2024年11月06日掲載

人的資本経営で求められる人事データ活用の進め方――スキルベース組織、日本型雇用システム3.0の可能性 - 第1回 人的資本経営実践における人事データ活用の必要性と可能性

株式会社野村総合研究所
コンサルティング事業本部 経営コンサルティング部
プリンシパル 松岡佐知

1.人的資本経営が日本企業に与えたインパクト
(人事データ活用の必要性)

 最初に、「人的資本経営」をめぐる文脈を簡単に確認しておきたい。
 政府は、いわゆる「失われた30年」からの脱出、「日本型経営」の変革を進めるため、特に2020年以降、以下のような方針を相次いで打ち出してきた。

2021年6月:コーポレートガバナンス・コード改訂(東京証券取引所)

2022年8月:「人的資本可視化指針」公表(内閣官房)

2022年12月:「ディスクロージャーワーキング・グループ報告」公表(金融庁・金融審議会)

2023年5月:骨太の方針2023にてリ・スキリング、職務給導入、成長分野への労働移動を柱とする「三位一体の労働市場改革」を決定(新しい資本主義実現会議)

 各方針は、日本企業の経営者(特に人事部門)に対して、全体として日本型経営、特に「日本型雇用システム」の改革を求めている。
 政府の各方針は、こうした改革を推進するため、「人的資本経営の “実践” と “開示” 」の両輪による取り組みを求めている。人事部門は、「会社の成長と生産性向上のためにどのように貢献するか」を人材戦略として明確化して取り組みを実践し、かつ開示・説明する必要がある。
 「人的資本経営」の取り組みは、当初、企業が政府の方針に背中を押されるようにして始まったものの、今や賃上げ、教育投資を含めて本格的に加速する一方だ。背景には、少子高齢化の進行による人手不足問題の顕在化がある。各社が打ち出す人材戦略は、外部採用・内部育成・「全員戦力化」[注]による、社内外からの人材獲得力構築競争の様相を呈している。これと相まって、人事データ活用が急速に進んでいる。
 以上を踏まえて、次の四つの観点から、人的資本経営がどのように人事データ活用を推し進めたかを述べる。

[1]人的資本情報の可視化・定量化の流れ

 人的資本関連の情報は、各社に委ねられている間は定性的な内容が開示されることが多かったが、2023年1月31日施行の改正内閣府令で有価証券報告書での定量的目標と実績を含む開示が義務化されたことにより潮目が変わった。対外開示に向けた年次のデータ集計に加え、目標達成に向けた進捗(しんちょく)状況管理(月次等のデータ集計)、データ分析に基づく人事施策策定等が浸透した。これに対応して、分散していた人事データのデータレイク等への一元化、人事部内でのデータ集計・分析作業の効率化等が進み、人事DX推進の力強い契機となった。

[2]人手不足や人材多様化・流動化に対応した個別化・全員戦力化への流れ

 人手不足の中で、キャリア採用の活発化、若手社員の離職抑制に加えて、現在いる社員が一人もこぼれることなくスキル・能力を最大限に高め、それを発揮する全員戦力化の必要性が改めて認識されるようになった。
 企業と人材のパワーバランスは変化しており、社員は、自分のスキル・能力を最大化し、中長期的な環境変化の中でもキャリアを着実に積み上げようと、より働きがいのある・働きやすい職場、より制度・環境の整った雇用主を比較し選択しようと自ら考え行動するようになっている(ショッピング的/顧客化)。
 全員戦力化の実現には、社員の伸ばしたい能力や確立したい専門性、キャリアゴール達成の時間軸等のキャリア意向、勤務時間・勤務地等の働き方の意向までを踏まえた上で、職場の上司や人事が業務機会や教育研修を提供するなど、“顧客化” した社員に対して個別にカスタマイズした対応が必要だ(人事の個別化)。しかし、これまでのように人事部が「年次」「新卒・キャリア採用」「男性・女性」「職種」といった一定規模以上の企業に共通する切り口で提供するマス対応のみでは、職場の上長への支援が足りなくなる。ここから、職場課題の抽出や、個人別のレコメンドに資するピープルアナリティクスを本格的に活用していこうとする流れが生まれた。

