川内正直 かわうち まさなお
株式会社リンクアンドモチベーション
常務執行役員
従業員エンゲージメントの「調査」だけで終わらせないために
不確実で将来の予想が難しい「VUCA」と呼ばれる時代に、あらゆる企業が「変わり続けること」を求められている。そのため、変革の原動力となり得るファクターとして「従業員エンゲージメント」が注目されるようになり、エンゲージメントサーベイなどで自社の従業員エンゲージメントを調査する企業が増えている。
しかしながら、自社の従業員エンゲージメントを把握するだけで終わってしまい、改善、活用へとつなげられている企業は少ないのが現状だ。前回は、「全体接続戦略」について解説した。今回は、時間軸を伸ばして考えるための「未来逆算戦略」について解説する。
多くの企業が陥る「現状積み上げ」という落とし穴
企業では常に新たな組織課題が生まれてくるが、ほとんどの企業は、問題が顕在化してから対応しているのが現状だ。従業員から不満が出てから対応したり、退職者が出てから原因を探ったりといった対症療法では、問題解決に時間もコストもかかる。
さらに言えば、問題解決ばかりに終始していては、理想の組織の実現に向けて本来やりたかった取り組みを始めることができず、従業員エンゲージメントはいつまでたっても向上しないだろう。
活用戦略(3):「未来逆算戦略」
「従業員エンゲージメントの向上」と聞くと、目の前の組織改善や問題解決をイメージするかもしれないが、本来は将来的に実現したい理想の組織に向けて課題を設定し、取り組んでいくものだ。つまり、問題に追われて対処しなくてはならないつらい活動ではなく、未来に向けて前向きに取り組む、ワクワクする活動であるべきだと考えている。
そのためにも、「起こりそうな課題」については事前に予測して対処しておこう。未来を予測し、先手先手の対応ができれば、従業員エンゲージメントも向上しやすくなる。
課題を予測して先手を打つためには、前提として、長期視点に立たなければいけない。組織づくりは一朝一夕でなし得るものではない。長期にわたる取り組みによって組織を育てていくには、「組織が今どのステージにいるのか?」「この先、どのステージに進むのか?」「次のステージではどのような課題が生じるのか?」といったことを把握して、先んじて手を打つことが重要である。つまり、「未来逆算戦略」を描くということだ。
未来逆算のために知っておきたい「組織ステージ」と「組織症例」
当社は[図表]のように、企業の成長ステージごとに発症するリスクがある「組織症例」を整理している。
[図表]組織の成長ステージごとの「組織症例」
組織の成長ステージは大きく「拡大期」「多角期」「再生期」の三つに分けることができる。これは、小さな組織だから「拡大期」、大きな組織だから「再生期」とは限らない。歴史のある大手企業であっても、事業再編や新規事業の立ち上げなどで「拡大期」や「多角期」になることもある。また、全社においては「再生期」だが、特定の事業部で見ると「拡大期」など、組織の切り取り方で変わる場合も多い。
ここで、各ステージにおいて起こりやすい典型的な組織症例を紹介する。従業員エンゲージメントの向上を図るためには、このような症例が顕在化する前に、潜在的な課題へアプローチすることが望まれる。
・拡大期
スタートアップや新規事業が大きく成長していく拡大期は、組織の複雑性が増大する。その結果、例えば以下のような組織症例が見られるようになる。
【全社】経営トップ依存症
事業成功によってトップに対する依存心が醸成されるため、中途半端に権限委譲をしても、結局トップが意思決定をしなければいけなくなることが多い。しかし、拡大期は意思決定のスピード・量が求められるため追いつかなくなり、結果としてメンバーのモチベーションダウンを招くケースがよく見られる。
エンゲージメントサーベイでは、「理念の浸透」や「階層間の意思疎通」などが低いスコアになりがちだ。
【ミドル】マネジメント不全症
マネジャーがマネジメントに時間を割けず、プレーヤー化してしまうことが多い。マネジメントが機能しなくなることで、肥大した業務を遂行するための役割分担が不明確になる。その結果、メンバーは業務範囲や管理範囲に関するストレスを抱えるようになる。
