株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門 ヘルスケア・事業創造グループ
シニアマネジャー 大津順一
コンサルタント 立林 穣
第1回では、健康経営が単に従業員の健康を守るだけでなく、企業の成長と競争力向上のための戦略的な取り組みであることを述べ、健康経営を「経営戦略」として推進するためのロードマップを解説しました。第2回は、ロードマップにおける最初のステップとなる「現状分析と問題発見」と、それに続く「企業として目指すビジョンの策定」について、日本総合研究所(以下、日本総研)における実践事例を紹介しながら解説します[図表1]。
[図表1]健康経営推進のロードマップ
Step1:現状分析と問題発見
健康経営を効果的に推進するためには、まず自社の健康経営をめぐる問題と実態について、現状を正確に把握することが重要です。その際には、表面的な問題だけではなく、その発生原因まで深掘りして問題を理解しなければ、適切な施策を講じることができません。
では、どのように現状分析と問題発見を進めればよいのでしょうか。ここでは以下の二つの問題について、意識すべきポイントを解説します。
①従業員 “個人” が抱える健康問題
②健康管理をめぐる “施策” が抱える問題
①従業員 “個人” が抱える健康問題
現状分析のステップにおいて最初に実践すべきことは、健康経営をめぐり企業内に存在するあらゆる情報を徹底的に集めることです。その上で、まず定量的な情報を分析し、どこに、どのような問題があるのか、初期的な仮説を立てます。そして、定性的な情報を活用して掘り下げた分析を行い、仮説検証的に問題の原因を特定することが重要です。
日本総研においては、具体的に以下の三つのプロセスで従業員 “個人” が抱える健康問題を分析しました。
プロセス1:個人の健康問題の定量把握と経営インパクトの可視化
プロセス2:経営視点で着目すべき健康問題の特定
プロセス3:個人が抱える健康問題の原因分析
プロセス1:個人の健康問題の定量把握と経営インパクトの可視化
企業内に存在するあらゆる情報(個人情報に関しては匿名化)を集めて整備したデータベースから、まず定期健康診断やストレスチェックアンケート、職場意識調査の結果など定量情報を活用し、従業員 “個人” が抱える健康問題が、企業の経営にどの程度の影響を与えているか、「経営インパクト」を可視化します。経営インパクトを数値化する際の視点は、次のとおりです。
・どのくらいの従業員がパフォーマンスに影響を与える健康問題を抱えているか
・その従業員には、1カ月のうちどれほどの頻度で症状が出ているか
・症状が出た場合、どの程度パフォーマンスが低下しているか
代表的な経営インパクトの指標には、「プレゼンティーイズム(健康問題による出勤時の生産性低下)」や「アブセンティーイズム(健康問題による欠勤)」があります。上記の視点から経営インパクトを可視化することで、単に数値を示す以上に、実態をより具体的なイメージで捉えることができます。
日本総研では、このように個人が抱える問題の影響を可視化したイメージ図を示すことにより、経営トップや幹部に対して、現実的かつ経営にとって極めて重要な問題として訴求しました[図表2]。
[図表2]日本総研における健康問題による経営インパクト
プロセス2:経営視点で着目すべき健康問題の特定
このプロセスでは、労働生産性※という指標を用いて、健康問題ごとの経営への影響を可視化します。
まず、健康問題を抱える従業員の数と、その問題が労働生産性に与える影響の2軸でグラフを作ります。このグラフ上に各健康問題をプロットし、より多くの従業員に対して労働生産性の大きな低下を引き起こしている健康問題を明らかにします[図表3]。日本総研では、予防や対策が比較的整備されている糖尿病・高血圧などの疾病や、メタボリックシンドロームのような疾病予備群よりもむしろ、この分析結果から、“見えない健康問題” である「肩こり・腰痛」「眼精疲労」「睡眠問題」「メンタルヘルス不調」に着目すべきことが明らかになりました。
※WHO-HPQ、SPQ(東大1項目版)、QQ-methodなど複数の測定方法が存在するため、どの方法を選択するか検討が必要
[図表3]日本総研における着目すべき健康問題の分析
プロセス3:個人が抱える健康問題の原因分析
経営視点で着目すべき健康問題が、どの従業員層に発生しているか、さらにその原因を掘り下げて分析します。具体的には、従業員の年齢や性別、部署、職位、職種、働き方など、さまざまな切り口でクロス集計を行い、組織の中のどこに問題が集中しているかを分析し、特定する作業です[図表4]。
さらに、従業員の属性ごとに作成したペルソナを用いて、各従業員層の業務内容や働き方、上司・同僚との関係、健康管理への意識などを具体的にイメージし、健康問題が発生している原因の仮説を構築します。その上で、従業員の健康管理を担う産業医や産業保健スタッフ、人事部の担当者など関係者にヒアリングを行います。具体的な問題から、まだ漠然とした問題意識まで、聞き出した定性的な情報も集めながら、業務内容や職場環境に焦点を当てて、ミクロな視点から仮説検証を行い、健康問題が発生する根本原因を明らかにします。
