北崎 茂 きたざき しげる
PwCコンサルティング合同会社
People & Organization ディレクター
近年、AI(人工知能)やビッグデータ、RPA(Robotics Process Automation=ソフトウェアロボットによる業務自動化)というようなテクノロジーに関連する言葉が人事の領域においても、新たな潮流の一つとして急速に注目を集めるようになってきている。これらの言葉は総じて「HRテクノロジー」とも呼ばれるようになり、政府が主導する働き方改革の中でも、生産性を高めるための、一つの重要な手段として語られるようになってきた。しかしながら、こうしたキーワードが先行する中で、その実態や具体的な人事における効果については、まださまざまな解釈が存在している段階にある。
人事におけるテクノロジーといえば、古くから人事を担当されていた方であれば、1990年代後半から2000年代にかけて、効率化という観点で人事に大きな変革をもたらしたERP(Enterprise Resource Planning)による人事システムパッケージのことを思い出す方も少なくないかと思う。しかし、今回の話はそれよりもはるかに大きく、多岐にわたる影響を人事に与えるであろうと筆者は考えている。本連載では4回にわたり、このHRテクノロジーと呼ばれる分野が、実際にどのような影響を企業の人事に与えているのか、その実態と今後の可能性について解説を進めていきたいと思う。
■米国では2011年からHRテクノロジーのブームはスタートしていた
日本で言えば、HRテクノロジーというキーワードは、一昨年ほどから、徐々に人事担当者の目にとまるようになってきたが、このムーブメントは米国では5年以上前からスタートしている。海外リサーチ機関による調査結果によれば、市場に投入されているHRテクノロジー関連のスタートアップの資金調達額は、2011年の約3億ドル(約330億円)から2015年には24億ドル(約2600億円)まで、その規模は約10倍までに急速に拡大してきており、その後2016年から、やや低迷が見られる部分はありつつも、一つのビッグマーケットとして成立しつつある。
対して、市場構造の違いもあり、日本国内ではここまでの規模にはまだ到達していないが、ここ数年で様々なスタートアップの登場を含め、加速的な成長をみせており、近年メディア等でも取り上げられるようになった政府主導によるHRテクノロジーに関する施策展開など後押しを受け、徐々にその規模は拡大しつつある。
[図表1]米国におけるHRテクノロジーにおける資金調達額の推移
資料出所:CB Insights : HR Financing History: Deals and Dollars(*1)
■日本で起こっているHRテクノロジー用語の氾濫
HRテクノロジーに関しての注目が急速に高まる一方で、こうしたテクノロジーが、実際に人事に与える影響について正確に把握できている企業の人事はそう多くないのではないだろうか。筆者が訪問したクライアントでも、HRテクノロジーは「効率化の手段でしかないのか?」「本当にAIによって人事の仕事はほとんど置き換わってしまうのか?」「そもそも新しい言葉が多すぎて何ができるのか分からない」などという質問を多く受け、そのイメージは多岐にわたり、かつ漠然と捉えている企業が多いという印象を受ける。
こうした疑問が生まれる背景として、近年出てきた、AI、アナリティクス、ビッグデータ、ディープラーニング、RPAなどHR関連のキーワードの種類があまりにも多く、その効果もさまざまな領域にわたることが大きな要因といえるだろう。これらの急速な変化により、テクノロジーがもたらす効果や影響について、人事担当者が整理をしきれないような状況が生まれているのである。
これまでも、人事に関する新たな概念が世の中を席巻することは当然ながら起こっていた。2000年ごろには「成果主義」や「コンピンテンシー」、その後には「グローバル人事」や「HR Transformation(人事部門構造改革)」という言葉が企業の注目を集めていたが、今、日本国内で行っているHRテクノロジーに関するムーブメントはこれらをはるかに超えるインパクトと複雑性を持っている。
■HRテクノロジーが人事に与える変化とは?