[3]ジョブ型人事制度の運用・定着への流れ

 ジョブ型人事制度においては、基本的に職務基準で人材を配置し処遇する。いわゆるジョブ型人事制度のパーツである職務定義・評価は、ジョブサイズに応じた処遇を決定するための仕組みである。
 一方で、人事部門が、最も直接的に経営戦略と人材戦略を連動させる手段として、人材ポートフォリオ定義・管理がある。その手順としては、まず、①トップダウンで事業戦略の遂行に必要な、将来ありたい要員計画を策定する。そして、②中期的なありたい姿と現状の人員構成のギャップ分析を行い、③このギャップを埋めるための人事施策を策定する[図表1]。この面では、人材戦略とは、人材ポートフォリオの理想と現状を埋めるためのアクションであるといえる。

[図表1]スキルベースの動的人材ポートフォリオ定義・管理

図表1

 人材ポートフォリオ定義・管理のプロセスの中で、職務定義・評価は、経営戦略を必要な機能・組織体制へ、必要ポストの種類・数へと落とし込み、ありたい要員計画へと翻訳する装置として機能するよう求められる。職務定義・評価は、これまで負荷の重い作業であったが、最近では “翻訳装置” としてさらに精緻な内容のアウトプットが求められ、手作業で作成・メンテナンスすることの限界が見えている。
 また、職務基準で、職務に最適な人材を選抜し配置するためには、あらかじめ「何ができる人材か」「これから何をしたいと考えているか」などの人材情報が可視化されている必要がある。しかし、多くの企業で、異動履歴・人事考課・自己申告等のこれまで人事システムに蓄積してきたデータのままでは、仕事と人材のマッチングを行う上で有効でないことが明らかとなった。
 ジョブ型人事制度を真に職務基準で機能させるためには、職務定義・評価の精緻化と、人材情報の可視化の両方が必要である。その前提として、本人・上長の情報エントリーを含めた人事データの積み増しと、マッチングテクノロジーが不可欠であるとの認識が広がっている。

[4]人事部の役割・機能増加

 [1][3]の観点で見てきたとおり、人事部門に求められる役割・機能は増大している。具体的には、①経営戦略を実行するため社内で新しく生まれ続ける役割・機能や業務を、社員の職務やキャリア・パターンに翻訳して従業員に提示すること、②これらの職務やキャリア・パターンと “顧客化” する社員個人の多様化するニーズをマッチングさせること、そして③同時に組織としての人材全体最適配置を図ること――が求められており、これまでより格段に複雑化し負荷も大きいものとなる。こうした負荷に対処するためには、従来の人事オペレーション業務の効率化にとどまらない人事部門の役割・機能自体の変革が必要となり、これを支えるための人事DX、人事データ活用が急速に進んでいる。

2.生成AI活用により広がる人事データ活用の可能性

 ここまで述べてきたように、人的資本経営の推進力に後押しされる形で人事データ活用が急速に進んでいる。活用の場面も、既存の人事関連業務の効率化から始まり、最近では人事領域における生成AI活用が本格化することで、さまざまな可能性が広がっている。ここからは、1.で述べた四つの観点に(ひも)づける形で、活用事例を紹介する。

[1]可視化・定量化した人的資本情報の活用

 経営層を巻き込んで、経営幹部候補人材、キーポジション人材の育成・確保状況を可視化し、マッピングする取り組みが一般化している。一方で、企業により巧拙が分かれているのが現状で、人的資本開示指標を並べてダッシュボードを構築した一般的なケース等では、作ったものの活用されない例が多い。
 先行的企業では、自社の経営課題を深く掘り下げ、課題に対応して人的生産性、人的投資、ROI(費用対効果)など、経営層がウォッチすべき指標を設定し、組織業績評価や人的リソース配分などの経営意思決定に組み込むなどしている。また、中長期事業戦略から将来必要な要員を予測するといった取り組みを行う企業もある。

[2]人材の全員戦力化・人事の個別化にも柔軟に対応

 人材の全員戦力化と人事の個別化の領域では、人事データを活用した個々人のスキル・ニーズの可視化や人材の主体的なキャリア形成を支える個別レコメンド等の取り組みが広がっている。ここでは、機械学習型AIを活用するか、生成AIを活用するかで取り組みの成否が分かれている。機械学習型AIとは、データの整理・分類を学習し、それに基づいて予測・判断を行い、結果を出力するものをいう。一方、生成AIは、データのパターンや関係を学習し、さまざまなコンテンツを生成する学習能力を有するものである。
 機械学習型AIを活用する例が数としては多いが、あらかじめ人事DX関連サービス提供業者が作成したスキルライブラリを使って保有スキル抽出や必要な研修のレコメンド等を行うため、インプットもアウトプットも、スキルライブラリの制約を受け、取り組みが難航することが多い。一方、生成AIを活用した例では、人事制度・教育研修制度等で持っている既存のスキル体系も反映させつつ、自社にフィットする独自のスキル定義を作成することができ、研修・キャリアのレコメンド(異動先やポジションの提案)においても柔軟な対応が可能だ。

