亀田 高志
株式会社産業医大ソリューションズ
代表取締役社長・医師
深刻な被害をもたらす危機事象が現実のものとなったとき、担当部署としては、まず社内の関係者に対して正しい情報を正確に伝達し、危機管理対策文書や行動基準、あるいは教育・研修や訓練を通じて周知したように、適切に行動してもらう必要があります。
また、社外の利害関係者等にもしっかりとした説明責任を果たす必要があります。行政機関や公共団体、地域住民、あるいは株主や融資を受けている金融機関、企業の成り立ちによっては、親会社や持ち株会社、そしてマスコミ・報道関係者に至るまで、責任ある対応をしているとの理解と信頼が得られるように必要な情報を伝えなければなりません。
社内へのコミュニケーションが適切でない場合、期待される行動が社内組織に徹底されないため被害を最小化できず、対策の効果が得られません。
また、社外に対するコミュニケーションが機能しないと、企業の社会的責任(CSR)に関して厳しい視線が集まる今日では、危機事象による直接的な影響だけでなく、評判リスクや風評被害といった二次的なダメージによって、企業の存続を危うくすることすらあるのです。
今回はこれまで触れた危機管理対策の方針、文書化、教育・研修・訓練とは別の側面に当たる、"社内外へのコミュニケーションの在り様"について説明します。
1.リスク・コミュニケーションへの正しい理解を
危機事象に限らず、企業にとって、あるいは社内外の関係者にとって、好ましくない事柄について説明しなければならないことがしばしばあります。
例えば、従業員による使い込みや非合法薬物の使用、飲酒運転による自動車事故等の違法行為にまつわる問題、製品不良のための商品の回収等がそれに当たります。
そうした場合に、経営層や担当部署が"事実をなるべく隠そう"としたり、"伝えるべき内容を歪曲しよう"とする行動がしばしばみられます。そうした対応はむしろ社内外の不信感をあおることになり、また、小出しにされる情報は組織や体制の機能への信頼を損ねます。
しかし、経営層や上述の問題を担当する部署の人たちも人間なので、"なるべく責任を回避したい""非難されたくない"という心境になるのも、無理からぬことだと言えるでしょう。ヒトにまつわる問題を取り扱っている人事労務部門に勤める方々なら、"言いたくないことは言いたくない"あるいは"人間はしばしばうそをつく"という人間の習性を実感しているのではないでしょうか。
しかし、適切なコミュニケーションを欠いたために組織と体制が機能せず、対策の効果が上がらず、被害が甚大になってしまう、あるいは二次被害も拡大するというようなことは、絶対に回避しなければなりません。こうした課題に対応するためには、まず「リスク・コミュニケーション」に対する正しい理解が不可欠です。
リスク・コミュニケーションとは?
危機事象に直面した場合のリスク・コミュニケーションについて、よく陥りがちな誤解は"企業や担当部署から、社内外の関係者にうまく伝えるコツのようなものだ"というものです。それは、"耳の痛い話をいかにごまかして伝えるか"という発想に近いものです。そうした考え方では、リスク・コミュニケーションについて、"誰が、どのように、その内容を決めて、誰に、いつ、どのように伝えるか"という鳥瞰的な視点が抜け落ちてしまいます。
そうすると、例えば、被害想定を行わずに危機管理対策を文書化したり、せっかく作成した行動基準を社内に徹底しないのと同じで、効果的なコミュニケーションを行うことなどおぼつかなくなってしまうのです。
ここでは、リスク・コミュニケーションの本質をしっかりと理解する必要があります。それは、「リスク・コミュニケーションとは、危機事象やそれによる影響や問題に関して、担当部署や責任者から社内外の関係者に何かを一方的に伝えることではなく、情報の送り手と受け手の両方が問題を最小化するために一致協力できるような、危機事象やその影響、あるいは対策に関する双方向の情報のやり取りである」ということなのです。
企業の運営では、経営層・幹部と管理職層との間、あるいは管理職層と一般従業員の間でのTwo Wayのコミュニケーションの重要性が強調されています。危機管理対策でも、危機事象が発生した場合の対応でもTwo Wayのコミュニケーションが大事なのです。
リスク・コミュニケーションの目的と目標を見直す
先ほど触れたような「責任や非難を回避したい」という発想は、一方的なコミュニケーションしか視野に入れていないことを暗示しています。
