸足を置き、新製品開発、事業の成長戦略策定、事業構造改革等、多くの変革業務に従事。経営コンサルタントに転身後は、戦略策定から実行まで一気通貫での支援にこだわり、数多くの企業における変革を主導した実績を有する。日本総研では、民間企業における戦略策定・実行や新規事業創出等を軸に、ライフサイエンス・ヘルスケア領域における事業創造にフォーカス。また、自社における健康経営の実践を主導した。 |
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立林 穣 たてばやし みのる 株式会社日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門 ヘルスケア・事業創造グループ コンサルタント 新卒で医療機器メーカーに入社後、経営コンサルタントに転身。日本総研では主にヘルスケア領域における新規事業戦略の策定・実行支援のプロジェクトに参画するほか、長年にわたり「健康経営優良法人認定制度」の運営支援に携わる。特に従業員個人の行動変容手法に着目した健康経営推進企業における健康経営施策の分析から、健康経営の推進方法とその成果に関する知見を有する。また、自社における健康経営の実践を主導した。 |