2023年06月13日掲載

ケーススタディ 人事データ活用のノウハウ - 第1回 従業員構造の把握

熊倉佑哉 くまくら ゆうや
株式会社浜銀総合研究所
情報戦略コンサルティング部 主任研究員

1.はじめに

 労働市場の変化や価値観の多様化が進む中、若手の離職防止やベテラン社員のリスキリング、あるいはメンタルヘルス不調やハラスメント対策など、人事の現場では日々悩みや課題が尽きないのではないだろうか。昨今、そうした課題解決に資するものとして、さまざまな人事データを戦略的に活かし、具体的な人事諸施策につなげる「人事データ活用」に注目が集まっている。
 『労政時報』第4057号(23.6.9)では、「実践! 人事データ活用のノウハウ」として、ますます関心が高まる人事データ活用の潮流を俯瞰(ふかん)した上で、これから人事データ活用の取り組みを検討する企業に向けて、事例や直面するであろう課題、またその対応のポイントなどを幅広く紹介した。
 本連載では、その続編として全4回にわたり筆者のこれまでの経験を基にした具体的な事例を題材に、データ活用のポイントを解説する。ただし、企業によって、理念や文化、労働条件や職場環境も異なるため、直面する課題は千差万別であろう。したがって、「データ活用」といっても、そこに必要なデータや分析のアプローチは個々の企業によってさまざまである。換言すれば、データ活用・分析において、これをすればよいという唯一の正解は存在しない(これはよくある誤解の一つである)。
 本連載では、代表的な事例を取り上げるため、読者の皆さんには自社の課題と照らし合わせながら、適宜読み替えていただければと思う。なお、本連載の内容は筆者の個人的見解に基づくものであり、筆者が所属する組織の公式な見解を示すものではないことをお断りしておく。

2.「データ活用」事始め

[1]目的の明確化
 一口に「データ活用」といっても、当然ながら段階がある[図表1]。世間で注目を集めるのものとして予測モデル、あるいはAIや機械学習をはじめとした先進的な手法もあるが、「データ活用」は必ずしもそうした難易度の高いものではない。直面する人事課題に対し、その本来の目的を明確にして仮説を持ってデータを扱い、解決の糸口を見いだせればよい。
 “表計算ソフトでできる程度”の(気の利いた)クロス集計一つでも、そこから気づき(インサイト)を得て、課題解決につなげることができれば、それは十分にデータ活用といえる。

[図表1]データ活用のステージ

資料出所:情報・システム研究機構 統計数理研究所「ビッグデータ利活用の4つのステージ」、ドイツ銀行「HRレポート2021」を参考に筆者作成(なお、ドイツ銀行は、ISO30414に準拠したとして話題となった)。

 人事領域に限った話ではないが、鶴の一声でデータ活用チームが組成され、目的が曖昧なまま始動し、特に「データ分析」それ自体が目的と化した結果、課題解決へと結び付かない単なる“自由研究”で終わってしまうケースが見受けられる。自社の人事戦略や人事施策の課題を整理し、理解して、「何のためにデータを活用する必要があるのか」「データを活用して何を明らかにしたいのか」、こうした目的を明確にすることが成功の近道である。

[2]従業員理解の深化
 一方で、課題は山積していたとしても、データ活用の目的が絞り切れてないこと、優先順位が明白でないことも往々にしてあるだろう。
 人事データの活用は、突き詰めれば、それは従業員(退職者・求職者を含む)の理解を深めることに通ずる。データ活用の目的はさまざまであろうが、大局的には、個々の従業員の能力を持続可能な意味で最大限発揮させることで、従業員や企業、そして関係する社会にとっての、いわゆる“三方良し”を目指すことであろう。そのためにも、まずは従業員の特性や行動、スキルや価値観などを把握・理解することが第一義である。マーケティングの世界では顧客理解が中心的概念であるように、データを活用した新たな人材マネジメントにおいても従業員理解が重要な意味を持つといえる。
 そこで、目的の明確化と従業員理解の深化を実践するための最初のステップとして、「従業員構造把握」を推奨する。これは、従業員区分や等級、年齢や性別、職掌や所属部署、あるいは業務経験やスキル、ひいては評価や実績といった人事にまつわるさまざまな切り口から、集計・分析を行い、自社の従業員(すなわち「人的資本」)がどのような構造となっているかを把握する。事実の再確認の意味合いが強いが、課題発見・課題認識のための基礎分析と位置付けるとよい。

