亀田 高志
株式会社産業医大ソリューションズ
代表取締役社長・医師
既存の危機管理対策として、火災や地震といった事象に対して、それなりに決められた対応手続きや、ある程度の文書が準備されているオフィスや工場は少なくありません。例えば、「火災警報器が鳴って、避難指示が出て…」というような流れがあらかじめ決められているものです。
しかし、その結果、前回で触れたように、訓練が行事と化してしまい、火災や地震が現実となったときに実効性があまりなく、大きな被害を招くことになってしまうかもしれません。
危機的事象が顕在化したときに、実効性のない対策しかできていないことの理由には、その具体的な被害想定が考えられていないことが少なくありません。
そこで今回は、被害想定とその活用をどのように行えば実効性の高い対策を構築できるのか、という点を中心に解説したいと思います。
1.起き得る被害を具体的に想定することからスタート
訓練が行事と化してしまう理由として、例えば火災の場合には、普通と変わらない平静な状態で、普通に歩くなどして移動が可能で、簡単に逃げることができるという誤った思い込みがあります。あるいは、日ごろのイメージで普通に逃げれば大丈夫だと安易に仮定した上で、対応の手続きを決めていることが障害になるのです。
最初に被害想定を行う
対応の手続きを決める際には、最初に具体的な被害想定を行うことが大切です。例えば、火災となれば、煙やにおい、場合によって、炎や熱等を感じながら、視界の悪い中、恐怖と戦いながら、ビルや工場建屋から、安全な屋外に避難しなくてはならないのです。
健全な想像力を働かせて、そうした状況を想定してみることは難しくありません。例えば、大きな地震の場合であれば、立っていられない、動けない、机の上の物が倒れる、棚から物が落ちてくるといった瞬間的なことから、停電する、近隣で火災が起きる、電話が使えない、通勤手段が機能しない、物資が手に入らない、水、食料の入手が難しくなる、というような時間や日にちの単位の出来事まで、被災した実際の経験がなくとも、日本で起きた地震のメディアからの情報から、時間を追って、かなり具体的な被害の想定を行うことも可能でしょう。
そして、被害想定は
①けが人が出るなどの人的な側面
②停電や建物の損壊等の施設面の側面
③製品やサービスを提供できないといった事業の側面
――などの複数の観点で検証するとよいのです。
テーブルを囲んで被害想定を話し合う
しかし、担当者となった人が一人でPCに向かって、そうした三つの側面の想定を書いていくことは、有効であるとは言い難いところがあります。なぜならその人の個人的な要因や考えに偏った、狭い範囲の想定になってしまう可能性があるからです。
さらに、その担当者の人にとって、被害想定を考え、文章にすること自体が「宿題」となってしまうことがあります。そうすると、書くことだけが目標になってしまいます。その結果は、バインダーに綴じられた立派な文書ができるだけです。その人だけがよく分かっていても、すべての管理職と従業員に効果的な手続きが周知されなくては、危機事象が顕在化した場合は互いの連携が取れず、対策の効果が出ないのです。
では、そうした事態を避けるためには、どうすればよいのかというと、「文書化の作業をなるべくだれかの宿題にしない」ことです。
効率的で効果的な方法としては、人事部門の中の複数のメンバーで、危機事象の発生した以降の時系列を見ながら、具体的な被害想定、つまり、何が起き得るのかを話し合い、一人ずつアイデアを出し合う機会を設ければよいのです。
最悪の事態を想定しておく
次に、被害想定を行う上での注意点は、被害が軽いと最初から決めつけないことです。
実質的な被害がないと思えば、対策をとる動機付けが得られません。また、被害が少ない前提で作られた対策では、被害の大きなケースには太刀打ちできません。
例えば、地震の場合には、どんな被害が出るのかを、人的な側面、施設的な側面、そして事業の側面の三つから挙げていくことができます。
(1)人的な側面
①けが人が出る。軽症だけでなく、重傷の人もいる。けれども救急車や医療機関はすぐには対応してくれないかもしれない
②出先で被災し、連絡が取れない人が複数いる
③帰宅できない人がいる。あるいは出社できない人がいる 等
(2)施設的な側面
①電気、水道が使えない
②電話が使えない
③公共交通機関の乱れがある 等
(3)事業の側面
①サービスが停止する
②生産が停止する
③物品・材料の供給が停止する 等
2.被害を最小化する手続きを検討する
このように可視化できた具体的に被害想定を検証し、それらを最小化する対策としてどのようなことができるのかを考えていくことができます。
被害想定を基に対策の手続きを考える
人的な側面では、人事部門として、必要な時間、工場やオフィスで働くことができない従業員が多数、あるいは一定数出ることが分かります。また、時系列で、そうした状態を予防したり、そして危機事象が顕在化した段階には対処することになります。この場合の時系列とは、
①危機事象の発生前の予防や準備の段階
②危機事象が発生した際の対処の段階
