2024年06月28日掲載

人的資本経営時代におけるトータルリワード戦略 - 第1回 トータルリワードの全体像

徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー

 トータルリワード戦略には主に二つの目的がある。一つは、従業員のやる気を促し安心感を醸成することで、エンゲージメントを高め、業績や企業価値の向上を実現することである。そしてもう一つは、人生100年時代のうち、現役50年と老後30年の生活を支える重要な位置づけであり、従業員の「人生を豊かにする」という社会的役割を果たすことである。
 今後、以下のテーマでトータルリワード戦略の有効性について深掘りし、考察していく。

第1回 トータルリワードの全体像(本稿)
第2回 金銭報酬
第3回 非金銭報酬
第4回 事例紹介
第5回 トータルリワードの効果測定
第6回 まとめ

 本連載が、従業員にとって「人生を託したくなる職場づくり」の一助となれば幸いである。
 なお、本稿における意見に関わる部分および有り得るべき誤りは、筆者個人に帰属するものであり、所属する組織のものではないことを申し添える。

1.はじめに

 2024年2月22日、東京株式市場で日経平均株価が34年ぶりに史上最高値を更新した。その要因はデフレ脱却による景気回復、円安による企業業績の向上、新NISAによる株式市場の活性化など、さまざまな投資家の期待によるものと考えられる。物価上昇に伴い賃上げを実施する企業も増えており、いよいよ「失われた30年」と呼ばれる長期にわたる経済の低成長期が終焉(しゅうえん)を迎え、官民が一体となって取り組む「成長と分配の好循環」が現実味を帯びてきたのかもしれない[図表1]
 持続的な経済の成長を推進していくためには、経済政策や労働政策、社会保障の拡充など経済的豊かさを実感できるような施策がカギとなり、企業としてもイノベーションの創出やグリーントランスフォーメーション(GX)、デジタルトランスフォーメーション(DX)への取り組みに向け、経営基盤の一層の拡充が求められることになるだろう。

[図表1]株価、為替、賃金の推移

図表1

資料出所:筆者作成。賃金は厚生労働省「毎月勤労統計調査」より作成

 現代の企業における経営基盤では、資産総額から負債総額を差し引いた、バランスシートに計上されている財務資本だけが必ずしも重視されているわけではなく、バランスシートには計上されていない非財務資本も重要と考えられており、IIRC(国際統合報告評議会)が提唱するフレームワークにおいては、[図表2]に掲げた六つの資本が挙げられている。

[図表2]IIRCが提唱する資本のフレームワーク

資本の分類 具体例
①財務資本 現金、借入、株式など
②製造資本 工場、機械、建物など
③知的資本 知的財産、ブランド、企業文化など
④人的資本 従業員のスキルや経験、能力など
⑤社会・関係資本 多様なステークホルダーとの関係、ネットワーク、信頼など
⑥自然資本 森林、土壌、水、大気、生物資源など

