中央大学大学院 戦略経営研究科
(ビジネススクール)客員教授
本連載の第1回では、多様な価値観やワークスタイルを受容し、一人ひとりを活かしていく「インクルージョン」の不足が、日本企業における女性活躍推進の阻害要因になっていることを指摘した(現状)。また第2回では、女性活躍推進は単に女性の活躍のみを目指すのではなく、性差を問わず一人ひとりのポテンシャルを引き出す「タレントマネジメント」の実現を目指すことを述べた(ビジョン)。今回は、現状から目指すビジョンに至る道筋において、職場とそこでの人材マネジメントがどのように変わるべきかを論ずる。そのポイントは多様なキャリアを前提とした個別支援にある。
「TPO」の必要性
戦後の日本の労働環境では、雇用されている人たちは朝から晩まで長い時間働くことが、会社の成長につながると何の疑いもなく信じて、焼け野原からGDP世界2位の国にまで成長した。しかし近年、少子高齢化が肌感覚として、企業の中で感じられるようになってきたことが、多様な働き方の必要性の原点としてある。
少子化は1989年(平成元年)の合計特殊出生率、つまり1人の女性が生涯に産む子供の数が1.57という数字が出たところから始まったという見方もある。その少子化が始まった平成元年生まれの人たちが22歳で社会に出た頃から、労働力人口減少が感じられるようになったようだ。800万人くらいの団塊の世代が抜けたことと若年層が少ないことが重なって、どこの企業でも人が採れない、働く人がいないと言われ始めた。さらに今後、経済成長と労働参加が伸び悩んだ場合、2030年の就業者数は約790万人減少すると言われている。
そうした中で、働く側の価値観が多様化している。固定的役割分担の下、男性が働いて女性は専業主婦というのはマイノリティーになる。従来のように日本人、男性、フルタイム勤務、時間制約なし、転勤制約なし、どこでも行きます、いつまでも働きますでは、会社は機能しなくなる。
そういう時代の中で、時間と場所の制約のある人にモチベーションを高めて働いてもらうには、組織の環境が多様な働き方を可能にしていなければならない。つまり「TPO」だ。TPOは一般的に、Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)だが、本稿では個別のキャリア開発支援を進める上での三つの課題、Time(時間制約)、Place(場所制約)、Organization(組織づくり)を指す。
日本企業の現実
時間制約の問題の中では、やはり育児と介護の優先順位が高い。
私が約40人のワーキングマザーに個別インタビューを行った結果、ワーキングマザーにはうまく仕事をこなしている人と、多大なストレスをためている人がいることが分かった。うまく両立できている人は、例えば午後4時には保育園に迎えに行くために帰ろうとする際、残った仕事を周囲の人たちがサポートしてくれているのが当たり前になっている。
うまくいかない人たちの中には、4時になって帰れないと保育園に電話して、「すみません、7時まで延長してください」とお願いして、6時になってから自腹でタクシーを使って帰ったりすることを月に何度もやっている女性がいた。職場の周囲の人たちに仕事を任せられないのかと聞いたら、そんなことをすると、「会社辞めたらいいんじゃない」と言われるらしい。ものすごくストレスをため込んだ中で、仕事と子育てをやりながら、自分自身が何のために働いているのかも分からなくなっている人たちが結構いる。キャリア開発支援の前提として、職場の環境、組織の環境の整備が必要になっている。
育児休業から復帰し、短時間勤務から再スタートする女性に対して、個別のキャリア開発支援が必要とされているにもかかわらず、管理監督者自身がプレイングマネジャー化しているために、野放しにされていることも大きな課題である。
男性の育児休業を促進している会社では、女性たちから「すごく働きやすい」という声がしばしば聞かれる。育児による時間的制約の下で、キャリアと向き合う働き方を実現するためには、男性が育児休業を取りやすい環境にしていくということ自体が重要である。
