株式会社野村総合研究所
コンサルティング事業本部 経営コンサルティング部
コンサルタント 重信文音
プリンシパル 松岡佐知
これまで2回にわたって述べてきた人材戦略、人事DXは、人事部門の在り方そのものの変革であり、データドリブン、スキルベースで多様な人材を生かすための組織文化の変革でもある。人事部門の在り方の変革については、COE(Center of Excellence)・HRBP・オペレーションの分化による戦略・企画機能強化、人事機能分権化と人事データ民主化といった方向性に収斂しつつあるが、データドリブン、スキルベースの浸透・展開については課題に直面している企業も多い。変革を成功させている企業では、CHROをはじめとする経営層の強いリーダーシップの下、トップダウンで取り組みを進めている例が多いが、現実的には、トップダウンであれ、ボトムアップであれ、スキルベースでのマッチングに貢献できる人事制度・データをそろえられるか、職場マネジメント層や社員個人の意識変革が実現できるかどうかが成功の鍵を握る。以下では、人事制度・データ整備における留意点、職場と社員の意識変革にフォーカスして検討したい。
1.人・仕事マッチングに向けた環境整備
[1]人・仕事マッチングを進める二つの手法
スキルベースでの人・仕事マッチングの方法においては、大きく分けて機械学習型AIを活用しているケースと生成AIを活用するケースがあるが、前者の取り組みは難航することが多い。その背景として、機械学習型AIのベースとなるスキルライブラリは、日本企業の「自社のスキル定義、スキルデータを網羅的で普遍性・汎用性を持ったものにしたい」という期待から採用されるものの、“マーケティング” や “財務” など一般的かつ抽象的な言葉でスキルが定義されがちなため、各社固有の人材選抜・配置のロジックを反映できるほどの粒度の情報にはなり切れないという事情がある。一方で、生成AIは各社の現場にある人材・業務情報を読み取るため、自社特有の業務・スキルを、必要な範囲・分類・粒度・言葉遣いで拾い上げ、自社固有のロジックで人事を行うベースとなるデータ整備や人・仕事マッチングモデル構築に活用できる。これにより、汎用的スキルを含めた自社独自のスキル定義を作成し、自社特有のロジックでマッチング精度を高めることが可能となる。自社特有の業務・スキルにこそ他社にはない強みが隠れている場合も多く、スキルを過度に一般化するあまり、ビジネス面での強みを損なわないか慎重に検討する必要がある。
以下では、生成AIを用いた人・仕事マッチングをゴールに据え、それを実現する上での課題と対応策について検討する。
[2]生成AIを用いた人・仕事マッチングの進め方
生成AIを用いたスキル・コンピテンシー定義に基づく人・仕事マッチングは、おおむね以下のステップで進められる。
① 職務/求人情報・人材情報をインプットし、自社オリジナルのスキル・コンピテンシー定義を作成
② 職務/求人情報から、職務/求人ごとの必要スキルを生成AIにより抽出
③ 人材情報から、人材ごとのスキルレベルを生成AIにより評価
④ スキルの観点から、②職務/求人情報に対する③人材情報の適性を一定のルールによって計算し、スコアリング。「(職務/求人)×人材」の最適解を導出(人・仕事マッチング)
いずれのステップにおいても、④人・仕事マッチングというゴールの実現に貢献し得る職務/求人情報・人材情報をそろえ、スキル・コンピテンシー定義を作成することが肝要である。
まず、①②職務/求人情報について、インプットデータとしては、外部採用や社内公募制度・FA制度(以下、社内公募等)の募集要項、職務定義書といった分かりやすく業務に紐づいた情報だけではなく、等級定義や能力評価基準・昇降格基準、社内研修体系のスキルマップなど、人事プロセス上で用いるあらゆる定義の活用が考え得る。ただ、こうした各種定義は、そのままではマッチングに使いづらい内容になっていることが多い。例えば、募集要項は部署により記載粒度や記載方法にバラつきがあり読み取りづらいこと(例:部に対する要件、求人に対する要件、業務により得られるスキルや経験等が混在している など)が往々にしてある。対応策としては、募集要項の記載項目・内容を見直し、全社で標準化することなどが考えられる。
