2015年06月18日掲載

人事労務から考える危機管理対策のススメ - 第1回 はじめに――人材にダメージを与える危機事象に人事部門として対応するために


亀田 高志
株式会社産業医大ソリューションズ
代表取締役社長・医師

1.想定外の危機事象に対する具体的な準備と体制は十分ですか?

 私は2006年に産業医科大学の設立したベンチャー企業の創業社長として、職場の健康管理を事業化するという活動の中で、従業員の健康の側面から企業の危機管理対策を構築・支援する取り組みも行ってきました。
 今回を含めて7回の連載の中で、企業人事労務を担う読者の皆さまに、危機事象によるダメージを人材の側面から軽減する上でのポイントを解説していきます。

 では、まず、以下に示す、いくつかの質問を考えてみてください。

危機的な事象として、今、あなたの会社(職場)の○○○○で、××××が起きることやその影響を、あなたの会社(職場)では、具体的に想定していますか?

 この○○には一般的には「オフィスビル」が、××には、「火災」が入るかもしれません。
 消火器の設置や定期的な火災訓練を行っている企業は多いと思いますが、では、その訓練では、次のような状況が具体的に想定されているでしょうか?
 ・従業員が警報や指示に反応せず、職場からなかなか避難しようとしない状況
 ・煙が充満し、視界が悪い中、避難しなければならない状況
 ・避難時に、出張や営業活動等のため、誰がどこにいるのか、分からない状況
 ・けが人等が出て、従業員が心理的なダメ―ジを負ってしまった状況
 こうした状況は時刻と避難路があらかじめ明示され、整然と社屋や工場の外に行列して出ていくような訓練では確認ができません。

危機的な事象として、今、あなたの会社(職場)の○○○○で、××××が起きた場合でも、あなたの会社(職場)では、十分な備えがありますか?

 この○○と××には、「ある地域」に「震度6の地震」が入るかもしれません。
 東日本大震災と津波等による甚大な被害から4年以上を経て、現在では東南海地震や、関東あるいは首都圏直下型地震発生時の被害想定が行政から具体的に示されています。震度5や6の地震が発生し、火災になった場合の対応手順を決めている企業は、少なくないと思います。
 ではその手続きには次のような状況が具体的に想定されているでしょうか?
 ・電話やインターネットがつながらない状況
 ・停電や断水、ガスの供給停止が長期間続く状況
 ・医療機関も損害を受け、多数の受傷者が発生し、傷病への治療を受けられない状況
 ・出張や営業活動中の従業員の安否が確認できない状況
 ・公共交通機関が停止し、従業員の移動が困難な状況
 ・物流の停止に伴い、長期間物資が不足する状況
 ・従業員の心理的なダメージが強く、就労意欲が回復しない状況
 これらの状況を想定するか、しないかによって、物資や連絡網の整備のような事前準備や震災後の復旧、復興の備えに大きく違いが生じます。例えば、物流の停止が想定されていれば、会社(職場内)だけでなく、従業員個人ごとに、できれば1週間、最低でも3日分の水、食糧を備蓄するよう、対策することが可能です。
 しかし、快適な物流システムの上に成り立っている現代生活を送っている人では、個人の備蓄をしっかりと行っている人は少数派であると思われます。

危機的な事象として、今、あなたの会社(職場)の○○○○で××××が起きた場合、あなたの会社(職場)では、十分な体制が取れますか?

 この○○と××には、「国や都道府県レベル」で「感染症の大流行」が起きる状況も想定されます。本稿の執筆を開始した6月初旬、時を同じくしてお隣の韓国でSARSに類似した中東呼吸器症候群(MERS)の流行が報じられました。万が一、ヒトからヒトへの感染様式がこのウイルスの変異によって成立した場合には、2003年のSARSに匹敵する被害が生じるかもしれません。
 火災は分単位、地震は秒単位で進行しますが、感染症の流行は週・月単位で進みます。時間的には余裕があるように見えるかもしれませんが、2009年から2010年に世界的に大流行した新型インフルエンザは、日本でも流行しました。
 合計の死亡者数が約200人に達しましたが、他の先進国よりも軽微であったため、幸い社会不安状態には至りませんでした。けれども、数カ月にわたって、欠勤や出勤困難等による企業活動への影響は避けられませんでした。
 その際に取られた体制も既に6年が経過して古くなったり、マスク等の備蓄も不確かで実効性が損われてはいないでしょうか?

 以上のように見ていくと、皆さんの会社(職場)での危機事象に対する危機管理対策の想定、備え、そして体制が十分でないことに気づかれるのではないでしょうか。

2.人事労務として、会社で行う危機管理対策への関与は十分ですか?

あなたの会社は、顧客として取引先の企業に△△△△を保証するように求めて(求められて)いますか?

 この△△には例えば、「品質」や「環境への対策」と回答する人が少なくないと思います。いずれも、ISO規格で言えば、ISO9000やISO14000を満たすことでこれらを保証することになります。実際に生産管理や環境管理を保証することはもはや、常識的と言ってよいほど浸透しています。
 近年、グローバルな企業間の商取引の場では、こうした品質や環境管理に加えて、互いの「事業継続性」が確認されるようになっています。2012年には事業継続管理を確保するためISO規格として、ISO22301が発効しました。その対象として、感染症、地震や津波のような大規模自然災害等、事業継続を脅かす現象を網羅する必要があります。スピードと正確性を要求される現代の商取引において、こうした事業継続性が要求されるのは自然な流れと捉えられることでしょう。

人事労務部門としての、あなたの会社の事業継続計画・マネジメントへの関与は十分でしょうか?