エンゲージメントサーベイでは、「使命や目標の明示」や「部下の支援」などが低いスコアになりがちだ。
【現場】長期視点欠落症
急激な業務拡大に伴い、今日・明日の仕事に追われるようになり、仕事の意味や意義が薄れる。同時に中長期的な取り組みの優先順位が低くなり、組織としての成長実感も得られなくなり、モチベーションの低下を招く。
エンゲージメントサーベイでは、「理念の伝達」や「顧客や社会への貢献感」などが低いスコアになりがちだ。
・多角期
安定成長のため事業の複線化を図っていく多角期は、組織内で「縦」「横」の距離感が広がっていく。その結果、例えば以下のような組織症例が見られるようになる。
【全社】アイデンティティ喪失症
事業、地域、職場、職種が細分化されるのに伴い、コミュニケーションが分断される。全体を束ねる「自社の存在意義」や「共通の価値観」は欠乏感が強くなる。一人ひとりの全体に対する効力感や参画感が薄れるため、アイデンティティの喪失やモチベーションの低下を招く。
エンゲージメントサーベイでは、「理念の浸透」や「使命や目標の明示」などが低いスコアになりがちだ。
【ミドル】マネジメント画一症
目標やメンバーの個性が多様化するため、マネジャーが画一的なマネジメントをしていると組織成果を極大化できなくなる。新たな価値観を持つメンバーが画一的なマネジメントに対して閉塞感を覚え、モチベーションに支障を来すケースが多い。
エンゲージメントサーベイでは、「多様な働き方」や「公平な評価」などが低いスコアになりがちだ。
【現場】既存事業疲弊症
新規事業への参入を支えているのは既存事業の利益であるにもかかわらず、経営トップの関心も全社的な注目も新規事業に集中するため、既存事業を支える従業員から不満の声が上がるようになる。業務過多でありながら軽んじられていることによる疲弊感から、モチベーションの低下を招きがちだ。
エンゲージメントサーベイでは、「戦略目標への納得感」や「使命や目標の明示」などが低いスコアになりがちだ。
・再生期
市場が成熟し、新たな価値創出を模索していく再生期は、組織に「無力感」や「既決感」が蔓延するようになる。その結果、例えば以下のような組織症例が見られるようになる。
【全社】セクショナリズム横行症
それぞれのセクションで「個別最適」「内部指向」「自己防衛」の意識が強くなる。顧客満足の実現に向けた職場間の連携は阻害され、最悪の場合、近隣の職場間での対立が表面化する。高い視点を持った従業員のモチベーションは組織の壁によって壊される。
エンゲージメントサーベイでは、「全社的な連帯感」や「顧客ニーズの伝達」などが低いスコアになりがちだ。
【ミドル】マネジメント閉塞症
縄張り意識や全体最適の視点の欠落によって、顧客や他部門・他職種とをつなぐマネジメントがなされなくなる。その結果、部門間や職種間、あるいは職場内のコミュニケーションチャネルが閉塞し、“血栓”ができる。「コミュニケーションをとっても仕方ない」という諦めが蔓延し、モチベーションが低下する。
エンゲージメントサーベイでは、「職場への要望や希望の把握」や「部下の意見の傾聴姿勢」などが低いスコアになりがちだ。
【現場】既決感疲弊症
成功を導いた過去の慣性が強く、現在のパラダイムを変革することに対する恐れが生まれる。その結果、新たな挑戦や新規事業の模索が妨げられ、組織内に「どうせ……」という諦めや無力感がはびこり、進取の気持ちを持った従業員のモチベーションまで下げてしまう。
エンゲージメントサーベイでは、「変化し続ける意識」や「未来に向けた先行的な試み」などが低いスコアになりがちだ。
事例:成長ステージに合わせた施策でエンゲージメント向上を図る企業
今回は、組織の成長ステージに合わせた施策で従業員エンゲージメントの向上を図る電機メーカーの事例を紹介する。
同社は、歴史の異なる二つの事業が融合して誕生したという経緯もあり、全社で見ると「多角期」にあり、多角期ならではの症例に悩まされていた。