資料出所:IIRC「国際統合報告<IR>フレームワーク」より筆者作成

 この六つの資本が企業の状況に応じて、適切な配分でバランスよく投下されている状態が、業績や企業価値を引き上げていく上で望ましいことである。

2.人的資本経営の重要性

 昨今、「人」を大切な経営資本と捉える「人的資本経営」が企業の最も注力すべき経営課題の一つとなっている。「人」をコストと捉える従来の見方から、「人」こそ投資すべき資本とする考えへパラダイムシフトし、人的投資を進めることにより、パフォーマンス発揮を促進させ、中長期的に企業価値向上につなげていく経営の在り方が「人的資本経営」である。
 なお、業種によって[図表2]の六つの資本のうち、何を重視するかは異なる。例えば、コンサルティング会社と製造業を比較して考えると、コンサルティング会社は人的資本(コンサルタント、リサーチャー等)と知的資本(ノウハウ、研究開発等)を重視する一方、製造業では人的資本(営業、技術等)や知的資本(特許、開発等)に加えて、製造資本(工場、倉庫等)なども必要不可欠である。また、企業が創業期、成長期、拡大期等どのステージにあるかによっても、重視される資本は異なる。創業当初は多額の運転資金や大きな自社ビルは必要ないが、事業が拡大するにつれ、財務資本や製造資本の規模は大きくなり、社会・関係資本や自然資本への配慮も、企業ブランドの向上や社会的責任を果たしていく上で欠かせないものとなる。
 ただし、どのような業種やステージにおいても共通して言えるのは、人的資本は欠かすことのできない資本ということである。「人」は、商品企画やサービス内容の説明、システム構築、機械操作等を行う重要な存在であり、昨今AIの進化に伴い一部の業務での代替が進んでいるものの、「人」の持つ感情やしなやかな発想と想像力を活かした業務遂行ができるなど多種多様な役割を果たしている。特に昨今のような突如とした戦争やパンデミックの発生、資源価格の高騰、金利や為替の大幅な変動など経営を取り巻く環境の変化が大きく、スピードも速い中、その都度柔軟な対応をしているのも、やはり「人」である。

3.人的資本経営の実現とトータルリワード戦略

 「人」を動かすには、原動力となるインセンティブが必要である。インセンティブを与えることにより、従業員のエンゲージメントの向上につながり、主体的に業務に取り組むといった会社と従業員のWin-Winの関係が成立し、人的資本経営が実現される。そして、そのインセンティブに当たるのが、従業員に提供する報酬(リワード)であると考えている。
 トータルリワードとは、「さまざまな報酬の組み合わせ」を意味している。報酬は大別して2種類あり、給与や賞与、年金といったお金で支払われる「金銭報酬」と、成長の機会や働きやすい職場環境といったお金では価値を表すことができない「非金銭報酬」がある。ここでは、トータルリワード戦略のフレームワークを、金銭報酬と非金銭報酬をそれぞれ七つずつの構成で定義した[図表3]。また、報酬(リワード)が従業員にもたらす効果として、「やる気を促すもの」と「安心感を醸成するもの」に大別されると考えている。

[図表3]トータルリワード戦略のフレームワーク

図表3

資料出所:筆者作成

 人的資本経営を実践していく上でカギとなる従業員エンゲージメントの向上は、報酬(リワード)のありがたみによって左右されることとなるが、その感じ方は、世代や性別、個人の持つ価値観によって異なる。従業員エンゲージメントを引き上げるために、金銭報酬と非金銭報酬をどのようなバランスで組み合わせるか重要な論点ではあるが、報酬(リワード)を増やせば当然のことながらコストが増加することになるため、トータルリワード戦略における費用対効果は見極めたいところだ。

4.金銭報酬への期待

 それでは「金銭報酬」について、従業員はどの程度期待しているのだろうか。
 内閣府が実施している「国民生活に関する世論調査」(2023年11月実施)において、働くことの目的について聞いたところ、64.5%が「お金を得るために働く」と回答し、残りの35.5%は「生きがいをみつけるために働く」などと回答している。
 また、当社が2024年3月に20~50代の会社員や公務員等2000人を対象に実施したアンケートで、「就職や転職を検討する場合、金銭報酬と非金銭報酬のどちらをより重視するか」を尋ねたところ、75%が金銭報酬を選択する結果となった。これらのことから従業員の金銭報酬への期待はかなり大きいものと考えられる。

5.非金銭報酬への期待

 次に「非金銭報酬」への従業員の期待について考察したい。
 前記のアンケートで、勤務先の人事制度のうち最も課題だと考えていることの結果が[図表4]である。

[図表4]人事課題のアンケート結果

(設問)あなたの勤務先における人事制度のうち、最も課題だと考えるものは?