男性が育児休業を取りにくい会社では、上司に申請しようとすると、上司が「お前の奥さん働いてるの?」とか「評価が下がるよ」とか言われ承認されない。今は妻が専業主婦でも男性が育児休業を取れる、または男性も女性も夫婦一緒に育児休業が取れるというように法律が改正されていることを人事は知っているが、現場ではいまだに知られておらず、男性が育児休業を取りにくい環境になっている会社のほうが圧倒的に多い。
新生児から幼児の期間は夫婦で子育てをするのが当たり前な時代になり始めていることを経営も職場も理解して、男性社員による育児をサポートする組織づくりをしながら、個人のキャリア開発支援を行っていくことが日本的なダイバーシティの基礎になる。
雇用契約の変化
2番目に大きいのが介護の問題だ。2014年の3月までに団塊世代の再雇用が終わり、東京オリンピックの後5年以内くらいに、企業に雇用されている上位幹部職の親が要介護の年代を迎える。
日本では1980年代前半まで定年退職は55歳だった。かつ、4~5人きょうだいの家庭が多かったので、企業に雇用されている人たちはきょうだいで親の介護をシェアするとか、55歳で定年になってから親の介護をしたので、人事としても社員からの相談は個別にはあったかもしれないが、職場がもぬけの殻になるような大きな課題にはならなかった。
ところが今は60歳定年、再雇用で65歳、または一部の企業では65歳定年制度も導入され始めており、子どもの数も1~2人くらいになっているので、企業の中で介護を抱える社員に対して両立を支援していくことが必要になっている。そういうこともキャリア開発支援の中に入れて、制度をうまく作っていくことが重要になってくる。
育児や介護と仕事の両立を図る上では、時間のみならず場所の制約も出てくる。夫婦で子育てをしたり、老親の介護をしている間はなかなか転勤も難しい。そうした事情を汲んで多様な働き方を取り入れる場合、それを利用する人としない人との格差や不平等も問題となり得る。これらを合理的に解決するためには、雇用の入り口で、契約条件として労働時間や勤務地などを限定する選択肢を設ける必要も出てくるであろう。
多様な自己実現欲求の受容
多様な社員の存在は、多様な働き方へのニーズが存在することを意味する。社員一人ひとりの価値観を大切にしながら能力を発揮させられるように、人事としては組織を機能させるための制度、キャリア開発支援、職場の人材マネジメントをセットで考えていく必要性がある。具体的には、柔軟な働き方の選択肢を示し、その下で個別支援ができるような環境づくりが必要になっている。
育児と介護以外にも、働きながら大学院で学ぶとか、何かボランティアをするとか、社会人の多くは仕事以外に人生で何かやりたいという自己実現欲求をもっている。これは先進国ならではのニーズだが、仕事第一でそうした欲求を妨げるばかりでは、生産性が低下してしまう。「自分のキャリアは自分でつかむものだ」ということを、21世紀になってからどの企業でも言っているが、そういう希望を持つ人たちの蓋(ふた)を閉めるのはよくない。
価値観というのは、何歳になったから一律にみんな同じというものではない。人事には、社員が何を求めているのかということをきちんと理解し、制度整備を通じて動機づけにつながる環境や組織づくりに取り組むことが求められよう。そして、現場の人材マネジメントはそうした環境を活かしつつ、一人ひとりの社員のキャリア開発に責任を持って取り組んでいく必要がある。
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楠田 祐 くすだ ゆう 中央大学大学院戦略経営研究科(ビジネススクール)客員教授 戦略的人材マネジメント研究所 代表 K's HR Label 代表 東証一部エレクトロニクス関連企業3社の社員を経験した後にベンチャー企業社長を10年経験。2009年より年間500社の人事部門を6年連続訪問。人事部門の役割と人事の人たちのキャリアについて研究。多数の企業で顧問も担う。著書に『破壊と創造の人事』(共著・ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。 |