徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー
遠田 健 えんた たけし
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 プリンシパル
1.はじめに
第2回で紹介した金銭報酬と同様、非金銭報酬にも「やる気の促進」の役割を果たすInspiredの報酬(リワード)と「安心感の醸成」の役割を果たすComfortableの報酬(リワード)がある(第1回[図表5]参照)。非金銭報酬ミックスを構築するに当たり、与える影響の範囲が、個人を対象とするものか組織全体を対象とするものかを把握して相乗効果を図ることが重要である。
そして、金銭報酬と非金銭報酬のそれぞれの報酬(リワード)が相互に補完し合うよう組み合わせると、報酬全体がさらに有効に機能し、従業員エンゲージメントや企業価値の向上をもたらすものと考える。
※本稿における意見に関わる部分および有り得るべき誤りは、筆者個人に帰属するものであり、所属する組織のものではないことを申し添える。
2.非金銭報酬の重要性
人的資本経営を実践していく上で、組織の基盤として「心理的安全性」は重要かつ不可欠な要素であることは、多くの人が実感していることだろう。
「心理的安全性」とは、ハーバード・ビジネススクールのエイミー・C・エドモンドソン教授が1999年に提唱した概念で、組織の中で自分の意見や考えを安心して発信・表現できる状態を指すとされている。心理的安全性が高い職場では、従業員が失敗を恐れず率直に意見交換することやリスクを取ることができ、その結果、多様な人材がそれぞれのスキルや本来持つ能力を発揮しやすくなり、生産性の向上やイノベーション創出の可能性が高まるといわれている。
この点については、Googleの「プロジェクト・アリストテレス」による研究結果によれば、心理的安全性の高いチームほど生産性が高く、離職率が低いことが示されており、ご存じの読者も多いだろう。 では、なぜ心理的安全性が、このように組織にとってポジティブな効果をもたらすのだろうか。これについてはさまざまな見解があるが、一つの考え方として、心理学の父ともいわれるジークムント・フロイトの防衛機制の概念によれば「人は安全だと感じられなければ防衛的になる」という考え方が示唆に富んでいる。
人の行動は意識と無意識の双方に影響されるとされているが、無意識の基盤が脅かされると、人は防衛モードに入り、怒りや不安、諦めといったネガティブな感情を抱きやすくなる。そのような状態で高いパフォーマンスを発揮することは困難である。一方で、無意識の基盤が満たされている場合には、成長したい、貢献したい、自律的に働きたいといったポジティブな意識が喚起されるといわれている。
この無意識の基盤を充足させるためには、何らかの外的な要因が必要だろう。それは例えば、メンバーの言動に対する理解や承認、多様性の尊重、包摂性の受容などが挙げられる。これらはいずれもお金では価値を測ることができない、いわゆる「非金銭報酬」に該当するものである。
企業が従業員エンゲージメントを高めていくには、金銭報酬だけでは限界がある。企業価値の持続的な向上を実現するには、金銭報酬と非金銭報酬が相互に補完し合う仕組みを構築することが重要であり、そのためには、心理的安全性の確保など非金銭報酬に期待する役割を明確にした上で、戦略的に導入していく必要がある。
3.非金銭報酬とは
企業が価値創造を進めていくに当たり、重要な位置づけとなる非金銭報酬が果たす役割について考察していきたい。
第1回で「トータルリワード戦略のフレームワーク」として[図表1]を示したが、このうち非金銭報酬の7項目を取り出して概要を整理したのが[図表2]である。
[図表1]トータルリワード戦略のフレームワーク
資料出所:本連載「第1回 トータルリワードの全体像」の[図表2]
[図表2]非金銭報酬の概要
資料出所:筆者作成
当社が実施した人事課題のアンケートによれば、従業員が自社の人事制度の中で課題に感じているのは「やる気を促すための非金銭報酬(Inspired)」が35%と最多であり、以下「安心感を醸成する非金銭報酬(Comfortable)」と「やる気を促す金銭報酬(Motivated)」がともに26%、「安心感を醸成する金銭報酬(Secure)」13%の順になっている[図表3]。この結果から、非金銭報酬に対する従業員の期待は非常に大きいことが分かる。
[図表3]4象限で整理した人事課題のアンケート集計結果

資料出所:本連載「第1回 トータルリワードの全体像」の[図表6]
非金銭報酬の支給の目的はそれぞれ異なり、与える影響の範囲も対象が個人か組織全体かで、二つの観点があると考えている。
[図表4]の個人の観点の上段の評価と成長機会は、本人の「やる気の促進」につながる報酬(リワード)で、下段の承認やDE&Iは本人の「安心感の醸成」につながる報酬(リワード)であるため、この四つを「Individual View」と表現した。
また、組織の観点の上段の目標達成に向けたチームビルディングと戦略的人事配置は、組織の活性化につながる報酬(リワード)で、下段のチームワークを良くするためのチームビルディングや職場環境の改善は、組織全体での「安心感の醸成」につながる報酬(リワード)であるため、この四つを「Organizational View」と表現した。
[図表4]非金銭報酬の影響範囲

