2024年08月29日掲載

CHROインタビュー ~次代の人事パーソンに向けた応援メッセージ - 第1回 “コミュニケーション” を “成長” へ 仕事を通じた経験・出会いを糧に(前編)

<編集部より>
今回から8回にわたり、CHROインタビューを掲載します。
本企画は、今秋発行する『改訂版 人事担当者が知っておきたい、⑩の基礎知識。⑧つの心構え。(基礎編)』(通称:人事の赤本)に掲載する一部を紹介するものです。各社のCHROの方から、人事としてのこれまでの経験やエピソードを踏まえて、人事パーソンに向けた等身大のメッセージを伝えてもらいます。

YANMAR ヤンマーホールディングス株式会社
取締役 エンプロイーサクセス本部長(CHRO)
浜口憲路 はまぐち のりみち

1995年3月京都大学経済学部卒業。同年4月ヤンマーディーゼル株式会社(現ヤンマーホールディングス株式会社)入社、6月経理部東京経理グループ配属。1997年7月汎用機事業本部企画管理部、1999年6月本社経営企画部、2000年4月ヤンマーエネルギーシステム製造株式会社管理部、2001年3月本社経営企画部、2002年12月本社管理部経理グループ兼経営統括本部中国室、2004年7月Yanmar Manufacturing America Corporation Treasurer、2007年1月Yanmar America Corporation Treasurer、2009年8月本社経営企画部管理部グローバル化推進グループ課長、2014年4月Yanmar International Singapore Pte. Ltd. 社長、2018年4月本社経営企画部副部長を歴任。2019年9月人事部長、2020年6月取締役人事部長(CHRO)、2023年10月取締役人事担当(CHRO)を経て、2024年6月より現職。

ヤンマーの価値観 “HANASAKA” の共有と浸透を担う

 浜口憲路氏がヤンマーに入社を決めた理由は “人” だった。
 「最終候補が3社ほどありましたが、ヤンマーは採用選考の担当者が醸し出す雰囲気や人柄が自分に合っていると感じました。“人” に()かれて入社したという感じです。現在もキャリア採用で当社に入社した社員から『ヤンマーは本当に思いやりがあって、人柄の良い社員が多い』と言ってもらえます。そんなヤンマーの人事業務に携われているのは、本当に幸せなことだと思います」
 2019年に人事部長に就任以降、浜口氏は矢継ぎ早に人事制度改定、働き方改革などドラスティックに制度を改革してきた。その一方で、同社の「仕事を任せてもらえる、助け合いの精神」「よい意味での穏やかな雰囲気」といった社風は守り続けたいという。それらは、同社の価値観を表す “HANASAKA(ハナサカ)” の精神に集約される。
 “HANASAKA” とは、同社が創業以来112年受け継ぐ企業活動の礎になっている価値観をいう。同社には創業者の山岡孫吉氏から継承してきた「美しき世界は感謝の心から」という言葉がある。自己の利益だけでなく、他者への感謝を忘れず、人とその可能性を大切に育んでいき、未来へ向けて、大きな可能性の花を咲かせていこうという社会への想いが込められている。
 「2024年6月には、私は取締役人事担当からエンプロイーサクセス本部長へと変わりました。社員一人ひとりが自律的に考え・学び・行動し、かつ会社の支援を得て、“誇りをもって働く” 。そして、“成果が正当に評価され、成長してキャリアアップを図る” といった『エンプロイーサクセス』の考え方を推進することが私のミッションです。この変更を機に、チャレンジする人、またチャレンジをサポートする人を称賛する文化、“HANASAKA” 文化のさらなる醸成を図りたいと考えています」
 実は、浜口氏は2019年9月に人事部長に就任するまで人事の経験はなく、国内外問わず13もの部署を渡り歩いてきた。人事部長就任の直前は本社経営企画部副部長として、同社グループ戦略策定を担当していた。さらには2014~2018年には、同社のシンガポール現地法人(Yanmar International Singapore)の立ち上げを主導している。浜口氏が人事全体に係る実務に初めて直接的に携わったのは、シンガポールでの経験だったという。
 「グループとしての挑戦で、これまでのような販売会社ではなく、人事、ファイナンス、IT、マーケティングなどの本社機能を持った現地法人の立ち上げに携わりました。現地の責任者となり、そこで初めて本格的に人事を学びました。つまり私の場合、日本の人事制度ではなく、海外の人事制度から学び始めたことになります」
 海外の人事視点を持つ浜口氏は、同社がグローバルな事業展開をさらに加速させる観点からも重要な役割を担っている。全社員約2万2000人のうち、海外の社員はその3分の1に当たる約7000人に及ぶ。いまや売上比率は海外が国内を超えており、海外の社員が担う組織貢献は日々大きくなっている。グローバルに活躍できる人材の確保と育成は、同社人事部としても重要な課題の一つだ。
 「グローバルのHRミーティングを定期的に開催しています。ヨーロッパ、アメリカ、東南アジア、中国にあるRHQ(地域統括会社)のHRマネージャーを集めて、グループ人事戦略を共有し、各拠点で展開すべき人事施策や課題を共有し、解決策に向けたディスカッション等を通じて意思疎通を図っています。私自身も各拠点のキーとなるマネージャーと1on1ミーティングをオンラインで実施しており、プロジェクトの進捗(しんちょく)や各地域での課題などを常に把握するようにしています」

