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シン・ハヨン しん・はよん 2021年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(商学)。2021年一橋大学大学院経営管理研究科特任講師、2022年京都産業大学経営学部助教、2024年同准教授。2025年より現職。主たる研究分野は、従業員の労働意欲および組織における向社会性の研究を中心とした組織行動論分野。最近の論文に、「従業員の向社会的モチベーションが知識共有および知識隠蔽に与える影響——動機の自律的・統制的側面の観点から——」(共著、日本経営学会誌)、「組織成員の仕事や職場における向社会的モチベーション研究レビュー——類似概念との異同と先行要因の検討を中心に——」(京都マネジメント・レビュー)など。 |
「誰かのために」は、人を動かす
「他者の役に立ちたい」という気持ちが仕事への意欲やパフォーマンスを高めるという可能性や、親切心で行った「誰かの役に立つ」行為が、行為者本人にポジティブな心理状態をもたらす可能性を裏づける研究が、これまで数多く蓄積されてきた。
『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』の著者としても知られている組織心理学者アダム・グラントの研究では、奨学生からの声(大学への寄付などを基にする奨学金がいかに自身の学業において重要であったか)を大学ファンドレイザーのスタッフ(寄付を集める担当者)に届けたところ、寄付金の獲得額が2倍以上に跳ね上がったことを報告している(Grant, 2008)。ほかにも、ララ・アクニンらによってカナダとウガンダを対象に行われた実験調査では、過去に自分のために行った支出を思い起こすよりも、他者のために行った向社会的な支出を想起させたほうが、幸福感が高まることを示した(Aknin et al., 2013)。また、ベルギーのある製薬会社の営業社員88人(14チーム)を対象に行われた別の実験研究(Anik et al., 2013)では、他のチームメートのために使える少額のボーナスを与え、他者のために使わせたところ、当該チームの月間総売上高が介入前よりも向上したことが報告された。一方で、自分のために使えるボーナスを与えたグループでは、売上高の向上は確認されなかった。
これらの結果からは、自身の行動や仕事を通じて得られる「誰かのためになった」という感覚が、従業員の心理や行動を変える可能性を秘めていることをうかがい知れる。こうした背景から、ここ十数年にわたって熱い関心を集めているのが、成員の「プロソーシャル・モチベーション(prosocial motivation)」という概念である。
プロソーシャル・モチベーションとは何か
プロソーシャル・モチベーション(または、向社会的モチベーション)とは、「他者に恩恵をもたらすために努力しようとする意欲」と定義され、とりわけ仕事を通じて他者の役に立とうとする意欲として注目されている。「誰かに貢献したい」「社会の役に立ちたい」といった意欲、あるいは「他者のためにならねばならない」「職場の迷惑になるような働き方はできない」という意識に根差している点が特徴といえる。
プロソーシャル・モチベーションを抱く人とは、“真に利他的で、他者に対して自己犠牲的に振る舞う清廉潔白な人を指す” と誤認されやすい。しかし、少なくとも今回紹介するプロソーシャル・モチベーションは、利他的・自己犠牲的であることを必ずしも意味するわけではない。やや乱暴に言い換えるなら、「困っている同僚からの頼みは断れない人」も、「誰かの役に立つ仕事をすることがうれしくて仕方のない人」も、「『あの人は良い人ね』という周りの期待をプレッシャーに感じつつも、誰かの代わりに仕事を引き受けようとする人」も、「他者のために労力を費やそうとする」意欲がある以上、プロソーシャル・モチベーションを有する人であるわけだ。
組織にもたらされる恩恵:協働の潤滑油としての役割
成員のプロソーシャル・モチベーション、とりわけ「誰かの役に立ちたい」と自ら進んで思う類いの意欲がいかんなく発揮されるとき、組織にはさまざまな好影響がもたらされることが数多く報告されている。
例えば、プロソーシャル・モチベーションは従業員のワークエンゲージメントや組織への愛着、定着意思を高め得る。また、プロソーシャルな従業員は対人援助や組織市民行動、知識提供に励み、チーム内の協働を促進させるだけでなく、より創造的であろうと努力することが言われている。いずれも、組織内での円滑な協働において重要な態度や行動であり、組織の有効性に寄与するものと期待できる。
これらの可能性が示されたことにより、プロソーシャル・モチベーションを抱く人材の重要性や、プロソーシャル・モチベーションの育成可能性に対する実務的な関心が集まりつつある。
成員の善意は万能薬ではない
以上を踏まえると、プロソーシャル・モチベーションを育むことさえできれば、良いこと尽くしのように思える。しかし残念ながら、プロソーシャル・モチベーションが常に良い結果を生むとは限らない。近年では、プロソーシャル・モチベーションによる弊害についても指摘され始めている(Bolino & Grant, 2016)。
例えば、周囲の期待に応えようとするあまり、燃え尽きてしまう可能性である。ほかにも、他者への支援業務を優先した結果、自身の業務遂行に支障が出る可能性や、自身の努力が(評価対象となる類いの)成果には結びつきにくく、不公平感につながる可能性も考えられるだろう。仕事や職場に対して強く向社会的に動機づけられていると、自身の資源を仕事に費やしてしまい、家庭を犠牲にすることも起こり得る。
悲しきかな、プロソーシャル・モチベーションの影の側面は、何も成員の消耗だけではない。過剰な支援によって、かえってメンバーの成長を阻害する可能性や、所属するチームや職場、組織を守ろうとした結果、非倫理的な行為を容認してしまう可能性も指摘されている。
向社会的な成員との向き合い方:組織にできることは何か
プロソーシャル・モチベーションによって得られる恩恵は享受しつつ、当人にとっても組織にとっても持続可能な形で支えるためには、どうしたらよいのか。仮に、上記のような状況を「本人が自発的に行っているのだから」と、職場や組織側が看過してしまうと、善意の搾取や当人の疲弊が見過ごされ、長期的には心身の消耗や離職につながる可能性も考えられよう。
前述のアダム・グラントの言葉を借りるならば、「良い人の心を消耗させない」ためにも、組織や職場において何を目指し、整えるべきか。プロソーシャル・モチベーションの効能について知られ始め、成員のプロソーシャル・モチベーションを高めるためには何が必要か問われつつある今こそ、成員の消耗や組織への弊害を緩和する方策についても、同時に考えていく必要がある。
【参考文献】
・Aknin, L. B., Barrington-Leigh, C. P., Dunn, E. W., Helliwell, J. F., Burns, J., Biswas-Diener, R., Kemeza, I., Nyende, P., Ashton-James, C. E., & Norton, M. I. (2013). Prosocial spending and well-being: Cross-cultural evidence for a psychological universal. Journal of Personality and Social Psychology, 104(4), 635–652.
・Anik, L., Aknin, L. B., Norton, M. I., Dunn, E. W., & Quoidbach, J. (2013). Prosocial bonuses increase employee satisfaction and team performance. PLOS ONE, 8(9), e75509.
・Bolino, M. C., & Grant, A. M. (2016). The bright side of being prosocial at work, and the dark side, too: A review and agenda for research on other-oriented motives, behavior, and impact in organizations. The Academy of Management Annals, 10(1), 599-670.
・Grant, A. M. (2008). The significance of task significance: Job performance effects, relational mechanisms, and boundary conditions. Journal of Applied Psychology, 93(1), 108-124.