2016年03月25日掲載

Point of view - 第60回 山田 久 ―今、賃金について改めて考える時

今、賃金について改めて考える時

山田 久  やまだ ひさし
株式会社日本総合研究所
調査部長 チーフエコノミスト


1987年、京都大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)入行。日本経済研究センター出向を経て、93年から㈱日本総合研究所調査部出向。2003年に調査部経済研究センター所長。同3月、法政大学大学院修士課程修了。05年調査部マクロ経済研究センター所長、07年同ビジネス戦略研究センター所長を経て11年より現職。著書に『デフレ反転の成長戦略』(東洋経済新報社)など。

 

 2016年春季労使交渉が本格化している。3月16日の集中回答の結果では、多くが一定の月例給引き上げで妥結したが、その額は大半では前年を大きく下回った。渋めの結果となった背景には、年明けから続く不安定な金融市場と先行き不透明感の強まりがあるとみられるが、そうした中でも「ベア・ゼロ」に回帰しなかったことは大きい。デフレ脱却を目指す政府からの賃上げ要請が、経営側の判断に少なからず影響していると考えられる。
 ここ数年、いわゆる春闘賃上げ率が大きな注目を集めているが、それは労使自治が大原則である賃金決定の世界に、政府が賃上げ要請を行うという、「禁じ手」ともいうべき動きに出たことがきっかけである。もちろん原理原則論から政府の介入を批判するのは易しい。しかし、政府がこうした動きをしている背景には、わが国では賃金を持続的に上げる仕組みが存在しなくなったという事情があり、それは「必要悪」との解釈も成り立つ。

 90年代前半ごろまで、人件費は一定の増加をしていくことは当然であり、企業にとって成果配分における賃上げのプライオリティーは高かった。しかし、90年代末の金融経済危機を経て、企業にとっての賃上げの優先度は低くなり、業績が悪化すれば率先して減らされるようになった。そうした成果配分をめぐるプライオリティーの変化は、制度的には二つのことによって生じた。
 一つは職能資格制度の見直し・縮小である。戦後わが国で独自の発展を遂げた職能資格制度は、能力をポテンシャルとしてとらえ、それは劣化するものではないという基本的発想の下で、賃金の増加トレンドをミクロベースで支えてきた仕組みである。これが90年代以降、大きく縮小した。非正規労働者比率の増加で対象となる雇用者数が減り、成果主義の流れで顕在化された実績を評価する傾向が強まり、賃金は簡単に減少することになった。
 もう一つは春闘の形骸化である。春闘とは、パターンセッターと呼ばれる高い賃上げが実現できるセクターがリードし、世間相場を形成して経済全体の賃金底上げを促すマクロ的な仕組みであった。産業別・職種別組合が賃上げ交渉する欧米と異なり、企業内組合が基本のわが国では労働側のバーゲニングパワーが弱いため、これを補うために1950年代に形成されたのである。だが、グローバル競争の激化でパターンセッターの賃上げ余力が低下し、海外シフトなどにより大企業の業容拡大が中小企業に波及するルートが細くなったことで、機能しなくなった。

 こうして賃金を持続的に上げる仕組みが存在しなくなった状況では、賃金には下方硬直性ならぬ「上方硬直性」が生まれることになった。背景には、新興国台頭に対抗するためのコストダウン策としての賃金抑制スタンスや、90年代末の金融経済危機へのトラウマによる企業の過度な防衛姿勢があったと考えられる。それが顕著に表れたのは、2000年代半ばの局面である。米国を主とする海外景気の好調と円安により、上場企業は史上最高益を記録し、労働分配率も大幅に低下した。しかし、当時、賃金はほとんど伸びず、内需のバッファーがなかったために、その後のリーマンショック後、金融セクター面での影響がなかったにもかかわらず、先進国の中でも特に急激な景気後退を余儀なくされた。その後、大幅な円高の進行もあって海外生産シフトが進み、日本の成長力の大幅低下につながった。
 持続的に上がる仕組みがなくなることで「賃金の上方硬直性」が生まれることは、個々の企業にとっても良いことではない。賃金抑制スタンスが強すぎると、従業員のモチベーションの低下につながるのは言うまでないが、企業が収益性を上げるための努力を弱めることになりかねない点が問題なのだ。賃金が簡単に減らせるならば、不採算事業を温存し、新たな事業への挑戦がされなくなっていく。そうした状態が長く続けば、結果として、企業に活力が失われていくことになる。特に日本の場合、雇用調整のハードルが高く、雇用維持を優先しやすいため、賃金調整で不採算事業の存続が図られがちである。しかし、いずれは追い込まれ、かえって大規模な人員調整が行われることになるケースを、すでにわれわれはこれまで多く見てきている。

 このように、賃金を持続的に引き上げる仕組みを再構築することは急務である。だが、そうした仕組みが存在しない以上、2000年代半ばの失敗を繰り返さないために、政府が賃上げへの働き掛けを行うことはやむを得ない「必要悪」であったといえよう。とはいえ「必要悪」はできる限り早くなくしたほうがよい。筆者の提案は、中立的な有識者によって構成される第三者機関を創設し、それが客観的な経済社会情勢を分析し、賃上げの目安を公表することである。あくまで最終的には個別労使の決定だが、各企業がこれを参考に賃金の決定を行うようになれば、一定の賃上げの仕組みが復活できよう。

 同時に重要なのは、労使双方が賃金の意味を改めて根本から再検討することであろう。賃金とは、「労働者の生活の糧」であると同時に「企業活動への貢献の対価」であり、「企業活動のコスト」である一方「消費活動の元手」でもある。この20年ほどは、「企業活動への貢献の対価」や「企業活動のコスト」という側面のみが強調されすぎたのではないか。いま改めて、賃金の多面性・両義性を十分に考慮しながら、労使が共存共栄できる賃金の在り方を、積極的な議論を通じて創造していくことが重要であろう。