YANMAR

“数字” を扱う厳しさと主体的な知識の習得

 浜口氏が、入社して最初に配属されたのは経理部で、そこで海外(貿易)の経理業務を担当した。大学では管理会計を専攻し、企業のさまざまな財務数値を分析して課題を見つけ、その対応策等を研究していたことが配属の理由だったのだろうと浜口氏は振り返る。経理部で2年勤務した後、滋賀県にある汎用機事業本部企画管理部に異動となる。そこでは主に予算管理・原価管理を担当した。
 東京での経理業務と異なり、滋賀での工場勤務という就業環境に戸惑いながらも、「製造業に就職した限り、工場勤務は絶対に必要な経験」との思いから、実際にどのように製品が製造され、それが自分の仕事とどうつながっているのかを学ぶために現場に頻繁に足を運ぶよう心掛けた。
 「転勤してから1カ月間は製造ラインに配置され、エンジン生産に関わるモノづくりを経験しました。また、予算管理や原価管理のみならずISO9000やISO14000の内部監査員の資格を取るなど、工場勤務に必要なスキルアップに取り組みました。工場ではいかに製造コストを下げるか、在庫管理の徹底など、数字に基づく管理の厳しさを学べた貴重な2年間となりました」
 滋賀で約2年勤務した後、浜口氏は大阪の本社経営企画部に異動した。浜口氏は、これまでの部署異動を振り返り、自身のキャリアについて考えを巡らせるようになった。
 「ジョブローテーションは、おおむね3、4年のスパンで、最初の2年間は業務を学びながら慣れていき、3年目以降に所属部門に貢献するという流れだと聞いていました。ところが自分自身を振り返ると、いずれも2年で異動していることに気が付きました。そうなると、業務を覚える期間を2年から1年に短縮しないと間に合いません。『業務をこなせるまでの速度を上げて、早く戦力にならないといけない』と思うようになりました」
 そこで、浜口氏は業務に関係する知識やスキルを少しでも早く習得しようと、数多くの書籍を読みあさったという。
 「書店に行けば多種多様な書籍があります。それらを読んで知識を習得し、業務に関連する情報を蓄積することで “厚み” を持たせるのが大切だと思いました」
 また、ここまでのキャリアは、一見すると勤務地や所属する部署、業務内容がいずれも異なっているように思えるが、それぞれの仕事には共通点があった。それは各業務の点と点が線でつながり、相互作用的に活かせる部分があるということだ。
 「例えば、滋賀の工場では製造に係るコスト計算や標準原価計算などがメインでしたが、本社経営企画部では全社の予算管理を担当しました。東京の経理部で担当した業務も含め、入社してからの数年間で、異なる立場から “数字” を読み解く力が身に付いたと思います」

