2014年09月26日掲載

ASTD ICEから読み取る人材開発の最新動向 - 第1回 グローバル化の進展が人材開発の在り方を変えている


永禮弘之 株式会社エレクセ・パートナーズ代表取締役 クライアントパートナー
ASTDジャパン 理事

長尾朋子 株式会社エレクセ・パートナーズ クライアントパートナー

 グローバル化の進展、高まるイノベーションへのニーズ、組織内の人材の多様化といった急速な経営環境の変化が、個人の学びと組織における人材開発の在り方を変えている。本稿では4回にわたり、ワールドワイドの人材開発の最新動向について、世界最大級の人材開発・組織開発のプロフェッショナル組織であるASTD(American Society for Training and Development:米国人材開発機構)の発信内容から紹介していく。

◆人材開発・組織開発の最新情報を世界中に発信するASTD

 ASTDは、世界最大級の人材開発・組織開発に関する非営利団体であり、設立は1944年。米国ヴァージニア州アレキサンドリアに本部を置き、世界120カ国以上に約4万人の会員を持つ。人材開発・組織開発の分野において、コンファレンス・セミナーの開催、調査研究、出版、資格認定などを大規模に行い、企業・教育機関・行政体の実務家、研究者・コンサルタント・トレーナーなどの専門家が交流する組織だ。

 実務家や専門家にとって、ASTDは世界的規模で最新事情や研究成果を発信、共有する場だ。「インフォーマル・ラーニング」[注1]や「エンゲージメント」[注2]など、ASTDで取り上げられたHRの概念は日本でも積極的に研究され、導入されてきた。企業の人材開発投資、施策、成果などに関する年次調査報告書「State of the Industry Report」[注3]は、世界中でベンチマークデータとして活用されている。また、ASTD ICE(ASTD国際会議。後述)や「ASTD TechKnowledge」(学習テクノロジー分野の会議)などの年次総会には、世界各国の参加者が集う。最近では「チャイナサミット」「メキシコサミット」といった地域別のネットワーキングの場も続々と生まれている。

[注1]会社が設けた集合研修などの公式な学習ではなく、個人が仕事の現場や勉強会などのコミュニティ、ネットワークを通じて行う非公式の学習。
[注2]社員の働く意欲と会社に対するコミットメントの高さ。
[注3]「State of the Industry Report」については、次のサイトを参照。
http://www.astd.org/Professional-Resources/State-Of-The-Industry-Report

 ASTDのもう一つの顔は、人材開発・組織開発プロフェッショナル育成の専門機関だ。人材開発・組織開発分野のプロフェッショナルに求められるコンピテンシー[注4]や知識、スキルを調査研究に基づいて示し、資格認定やトレーニング、学習ツールを提供する。さらに、会員同士のコミュニティやジョブサーチサービスをWeb上で提供し、人材開発・組織開発プロフェッショナルのキャリア開発を支援している。

[注4]ASTDのコンピテンシーモデルについては、次のサイトを参照。
http://www.astd.org/Certification/Competency-Model

◆ASTD ICEは「実践的な対話の場」

 ASTDの最大のイベントが、年1回開催されるASTD ICE(ASTD International Conference & Exposition)だ。毎年1万人近くの参加者が、最先端の理論や手法、事例を共有する。2014年は、5月初旬に米国ワシントンD.C.で開催。次の九つの主要テーマにつき、4日間で350以上の同時進行セッションが行われ、300以上の展示ブースが出展された。

【「ASTD2014 ICE」の主要テーマ】
(1)Career Development(キャリア開発)
(2)Training Design & Delivery(研修デザインと提供)
(3)Global Human Resource Development(グローバル人材開発)
(4)Human Capital(人的資本)
(5)Leadership Development(リーダーシップ開発)
(6)Learning Technologies(学習テクノロジー)
(7)Learning Measurement & Analytics(学習効果の測定と分析)
(8)The Science of Learning(学習の科学)
(9)Workforce Development for Non-Training Professionals(研修専門家以外の人向けの従業員開発)

