2012年05月10日掲載

トップインタビュー 明日を拓く「型」と「知恵」 - 手間をかければ愛着も出る。靴もブランドも「SUMIDA」で磨く――株式会社ヒロカワ製靴 廣川雅一さん(上)

 


 

   撮影=戸室健介

廣川雅一 ひろかわまさかず
株式会社ヒロカワ製靴・代表取締役社長
1956年東京都生まれ。小学生から家業を手伝いながら育ち、
1975年にヒロカワ製靴に入社、下ごしらえや仕上げなど靴作りの
各現場で修行。営業を経験後、1987年に専務、2006年に社長に就任。
現場を飛び回り、スコッチグレインの品質管理とともに、情報発信にも
情熱を注ぐ。

効率一辺倒に背を向け、手間をかけた製法と企画力で多彩な靴を生む。
材料の目利き、手作り、革の応用を駆使しながら月に400足を生産。
墨田区内で一貫製作の「区産他消」には、作り手の矜持(きょうじ)がつまっている。

取材構成・文=高井尚之(◆プロフィール

 かつて「大川」とも呼ばれた隅田川――。
 地下鉄銀座線や東武線・浅草駅に近い吾妻橋から千住方向に川沿いを歩くと、西側は台東区雷門、花川戸、今戸、橋場と地名が変わり、橋を渡った東側は墨田区吾妻橋、向島、東向島、堤通となる。桜の季節や花火大会では多くの人でにぎわうが、花川戸は「履物」の町として知られ、今戸は日本で初めて「皮」をなめして「革」にした場所と言われる。
 今でも隅田川周辺には靴製造や、靴問屋、靴関連用品の会社が多い。ヒロカワ製靴は、そんな歴史的背景にも育まれ、日本製の靴作りにこだわってきた。

手間をかけた「メイド・イン・スミダ」

 同社の創業は、日本が希望に満ちあふれていた東京五輪の年(1964年)だ。新潟県糸魚川市出身の廣川悟朗さん(現会長)が始め、高度成長の風にも乗って百貨店やアパレルブランド向けにOEM(相手先ブランドでの供給)で実績を積んできた。やがて、取引先の勧めにより自社ブランドである「スコッチグレイン」を1978年に開発。現在ではこのブランドのみを製作する。

 

 「創業は台東区・橋場でしたが、やがて川の反対側の墨田区・堤通に移り商売をしてきました。現在は国内や世界各国のタンナー(なめし工場)に直接出向いて吟味した革を用いて、本社近くの自社工場で製作しています。企画から仕上げまで、ほぼ全工程を社内で行うのが特徴で、私は『日本一真面目な靴屋』と呼んでいます」
 社長の廣川雅一さんはこう語る。創業者の長男で小学生の頃から工場を手伝った廣川さんは、高校を卒業後、家業である同社に入社して経験を積んだ。社長に就任して6年。品質にこだわりつつ、次々に新たな提案もしてきた。2代目経営者に安住するタイプではない。

 

 その一つが直営店の運営だ。現在は銀座や上野、大阪などに7店舗を展開する。あえて静岡県御殿場市など各地のアウトレットにも出店する。こうして川上(企画・製作)から川下(小売り)まで自社で手がけることで、購入者の声が直接聞けるようになった。
 スコッチグレインは、ブランド創設以来ずっと、手間のかかる「グッドイヤーウェルト製法」を採用している。これこそが廣川さんが言う「真面目な靴屋」を示すもの。全体で170工程も行う面倒な作業のため、現在この製法だけで靴を製作するのは、国内ではヒロカワ製靴のみだという。

 一連の作業を記すと、①中底の裁断→②(すくい縫いの芯となる)リブ巻き→③仕入れた革の検品→④(足数を抜く)甲革の裁断→⑤木型の選定→⑥すくい縫い→⑦出し縫い
――といった流れで、これを本社近くの自社工場で行う。
 このうち、③では3等級に分かれて入荷した革を、1枚ずつ廣川さん自身が六つのランク別に選別する。⑤の靴の原型となる木型も社長と会長以外は削れない。⑥と⑦は甲革、中底、本底をウェルトという細革を介して2度縫いするものだ。

奮発して買える、生涯履ける靴

 ここまでこだわっても手の届かない価格にはしない。小売価格は1万円台後半からあり、売れ筋は2万9000円台と3万9000円台。こうした手間ひまのかけ方を考えれば、お得感もあるだろう。効率一辺倒にはしないが、効率を追求して価格を抑える工夫には熱心だ。
 「例えば革の中には、シワのよりやすい部分や傷や色ムラのある部分もありますが、それを部位ごと引き取ることで現地のなめし工場と価格交渉をします。また製法は同じでも低ランクの革で作った商品は、アウトレットや特別会場で実施するセールで販売します」
 革の仕入れを社長自ら行うからこそできる手法で、採算性も実現している。