3.ケーススタディ1:人材ポートフォリオの可視化による「従業員構造把握」

 持続的な企業価値の向上を実現するためには、2020年9月に公表された「人材版伊藤レポート」でもいわれているように経営戦略と人事戦略の連動が求められるが、その議論の土台には、従業員構造の把握が不可欠である。具体的には、一般的に人事部門が実施しているような基本情報(年齢や職位、職掌など)をベースとした中長期の人員構成試算に対して、業務経験やスキル、適性検査等のデータを組み合わせることで、将来の事業ビジョンを見据えた際の従業員構造上の課題や、強み・弱みがどこにあるか等を整理する。
 ありたい姿と現状のギャップを知るためにも、まずは現状の従業員がどのような構造であるのかを可視化することから始めるとよいだろう[図表2]。BIツール(企業が持つさまざまなデータを分析・見える化して、経営や業務に役立てるソフトウェア)やタレントマネジメントシステム(人材データを集約・一元管理し、高度な意思決定を可能にするシステムで)を導入済みの企業では、既に定期的に実施していることと思うが、以下では、その一例を紹介したい(以下での数値例は、筆者が架空の企業を想定して作成したものである)。

[図表2]人材ポートフォリオの可視化

資料出所:浜銀総合研究所(以下、特に明記のない限り同じ)

 従業員構造の把握は、基礎的な人事データを俯瞰し、データ理解を深める効果もある。まずは、年齢や入社年月などの属性情報、従業員区分や職掌、等級情報、このほか評価情報や適性検査データがあるとなお良い。これらを基に、従業員を起点に統合した「データマート」を作成する[図表3]。「データマート」とは、蓄積された各種データから、目的に応じて必要なデータ項目を抽出し、利用しやすい形に加工して格納したデータのことである(分析者がすぐに使えるデータとして、Data mart=データの小売店を意味する)。こうしておくと、今後のデータ活用を効率的に行うことができる。
 なお、データの再現性を保つためにも、専用ツールを使用することに越したことはないが、例えばエクセルであれば値の切り貼りではなく、マクロやパワークエリ(外部データとの連携や連携してからのデータ加工を自動化する機能)を使用すると良いだろう。また一部工程はやや専門的なスキルが必要な場面もあるため、多少なりともデータ分析を行うためのシステムの要件定義から実際のコーディングまで幅広い知識を必要する「データエンジニアリング力」が求められる。

[図表3]データ準備

4.ケーススタディ1-a 従業員構造把握 現状把握 ~自組織の理解を深める

 前述のデータマートを用いて、さまざまな切り口でグラフ化やクロス集計を行う。
 近年のグローバル人事の潮流からも「年齢」の重要性は低下しつつあるが、そうではあるけれども、採用から退職までの新陳代謝の程度を確認するためにも、また法や社会保険制度の観点からも、「年齢」は企業にとって無視できない場合が多い。本稿においても、従業員構造把握のイメージをつかんでもらうため、年齢を軸に職掌と組み合わせた例を紹介する。
 人事担当者としては、これまでの経験から、例えば「就職氷河期世代は極端に人数が少ない」「技術職はベテランに偏っている」「最近の営業職はマネジメントタイプが少ない」など、ある程度のイメージはあるだろう。この現状把握では、それらを感覚ではなく、客観的な事実としてデータに語らせることに意味がある[図表4]

[図表4]現状把握(基礎分析)

 本稿では、年齢×職掌を基本フレームとして紹介したが、職位×部署など自社の従業員構造の理解を深めるべく、さまざまな軸で集計してみるとよい。また過去はどうだったか、データの取得できる範囲で、過去数年分も合わせて可視化することで、直近の人事戦略・人事施策の振り返りにも活用できよう。