選択肢 報酬区分 効果 回答数
昇格・評価の方法や透明性 非金銭報酬 やる気 436 21.8
処遇の水準 金銭報酬 やる気 398 19.9
働き方の柔軟性 非金銭報酬 安心感 270 13.5
残業の削減 非金銭報酬 安心感 191 9.6
従業員の意向を反映した異動 非金銭報酬 やる気 178 8.9
福利厚生の拡充 金銭報酬 安心感 169 8.5
諸手当の拡充 金銭報酬 やる気・安心感 104 5.2
その他 13 0.7
課題はない 241 12.1
合計 2,000 100

資料出所:当社アンケート調査結果より筆者作成

 課題として最も多くの人が挙げたのが「昇格・評価の方法や透明性」であり、この選択肢は非金銭報酬に分類されるものである。また、全体的にも非金銭報酬に関する選択肢が上位に来ており、トータルリワードの中で非金銭報酬も大切な報酬(リワード)と捉えていると考えられる。

6.トータルリワードの効果

 次に報酬(リワード)がもたらす効果について見てみよう。
 [図表5]は、[図表3]の14の報酬(リワード)を、報酬区分と効果を軸に4象限(Motivated、Inspired、Secure、Comfortable)に分類したものである。

[図表5]トータルリワードの報酬区分と効果(トータルリワードの4象限図)

図表5

資料出所:筆者作成

[注]組織の経済学の観点では、この分類と異なる考えもある。

 ここでは、手当は、業績手当や資格手当など「やる気を促すもの」もあれば、住宅手当や家族手当など「安心感の醸成」の役割を果たすものもある。チームビルディングも、スキルや経験を活かして目標を達成し「やる気を促すもの」とチームワークが良くなることで「安心感の醸成」に寄与する側面もあるため、双方の効果があると整理した。
 [図表4]の人事課題のアンケート結果(その他・課題はないを除く)をトータルリワードの4象限図に当てはめて回答割合を集計したものが[図表6]である。

[図表6]4象限で整理した人事課題のアンケート集計結果

図表6

資料出所:筆者作成

 この結果、金銭報酬と非金銭報酬の比較では、非金銭報酬を課題と考えている割合が62%であるのに対して、金銭報酬は38%となっており、両者の差は24ポイントとかなり大きい。従業員は、会社にとって金銭報酬の支給には限界があり、相対的にコストがかからない非金銭報酬での処遇改善が現実的と考えている可能性もあると思われる。また、金銭報酬、非金銭報酬ともに、「やる気の促進」が「安心感の醸成」より課題と考えている割合が多いことも分かった。そして、4象限の中で、「やる気を促すための非金銭報酬(Inspired)」が35%と最重要課題と考えており、以下「安心感を醸成する非金銭報酬(Comfortable)」と「やる気を促す金銭報酬(Motivated)」がともに26%、「安心感を醸成する金銭報酬(Secure)」13%の順になっている。なお、Inspiredの課題への打ち手としては、例えば、上司との1on1やキャリアオーナーシップの促進などを通じて従業員の「やる気」を引き出していくことが考えられる。
 次に、この調査における世代別や男女別の考えを見ていきたい[図表7-1図表7-2]

