2026年08月05日掲載

「ハラスメントを恐れて指示もできない職場」を変える方法 - 第1回 「ハラスメント」におびえて、部下に仕事が頼めない職場

株式会社Niesul 代表取締役
ニースル社労士事務所 代表
社会保険労務士
神野沙樹

 “ハラスメントを防ぐことと、安心して仕事を任せ合えること” その両立をどう図るのかをテーマに、本連載では5回にわたり、「ハラスメントを恐れるあまり、指示もできず、部下との関係もぎこちなくなってしまった職場」をどう立て直すか考えていきたい。
 第1回は、職場で何が起きているのか、なぜ従来のハラスメント防止対策だけでは行き詰まりやすいのかを整理する。

 なお、本連載では主に、「上司から部下への言動」を念頭に置いて話を進める。もちろんハラスメントはそれだけに限らないが、職場では権力関係を背景とした摩擦が起きやすく、読者にとっても想定しやすいと考えるためである。

「ハラスメント警報」発令中?

「最近の職場は、“ハラスメント警察” がうじゃうじゃいるみたいな感覚ですよ」

 これは、ここ数年、私が現場の管理職から聞いた言葉でも、とりわけ印象に残っている一言である。この表現自体が適切かどうかは別として、そう言いたくなるほど現場の管理職が萎縮していることがうかがえる。誰かが少しでも強い口調になれば、「今の言い方はアウトではないか」と見られてしまう。冗談のつもりで発した言葉でも、相手の受け止め方次第では問題になるかもしれない。そんな緊張感の中で、上司が言葉を選び過ぎ、必要な指示や注意すらためらうシーンが増えている。

 法令遵守の観点から、企業がハラスメント防止規程を整え、研修等で社内に注意喚起し、相談窓口を設けることは必要である。しかし、その取り組みが進めば進むほど、「何だか職場がぎくしゃくする」「指示もしづらければ、雑談もしづらい」といった声が現場から聞こえてくる。ハラスメントを防ぐとともに、職場の風通しを良くしたかったはずが、かえってコミュニケーションが減っていく。会話の量が減るだけでなく、互いの意図を確かめる機会まで失われていく。そんな矛盾が生じている。
 人事担当者にとっても管理職にとっても、ハラスメント問題が厄介なのは、よかれと思って進めたはずの対策が、現場では窮屈さを生む点にある。だからこそ、まずは今の職場で何が起きているのかを、感情論にも正論にも寄り過ぎず、冷静に分析していきたい。

正当な指示すらためらう上司たちの本音

何が「地雷」なのか分からない恐怖

 私は10年以上、企業でハラスメント防止研修を担当してきた。また、社会保険労務士として、実際に起きたハラスメント事案への対応に関わることもある。その中で痛感するのは、どちらか一方が100%悪いという事案は少ないという点だ。厚生労働省が示すハラスメントの典型例のような、誰の目にも分かりやすいケースばかりではない。本人に悪意はなくても、立場や期待、受け止め方の違いが重なって、問題が大きくなることは珍しくない。

 研修の依頼をいただく企業の担当者からは、「白黒はっきりさせてほしい」「何がハラスメントで、何がそうでないのかを明確に示してほしい」と言われることが多い。もっともな要望である。厚生労働省の「職場のハラスメントに関する実態調査」(令和5年度)でも、企業側の課題として一番多く挙がっていたのは、“ハラスメントに当たるかどうかの判断の難しさ” であった[図表]
 しかし、研修においてこの判断基準を示すことは非常に難しい。裁判例や行政資料は参考になるが、ケースごとに事情は異なる。それゆえ、これから起こるかもしれない出来事に対して基準を示せたとしても、果たして実際に活用できるのか、と感じている。

[図表]ハラスメントの取り組みを進める上での課題(企業調査)

図表1

[注]1.調査対象:1つ以上ハラスメント予防・解決の取組を実施していると回答した企業(従業員規模が「分からない」と回答した企業、無回答、無効回答を除く)

2.令和2年度調査では、従業員規模が「分からない」と回答した企業も含んでいる

3.令和2年度調査では「関係者(顧客等)の意識が低い/理解不足」は調査項目としていない

資料出所:厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査 結果概要」(令和5年度)

 例えば、ため息をつく行為はどうだろう。特定の相手に対し、繰り返し威圧感を伴って行えば問題になり得る。一方で、不意に出たため息が、直ちにハラスメントと認定されるとは考えにくい。程度や文脈、相手との関係性によって受け止め方は変わる。この曖昧さこそが、現場の管理職を悩ませ、萎縮させる。

 「ハラスメントは、相手の受け止め方による面がある」と研修などで繰り返し聞くうちに、「結局、何が地雷なのか分からない」と上司は感じるようになる。すると、「必要最小限しか話さない」「仕事以外のことは話題にしない」「なるべく記録に残る連絡だけで済ませたい」という方向に振れやすい。
 だが、それは本来目指したかったはずの、働きやすい職場づくりとは逆の姿ではないだろうか。

指示を恐れるあまりにかかる「自分でやったほうが早い病」

 ハラスメントの相談を受け、行為者とされる上司と面談をしてみると、反応が大きく二つに分かれる。
 一つは、「反発タイプ」だ。「言うべきことを言わなければ仕事にならない」「部下の成長のためにも注意は必要だ」と、ハラスメントと指摘されたことに対して憤慨する。責任感が強く、仕事への自負がある人ほど、この傾向は見られやすい。その主張にもっともな部分もあるが、客観的に見れば、言い方や “詰め方” が行き過ぎていることも多い。
 もう一つは、表面上は納得しているように見える、「内心萎縮タイプ」だ。あからさまに反論はしないが、「もう余計なことは言わないほうがいい」と心のシャッターを下ろし、必要最低限の接触しかしなくなる。そうなると、チームの空気は確実に悪くなる。上司に対して話しかけづらい、相談しづらい、何を考えているのか分からない。——こんな職場で、安心して働けるはずがない。