それとは異なり、この双方向で行うTwo Wayのコミュニケーションでは、「危機事象の影響は社内外の関係者にとって共通のダメージであり、付随するリスクと損失を最小化する点において、関係者の関心や利害は一致している」という発想に基づいているのです。そのように考えることができれば、対応を間違えることはありません。
リスク・コミュニケーションの目的は、危機管理対策の目的と同じでなければなりません。それは、本連載の第1回で触れたように、
『従業員・関係者の生命、安全、健康を確保し、社内の資産と環境を保護し、事業継続性を確保すること』となります。ですから、それを達成するリスク・コミュニケーションの目標は、
「危機事象による影響(リスクと損失)の最小化を達成し、通常の事業運営から危機の際の運営に整然と移行し、可能な限り速やかに復帰する」という危機管理対策の目標を達成すること、そのものです。
さらにそれは次の小目標にブレークダウンできます。
① 危機事象が発生した際、それに社内組織が適切に対処でき、また管理職や従業員等の関係者が正しく行動できるように、必要な情報を効果的に伝達すること
② 危機事象による影響や対策に関連した情報や懸念、意見等を管理職や従業員等の関係者から、効率的に収集・検討し、効果的な情報をフィードバックすること
③ 危機事象が発生した際、社外の利害関係者に、把握し得る限り、正確な情報を適切なタイミングで伝達すること
④ 危機事象による影響や対策に関連した情報や懸念、意見等を社外の利害関係者から、効率的に収集し、検討し、効果的な情報をフィードバックすること
そして、担当部署として、危機事象が生じた際に、こうした目標を達成するためのコミュニケーションを、社内外の関係者と協力して行うことができるように考えていく必要があるわけです。
2.リスク・コミュニケーションが失敗する誤解と原因
リスク・コミュニケーションに関してよくある誤解は、「ツールやメディアを工夫すればよいのではないか」というものです。これでは、一方的なコミュニケーションに終始してしまいます。こうした誤解を持ったまま、コミュニケーションの手順を決めたり、文書化に進むと、危機事象が発生したときに、「誰か」のリスクや問題を避けるためのコミュニケーションを行うことになってしまいます。
また、一定規模以上の企業ではリスク管理部門や広報部門がありますから、そうした関係者だけが、社内向けや社外向けの情報発信を行えばよいという誤解もあります。
ほかには、次のような誤解がしばしば送り手の側にあるものです。
× 情報の受け手がパニックを起こしてはいけないので、内容を限定し、受け手をできるだけ少なくしよう
× 伝達する情報は短く簡潔であるほうがよく、詳しい説明は誤った印象を与えかねないので、避けよう
× 細かな点でも誤報は問題だから、情報を限定したり、コミュニケーションの機会を少なくしよう
これらの認識は一見正しそうですが、実際にはすべて誤解で、反対の方向のことを行ったほうが効果的なのです。むしろ内容を包み隠さず開示し、詳細な情報を伝え、誤報があれば即修正するという考え方が有効です。そのほか、連載の第2回で触れた「正常性バイアス」、すなわち危機に際してヒトは即応できないことがあるという認知の誤りを知らずにいることも、危機事象におけるコミュニケーションを間違える誤解の一つと言えるでしょう。
また、危機が重大なほど関係者には過小評価される傾向があり、その被害が中程度の危機である場合は主観的な判断の個人差が大きいこと、説明的な内容と確率を併記したほうが理解してもらいやすいことなども、知っておいたほうがよいでしょう。
さらに、情報の送り手の側に、次のような状態や状況があると、受け手が社内でも社外であっても混乱を招き、信頼を損ない、リスク・コミュニケーションが失敗しやすいことが知られています。
・明らかな準備不足や情報収集不足があるという印象を受け手に与えてしまうこと
・送り手の側が混乱しているという印象を受け手に与えること
・受け手から出された質問にきちんと答えず、不誠実な印象を与えること
・送り手が、企業や組織のためではなく、自身や自部門のためだけに謝ってしまうこと
・情報の伝達のタイミングが唐突であるかのような印象を受け手に与えること
・送り手の中ですら、限られた人しか真実を知らされていないという印象を受け手に与えること
・伝達する情報に致命的な誤りが含まれていること
3.どのようにして、適切なリスク・コミュニケーションを実現するか?