~3Eモデルによる検証~
では、このHRテクノロジーがこれから人事に与える影響とは、具体的にどのようなものなのだろうか。以下では、HRテクノロジーが人事機能・業務に実際に与え得る効果を、「人事業務の効率化」「人事における意思決定精度向上」「従業員への経験価値向上」という三つの観点(HR Technology 3Eモデル)から解説していきたいと思う。
※「HR Technology 3Eモデル)は、HRテクノロジーによる効果をまとめたフレームワークであり、それぞれの要素の頭文字のEを取って3Eモデルと呼んでいる。
[図表2]HR Technology 3Eモデル
資料出所:PwCコンサルティング合同会社
[1]一つ目の効果:HR Efficiency (人事業務の効率化)
HRテクノロジーにおいて、最も効果を生み出すのがこの「HR Efficiency」の領域であり、人事業務の効率化を指し示している。世の中で言われているような「人の業務がAIにより置き換わっていく」というような言葉が指し示している領域はまさにこれである。
このHR Efficiencyを実現する代表的な手段として挙げられるのが、RPAやアナリティクスという手段であり、近年ニュースなどで目にする「AIによる新卒採用の書類選考の自動化」などがその一例として挙げられる。しかしながら、この効率化という観点で言えば、最も影響を与えると言われているのは、RPAであると筆者は考えている。
RPAは簡単に言えば、一定のルールの下に行われるオペレーション業務(人の経験や勘による意思決定を伴わない業務)について、「ロボ」にその手順をプログラミング化させ、人の業務を代替させるというものであり、「デジタルレイバー」などという呼ばれ方をする場合もある。
RPAについては、詳しくは本連載の第2回以降の中で触れていきたいと思うが、RPAにより導入される「ロボ」の特性として、「24時間稼働できる」ということ、ルールに忠実に従いオペレーションを行うため「ミスが少ない」という点などから、オペレーション業務にかかる効率化・人件費の削減という観点では、これまでの人事システム導入とは比較にならないほどの効率化インパクトをもたらすと考えられている。
日本国内でも、人事業務に対するRPAは、ここ数年で一定の実績を残してきており、システムへのデータ転記や、申請業務のチェック業務などの単純作業業務を中心として、その導入は加速的に進んでおり、一部の企業においては、既にオペレーション業務の半分近くの自動化を実現している例なども存在している。
[2]二つ目の効果:HR Effectiveness(人事の意思決定精度の向上)
HRテクノロジーによる影響の中で、もう一つ高い注目を集めているのが「HR Effectiveness」、人事における意思決定の精度をいかに向上させることができるか、というものである。この領域は、まさに世の中でキーワードとしてあふれかえっている、ビッグデータやディープラーニング、アナリティクスという言葉に代表されるような領域である。具体的には、過去に存在する多種の人事関連データを分析し、採用や異動、配置などといった人材マネジメントのさまざまな意思決定に対して、データ分析による示唆を活用していこうというものである。また、この領域は、既に学術的な分野として確立されつつあり、米国のペンシルバニア大では「People Analytics(ピープルアナリティクス)」(*2)という名称で、ビジネススクールの一つのコンテンツとして取り上げられ、研究が進められている。
では、こうしたデータ分析が、なぜ現在において求められるようになってきたのか。その一つの理由には、これまでの「勘や経験」に頼っていた人材マネジメントが限界を迎えつつあるという点が大きく影響している。従来、日本の企業では、所属する社員の多くは、似たような学歴や社歴を持ち、さらにはその多くが日本人であるという、非常に同質性の高い「阿吽(あうん)の呼吸」をベースとした企業文化の中にいたといえる。しかしながら、中途採用をはじめとした労働市場の流動化が加速し、さらにはグローバル化に伴う外国人雇用の拡大などにより、現場のマネジメントにとっては、自分とは異なるバックグラウンドを持った多様な人材をマネジメントすることが余儀なくされる状況が広がりつつある。こうした状況下において、マネジメントを行う者が、自身の過去の経験論からだけに基づいて意思決定を行うと、特に人事の領域についてはリスクが膨らむことから、データ分析による中立性・客観性の高い意思決定のためのサポートが必要不可欠になってくるのである。