[図表7-1]世代別に見た人事課題のアンケート結果

図表7-1-1

図表7-1-2

図表7-1-3

[図表7-2]男女別に見た人事課題のアンケート結果

図表7-2-1

図表7-2-2

図表7-2-3

資料出所:筆者作成

 世代別、男女別ともに、多くの人が課題と回答している項目は、やはり「昇格・評価の方法や透明性」と「処遇の水準」といった「やる気の促進」である。この二つの項目を世代別で比較すると高年齢になるにつれて割合が高くなっている。役職定年の影響が考えられるが、経験を積み一定のパフォーマンスを出している世代は、会社への見方がシビアなのかもしれない。また、男女別では、女性は「働き方の柔軟性」の改善を求める一方で、男性は「昇格・評価の在り方」や「処遇水準」へのこだわりが相対的に強い。
 他方、「福利厚生の拡充」については、世代別では若年層、男女別では女性が、課題に感じている声が多く、今の生活や将来への不安があることがうかがえる。人材の確保が必要となる中、これらの層の不満を払拭するには、資産形成に向けた支援や老後の安心した生活のために退職給付の充実も検討の余地があると考える。
 また、高齢層や男性は、グラフの高さに高低差があり、課題として考えている項目に偏りがあることが見て取れるが、若年層や女性は高低差が少なく課題と考えている項目が広く分散しているようだ。
 このような結果から、報酬(リワード)を改善する上でどの層に焦点を当てるかによって打ち手も変わってくる。したがって、まずは人事戦略との整合性からターゲット層を整理した上で、トータルリワード戦略を策定していくことが必要だろう。

7.目指すべきは理想的な職場

 これまで見てきたように、当社アンケート結果によると、職場選びでは金銭報酬を期待する一方で、[図表4]の調査結果のように現在の職場では非金銭報酬の改善を求めている。
 金銭報酬である給与や賞与は今の生活費を賄うものであり、多くの従業員が期待するものだが、同時に会社にとって負担が大きい。そのため、会社への貢献が小さい中、金銭報酬だけを増額すると従業員だけハッピーな「ヌルい職場」になりかねず、長続きはしないと考える。金銭報酬は処遇すべき人材像を明確にした上で、メリハリを付けて支給する必要がある。他方、非金銭報酬もコスト負担を伴うが、工夫次第では、さほどコストをかけずに提供でき、特定の人だけをターゲットとせずに全員一律に分配することも可能な報酬でもある。したがって、金銭報酬に加えて非金銭報酬もうまく組み合わせ、評価や成長機会の提供によりやる気を引き出し、本人の特性や強みを活かした戦略的人事配置、スキルや経験を活かして目標を達成するチームビルディング、職場環境の改善などによる安心感の醸成も併せて実現することで、従業員エンゲージメントが向上するとともに「理想的な職場」へと変化していくことが期待できる。そして、会社とのWin-Winの関係が築かれ、従業員、会社双方にとっての「価値創造」につながっていくものと考えている[図表8]

[図表8]トータルリワード戦略が目指す理想的な職場づくり

図表8

資料出所:筆者作成

9.おわりに

 前述の内閣府の「国民生活に関する世論調査」では、「どんな時に充実感を感じるか」の調査も行っている。失われた30年間(ここでは1993~2023年と定義)における調査結果は、[図表9]のとおりであった。

[図表9]充実感を感じる時の結果の推移

図表9

資料出所:内閣府「国民生活に関する世論調査」より筆者作成

 1993年の調査では、充実感を感じている瞬間について、「仕事にうちこんでいる時」と答えた人が「ゆったりと休養している時」と答えた人を上回っていたが、10年後の2003年にはスコアが逆転し、30年後の2023年調査では「仕事にうちこんでいる時」が27.4%なのに対して、「ゆったりと休養している時」は54.5%と、ほぼダブルスコアとなるまで差が開いた。他の項目も増加傾向にあり、失われた30年の間、仕事に対する価値観が大きく変化し、ワーク・ライフ・バランスを重視し働き方の柔軟性を求める人が増えてきたと考えられる。そして、この価値観の変化に対応していくに当たり、トータルリワード戦略は有効な手段であり、従業員にとって理想的な職場づくりにつながるものと考えている。

プロフィール写真 徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー
公益社団法人日本年金数理人会 副理事長
日本アクチュアリー会正会員 日本証券アナリスト協会認定アナリスト

1994年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関するコンサルティング・営業・事務や三菱UFJフィナンシャル・グループおよび三菱UFJ信託銀行にて人事企画・運用、報酬委員会運営等に従事。2021年に業界初となる「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」を立ち上げ、現在は人事戦略、定年延長、女性活躍、ジョブ型人事制度、DC・ハイブリッド年金、資産形成等をテーマとした人的資本経営に関する企業向けコンサルティング部署の責任者を務める。