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三菱マテリアル株式会社 執行役常務 CHRO 野川真木子 のがわ まきこ |
1994年3月一橋大学社会学部卒業。同年4月花王株式会社入社、1999年8月ヒューイット・アソシエイツ(現キンセントリック・ジャパン合同会社)入社、2001年9月ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル・インク日本支社入社、2012年4月日本アイ・ビー・エム株式会社理事 GTS事業人事、米国 IBMコーポレーション出向を経て、2015年6月同社執行役員 GBS事業人事、2016年8月スリーエムジャパン株式会社執行役員人事担当、2021年3月三菱マテリアル株式会社入社、同年4月執行役員人事部長、2022年4月執行役常務戦略本社人事戦略部長を経て、2023年4月より現職。
<前編はこちら>
孤軍奮闘の中から学び、自信を得る
野川氏は、花王を退職して1999年に外資系人事コンサルティングファームへ転職する。当時はバブル崩壊後の経営改革の一環として組織・人事制度変革が盛んに行われた時代であり、数多くのプロジェクトに携わった。そして2001年にはGEの日本支社に入社する。当時のGEは航空機エンジン、電力、医療機器、家電、シリコン・プラスチック等の素材、鉄道、メディア事業、加えてGEキャピタルに代表される金融事業を手掛けるコングロマリット企業だった。野川氏はGEのリーダー人材養成のための「リーダーシップ・プログラム」の中の一つ、人事リーダー養成プログラムであるHRLP(HRリーダーシップ・プログラム)に選抜され、海外を含む事業会社での実践と米国クロトンビル研修所での研修を兼ねた “修羅場の経験” を積んだ。
そして、人事パーソンとして大きな転機となる経験に遭遇したのがGEの電力部門の人事マネジャーを務めていたときだった。
「GE時代はどの局面を切り取っても、多くの学びを得られた半面、苦労に満ちた思い出もあります。30代前半で電力部門の人事マネジャーを担当していた時代は、事業を担当する人事が日本では実質的に私1人ということもあって非常に苦労しました。もちろんシェアードサービス部門からの支援もありましたが、採用から育成、昇進をはじめ、コンプライアンス研修の実施や懲戒処分まで、1人で全部を担当しなければならない。今すぐ相談したくても直属の上司や同じ事業部門担当の同僚は皆海外にいて、対面で相談する相手がおらず、まさに孤軍奮闘の日々でした」
そんな中で、どのようにして難局を乗り越えたのか。一つはGEの元上司とのメンタリングや、日本の人事仲間たちとのコミュニケーションだった。
「当時のGEには同じような経験をしている同僚も多く、事業部門の垣根を越えてお互いに助け合う土壌もあり、元上司からは部署が変わってもメンターとして私の強み・弱みを踏まえた上での実践的なアドバイスをいただくことができ、大いに救われました」
こうした支援に助けられ、野川氏は「とにかく前へ進むこと」が、結果として経験につながり、自信に変えられるという体験を得ることができた。
「誰かに相談はできても、最後に決断するのは自分しかいませんし、決断を実行するのは自分自身です。失敗しても一つひとつの経験から学び、次に活かしていくしかありません。トライアル・アンド・エラーの経験を自分の中で消化し体験化して、それを自信に変えていくことが重要だと学びました。つらい経験でも諦めずに次に活かそうとし続けたことで乗り越えられましたし、今の自分があると考えています」
外資系企業の人事責任者として、説明の “勘所” を身に付ける
その後、IBM、3Mでも人事責任者として活躍の幅を広げていく。その中で、外資系企業特有のコミュニケーションの難しさを乗り越え、事情を知らない人にも物事を分かりやすく説明するための “勘所” が身に付いたと語る。