日本国内でも、既にピープルアナリティクスを活用したさまざまなスタートアップ企業が登場し始めている。採用や配置、エンゲージメントに関する予測分析を中心として、こうした企業などが提供するサービスが、徐々に企業の人事上の意思決定の中で実務的に活用されるような段階になっており、さらに先進的な企業では、ピープルアナリティクスに関する専門組織を立ち上げるような例も見られている。
[3]三つ目の効果: Employee Experience (従業員への経験価値向上)
最後に触れておきたいのが「Employee Experience」と呼ばれる「従業員が組織の中で体験する経験価値」の向上に対して、HRテクノロジーが今後大きく寄与していくであろうという考え方である。
Employee Experienceは非常に広義な考え方でもありさまざまな定義が存在するが、概略的には、従業員が組織内で経験するさまざまな事象(仕事の質から、育成面、健康面、日々の生活面までのさまざまな影響要素を含む)を指し示し、これらの改善により、社員と企業とのエンゲージメントを改善していくというコンセプトの下に構成されている。
一つ例を挙げると、近年注目を集めるミレニアル世代と呼ばれる若者の特徴の一つとして「即時性の高いフィードバックを好む」(*3)というものがある。こうしたニーズに対して欧米などの先進企業においては、日々の仕事の中ですぐにフィードバックができるような、いわゆるリアルタイムフィードバックと呼ばれる仕組みを構築する企業も増えてきている。その実現のための手段として、簡単にかつその場にいなくてもフィードバックができるように、モバイルを使ったアプリケーションによりフィードバックを記録し、後日会話を通じてコミュニケーションを取るような形でテクノロジーを利用している企業も見られている。
また、在宅勤務者や遠隔地とのコミュニケーションを行うテレワークシステムなどのテクノロジーも、従業員の経験価値向上を図る手段の一つとして活用が進んできている。今後、時間や場所の制約を受けない働き方が求め続けられるようなトレンドが加速していけば、HRテクノロジーによるEmployee Experienceの向上には、より大きな期待が集まるものと想定されている。
■HRテクノロジーの活用には、人事部門のテクノロジーリテラシーの向上が必須
上記に挙げたような三つの要素に対する効果を中心として、HRテクノロジーはさまざまな手段により進化を遂げてきている。その一方、こうした手段をいきなりすべて自社の中に適用することは、社員の意識改革や導入における負荷などを考えると容易なことではない。
その効果が大きいゆえに、うまく自社の中に取り込んでいくためには、こうしたさまざまなテクノロジーの実態や効果をきちんと把握し、社内の変革を合理的に促していけるような、HRテクノロジーに対する「目利き力(テクノロジーリテラシー)」の向上が人事には必要不可欠となってくる。
(出 典)
*1: CB Insights : HR Financing History: Deals and Dollars
*2: Wharton University of Pennsylvania: People Analytics
*3: Forbs : 10 Things You Need To Know About Marketing To Millennials
北崎 茂
PwCコンサルティング合同会社
People & Organization ディレクター
慶応義塾大学理工学部卒業。外資系IT会社を経て現職。人事コンサルティング領域に関して約20年の経験を持つ。組織設計、M&A、中期人事戦略策定、人事制度設計から人事システム構築まで、組織/人事領域に関して広範なプロジェクト経験を有する。ピープルアナリティクスの領域においては、国内の第一人者として日系から外資系にいたるまでさまざまなプロジェクト導入・セミナー講演・寄稿を含め、国内でも有数の実績を誇る。現在は、人事部門構造改革(HR Transformation)、人事情報分析サービス(People Analytics)におけるPwCアジア地域の日本責任者に従事している。2016年よりHRテクノロジーコンソーシアム(LeBAC)理事。2017年、経済産業省主催 HR Solution Contest 二次審査員。