[図表4]日本総研における個人が抱える健康問題の分析
②健康管理をめぐる “施策” が抱える問題
従業員 “個人” が抱える健康問題を防ぐためには、健康管理にまつわる “施策” の問題点を分析することも重要です。施策を実施しても効果が上がらない場合、その一因として、施策の運用面に問題がある可能性も検討する必要があります。
日本総研では、効果的な施策運用がなされているかを把握するために、既に行われていた健康施策をリストアップし、次の二つの視点から、施策ごとに分析を行いました。
・施策のPDCAサイクルが適切に回っているか
・ターゲット従業員に確実にアプローチできているか
まず、施策の目標設定(Plan)から実施(Do)、評価(Check)、改善(Action)までのサイクルがしっかりと設計・管理されているかを確認しています。過去には、施策を実施しただけで “やりっぱなし” になっていたこともあったため、経営目標と連動した適切な指標を設定し、正確に効果を検証できているかを分析しました。
また、実施されている施策が必要な従業員に確実に届けられているかについても確認します。日本総研では、ターゲットとなる従業員が、いつ、どのような背景から施策を活用しようとするのかというイメージが明確でない場合も存在したため、施策が従業員に届いておらず、効果が十分に発揮されていない可能性も見えてきました。
現状分析・問題発見の結果
以上のように、①従業員 “個人” が抱える健康問題、②健康管理をめぐる “施策” が抱える問題の2点で現状分析を行い、問題発見を行うことにより初めて、健康経営の効果を最大限に引き出すための具体的な施策を検討する準備が整えられます。
日本総研では、次に挙げる問題が明らかになりました。
①従業員 “個人” が抱える健康問題
・多くの従業員の労働生産性が月の半分において、約50%まで低下していた
・労働生産性低下の原因には、肩こり・腰痛、眼精疲労、睡眠問題、メンタルヘルス不調などの “見えない健康問題” があった
・ “見えない健康問題” は特定の個人に著しい労働生産性の低下を生じさせており、組織の “平均値” では問題を捉えにくい状況にあった
②健康管理をめぐる “施策” が抱える問題
・適切な指標が設定されておらず、効果測定ができていないため、“やりっぱなし” の状態になっていた
・ターゲットとなる従業員を明確に特定できていないため、本当に必要とする従業員に施策を届ける仕組みを構築できていなかった
現状分析と問題発見のステップだけでは、具体的な健康経営施策や戦略を検討するには至りません。戦略とは現状と目指す姿のギャップを埋めるための施策群です。そのため、健康経営を通じて達成したい具体的なビジョンの策定が必要となります。ビジョンは単に「従業員の健康状態の改善を目指す」というのでは不十分であり、企業として目指す成長の姿を表現して描くことが重要です。
では、健康経営を通じて達成したい具体的なビジョンをどのように策定すればよいでしょうか。
Step2:企業として目指すビジョンの策定
ここで、第1回の内容を振り返ってみましょう。健康経営は企業の競争力を高め、持続的な成長を生み出すための「経営戦略」であることを説明しました。
“経営戦略として健康経営を推進する” とは、具体的にはどういうことでしょうか。
経営戦略とは、特定の事業や機能に対して策定される戦略ではなく、企業全体として目的・目標を達成するための戦略です。そのため、多様な組織・従業員が存在する企業において経営戦略を確実に実行していくためには、その全員を束ね、全社で同じ方向を目指すことが必要です。
そのために必要なのがビジョンであり、ビジョンを全社で共有することで、戦略を推し進めることができます[図表5]。
[図表5]健康経営における「企業として目指すビジョン」
健康経営においては、施策を担当する人事部や健康経営推進部門が、経営トップが打ち出すビジョンを正しく理解した上で施策を決め、設計・実行することが重要です。例えば、健康施策を決定する際には、健康問題を解消するために存在するさまざまな施策の中から、どれが自社にとって最適か、最も効果的かを判断する指針として、ビジョンがよりどころになるのです。
またビジョンは、施策によって健康状態が改善したという結果だけでなく、それが企業の経営目標にどう貢献したかを示す指標を設定するための指針としても重要になります。施策による成果を確認しながら改善を重ね、最終的な目標に向かって進むことができるのです。
このように、経営トップ、健康経営推進担当者、そして従業員が同じ方向を目指し、健康経営を推進していくためには、具体的で、誰もが理解し、共感できるビジョンが必要です。
企業として目指すビジョンは、次のプロセスで進めます。
プロセス1:経営トップとの問題の共有
プロセス2:目指すビジョンの具体化
プロセス3:ビジョンの言語化
プロセス1:経営トップとの問題の共有
最初のプロセスは、現状分析により明らかにした問題を経営トップと共有し、推進に対する理解と協力を得ることです。従業員 “個人” が抱える健康問題を、企業経営における最も重要な問題であると認識しておらず、あくまで従業員 “個人” の問題、労務管理の一部にすぎないささいな問題と捉えているケースも少なくないでしょう。一方、変革を推進するためにビジョンを全社に浸透させ、従業員の理解と協力を得るためには、経営トップがビジョンの策定に主体的に関与することが非常に重要です。
