古川 琢郎 ふるかわ たくろう
プライスウォーターハウスクーパース株式会社
アソシエイト
■採用に関する企業の問題認識
これまで「人事の経験知」に頼りがちであった「ヒト」という領域におけるデータ活用が人事の仕事の在り方を大きく変える可能性があるということ、さらにはその具体例の一つとして、コストインパクトを中心とした離職リスクの分析例について、これまで2回の連載で触れてきた。この第3回では、こうした人事のデータ活用(HC Analytics)における考え方の中で、近年、最も活用が進む採用プロセスにおける分析モデルについて、事例を交え解説を進めていきたい。
多くの企業の人事担当者にとって、「どうしたら優秀な人材を採用できるのか」という課題は、長年にわたり頭を悩ませてきているテーマであろう。われわれのクライアントの中でも、採用の準備時期になると、「どうすれば質の良い母集団が形成できるのか」「本当に母集団を広げることに意味があるのか」「内定を出した優秀人材を確実に引き留められる効率的な手段はないのか」など、採用にまつわるさまざまな悩みを聞くことが多くなる。実際に、いろいろなプロモーション手段を用いて母集団を広げれば、優秀な人材を獲得できる可能性は高くはなるであろうが、費用対効果の面から見れば、かなり慎重な判断を要求されてくる。また内定者の確保に対しても、数回程度の面接や試験を通じてでしか把握できていない候補者の志向性をうまく捉えきることは容易ではない。
こうした課題に対して、データ分析を活用することにより、有効な打ち手を見いだしている企業があることをご存じだろうか。先進的な取り組みを行っている企業について、いくつか触れていきたいと思う。
■データ分析を駆使した先進的な採用アプローチを取る外資系企業
(1)グーグルにおけるハイパフォーマー予測
採用活動におけるデータ分析の活用は、近年特に外資系企業を中心として進みつつある。その代表格となるのはインターネットサービスの世界的ブランドのグーグルであろう。第1回の内容でも触れていたように、グーグルでは人材マネジメント上のさまざまな領域にデータ分析の概念を組み入れ、その意思決定に活用してきており、これは採用の領域においても例外ではない。
グーグルの採用といえば「グーグルらしさ」という独特な採用基準を組み入れていることが有名であるが、それ以上に特筆すべきは、月間で10万件という履歴書が送付される時期もあるそのボリュームであり、さらには、その候補者の中から優秀な人材を見極める選考プロセスであるといえるだろう。これだけの候補者の中から効率的に自社で働いてほしいような人材を見つけるとなれば、一定のデータ基準に基づく判断や、そのプロセスの効率化が求められることは容易に想像がつく範囲であろう。では実際にどういったデータを使って分析を行っているのだろうか。
グーグルでは通常の企業が行うような、経歴や大学での成績に基づく分析はもとより、オンラインでのサーベイを通じて、「コンピュータに関心を持ち始めた年齢」「非営利団体の参加・創設経験」から、「志向性」「判断基準」を見極めるような過去の経験に至るまでの質問を行い、それらの結果を0~100の範囲でスコア化して採用の判断基準の一つとして活用しているのである。こうした質問は過去のハイパフォーマーなどのさまざまなデータ分析の結果に基づいて形成され、数多ある候補者の中からグーグルという競争環境に適応できる人材を選び抜く基準の一つとして大きな役割を果たしている。
(2)バレロ・エナジーにおける人材のサプライチェーン最適化
また石油精製企業であるバレロ・エナジーでは、現場の多様な人材採用ニーズに堪え得る「人材のサプライチェーン」を、データ分析を活用することで構築している。同社ではまず、各組織の事業計画や過去の経緯のデータ分析を通じて将来の人材採用ニーズを予測、その情報が最適な採用ソースに連携されるのだ。なお、採用ソースを選択するプロセスにおいてもデータ分析が用いられており、採用ソースごとの入社者の入社後パフォーマンス、組織風土への順応、会社への定着等を分析し、どの採用ソースが最適かを判断している。これらを通して、かつては1人を採用するために、時間にして120日以上、採用コストとしてはおよそ1万2000ドルがかかっていたものが、なんと40日以下、2300ドルのコストにまで減少したのである。
(3)シスコにおける企業定着率への影響要因特定
採用および新人教育のコスト減を図った事例としては、食品サービス事業を手掛けるシスコの例も挙げられる。シスコではデータ分析を通して、特に顧客とのリレーションのキーとなる配達員の定着率が、従業員満足度と極めて高い相関があることを明らかにし、その向上および改善に注力することで、定着率を65%から85%に引き上げたのである。そして定着率が向上したことにより、新規採用や新人教育のコストをおよそ5000万ドル節減することに成功している。
(4)ACミランにおける獲得候補選手の持続的な活躍予測
一方で、こうした分析モデルはプロフェッショナルスポーツの世界でも実は大きく活用されている。例えばイタリアのプロサッカーリーグの名門クラブチームであるACミランでは、ミラン・ラボ(MILAN LAB)と呼ばれるデータ分析の専門組織を中心として、長年にわたり選手の契約や健康状態などを管理し続けている。彼らが行う分析には、選手達の健康管理からメンタル面の管理まで多岐にわたるが、その中で最もユニークともいえる内容が「選手が故障する可能性」に関する分析である。