5.ケーススタディ1-b 従業員構造把握 将来試算 ~自組織の10年後を描く~

 以上のような現状把握ができたら、併せて従業員構造の将来試算にもチャレンジしていただきたい。完成イメージとしては、前述のクロス集計表の5年後版、10年後版である。読者の中には、自社の人員計画策定を担当されている方もいると思うが、ここでの試算は、“中長期の人員計画概算値”のようにイメージするとよいだろう。本稿では、現状維持(「横ばい」や「成り行き」ともいう)の場合、経年のみで従業員構造がどのような変化をするか確認することとする。なお、本稿での試算は説明を簡略化するため、職掌間の配置転換は考慮しないこととする。

[1]準備
 下記(1)~(4)の項目に関して年齢階級別の集計表を用意する[図表5]

(1)現状の人員構成
 現状把握での集計表を用いる。

(2)現状の年齢別の定着率(1-自己都合退職率)
 期初時点での在籍者数を分母に、期中での自己都合による退職者数を分子として、自己都合退職率を算出する。特に年齢や職掌などにより退職率の水準は異なると想定されるため、可能な範囲で(1)現状の人員構成のフレームと合わせた算出をするとよい。

(3)現状の定年
 「60歳」など。当該年齢での定着率を0%とする。定年後再雇用については、別途シニア社員を対象としてシミュレーションするとよい。

(4)現状の採用人数の年齢分布
 直近の採用計画や実績を基に仮置きする。

[図表5]将来試算準備

[2]試算方法
 各年齢・各時点において、以下の計算式で人数を試算する。
(前年N-1歳の人数×当該年齢定着率)+当該年齢採用人数
 これらを職掌別に行い、合計したものが将来の人員数となる。これを繰り返すことにより、現状の採用数や退職率が一定だった場合の、将来の人員構成を試算することができる[図表6]。また、採用数や退職率などの各種パラメータを変化させた場合に、将来どのような人員構成となるか、シナリオ分析を行うことも可能となる。

[図表6]試算方法

[3]試算結果
 今回の例では、従業員の入りと出(採用と自己都合の退職)を現状維持とすると、数年後に従業員数の規模縮小が加速し、特に技術職においてはベテラン勢の不足といった事象が生じる結果となった[図表7]。持続可能な事業運営のためにも、これらを解決またはソフトランディングする手だてを検討する必要があると分かる。

[図表7]年齢構成変化

[4]次なる仮説や分析テーマの検討
 このような現状把握と将来試算から、自社の従業員構造上のさまざまな課題が浮き彫りとなってくる。経営企画部門や事業部門とともに、各種戦略や諸施策、あるいは人員計画・要員計画を議論する際の共通の物差しとして活用することも可能だ。例えば、今回の試算からは[図表8]のように考察を整理できる。

[図表8]次なる仮説や分析テーマの検討

[注]図には含めていないが、リスキルを通じた配置転換など、内部流動による施策も考えられる。

 従業員構造の把握は、人事データ活用の「ステップ・ゼロ」である。これまで何となくの経験や勘、思い込みで見過ごしてきた“当たり前”のことを可視化することによって、それらが「思ったとおり」なのか、「思ったよりも」なのか、はたまた「思いもしなかった」なのか、これらを今一度整理することが可能だ。これによって、自社の人事課題の把握につながり、「何のためにデータを活用する必要があるのか」といった人事データ活用の目的を明確にすることができる。

 次回は人事データ活用の個別テーマとして、採用や配置へ実務展開したケーススタディを紹介する。

熊倉佑哉 くまくら ゆうや
株式会社浜銀総合研究所
 情報戦略コンサルティング部 主任研究員

東京工業大学大学院社会理工学研究科修了後、株式会社浜銀総合研究所入社。マーケティング高度化支援、組織・人材管理領域のデータアナリティクス業務等を担当。一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 認定人事データ保護士。