 

 長年続けてきたタンナーとの人脈も、廣川さんの財産だ。国内の有力タンナーはもちろん、良質な革を求めて、欧州のフランス、イタリア、ドイツ、アジアのバングラデシュといった各地に足を運ぶ。直接工場に出向き、現場で現物を見るのをモットーとする。
 なかでも、欧州の超高級ブランドに供給する仏アノネイ社とは、回を重ねて信頼関係を築いた。初めて訪れた際は「日本人が来たのはオマエが初めてだ」と言われたという。

 「『某ヨーロッパスーパーブランド製バッグと同じ革で靴を作りたい』とアルリー社長(当時)に交渉し続けました。会うたびに言い続けたら、ついに承諾して最高級の革を供給してくれたのです」
 仕上がってきた革には傷一つなかった。この革を500キロ分買い付けて帰国すると、スコッチグレインの最高級モデルとなる「アルリー」を開発する(10万5000円で受注生産)。もちろん名前はアノネイ社社長から拝借したものだ。

 

 現在、靴製品の市場規模は約1兆5000億円といわれ、うち6割が婦人靴、残りの4割である約6000億円を紳士靴が占めるという。「足元を見ればおしゃれがわかる」といいながら、合皮の質が上がり、一見しただけでは本皮と区別がつかない合皮も増えた。試し履きをせずにインターネット販売の専門サイトで靴を買う人もいる。
 靴業界を取り巻くこうした時代の変化もあるが、廣川さんは前向きだ。「直営店を運営していると、本物の靴にこだわる人も増えていると感じます」。
 スコッチグレインの靴は、中底の下に敷くスポンジ部分が履く人の体重で変形し、履き続けるにつれて足になじむ、いわゆる経年変化の楽しさも魅力の一つ。履き続けるうちに摩耗しても、スコッチグレイン専門の修理ができるという。廣川さんの実弟・益弘さんが「匠ジャパン」という修理専門の会社を経営、月に700~800足の修理を行っている。
 グッドイヤーウェルト製法は手間がかかる半面、靴底の交換はしやすく、愛用者にとっては部位を交換して履き続けることができる。まさに、一生モノの靴なのだ。

職人気質よりもチームワーク

 モノづくりにこだわる職人気質の会社では、時として気難しい職人への対応に神経を使う。ヒロカワ製靴も昔はそうだった。
 「私が入社した昭和50年当時も、腕はいいけど自分の仕事しかしない職人もいた。機嫌が悪いと動いてくれませんでしたね」
 まだ10代だった廣川さんは、朝6時に出社し続けた。下ごしらえから仕上げ補助まで、社長の息子ではなくフットワークの軽い若者として何でもやった。それを続けるうちに職人の態度も変わってくる。熟練職人のプライドを尊重しつつ、相手の懐に飛び込んだのだ。
 時には失敗もした。製造現場を経験後に営業を担当したが、サンプルで作った靴の縫い目と、受注を受けて大量に製作した後の靴の縫い目が微妙に違い、あわや納品拒否の事態を招いたこともある。一方で成果も上げたことも。アパレルブランド「JUN」がヨーロピアンスタイルのパンツを発売して大人気となった時には、パンツに合うローファーを開発し、会社の評判を高めたのだ。苦しみも喜びも味わい、実績を積む。

 

 1987年に専務となった廣川さんは、バブル崩壊後に、一つの考えを持つ。
 「一度、素人から職人を育ててみようと思いました」
 それまで口コミや紹介で経験者を採用していたのを、初めて求人誌に広告を出し、10人採用した。採用基準は「何か光るものを持っている」ことを重視した。
 入社後は下仕事からやらせ、特徴を見ながら各部署に配属して靴作りの経験を積ませる。
 「若い人が増えてきたら、ベテラン職人も変わってきました。それまで自分の仕事しかしなかった職人も、他の仕事を手伝うようになるなど、チームワークが生まれたのです」
 定年退職で親方が退くと世代交代も進めた。現在はこうして鍛えられ経験を重ねた3人(佐藤高光さん、高山尚孝さん、前越克司さん)が、各フロアのリーダーを務めている。