次に、①③人材情報について、各社員が保有するスキルに関するデータを一から入力させるのは負荷が重過ぎ、かつデータの質がバラつく危険性が高い。このため、職務経歴書や異動歴、上司の評価等の既存の人事データを最大限活用すべきである。しかし、多くの日本企業において蓄積されている職務経歴書は、経歴の記載内容が薄く、実際の経験・業務を十分に捉え切れないことが多い。対応策として、例えば定期的に「職務経歴書」の記入を促し情報をアップデートさせること、またシステム上にスキル記入時の入力基準・参考例を提示したり、一部項目の「選択・プルダウン」化を実施したりすることで、社員が追記する際のガイドラインを作っておくことが有効だろう。
上記データから、④人・仕事マッチングに進む。「人×仕事」の総当たりの組み合わせに対してマッチ度合いの点数などを付与し、その理由とともに出力するイメージである。生成AIを活用すれば、①~④のフローを手早く構築してトライアル・運用の過程でAIによる学習とブラッシュアップを高サイクルで回し、実用性を高めスキルの鮮度を保つことが可能になる。
「導入ハードルが高い」「社内データだけでは十分にスキル定義ができないのではないか」といった不安を抱かれがちな生成AIを用いたマッチングシステムであるが、現在既に導入している企業においても、マッチングに資するデータが初めから完全にそろっていたわけではない。データ範囲については、自社データのほか、参考となる競合の公開求人等を活用するなど必要に応じてインプットデータの追加が可能である。また、インプットデータが限定的であっても、大規模言語モデル(LLM)の活用により、ある程度幅広な出力が可能である。一度出力した後も現場の知見を活用しつつ、上記サイクルを高速で回しながら、本質的に使い勝手の良いシステムを構築していくことが大切である。
2.職場マネジメント層への人事データ活用の浸透
全社人事DX構想の実現に当たっては、職場マネジメント層の巻き込みが必須だ。しかし、人事部が豊富な人事データを職場に公開しても、「職場マネジメント層が人事データを見ない・活用が浸透しない」という状態に陥りやすい。職場マネジメント層が人事データ活用に非協力的な状況では、社員にまでデータドリブン、スキルベースの人事施策を浸透させることは難しい。その意味で、人事部には、職場マネジメント層に人事データ活用のメリットを理解してもらう工夫が求められる。
職場向けの人的資本可視化ダッシュボード導入を例に取ると、スムーズな全社展開を実現している企業のプロセスには、一定の共通点がある。それは、初期段階から人事部と職場がコミュニケーションを取りながら導入を進めているということだ。具体的なプロセスは、おおむね以下のように整理できる。
① 人事部で職場におけるダッシュボードのユースケース(利用シーン)仮説を作成
② 一部の部署でパイロット版ダッシュボードを導入
③ ②で職場からフィードバックをもらい、①の仮説検証、機能の過不足を整理
④ ③を基に初期装備する機能を決定し、全社展開
⑤ 全社展開後も継続的に職場からフィードバックをもらい、機能を更新し続ける
まずは人事部がユースケース仮説を持った上で、職場を巻き込んで検証するプロセスを挟む必要がある。ただやみくもに大量の人事データを可視化し広範囲に展開しても、人事データ活用ニーズに職場間で温度差もあり得る中、職場マネジメント層から「どう使えばよいか分からない」「使いにくい」といった受け止めをされがちだ。また、ユースケースの設定が適切でなければ、導入当初はアクセスがあっても、結果的には形骸化してしまう。実際の例としては、①②③で職場から得られたフィードバックを基に、労務管理・コンプライアンスに係る項目等の「必ず見る項目」を設定し、パネル数を絞り込むことが有効だ。
全社展開後も、閲覧率をモニタリングしつつ継続的な改善を図っていくとともに、社内セミナー等を通じて認知度を上げ、使い方を宣伝する取り組みを怠らないようにしたい。
こういった工夫を基に、職場マネジメント層が人事データを見る習慣が当たり前となり、自らがマネジメントする職場環境をリアルタイムに把握することができれば、社員への適切な個別ケア・労務管理が可能となって、人材の最適配置等のより高度な人事データ活用につなげる下地が出来上がるだろう。
3.職場マネジメント層・社員と人事の関係性を変える
スキルベース組織が最終的に目指しているのは、社員が、組織に求められて人事データを提供するだけでなく、自ら組織に対して積極的にスキル・経験等のデータを発信し、職場マネジメント層や人事部門と協働し、主体的なキャリア形成を行うこと、そして社員の成長と組織の成長が連動する姿であろう。この実現には、職場マネジメント層、社員のそれぞれにおいて、人事に対する考え方、関係性を変えてもらう必要がある。