それでは、どのようにすれば、危機事象におけるリスク・コミュニケーションを成功させることができるのでしょうか。
ここではスタンス、行動、連携の順で説明します。
正しいスタンス
まず、担当部署としては、正しいスタンスを持つことが求められます。例えば、情報の受け手は問題に共に対処するパートナーだと考えることができます。危機管理対策全体と同じように、できる限りの計画と準備を行い、危機事象への対処で最大限の努力をしようと考えることです。
また、情報の受け手に具体的な懸念や不安があれば、オープンな態度でそれを吸い上げ、応えていこうとする姿勢を見せること。そして、信頼できる情報源を得るよう、危機事象が生じる前から努力しておくことです。
これまで触れたリスク・コミュニケーションの小目標や誤解、失敗の原因を理解した上で、正直かつ誠実な態度、いわば透明性を確保しようという姿勢、スタンスを固めることが大切なのです。そうすると、社内では、情報の送り手と受け手で一致団結して迅速に行動を起こし、協力して知恵を出そうという方向に持っていくことができます。
適切な準備と行動
リスク・コミュニケーションへの準備と、危機事象が顕在化した場合の適切な行動のためには、コミュニケーションの対象となる情報の受け手をあらかじめよく想定しておくことです。連載の第3回で触れた、文書化を行う際の被害想定と同じように、関係者がどのような事情や背景を持っているのかを理解しておくようにしましょう。
専門家に送り手になってもらうよう依頼することも考慮し、担当部署全体で模擬訓練を行うこともできます。例えば、前回に説明した机上訓練と同じように、送り手と受け手に分かれてその練習をすることにより、受け手の側がどのように受け取るか、その問題点を実感し、改善に結び付けることができるでしょう。
正しいスタンスを維持するには、誰か一人の責任とせず関係者全体で責任を分担すること、そのために具体的や役割を定めることが必要です。
連 携
例えば担当部署として、社外には広報部門、社内に向けてはリスク管理部門や法務部門があり、人事部門も関与しているというように、リスク・コミュニケーションを行う部署が並列でいくつもあるという状況になっていないでしょうか。
こうした組織内での連携に関する問題については、あらかじめリスク・コミュニケーションの準備や行動の内容を具体的に文書化して、関係者間で共有していく努力をすることで解消できる可能性があります。
部門間や担当者間で連携を高めてリスク・コミュニケーションに当たるための検討ポイントとして、次のような点が挙げられます。
◇ 危機事象に関する信頼性の高い情報の収集、説明・伝達に必要な影響・リスクの検証を誰がどのように行うか?
◇ 危機事象にまつわる情報が科学的根拠に基づくものであるか、価値判断を反映しているものかなどについて、誰がどのように確認するか?
◇ 準備の時期と対処すべき時期から復旧・復興の時期に分けて考えること
◇ 一連の対応について、どの部門・担当者が何を担当するのか?
危機事象に対処するためのリスク・コミュニケーションでは、読者である人事部門の方々は主に社内に向けての情報発信の役目を負うことになるでしょう。
そうした場合にここで触れた内容を参考に、効果的なリスク・コミュニケーションを行うことができるように、深刻な危機事象が現実のものとなる前に丁寧に準備を行っていただきたいと思います。
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亀田高志 かめだ たかし 株式会社産業医大ソリューションズ 代表取締役社長・医師 1991年、産業医科大学医学部卒。国内大手企業ならびに米国外資系企業の専属産業医とアジア太平洋地域担当、産業医科大学講師を経て、2006年、産業医科大学による(株)産業医大ソリューションズ設立に伴い現職。企業における健康確保対策の構築と健康管理活動の事業化が専門で、職場のメンタルヘルス対策や危機管理対策に詳しい。企業人事に対するコンサルティングと研修講師としての活動や社会保険労務士に対するメンタルヘルス対応スキルの教育にも傾注している。 |