資料出所:筆者作成
4.やる気を促す非金銭報酬-Inspiredの報酬(リワード)
[図表5]は、「やる気の促進」につながるInspiredの報酬(リワード)に焦点を当て、個人と組織の観点から整理したものである。
[図表5]Inspiredの報酬(リワード)による個人と組織のパフォーマンス向上

資料出所:筆者作成
「Individual View」の「評価」「成長機会」という二つの報酬(リワード)は、本人がパフォーマンスを発揮して、評価され、さらに成長していく機会を提供するものである。適切な評価は、従業員が自身の強みや改善すべき点を理解するのに役立ち、自己成長の意欲を高める。成長機会とは、個人がスキルや能力を向上させるための機会を提供することである。具体的には、研修プログラムやキャリア開発のサポート、継続的な学習機会などが含まれる。これらの機会を通じて、従業員は自分の専門知識や技能を高めることができ、それが仕事の質や効率の向上につながる。これらの報酬(リワード)は、本人の気持ちを奮い立たせ、能力発揮につながっていく効果がある。
「Organizational View」の「チームビルディング(目標達成等)」「戦略的人事配置」という二つの報酬(リワード)は、組織の目線で、個々の特性やスキルを考慮し、最適な役割に人材を配置することで、各従業員が自分の強みを最大限に発揮できる環境を整え、目標達成に向けたチームを組成するものである。チームビルディングとは、定期的なチームミーティングやチームイベント、フィードバックセッションなどを行い、効果的な組織を構築することである。これにより、チームの目標達成に向けた一体感が生まれ、組織全体のパフォーマンスが向上し、生産性向上につながっていく効果がある。
このようにInspiredの報酬(リワード)により、個人の能力発揮と組織の生産性向上が相まって会社全体のやる気を奮い立たせてパフォーマンスを向上させるものと考えている。
5.安心感を醸成する非金銭報酬-Comfortableの報酬(リワード)
[図表6]は、「安心感の醸成」につながるComfortableの報酬(リワード)に焦点を当て、個人と組織の観点から整理したものである。
[図表6]Comfortableの報酬(リワード)による安全・安心な環境整備

資料出所:筆者作成
「Individual View」の「承認」「DE&I」という二つの報酬(リワード)は、従業員の一人ひとりが、自身の考えや言動、価値観を含めて、その正当性や妥当性を周囲から認められ、さらには多様なバックグラウンドを持つ従業員が平等に扱われることにより、自己肯定感の向上につながっていく効果がある。
「Organizational View」の「チームビルディング(チームワーク等)」「職場環境」という二つの報酬(リワード)は、組織内において互いを尊重し合い、メンバー同士の協力とコミュニケーションを促進するなど、チームワークを発揮して業務に取り組み、さらに職場環境においてもオフィスの照明や温度設定、デスク、会議室といった快適に仕事に取り組めるような工夫を施すものである。良好なチームワークや職場環境は、メンバー間の信頼関係を強化し、共同作業の効率を高めることにつながり、組織全体の心理的安全性が確保される効果がある。
このようにComfortableの報酬(リワード)により、個人から組織全体に至るまで、安全・安心の下に業務遂行ができるような環境整備がなされ、エンゲージメントひいてはパフォーマンスにも好影響を与えるものと考えている。
6.非金銭報酬への期待
ここからは、日本における非金銭報酬への期待について考察していきたい。
Gallup社では、毎年「State of the Global Workplace」として、世界各国の職場環境や従業員エンゲージメント、幸福度、生産性などに関する調査結果を公表している。[図表7]は、2025年のレポートを基に、日本と諸外国との職場の指標を比較したものだが、日本における「従業員エンゲージメント率」や「日々の幸福度」は、諸外国と比べて低い水準にとどまっている。
[図表7]諸外国との職場の指標比較

