亀田 高志
株式会社産業医大ソリューションズ
代表取締役社長・医師
前回、触れたように、特定の危機事象への対応は、その手続き・手順を文書化することから始めます。最初に被害想定を行い、次にその被害を最小化するための手続きを定めていくことを強調しました。そして、PDCAサイクルで対策のレベル・質を向上させることが可能であることも説明しました。
これらは、危機管理対策の大まかな流れといってよいものですが、今回は、基本となる対策文書自体の質を向上させ、さらに実効性を高めるために、その文書化の部分をもう少し詳しく解説します。
1.文書化で網羅すべき事項とは?
危機管理対策の流れやその細かな内容を企業の中で周知し、共有化するためには、言うまでもなく、それらを正確に文書にしていくことが欠かせません。ここでは、きちんと手続きを決めて記述しておく必要のある五つの事項を説明します。
文書化において必須の五つの事項
まず、社内の共通認識のために、危機管理対策の方針として、目的、目標が明示されていることが必須です…①。
さらに、その文書を作成し、更新していく管轄部署や責任者、そして作成日や更新日が続きます…②。
次に危機事象に対応する組織と体制を示す必要があります…③。
そのトップは当然、企業の経営者・経営層となり、以下、担当部門や幹部・管理職層、そして一般従業員に至る指揮命令系統が明示されていなければなりません。これらは、指令部と共に現場対応チームの二つが中心となり、その上ですべての管理職と一般従業員が対応・行動していくという体制になるはずです。
次に、被害想定、つまり被災した場合のシナリオを検討し、記述します…④。
その上で、危機事象ごとに対策プログラム、つまり防災シナリオを決めて、詳細まで決めて、文書に残していきます…⑤。
これら五つについて、対策文書の中で網羅すべき事項としては、次の[図表1]のような内容が含まれているとよいと考えています。
[図表1]危機管理対策文書で網羅すべき基本的事項の例
①方針 |
企業・拠点・事業所としての対策の目的、目標が明示されていること |
②管轄部署・責任者 |
目的、目標を達成するための対策文書が管轄部門で策定され、作成・更新日と責任者と担当者が明示されていること |
③組織・体制 |
a 対策を実行するための職責、人名、連絡先を明示した組織図・体制図が作成されていること b 体制は階層別に経営層、担当部門(人事労務等)、管理職、一般従業員と分けられ、各々の責任が明確であること c 組織は意思決定を行う経営層の統括する危機管理チーム(指令部)と、防災隊(現場対応チーム)の機能を含むこと d 組織と体制は準備・予防、対処、復旧・復興の三つの段階で実効性があること(前回、触れたところです) |
④被害想定(被災シナリオ) |
a 特定の危機事象(ハザード)を選択した理由が明示されていること b 危機事象(ハザード)ごとに現実的な被害想定(被災シナリオ)が行われていること c 人的被害に関する部分が含まれていること d 事業面に関する被害が含まれていること |
⑤対策プログラム(シナリオ) |
a 被害想定に基づく、現実的で効果的な対策プログラム(防災シナリオ)が策定されていること b 対策プログラムは、(1)準備・予防、(2)対処、(3)復旧・復興の三つの段階に分けて記載されていること c 防災隊(職場側対応チーム)、すべての管理職ならびにすべての一般従業員のための簡潔で分かりやすい行動基準が策定されていること d 安否確認、安全確認、避難といった手順が含まれていること e 傷病者に対する応急措置の手順が含まれていること f 社内・事業所内で準備する備品のリストがあり、応急措置のためのものや水、食料等がその数量と共に定められていること g すべての従業員が個人で備蓄するためのガイドも含んでいること h 顧客等の部外者への対応手順が含まれていること i 連絡先を含む、けが人を送る医療機関のリストや連携を要する行政機関(警察、消防等)のリストが含まれていること |
⑥その他の事項 |
a 危機における社内と社外へのコミュニケーションの手順と担当者と責任、内容を決定する手続きが定められていること b 教育・研修・訓練の流れと記録、さらに評価の手順が定められていること c 各拠点・事業所では危機管理に関連する法令を順守していること d 大きなPDCAサイクルの流れが確実に回る仕組みが明文化されていること |
対策プログラム(防災シナリオ)の詳細
「⑤対策プログラム(防災シナリオ)」では、大きな自然災害や火災のような場合の避難、人員の安否確認、施設面での安全確認が含まれる必要があります。
また、けが人が出た場合の応急措置に関してもある程度の記述が必要になるでしょう。
さらに、応急措置のためだけでなく、大きな被害を受けた後に社内や事業所内にとどまる関係者のためにも社内に備蓄する物品も必要になります。加えて、従業員一人ひとりが自宅に用意して、物流が遮断されても数日から1週間は耐えられるように考えておく必要もあります。
危機事象が生じたときに、顧客等の部外者が社内や事業所内に滞在していることも十分に考えられます。そうした人たちへの避難誘導や説明も必須事項と考えてよいでしょう。
そして、単に110番や119番だけでなく、医療機関や行政機関との連携が必要な場合に備えて、連絡先を記載して、いざというときに備えるのが効果的です。
なお、[図表1]の六つ目に挙げた「その他の事項」は次回以降で解説していきます。
2.どのような危機事象を対策文書に載せていくか?