トップアスリートの高額年俸契約はニュースをよく騒がせているが、獲得後(通常の企業で言えば採用後)に故障されてはチームの財務的にも非常に大きな損失となる。そこでACミランでは、1人当たりおよそ6万ものデータを収集し、獲得後の心身の健康状態や体力を予測することで、継続的に自チームにおいて活躍が可能かどうかを判断しているのである。また獲得後も、定期的にデータを更新し、必要に応じて選手をサポートすることで、チームとしての故障率を低下させている。こうして、ACミランでは選手獲得効果の最大化を図っているのである。人事の分析専門家と話をしていると、人材に関するデータ領域で最も進んでいるのは、意外にもACミランではないのかという話が出るほどである。
これら特に有名な事例をあらためて紹介してきたが、こういった事例を俯瞰してみると、採用領域におけるデータ分析には、大きく二つのトレンドがあることが分かってくる。一点目はデータ分析により、自社で活躍できる優秀人材の特定精度を向上させ、確実に見極めるためのオペレーションを実現しようとしていることである。そして、二点目のポイントは、数多(あまた)の候補者の中から限られた時間・労力で採用活動を行うための「効率化」を実現しようという点である。
特に昨今、グローバル規模で状況が次々と変化していく中で、必要な質を備えた人材を必要な量、しかもタイムリーに補充していくためには、これまで以上に効率的・効果的な採用手法が求められる。データ分析の活用は、こうした目的を達成するために大きな可能性を秘めていると言える。
■採用の分析モデル例:
「パフォーマンス×定着度予測マトリックス分析」により重点採用対象を特定する
では、具体的にはどういった分析手法が存在するのだろうか。複数の外資系企業で実践されている代表的な採用における分析アプローチである「採用候補者のパフォーマンス×定着度予測マトリックス分析」をここでは紹介したいと思う。この名称からは、やや抵抗感を感じる部分もあるかもしれないが、その目的は至ってシンプルであり、数多いる採用候補者の中から、自社にとって長期にわたり高い貢献を示してくれる可能性の高い人材、つまりは企業にとって必ず欲しい重点採用人材群を見極めることを可能にするものである。
[図表1] 採用候補者のパフォーマンス×定着度予測マトリックス分析
[図表1]に示す分布図は、「採用候補者のパフォーマンス×定着度予測マトリックス分析」の分析結果のイメージを示している。その分析内容は、採用候補者が将来のハイパフォーマーとなる可能性と、長期にわたり企業にきちんと定着してくれる可能性(定着可能性)の2軸により構成され、候補者を四つの象限に分類することを可能としている。
当然ながら、分類されたそれぞれの象限の人材ごとに異なるアプローチが必要となることは容易に想像できるであろう。例えば、右上の第1象限であるが、この人材群に当てはまる候補者は、長期にわたり企業に対して高く貢献する可能性が高い人材群であり、内定後の重点的なフォローや、インターンなどの機会提供の対象となることなどが考えられる。
さらに左上の第2象限の人材については、ハイパフォーマーになる可能性が高いものの、入社前の離脱、入社後の転職リスクなどが想定され、定期的な対話により、意識等の変化をきちんとモニタリングしていくことが必要となってくる。さらに左下の第4象限については、でき得る限り採用を回避する方向に持っていくなどの判断が取られてくる。
では、どういったデータを用いればこうした分析が可能になるのであろうか。以下にイメージが湧きやすいように、外資系サービス業で組み入れているデータ項目の一部を紹介しよう[図表2]。ただし実際には、ハイパフォーマーや定着率を算出するためのデータは、世の中一般的なものがあるわけではない。活用している企業は、自社における過去の採用者の中で、一定期間、自社に定着しハイパフォーマーとなった者(通常は採用3年後のパフォーマンス平均等を見る)の採用時点での特徴を統計化することによってそれぞれの軸の確率を算出し、各社なりの企業文化・経営環境などを反映させた独自のモデルを作り上げている。
[図表2] 採用候補者のパフォーマンス、定着度予測に用いられるデータ項目例
■日系企業の採用データ分析における課題と対応
こうした分析モデルの構築に当たって最も課題となるのは、採用の場合で言えばデータ収集の部分にあるだろう。例えば、採用候補者レベルでは履歴書をデータ化しておらず紙の情報のみであるといったことや、候補者に関するデータの数や種類が年度や採用プロセスによってバラバラであるといったケースが日系企業には多い。さらには履歴書や職務経歴書に書かれるような一般的な項目はあるものの、グーグルのように「コンピュータに関心を持ち始めた年齢」のように、候補者の志向性などを探れるようなデータを保有している企業はほとんどないであろう。
しかしながら、採用という競争環境の激しい世界において差別化を図っていくためには、こうした情報の採取やデータ化に対して愚直に取り組むことが必要になってくるということを、あらためて強調しておきたい。
(参考資料)
Competing on talent analytics (Harvard Business Review)
Google Answer to Filling Jobs Is an Algorithm (The New York Times)
Managing Human Resources
Milan Lab's secret of youth (THE FINANCIAL TIMES)
古川 琢郎
プライスウォーターハウスクーパース株式会社
アソシエイト
東京大学大学院農学生命科学研究科修了後、現職。人事コンサルティング領域に5年近く従事し、人材マネジメント戦略策定および人事制度構築、人事情報分析サービス(HC Analytics)、人材育成体系の構築および運用、マネジメントトレーニングなどにおける幅広いプロジェクト実績を有する。
金融、機械メーカー、化学品メーカー、公的機関などの広範な業種において、分析と方針策定のみならず、施策の実行や変革実現に至るプロセス全体に関するコンサルティングを実施している。