[3]職務基準の人材配置をサポート

 これまでの日本企業では、ジョブ型人事制度を導入しても、人材配置までジョブ型に変えることが難しかった。評価や報酬のロジックを変えてみるものの、日本的な定期異動や年功序列の “玉突き人事” は継続して実施するケースが多い。ジョブ型の人材配置は、本来、職務基準で、当該職務に最適な人材を外部採用・内部登用を問わず同じプロセスで選抜・配置することを理想とする。こうした本来的なジョブ型の人材配置が、社内公募、オープンポジションといった制度を手始めに、実現・拡大しつつある。こうした場面で、職務定義や求人情報と、応募者情報をスキルベースでマッチングさせるテクノロジーが使われている。
 また、これまで、人事部門のブラックボックスの中で行われていた人材配置のノウハウが、生成AIの力を借りることでスキルベースに進化し、人事部員目線だけでは見過ごされがちだった人材が発掘されたり、これまで想定していなかった職種・部署をまたぐ人事異動が実現したりしている。テクノロジーを活用することで、情報量が膨大過ぎて、あるいは人事部門で “勘ピュータ” と自虐的に表現されるような関係者の先入観・バイアス等に阻まれて人の手では反映し切れなかった各人のキャリア意向をも異動に反映することが可能となり、異動後の人材のエンゲージメント、パフォーマンスに好影響を与えている。
 マッチングテクノロジーからのフィードバックにより、既存の職務定義書や社内外への求人広告の書き方を修正したり、コンピテンシー等の人材選抜・評価基準を見直したりするなど、人事制度設計・運用のためのポジティブなインプットを得ることができる。人事データ活用の軸となっているのは、仕事と人材を結び付けるマッチングテクノロジーであると言える。

[4]人事業務の効率化、ピープルマネジメントのサポート

 1.[1][3]で述べたような拡大した人事部の役割・機能を担うため、定型的で標準化可能な人事業務のDXによる効率化が進み、人事部員が戦略・企画機能を担う時間を捻出する動きが一般化している。情報システム部門と人事部門の協働はもちろんのこと、人事部員自身がBI(ビジネス・インテリジェンス)ツール等のデータ活用のスキルを持ち、「自らの業務を自ら効率化する」といったケースも増えている。
 “顧客化” する社員の多様なニーズを、人事部が職場のミドルマネジメントと分担して行う、いわゆるピープルマネジメントを人事DXでサポートする動きも進んでいる。例えば、当社が提供する人事DXメニューでは、人事データを人事部外にも開示し、社員個人のスキル・キャリア意向を掲載したキャリアサマリを活用することで、1on1等の上司と部下のコミュニケーションを支援したり、エンゲージメントスコアや労働時間等を日常的に可視化し職場マネジメント層を支援したりする「職場ダッシュボード」を提供している[図表2]

[図表2]野村総合研究所(NRI)が提供する人的資本経営プラットフォームによる人事DXメニュー

図表2

 第1回では、人的資本経営が日本企業の人事機能に与えたインパクトや、急激に高まった人事データ活用の必要性について述べた。第2回では、人事データ活用を人材戦略の柱とする人事DX全体構想の描き方について提案する。

[注]守島基博『全員戦力化 戦略人材不足と組織力開発』(日本経済新聞出版、2021年)

プロフィール写真 松岡佐知 まつおか さち
株式会社野村総合研究所 コンサルティング事業本部
経営コンサルティング部 プリンシパル

京都大学法学部卒業、London School of Economics and Political Science修士課程修了(MSC in International Employment Relations and Human Resource Management)。雇用システムの理論を中心に学ぶ。専門領域は、人材戦略策定や開示等人的資本経営、雇用・労働政策に関する調査・提言。一般社団法人ピープルアナリティクス & HRテクノロジー協会 上席研究員、人的資本経営の導入と実践ワーキンググループグループリーダー。