日本総研では、従業員 “個人” が抱える健康問題の経営に対する影響を、リアリティーある「ホラーストーリー」にして、経営トップに伝えました。特に、経営上のリスクを定量的な数字と詳細なイメージで伝えることにより、自社に潜在する重大な問題への危機感を “自分ごと” として捉えてもらうことを意識しました。
具体的には、実際に日本総研で生じていた状況を基に、以下のようなストーリーを組み立てました。
・特定の部署では、若手層を中心に従業員が身体的・精神的不調により次々と離職し、その結果、中堅リーダー層への業務負荷の集中が常態化している。中堅リーダー層の限界を超えた業務負荷はさらなる不調を引き起こし、悪循環によって若手層の新たな不調を増加させることで、組織全体が “しなやかさ” を失う負のスパイラルに陥っている
・この状況が進行すれば、若手層の離職はさらに加速し、組織は完全に機能不全に陥る可能性が高まる。最悪の場合、一時的にせよ事業継続そのものが不可能となりかねない。この状況で、経営トップとしてどのような手を打つべきか、早急に検討いただく必要がある
さらに、具体的にどの部署で、何パーセントの若手層が不調を抱えているか、中堅リーダー層・若手層にかかる負荷は月の何時間分の残業時間に相当するかまで数値化して伝えることにより、将来の経営への影響をリアルにイメージできるように工夫しました。
プロセス2:目指すビジョンの具体化
経営トップに現状を共有したからといって、いきなり目指すビジョンを具体的に検討することはできません。まずは検討するための発想の起点を見つけることが必要です。例えば、フレームワークを活用して健康施策を整理することにより、従業員の健康管理を行う上で企業として重要視する価値観を明らかにする方法があります。
日本総研では、「健康経営を通じた従業員への提供価値」と「従業員への働き掛け方」を2軸に取った4象限のマトリクス状のフレームワークを活用しました[図表6]。これは、健康経営の各施策が実現する環境を分類・整理することで、日本総研としての目指す姿を可視化するものです。
[図表6]日本総研における健康施策分類のフレームワーク
このフレームワークを活用して健康施策を可視化し、経営トップとの対話を通じて、「健康を通じた成長や働きがいの実感」「健康に対する主体性の発揮」が、日本総研において重要視すべき価値観であることが少しずつ明らかになりました。
プロセス3:ビジョンの言語化
企業として目指すビジョンは、全社で同じ方向を目指すためのものであり、全員で共有できることが重要です。そのため、言語化したビジョンは経営トップの「想い」がこもったものであるとともに、かつ従業員の誰もが理解し、共感し、自分も参加しようと思えるような、平易で分かりやすい表現でなければなりません。
そのため、日本総研では、経営トップとの対話を繰り返す中で出てきた「生の言葉」にこだわり、従業員にどのようになってほしいか、その状態を適切に表すキーワードは何かを徹底的に追求して言語化しました。最終的には、「従業員が自身の健康情報に “主体的に” 目を配り、改善していくことにより、全員が前向きにエンゲージメントされている状態を目指す。会社はその行動を徹底的に支える」という言葉でビジョンを表現しました。
次回は、企業として目指すビジョンに基づき、戦略とそれに紐づく施策を策定、実行し、その実効性を高めるためのポイントを解説します。
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大津順一 おおつ じゅんいち 株式会社日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門 ヘルスケア・事業創造グループ シニアマネジャー 新卒で医療機器メーカーに入社後、一貫して技術に軸足を置き、新製品開発、事業の成長戦略策定、事業構造改革等、多くの変革業務に従事。経営コンサルタントに転身後は、戦略策定から実行まで一気通貫での支援にこだわり、数多くの企業における変革を主導した実績を有する。日本総研では、民間企業における戦略策定・実行や新規事業創出等を軸に、ライフサイエンス・ヘルスケア領域における事業創造にフォーカス。また、自社における健康経営の実践を主導した。 |
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立林 穣 たてばやし みのる 株式会社日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門 ヘルスケア・事業創造グループ コンサルタント 新卒で医療機器メーカーに入社後、経営コンサルタントに転身。日本総研では主にヘルスケア領域における新規事業戦略の策定・実行支援のプロジェクトに参画するほか、長年にわたり「健康経営優良法人認定制度」の運営支援に携わる。特に従業員個人の行動変容手法に着目した健康経営推進企業における健康経営施策の分析から、健康経営の推進方法とその成果に関する知見を有する。また、自社における健康経営の実践を主導した。 |