さて、対策文書における大きな五つの項目とその内容を理解した上で、次に考える必要があるのが、どのような危機事象から手をつけていくかということです。これまでの連載で触れたようにさまざまな危機事象が列挙できるはずですが、思いつくまま、なんとなく事象を選んで、文書化のために記述し始めるのは合理的とはいえません。
リスクアセスメントの手法を活用する
先の具体例の中で、「④被害想定(被災シナリオ)」のところに関係しますが、将来、対策全体の質の向上に向けてPDCAサイクルを回していく際には、「どうしてその危機事象に対して対策を行うことにしたのか」を説明できたほうがよいのです。
その際には、きちんとした理屈が必要になりますが、その手続きには、リスクアセスメントの手法を用いることができます。ちなみに、厚生労働省は近年、職場の安全衛生対策において、このリスクアセスメントの手法の活用を啓発し、企業で実施することを奨励してきています。
具体的なリスクアセスメントの方法には複数のバリエーションがありますが、科学的な検討というより、対策の優先順位をつけるものにすぎないことに注目します。
そのバリエーションの中で分かりやすいのは次の数式で表される手法です。
◎対策を行う危機事象を選択する数式の例
A=危機事象(ハザード)が顕在化(現実化)した場合の被害の大きさ
B=危機事象(ハザード)が顕在化(現実化)する確率
A × B = C (リスクの大きさ)
Aの「被害の大きさ」は、ヒト、モノ、カネの観点から大まかに想定できます。厳密な被害額を算出しようなどと考える必要性はあまり高くないと思います。それよりも、列挙した危機事象の中では、大きいか、中程度か、小規模にとどまるかといった3段階程度、あるいは5段階くらいまでで考えても構いません。
Bの「顕在化する確率」も同じように、起きやすい、中程度、起きにくいといった3段階から4段階くらいでも構いません。ただし、自然災害などは地域によって発生の確率が数値化されますから、それを参考にしてもよいでしょう。
そうすると、C=リスクの大きさはAとBの掛け算で求めますから、その数値の大きいほうが、対策を行う際の優先順位が高いという理屈が成り立ちます。
リスクアセスメントと聞くと難しい手法のように聞こえるかもしれません。しかし、あくまでも優先順位づけのものなので、その過程で科学的な根拠を探すあまりに作業が滞ることがないよう気を付けたほうがよいと思います。
こうした記録が残っていれば、社内でも共有しやすく、担当者が交代しても合理的な方法が維持されることになります。
3.取るべき対応をマニュアル化する
次に、被害を最小化する対応を実現するには、危機対応の担当部署でも関係者でもない、研究開発、営業、財務・経理、生産やその管理等に携わる人たちに、いかに最良の行動をしてもらうかを考えなくてはなりません。
行動基準を作成する
危機事象に遭遇した際に実際に行動するのは、管理職とその部下である一般従業員です。そうした人たちに効果的に行動してもらうには、簡単で分かりやすい行動基準を作成し、周知していくのが有効です。
その例として、[図表2]に火災の場合の行動基準を示しました。
[図表2]行動基準の例(火災の場合)※クリックして拡大
このような行動基準が一度できれば、それを社内や事業所内の誰もが見るところに掲示することができます。また、教育や研修、訓練の場でそれを配布し、説明することも可能です。さらに、危機管理意識の向上を促すため、イントラネット上に掲示してすべての従業員にその閲覧を促すこともよいでしょう。
行動基準の策定は難しくありません。というのは、対策文書を作成する際に、具体的な手続きは既に決めてあるからです。
管理職や一般従業員には、最低限守ってもらいたいことを分かりやすく説明すればよいので、例えば1枚もののプリントでもよいし、カードの中にフローチャートや連絡先等を示すだけでも構いません。
管理職や一般従業員は他の業務に専従しているのですから、対策の全体像を示す必要はありません。危機事象が現実にやってきたら、具体的に"何を""どのように"行うかということのみを明示すればよいのです。
行動基準は危機管理対策を行う防災隊(職場側対応チーム)のためにも作成・配布し、繰り返し会議体や訓練の場で周知に努めていきましょう。
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亀田高志 かめだ たかし 株式会社産業医大ソリューションズ 代表取締役社長・医師 1991年、産業医科大学医学部卒。国内大手企業ならびに米国外資系企業の専属産業医とアジア太平洋地域担当、産業医科大学講師を経て、2006年、産業医科大学による(株)産業医大ソリューションズ設立に伴い現職。企業における健康確保対策の構築と健康管理活動の事業化が専門で、職場のメンタルヘルス対策や危機管理対策に詳しい。企業人事に対するコンサルティングと研修講師としての活動や社会保険労務士に対するメンタルヘルス対応スキルの教育にも傾注している。 |