資料出所:Gallup「State of the Global Workplace Report 2025」より筆者作成
従業員エンゲージメントの低い職場では、従業員が仕事にやりがいを見いだしにくく、その結果として個人のパフォーマンスが低下し、ひいては組織全体の生産性の低下につながる可能性が高いと考えられる。
また、日本では日常的なストレスや怒り、悲しみといったネガティブな感情の水準が諸外国と比べて相対的に高く、このような環境下では従業員が十分に能力を発揮することは困難だろう。
こうした状況を踏まえると、上司や周囲が従業員の努力や成果を適切に評価し、日々の取り組みを承認することにより、仕事に対するやりがいや達成感を高め、自発的に成長しようとする意欲を喚起することが重要であると考えられる。加えて、多様性・公平性・包括性(DE&I)を推進し、すべての従業員が尊重され、受け入れられていると実感できる職場環境を整備することも不可欠である。
さらに、戦略的な人事配置は、組織目標の達成に必要なスキルや知識を有する人材を適切に配置することを通じて、長期的な組織の成長を支える役割を果たす。チームビルディング活動によりチームワークを高めることで、従業員間の信頼関係が強化され、コミュニケーションの円滑化が期待される。これは、組織が掲げる目標の達成可能性を高める上でも重要な要素である。
これらの取り組みを支える職場環境の改善もまた重要であり、非金銭報酬の充実を通じて日常的なストレスを軽減し、従業員のやる気の促進と安心感の醸成を実現することが可能になる。
そして、非金銭報酬を現場で従業員に “届ける” 役割を担うのが管理職である。評価や承認、成長機会の提供、職場の雰囲気づくりなど非金銭報酬の多くは、現場の管理職の言動や関わり方を通じて従業員に実感される。つまり、非金銭報酬の効果は、管理職のリーダーシップやコミュニケーション力に大きく左右されるのである。
7.おわりに
トータルリワード戦略には、主に二つの目的がある。
一つは、“業績や企業価値の向上を実現すること” である。[図表8]のように、金銭報酬と非金銭報酬の各報酬(リワード)をパズルのピースのように組み合わせ、この二つの好循環により企業価値の向上を目指すというものだ。
金銭報酬は現在や将来の生活費を賄うもので、多くの従業員が期待するものだが、同時に会社にとって負担が大きいものでもある。金銭報酬は処遇すべき人材像を明確にした上で、メリハリを付けて支給することが必要と考える。
一方、非金銭報酬もコスト負担を伴うが、工夫次第では、さほどコストをかけずに提供が可能で、特定の人だけをターゲットとせずに全員一律に分配することも可能な報酬である。
したがって、金銭報酬に加え非金銭報酬もうまく組み合わせ、やる気を引き出し、安心感を醸成することにより、従業員エンゲージメントが向上し「理想的な職場」へと変化していくことが期待される。そして、会社と従業員の間でWin-Winの関係が築かれ、「価値創造」につながっていくものと考えている。
[図表8]金銭報酬ミックスと非金銭報酬ミックスのパズル
資料出所:筆者作成
トータルリワード戦略のもう一つの目的は、“従業員の「人生を豊かにする」という社会的役割を果たすこと” である。
人生100年時代、就学20年、現役50年、老後30年とした場合、老後30年も、現役中に社会保険料や企業年金の積み立てを行い、年金などの支給がなされる仕組みとなっている。したがって、現役と老後の80年間という極めて長い期間の生活費を企業が賄っている構図になる。また、この現役50年間は、金銭報酬だけでなく非金銭報酬も、従業員のパフォーマンス向上の一助となっている[図表9]。
[図表9]報酬(リワード)と豊かな生活水準
資料出所:筆者作成
そして、いつの日か、自分の人生100年史を振り返ったときに、それを支えた報酬(リワード)のありがたみを感じるときが来るかもしれない。ただし、そのありがたみは、できれば現役中の従業員に感じてほしい。そして、一人ひとりが活き活きと、毎日楽しみながら職場に出向いてほしい。そのためには、人事戦略とトータルリワード戦略を結び付けて、従業員にしっかり理解・納得してもらうことが重要と考えている。
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徳永祥三 とくなが しょうぞう 三菱UFJ信託銀行株式会社 トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー 公益社団法人日本年金数理人会 副理事長 日本アクチュアリー会正会員 日本証券アナリスト協会認定アナリスト 1994年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関するコンサルティング・営業・事務や三菱UFJフィナンシャル・グループおよび三菱UFJ信託銀行にて人事企画・運用、報酬委員会運営等に従事。2021年に業界初となる「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」を立ち上げ、現在は人事戦略、定年延長、女性活躍、ジョブ型人事制度、DC・ハイブリッド年金、資産形成等をテーマとした人的資本経営に関する企業向けコンサルティング部署の責任者を務める。 |
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遠田 健 えんた たけし 三菱UFJ信託銀行株式会社 トータルリワード戦略コンサルティング部 プリンシパル 日本アクチュアリー会正会員、年金数理人、日本証券アナリスト協会認定アナリスト 2002年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関する数理計算、コンサルティングに一貫して従事。海外アクチュアリー会における論文発表、各種団体でのセミナー講演など多数の実績あり。 2021年の「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」の立ち上げに参画し、現在はトータルリワードに関する情報発信の責任者を務めている。 |