短期間の新工場立ち上げで、精神力が鍛えられる

 浜口氏は、社内プロジェクトへ参画するため、大阪の本社経営企画部をわずか9カ月で去ることとなった。
 「当時の上司から、『岡山県に新しくエネルギーシステムの生産工場を立ち上げて、2000年6月には操業を開始するから、管理部門のリーダーをやってもらえないか』と声が掛かりました。新しく立ち上げる工場の管理部門ということで、経理・人事・総務の仕組みをゼロから構築する必要がありました」
 そこで、浜口氏はスピードを上げて取り組むために、2000年3月から岡山に駐在し、現場に張り付いて工場の新設からインフラ整備までわずか1年で一気に進めた。さまざまな業務に関わった経験について浜口氏は、「何もないところに工場を建て、生産ラインを整備して、生産に従事してもらう人を採用し、工場内に食堂をつくって、警備員を雇用するなど、業務量の多さばかりでなく、対応する課題の幅の広さもあり、さらには関係者との調整などで日々忙しく、桁外れの対応力が求められました。関係部門の方々のサポートのおかげもあって実施項目をクリアできましたが、これまでのキャリアの中で最もハードでした。そのため、どんな苦労でも乗り越えられる精神力が鍛えられました」と述懐する。
 浜口氏にとっては、限られた資金でどのようにスムーズに立ち上げを進めていくかを思案する日々でもあったという。
 「通帳には資本金が○○円と印字されます。そこから人件費や諸経費を払うと預金額が減っていきます。大企業に入社して通帳を握りしめて仕事をするとは想像していませんでした(笑)。工場が本格稼働するまでは収益も出ませんから、資金繰りは大変でした。当時、ちょうどグループ会社の統廃合で廃止する拠点があり、そこには応接セットやロッカー、食堂のテーブル・椅子などがあって廃棄するという話を聞いたので、急いでトラックを手配して駆けつけ、捨てる予定だった物品を積み込んで岡山に持ってきました。その後、社員を採用した際に、『今は汚いテーブルや椅子だけど、(もう)かったら新しいものに変えたいですよね! 皆さんで力を合わせて、1日でも早く生産を軌道に乗せられるように頑張りましょう!』とみんなを鼓舞しました」
 グループ内のリサイクル・リユース情報サイトも活用し、ごみ箱やボールペンなど入手できそうなものは率先して入手し、初期費用を徹底的に圧縮した。 日々忙しく関係者と仕事をこなしていく中で、浜口氏は上司から教えてもらったことが、今でも記憶に残っている。
 「当時の上司から、『自分の思いをしっかりと形にしてくれる右腕となる部下を育てること』、そして『自らの意見に対して、正直に反対意見を進言してくれる人も組織に入れなければいけないこと』を教わりました。自分にとって都合のよいイエスマンばかりを取り込んではいけない、ということですね。今でこそダイバーシティが重視されますが、やはりいろいろな考えを持った多様なメンバーでチームを編成することが大切だということを学びました」
 各方面からの協力を取り付け、必要経費を極限まで削るなどの努力が結実し、工場は1年目から黒字を達成した。新工場での立ち上げの際に社員と約束した応接セット、ロッカー、食堂のテーブル・椅子などのリニューアルも実現した。浜口氏は「社員の皆さんにとても喜んでもらえて、私自身も大変うれしかったのを覚えています」と当時を振り返る。操業開始から1年ほどして生産が軌道に乗り始めた頃、浜口氏は次の異動が決まり、苦楽を共にした仲間たちとも別れることになった。「去るときはとても寂しくて、最後は涙を流しましたね」と浜口氏が語るように、岡山での経験は職業人生において大きな財産となっている。
 「さまざまな部署を経験することで、いろいろな人とのコミュニケーションの機会が自然と増えます。このことは人事部長としての業務に大いに役立っています。各部門のキーパーソンは、ほとんど面識がありますから、相手の懐に入っていきやすくなりますし、輪を広げやすくなります。良くも悪くもお互いのキャラクターをよく知っているので話がしやすいですし、相互理解も早いので仕事もスムーズに進みます」

※後編は2024年9月5日に公開予定です。