「外資系企業の日本法人では、本社(海外)の上司や同僚に対して、限られた時間の中で正確かつ簡潔に日本の雇用慣行や労働市場の状況を理解してもらえるよう、“ゼロ” から説明する必要があります。“相手が何を知っていて、何を知らないか” を先回りして考え、どういう順番でどのように説明をすると理解が得られるか、という “勘所” が鍛えられました。このような対応は、国や言葉を問わず、日本人同士のコミュニケーションにおいても必要な能力だと思います。IBMや3Mでは人事としてもビジネスパーソンとしても尊敬できる素晴らしいリーダーたちと、日本国内はもちろん、米国本社でも一緒に仕事する機会に恵まれました。彼ら、彼女らの、性別・国籍・年齢などの属性にかかわらず一人ひとりに個として敬意を持って接する姿に触れ、国を超えて共通する対話の姿勢を学びました」
三菱マテリアルの入社後に携わった職務型人事制度への転換においても、制度の理解と浸透に注力している。
「職能資格制度から職務型人事制度に転換する際、役割で職務グレード(等級)が決まることを、いろいろな機会を通じて説明しました。最初は『こういう例えを使えば理解が得られるかな』と思って説明するのですが、すぐには伝わりません。“ゼロ” から説明し、役割でポジションや等級が決まり、役割が上がる・下がるとはどういうことなのかについて、いろいろな言い換えをしながら説明をします。しかし、説明しただけでは伝わりません。制度を導入して3年目に入り、実際に自分自身もしくは周囲の役割が変わるという実体験を通じて、実感として理解が広がるよう、制度浸透を進めています」
人事制度を導入するだけでは、変革は終わりではない。時間がたてば、経営環境も変わっていく。野川氏は「『いかにして今の当社が必要とする形にしていくか』を心掛けることが大切だと考えています。制度を浸透・定着させるフェーズ、そして改善・改良のフェーズに向けて、解決すべき課題はまだまだあります」と話す。創業以来の大変革ともいえる経営改革の一翼を担う野川氏は「これまでの人事としてのキャリアやビジネスパーソンとしてのキャリアの中でも、光栄なことだと思っています」と、現在の心境を語る。
「人、そして組織を強く、良くすること」が人事の基本的な役割
最後に、野川氏にこれから人事に関わる人たちへのメッセージを伺うと、「『強くて良い組織づくり、そのための人づくり』に目を向けてほしい」と語った。
「どんなに素晴らしい制度や仕組みをつくっても、それを運用するのは人であり、リーダーです。人材をより強くし、より良くすること。その人によって、組織をより強く、より良くしていく。強いといっても、単に高いパフォーマンスを発揮するだけでは不十分で、インテグリティ(誠実さ・高潔さ)を備えた人材であるべきです。自分が成長するだけではなく、周りの人が仕事をしやすくなるように、年次や性別などの属性を問わず仲間を一個人として尊重しながら支援することで、一人ひとりが強い組織を目指すことが重要です。この『人を強く、良くすること』、そしてそれを可能にする器としての制度や働き方を含めた職場環境をつくっていくのが、人事の仕事です。私は社会人生活をスタートした花王から、GE、IBM、3M時代と、常にそのことを考えて仕事をしてきました」
「人事初任者が最初から重要な仕事を任せられるわけではありません。採用面接の調整から会社説明会の会場設営、あるいは人事制度改定のための説明資料の作成など、さまざまな仕事を担当することになるでしょう。時には『この仕事はこれからの人事キャリアの役に立つのだろうか』と疑問に思うこともあると思います。でも、自分が担当している一つひとつの仕事が最終的には人を、そして組織をより強く、より良くしていくことにつながっていると意識して進めることができると、日々の仕事の面白みが増していくと思います」
「強くて良き企業市民」は、特定の企業・業界を超えたグローバルで普遍的な価値を持つ人物像である。バブル崩壊後の1994年にキャリアをスタートし、その後、人事の世界でさまざまな困難に遭遇しながらも、それを乗り越えることで経験を積み重ねてきた野川氏の言葉だけに説得力がある。
取材・文:溝上憲文(ジャーナリスト)