口と手で味わう「贅沢」

 3月の土日祝日、廣川さんは毎週のように各地の百貨店に出向いていた。「モルト・ドレッシング」の実演販売のためである。3月17日に横浜高島屋で、20日(春分の日)は大阪高島屋、25日は池袋西武、31日には銀座三越で、それぞれ技を披露した。
 モルト・ドレッシングとは廣川さんが考案した、靴磨きの楽しさを提唱するもので、愛飲するウイスキーで湿らせた綿布で、靴クリームを薄く塗る。1足につき約30分かけて丁寧に磨く。これも若き日に職人から学んだことだという。
 「職人が作業台の下にウイスキーを隠していて、布にクリームを付け、ウイスキーを1滴たらして靴を磨き『こうすると艶が出るんだ』と話していたのを思い出したのです」
 ひそかに酒を飲み作業もできたような時代、と笑いながら語るが、それをイメージ戦略にするのが廣川さんらしい。モルト・ドレッシングのネーミングにもこだわったという。
 「それまでの靴磨きは、薄暗い玄関で家族に背を向けて黙々と行うものでした。それではわびしい。ウイスキーの愛飲家ならそれを飲みつつ、お気に入りの靴にも少しウイスキーを分けてあげましょう。『週末は自宅リビングで楽しく磨きませんか』を提唱しているのです」
 現在は、スコッチグレインと同じ純日本産のニッカ「竹鶴12年」や「竹鶴21年」を味わいながら、モルト・ドレッシングで靴を磨くことを薦めている。

 だが、そもそも蒸留酒であるウイスキーは、独特の味わいを生むまでに時間がかかり、ブレンダーと呼ぶウイスキーブレンド技術者には、職人としての誇りとこだわりがある。
 その意味でも、飲むウイスキーを靴磨きに使うなど、よく酒類メーカーが了承してくれたものだが、ニッカウヰスキーとは何度も交渉の末に、ブレンダーの許可を得たという。

靴も組織も「土台」が大切

 「驚き値」や「激安」に代表されるように、モノの価格がどんどん下がるご時勢。こんな時代に「高くても売れる」商品には、実は農耕型が多い。
 一気にブランドをつくり上げ、大々的に宣伝する「狩猟型」で高額品を生み出しても、飽きられるのも早い。じわじわ浸透させる「農耕型」は時間もかかるが、定着すれば強い。
 その意味で、スコッチグレインはいかにも農耕型だ。革を吟味し、170もの製造工程を職人が分担して作業し、靴を仕上げる。それをし続けて、2012年で発売以来34年になる。

 ただし農作業でも、土壌がよくないといい作物ができないように、作業の前に大切なのが土台。靴作りでいえば「木型」がそれにあたる。
 ヒロカワ製靴には、木型(現在はプラスチック製)が、サイズごとに色分けされて整然と陳列されている。日本人の足に合わせて削った木型は1万足以上にもなる。

 

 直営店を運営するようになってからは、お客の足型の変化も見えてきたという。
 「よく『日本人は足の甲が高い』といわれましたが、実際には甲が低い人も増えていました。そこで、甲が低くてつま先の長い木型を作るなど、常に木型を調整しています。同じ人でも体重が減れば足もやせますからね」
 社長と会長以外は触れさせないなど、木型作りにこだわる同社も、企画立案にはオープンだ。社内に企画部門は設けず、年に2回、直営店で行うセールで発表する「限定品」を企画するチャンスを若手職人に与えている。土台が大切なのは会社組織も同じだが、企業活動に合わせて弾力的な組織運営をしないと、硬直化し、時代に取り残されてしまう。

 東日本大震災を経て、少子高齢化が進む日本は、中長期的には「大人社会に向かう」という声がある。二極化も進み、格安商品を好む人もいれば、価値に見合う高価格品を求める人も増えてくるだろう。
 そんな「違いを知る人」に向け、隅田川の近くで廣川さんは靴とブランドを磨き続ける。

■Company Profile
ヒロカワ製靴株式会社
・創業/1964(昭和39)年
・代表取締役社長 廣川雅一
・本社/東京都墨田区堤通1-12-11
 (TEL) 03-3610-3737(代)
・事業内容/紳士靴・婦人靴の製造・販売
・代表商品/『スコッチグレイン』
・従業員数/140人(2012年4月30日現在)
・企業サイト http://www.scotchgrain.co.jp/

◆高井尚之(たかい・なおゆき)
ジャーナリスト。1962年生まれ。日本実業出版社、花王・情報作成部を経て2004年に独立。「企業と生活者との交流」「ビジネス現場とヒト」をテーマに、企画、取材・執筆、コンサルティングを行う。著書に『なぜ「高くても売れる」のか』(文藝春秋)、『日本カフェ興亡記』(日本経済新聞出版社)、『花王「百年・愚直」のものづくり』(日経ビジネス人文庫)、『花王の「日々工夫する」仕事術』(日本実業出版社)、近著に『「解」は己の中にあり 「ブラザー小池利和」の経営哲学60』(講談社)がある。