③危機事象が終了し、復旧、復興する段階
の三つの段階を指します。
先に示した人的な側面における被害想定を基に、地震の場合の対策手続き(対処)を、時系列に沿うと、復旧・復興は除いて以下のように考えることができます。
(1)けが人が出る。軽症だけでなく、重傷の人もいる。けれども救急車や医療機関はすぐには対応してくれないかもしれない。
①予防措置:救急薬品等の常備。応急措置に関する訓練の実施
②対処措置:訓練を受けた人による応急措置を実施する。スペースの確保や産業医等の協力や助言
(2)出先で被災し、連絡が取れない人が複数いる
①予防措置:常にだれがどこにいるのかということを継続的に確認する仕組みの構築や機器の活用
②対処措置:出先で被災した場合の集合場所や、対応手続きをあらかじめ決めておいてそれを実行する
(3)帰宅できない人がいる。あるいは出社できない人がいる。
①予防措置:公共の交通機関が止まってしまった場合の帰宅、通勤方法をあらかじめ各従業員が調べておく。例えば、徒歩で帰宅してみるなどを試しておく
②対処措置:関係者がオフィスや工場に寝泊まりでき、一定の食事や飲料水が使えるように備蓄を完了しておく。危機事象が顕在化したら、それらの備蓄を運搬し、活用する
一方、施設的な側面と事業の側面では、人事以外の関係部門とも協議していく必要があります。いずれにせよ、三つの側面から被害を想定し、おのおのに関して予防的な対策、現実場面での対処、そして事後の復旧・復興という流れで進めていけば、具体的な状況を考えやすく、その状況による被害を少なくすることを考えることができるのです。
3.PDCAサイクルで危機管理を進める
品質管理や環境管理だけでなく、通常の人事労務の業務でも、計画、実行、評価、再計画といったPDCAサイクルの流れは、現代の企業の多くの職場で実践されています。
危機管理対策が有効に機能するためにも、このPDCAサイクルは対策の質と量を向上させるのに、とても大切な原則なのです。
PDCAサイクルでの運用と図式化して、分かりやすく明確にしておく
先の被害想定とそれに対する対応手続きを決めることは、対策を実行性のあるものにするためには必須です。けれども、危機管理対策の全体から見れば、実際には最初のところを行ったにすぎません。繰り返しになりますが、バインダーに綴じた文書を作成し、保管していたとしても、危機事象が顕在化した場合にはまったく役に立たないことは自明です。
[図表]危機事象への対応力を向上させるPDCAサイクル
文書化が完了した後に、実際に実効性を高め、維持する方法として、危機管理対策のPDCAサイクルを示した[図表]を見てみましょう。
まず、文書に書かれた事象(ハザード)への対応の内容の中には、ヒト・モノ・カネに係る準備が必要な事項があるものです。それを具体的に、時系列に従って決めた計画を立てることが大切です。(P)
次に計画内容を実行したり、具体的な準備をしたり、決められた手順を周知する機会を設けます。例えば、対象となる危機事象とその影響を最小化する手続きを、管理職と一般従業員の両方に説明する講演や研修の機会を設けることもできるでしょう。(D)
さらに、管理職や従業員を参加させて、決められた内容の妥当性を人事部門として確認する訓練を行うことができます。その際、参加者からの心配、不安、懸念に耳を傾け、対策手続きが不十分なところや抜けがないか、確認します。また、全体の枠組みの妥当性を人事部門の内部で検証する自己点検も実施できます。(C)
そして最終的には、それらの評価結果を見直し、次の年度の計画に反映させることができます。(A)
このPDCAサイクルで見れば、文書化は作業のごく一部を示しているにすぎないことがよく分かります。
大切なことは、特定の危機事象に対して、対策手続きを決めて文書化し、準備の計画を立てた上で、研修等で周知し、訓練と自己点検で評価するという流れを確保することです。そして、評価結果を見直し、次のレベルに向上させるべく、文書の更新等に進んでいくのです。
これまで説明したように、危機管理対策は、実際の従業員による適切な行動や対応として、文書化された内容をいかに反映させるかがカギです。その中で、当初の文書化手続きや訓練の質の向上のために、想定されている具体的なダメージを明らかにすること、つまり、被害想定を行うことが、非常に重要なのです。
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亀田高志 かめだ たかし 株式会社産業医大ソリューションズ 代表取締役社長・医師 1991年、産業医科大学医学部卒。国内大手企業ならびに米国外資系企業の専属産業医とアジア太平洋地域担当、産業医科大学講師を経て、2006年、産業医科大学による(株)産業医大ソリューションズ設立に伴い現職。企業における健康確保対策の構築と健康管理活動の事業化が専門で、職場のメンタルヘルス対策や危機管理対策に詳しい。企業人事に対するコンサルティングと研修講師としての活動や社会保険労務士に対するメンタルヘルス対応スキルの教育にも傾注している。 |