全社では「アイデンティティ喪失症」が顕著だった。二つの事業が融合されたことで「何を目指す会社なのか?」が分かりにくくなり、アイデンティティが失われてしまったのだ。この課題に対しては、管理職が集まってディスカッションを行い、共通の目的を言語化した。そして、1on1や現場でのコミュニケーションを通して、メンバーに共通の目的を浸透させていった。
ミドルでは、「マネジメント画一症」を発症していた。同社の利益を支えていた事業部には失敗を許容できない風土があり、新たな挑戦が生まれにくかった。そこで、管理職を対象にした360度サーベイを行い、課題を可視化。メンバーの声を反映しながら、期待される役割を発揮できるよう改善のPDCAを回した。
現場では、「既存事業疲弊症」が起きていた。二つの事業がそれぞれ元の領域から抜けられず、協働によるシナジーが生まれにくくなっていた。そこで、エンゲージメントサーベイを活用しながら心理的安全性の向上を図り、管理職を中心に協働を妨げる要因を洗い出し、改善策を議論・実行した。
同社は現在も、さまざまな施策を通してエンゲージメント向上を推進している。
従業員エンゲージメント活用の先に見える可能性
先行きが不透明なこれからの時代、企業はさまざまなリスクにさらされるはずだ。しかしながら、企業を取り巻くリスクは経営陣にしか見えておらず、従業員は目の前のことに精いっぱいになっているケースも少なくない。一部に穴の空いた船をイメージしてほしい。経営陣には船が進む先にある氷山が見えているが、現場の従業員はせっせと船を修理している。この船は、果たして目的地までたどり着けるだろうか。
従業員エンゲージメントを高めることで、経営陣が見えている視界と従業員が見えている視界が近いものになっていく。そうなると、例えば新規事業と既存事業のように二律背反することも、「or」ではなく「and」と捉え、実行できるようになる。船の例に戻れば、効率良く修理をしながら、氷山にぶつかるのも避けられるという訳だ。これこそが、従業員エンゲージメントを高める最大の意義だと言えるだろう。
最後に〜未来を語れる仲間を増やせばエンゲージメントは高まる
エンゲージメント向上の主体になるのは経営者やマネジャーであることが多いが、取り組みを進めるに当たっては、経営者やマネジャーが孤独に奮闘するのではなく、「仲間」が多いほうが良い。スポーツのチームでも、キャプテン1人が鼓舞するのではなく、ベンチを含めて全員が鼓舞し合っている組織は強い。「誰かが誰かのエンゲージメントを高める動き」が、当たり前にあちこちで生まれている状態が理想だ。
本連載の第1回でもお伝えしたとおり、従業員エンゲージメントと従業員満足度は別物である。従業員満足度が「今、楽しく働きやすい」という「現在の満足」であるなら、従業員エンゲージメントは「この会社には未来がある」と信じられること、つまり「未来への期待」である。エンゲージメントの向上に特効薬はないが、組織の中に未来を語れる仲間が増えれば、間違いなくエンゲージメントは向上するだろう。
全4回にわたって、「従業員エンゲージメントの活用戦略」をテーマにお伝えしてきた。当社には、エンゲージメントサーベイを実施したは良いものの、うまく活用できずにいるという企業からの相談が数多く寄せられている。エンゲージメント向上に取り組む皆さんにもう一度お伝えしたいのは、エンゲージメント向上は問題に対処するつらい活動ではなく、会社や組織の未来を創るやりがいのある活動だということだ。前向きに、ワクワクした気持ちでエンゲージメント向上に臨める方が増えるように、当社としても引き続き支援していきたい。
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川内正直 かわうち まさなお 株式会社リンクアンドモチベーション 常務執行役員 組織人事領域のコンサルタント・プロジェクトマネジャーとして顧客企業の変革を成功に導く傍ら、新拠点立ち上げ、新規事業「モチベーションクラウド」の拡大などをけん引。2010年、同社執行役員に当時最年少で着任。グループ会社の取締役を経て、2018年、同社取締役に就任。組織開発、人材開発などのテーマで経営者やビジネスパーソン向けセミナー・講演や各種メディアへの寄稿多数。著書に『マネジャーのための人事評価で最高のチームをつくる方法』(翔泳社)。 |