 通常、大手企業ではこうした危機事象への対策である事業継続計画(BCP)や事業継続マネジメント(BCM)を担うのは内部統制部門やリスク管理を担当する専門部署であるケースが少なくありません。第二次産業の製造業等であれば、事業継続を管理する部署は環境管理や安全衛生管理と並列で存在していることもあります。
 本来は事業継続計画や事業継続マネジメントは組織横断的な活動であるはずです。しかし、内部組織担当部署だけでなく、外部専門家もそのバックグラウンドとなる専門性の見地から考えることになります。

[図表1]危機管理対策において、基礎となる人材(ヒト)

 企業で事業を行うのは人材(ヒト)であり、先述した危機事象による人材への影響や動向は事業継続の確実性に大きく影響します。もしも、人事労務部門のかかわりが限定的となれば、核となる人材への影響が軽視され、十分な準備や体制が取れない可能性が残ります。
 事業継続の専門家からは対応や対策計画が、表計算ソフトで書かれたような、時に数値化された美しい表として表現されることがあります。しかし、人材である社員は、例えば心理的なダメージを受けると心身や行動に影響が現れる生身の"ヒト"です。
 加えて、"ヒト"そのものにまつわる、例えば自殺や事件、事故のような危機事象も少なくありませんが、そのような側面を軽視しては実効性のある対策は望めません。
 "ヒト"の問題に直に接する機会の多い人事労務担当者の方々には、そのような感覚は理解しやすく、また、対策の全社的な実効性を高めるために人事労務の関与が必要だと考えられる点ではないでしょうか。
 一方、第三次産業が主体となった日本企業では、そうした問題を管轄する部署がそもそも存在せず、人事労務部門が担当していることも多いのではないでしょうか。あるいは、中小企業でも同様の状況であり、それはリソースの問題でもあります。

 以上のように見ていくと、事業継続性を確保する対策では、"ヒト"の問題への対処の側面からも、あるいはリソースの観点からも、人事労務部門が主体的に関与する必要があることが分かります。

3.人事労務部門として、危機管理対策の目的と目標を設定する

 では、人事労務部門として事業継続性を確保する危機管理対策に関与する際に知っておくとよいこと、あるいは主体的に危機管理対策を構築する方法とは、どのようなものなのでしょうか。
 実際には、危機管理対策に関与したり、主体的に構築する方法は、従来から人事労務部門が行ってきた枠組みとそれほど違いがあるわけではありません。

 次回以降の連載で順番に説明していきたいと思いますが、まず、対策を学んでいただく第一歩として、[図表2]の例を参考に、その目的と目標を明らかにしておきましょう。

[図表2]危機管理対策を行う目的・目標の例

【目 的】
 1.すべての従業員・関係者の生命、安全、健康を確保する
 2.社内の資産と環境を保護する
 3.事業継続性を確保する

■目 標
 ①危機事象による影響(リスクと損失)の最小化を達成する
 ②通常の事業運営から危機の際の運営に整然と移行し、可能な限り速やかに復帰する

 人事労務部門としての全社的な対策への関与や主体的な対策の構築には、課題や困難がないわけではありません。また、危機管理対策は一時的なものではなく、継続的に行うものですから、確固たる目的意識と具体的な目標のイメージを持っておくことが大切です。ここで例として挙げた目的、目標は絶対的なものではありません。読者の皆さんの会社や職場に合った表現で考えてみることをお勧めします。
 危機管理対策として取り扱う可能性のある具体的な危機事象としては、地震、津波、台風・暴風雨、竜巻、洪水といった自然災害、新型インフルエンザ等の感染症、従業員の起こす自殺や未遂、事件や問題行動のような"ヒト"そのものの問題、火災、停電、漏水といった施設面の問題、公共交通機関や社会インフラに関連する問題、デモやテロといった海外を含めた現象まで、数多くあります。
 またそれらの影響は、[図表2]の「目的」に記載した人命、安全、健康だけでなく、従業員の欠勤、休業等の労働損失、行政指導や裁判のような法的な側面、生産活動や営業活動、物流への影響まで、多岐にわたります。そして、前半で質問した○○や××の部分には、たくさんの事柄が該当するのです。
 社内で経営層に上申し、管理職層や一般従業員に行動基準を徹底していく際の根拠にも当たるので、これらの目的・目標をしっかりと定めておくことが大切です。

亀田高志  かめだ たかし
株式会社産業医大ソリューションズ 代表取締役社長・医師
1991年、産業医科大学医学部卒。国内大手企業ならびに米国外資系企業の専属産業医とアジア太平洋地域担当、産業医科大学講師を経て、2006年、産業医科大学による(株)産業医大ソリューションズ設立に伴い現職。企業における健康確保対策の構築と健康管理活動の事業化が専門で、職場のメンタルヘルス対策や危機管理対策に詳しい。企業人事に対するコンサルティングと研修講師としての活動や社会保険労務士に対するメンタルヘルス対応スキルの教育にも傾注している。