 問題は、どちらのタイプも、「今後どうすればよいのか」が見えていないことである。その結果、「あれこれ気を使うくらいなら、自分でやったほうが早い」と上司は仕事を抱え込み始める。そもそも管理職は、評価、育成、方針決定、社外対応など、多くの役割を担っている。にもかかわらず、部下に仕事を振れないとなれば、余裕はなくなる。思い悩み過ぎた末に、上司が睡眠障害や適応障害を訴えてくることもある。

上司の沈黙が部下に及ぼす悪影響

放置される、部下の不安と不満

 ここで見落としてはならないのが、上司が黙ることは、必ずしも部下を守ることにはならない点である。
 「ホワイトハラスメント」という言葉を聞いたことがあるだろうか。法律用語ではないが、ハラスメントにならないようにと過剰に配慮するあまり、必要な指導をしない、挑戦の機会を与えない、あえて負荷のかかる仕事を任せない、といった状態を指して使われることが多い。

 上司の皆さんにこの話をすると、「厳しくしてもダメ、優しくしてもダメなら、一体どうすればいいのか!」と憤る人は多い。もっともだと思う。
 ただ、部下の側が本当に求めているのは、単純な意味での「厳しさ」や「優しさ」ではない。自分がどう見られているのか、何を期待されているのか、失敗したときにどう立て直せばよいのかが分かることではないだろうか。
 例えば、ミスによって会社に大きな損害を与えた部下がいたとする。本来であれば、なぜそうなったのかを振り返り、次に同じことを起こさないために何を変えるべきかを一緒に整理する必要がある。ところが、ハラスメントと受け取られることを上司が恐れるあまり、「今回は仕方ないね。次からは気をつけよう」で終わらせてしまう。部下の受け止め方はさまざまだとしても、そこで終わってしまえば、部下には今後につながる学びも判断基準も残らない。
 しかも、こうしたことが繰り返されると、部下は別の不安を抱き始める。「自分は見放されているのではないか」「期待されていないのではないか」「この職場で成長できるのだろうか」という不安である。
 上司からすれば、「困ったら相談してくれればいい」「昔は自分で学びながら成長したものだ」と思うかもしれない。しかし、失敗をした直後の部下にとって、「ではどうすればよかったのでしょうか?」と自分から聞くのは簡単ではない。上司に尋ねること自体が自分の未熟さをさらすようで、言い出せない人も多い。

 部下が上司に求めているのは、「放置」ではなく「関与」である。上司には、ダメな点はダメだと部下に伝えた上で、次にどうすればよいかを一緒に考えてほしい。気にかけてほしいし、見ていてほしい。言い換えれば、部下が欲しいのは「怒られないこと」ではなく、「自分への期待と判断基準が見えること」なのである。そうした思いが言語化されないまま蓄積すると、「この職場はホワイト過ぎる」「ここでは成長できない」といった不満に変わっていく。
 ハラスメントを避けることだけを目的にした表面上の優しさは、かえって部下の不安と不満を強めることになる。

ハラスメント対策の本来の目的を見失わない

 では、どうすればよいのか。ここで改めて確認したいのは、ハラスメント対策の目的は、上司を黙らせることでも、人間関係の摩擦をゼロにすることでもない点である。職場には、立場の違う人、経験の違う人、価値観の違う人が集まっている。そこで働く以上、「嫌だ」「つらい」「納得できない」と感じる場面があることは避け難い。
 問題は、そうした場面でどう振る舞うかである。法的な定義や一般論だけで、すべての職場のすべてのケースに答えを出すことはできない。にもかかわらず、「ハラスメントか、そうでないか」という2択で処理しようとして、かえって現場で身動きが取れなくなっているように見える。
 本来必要なのは、その職場で働く人たちが、何を不快と感じ、どこまでを仕事上必要な関わりと考えるのかを、少しずつ言語化していくことである。上司が一方的に決めるのでも、部下が感情だけで決めるのでもなく、互いのズレを知り、基準を擦り合わせていく。それがなければ、ハラスメント防止規程や研修も、職場では空回りしやすい。逆に言えば、この土台さえできれば、注意や指導が悪者にされず、「どう伝えれば納得して受け止められるのか」という建設的な議論へ進みやすくなる。

 次回は、「方針・規定の策定や相談窓口の設置といった “会社として実施してきた従来のハラスメント対策” が、なぜ機能しづらいのか」を、もう少し掘り下げたい。その上で第3回以降、職場で実際に使える「基準づくり」の進め方を具体的に紹介していく。
 ハラスメント対策のはずが、上司の萎縮や我慢で単に終わってしまわないためにも、「指示ができなくなっている職場」の現実を踏まえてしっかり考えていきたい。

プロフィール写真 神野沙樹 かみの さき
株式会社Niesul 代表取締役
ニースル社労士事務所 代表
社会保険労務士

2004年立命館大学法学部法学科卒業後、機械メーカーに入社。法務関連業務に従事。社会保険労務士事務所勤務を経て2010年に社労士事務所を開業し、これまで200社を超える社内制度づくりに携わる。社員の主体性を引き出し、経営者の思いを融合させる参加型プログラム「社員みんなでつくる就業規則づくり」では、長年離職率が20%以上で悩んできたクライアント企業の離職者数を1年間で半減させるなど、実績多数。著書に、『「社会人になるのが怖い」と思ったら読む会社の超基本』(飛鳥新社)。