多くの日本企業はこれまで、会社都合の人事異動(ジョブローテーション)を軸に、どのような業務・部署でもある程度の能力を発揮できる自社最適の “金太郎飴” 的なゼネラリスト人材を育て、重視してきた。また、職場のマネジメント層は、自部門の利益を優先させて優秀人材を囲い込み、全社的キーポジションへの配属や、本人のための育成的配置を阻害するケースも少なくなかった。このため社員の多くは「会社から与えられたことを淡々と実行する」ことで満足し、10年後・20年後の長期的なキャリアを考えた上で自己研鑽に励んだり、新たな領域の業務に参画したりするチャレンジに消極的であった。
こうした状況を変えるためには、職場マネジメント層に、人材確保を含めて管轄部門を “経営” する意識を醸成する仕掛けが必要だ。例えば社内公募等は、現状では一般に、社員個人の例外的・自発的な異動意向を人事に反映するための制度として位置づけられている。ただ、これら制度の活用により人材が流出した組織のマネジメント層は、その穴埋めを人事部門の当然の役割と認識しがちだ。そこで、自部門から自発的離職を含めて人材を流出させないこと、外部採用・自発的異動を含めて他部門から人材を獲得することを組織長の役割として認識するよう、制度・ルールを変更する必要がある。日本企業でも、社員の自発的異動で生じた欠員は、組織長が自ら社内公募等で補充する運用を行っているケースがあり、人的資本経営の先行的な取り組み事例といえる。こうした企業では、社内公募等の自発的異動の制度を「人材の獲得力」、人の出入りを「自らの組織マネジメントに対する評価」や「組織長自身の成長ためのフィードバックの機会」と捉えて活用している。
組織長の職場マネジメントを支援するツールの整備も必要だ。例えば、先進企業では以下の取り組みが見られる。
・メールやオンライン会議等のワークログを通じて職場の人間関係から孤立している部下がいないかを可視化
・パソコンのログ等を通じて深夜労働等の状況を可視化
・エンゲージメント調査結果を分析して職場のエンゲージメントを改善するドライバーをレコメンド
また、社員についても、自らのキャリアを主体的に考え、情報を発信し、行動することが報われる仕掛けが必要だ。例えば、スキルデータを入力することで「最適な研修やキャリア(異動すべきポジション)がレコメンドされる」「公募ポジションとのマッチングが図られる」といったツールの活用が広がっている。こうしたツールは、社員のスキルが可視化されるだけでなく、スキルデータのエントリーを促し、その先の主体的なキャリア形成をサポートすることができる。また、内部労働市場での異動機会を求人情報として整備し、共有することができれば、若手優秀人材の社外流出防止策ともなる。
これまで3回の連載を通じて、人的資本経営、経営戦略と人材戦略の連動という文脈で人事データ活用について述べてきた。人事データ活用が個別の人事施策の一つに埋没するものではなく、人的資本経営全体を前進させる大きなエンジンとなることを改めてお伝えできれば幸いである。
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重信文音 しげのぶ あやね 株式会社野村総合研究所 コンサルティング事業本部 経営コンサルティング部 コンサルタント 東京大学教育学部卒業。専門領域は、人材戦略・人的資本開示支援、人事制度設計・運用支援。 |
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松岡佐知 まつおか さち 株式会社野村総合研究所 コンサルティング事業本部 経営コンサルティング部 プリンシパル 京都大学法学部卒業、London School of Economics and Political Science修士課程修了(MSC in International Employment Relations and Human Resource Management)。雇用システムの理論を中心に学ぶ。専門領域は、人材戦略策定や開示等人的資本経営、雇用・労働政策に関する調査・提言。一般社団法人ピープルアナリティクス & HRテクノロジー協会 上席研究員、人的資本経営の導入と実践ワーキンググループグループリーダー。 |