 今年の参加者数は、全世界92カ国・1万500人で、そのうち海外からの参加者は、韓国(256人)、カナダ(200人)、中国(197人)を筆頭に、総計2250人に上る。日本からは企業の実務家、研究者、コンサルタントなど136人が参加した。

 この会議では、発表者が情報提供するだけでなく、セッション会場内やホールのベンチ、特設ツイッターなど、いたるところで発表者と参加者、あるいは参加者同士の実践的な対話が行われている。ASTD ICEは、参加者が自身の問題意識や課題解決に関するヒントを求め、貪欲に相互学習を行う巨大な学習コミュニティであり、対話の中から未来のトレンドのヒントをつかむことができる。

◆急速に進む人材開発のグローバル化

 筆者は、ASTD ICEに2005年から10年連続で参加しており、この数年「グローバル化の進展」「テクノロジーの進化」に伴う人材開発の潮流の変化を毎年肌で感じている。

 企業のグローバル事業展開が進み、セッション内容や参加者の国籍のグローバル化も急速に進んでいる。今年は、米国以外の参加者が全体の4分の1を占め、海外参加者の交流拠点「グローバルビレッジ」は、各国代表団の情報交換で例年以上に賑(にぎ)わった。これまで長年にわたり、参加者の主目的は、米国企業の先進事例や米国内で注目された理論など、米国の人材開発に関する情報収集だった。しかし2012年、セッションの主要テーマに「グローバル人材開発」が登場する。いまや中国、韓国、インドなどに加え、南米や中東の企業による発表も行われており、今年開催された、韓国サムスン社の地域専門家育成を紹介するセッションは200人近くの聴衆を集め、その中には欧米人の姿も多数見られた。

 また、発表のテーマも、これまで多く見られた「欧米本国のトレーニングの海外拠点展開や異文化対応」から「各国または海外拠点主導のリーダーシップ開発や組織変革」に移っている。世界の有望市場ではトップクラスのグローバル企業が競争相手となるため、現地企業も、ローカル人材中心の海外拠点も、グローバル基準の優れた人材開発の仕組みの導入、推進を目指している。

 例えば、経済発展著しいインドや中国の企業の発表では、事業成長に向けた現地統括マネージャーの充足に焦点を当てたリーダーシップ開発の事例が紹介されていた。その企業では若く優秀なMBA取得者を採用し、ビジネススキル・リーダーシップの集合研修、異動による複数部門の経験、経営層からのメンタリングなどを組み込んだ、2年から2年半のプログラムを実施。そのプロセスを通じて人材の見極めを行い、合格者を統括マネジャーへと登用する。現地資本の新興企業が、米国GE社が行う2年間のリーダー早期育成プログラムに類似する本格的なリーダー育成の取り組みを躊躇(ちゅうちょ)なく進めているのには驚く。

 アジアの成長企業がグローバルで通用する人材開発の仕組みを定着させている一方、日本企業はその多くが諸外国と大きく異なる"自国流"の制度を掲げている。社員1人当たりの育成投資も世界平均に比べると4分の1以下と格段に少ない[注5]。その状況を裏打ちするように、リーダーシップ開発に関するグローバル調査[注6]によると、リーダーシップの質、リーダー候補者の充足度に関する評価結果は、調査国中で日本が最低レベルだ。

[注5]ASTD Research「2013 State of Industry Report」(2013年)
[注6]米国DDI社「Global Leadership Forecast 2014-2015」より。同調査は世界各国の組織リーダーおよびHR責任者を対象に2年に1度実施されており、今回は48カ国・2000社超から1万5000人近くの回答を得ている。調査結果の概要(英文)は、以下のWebサイトで閲覧できる。
http://www.ddiworld.com/glf2014

◆デジタル世代が学びを変えている

 1990年代からの劇的なICT(情報通信技術)の技術革新に伴い、人々の働き方は変わり始めた。人材開発の世界では、デジタル社会に慣れ親しんだ若い世代を中心に、学習スタイルが変化し、新しい学習文化が生まれている。

 スマートフォンやタブレット端末などのモバイル機器を使うことで、時間や場所を問わない学習が可能になっている。2012年にASTDと米国のコンサルティング会社i4cpが行った調査によると、回答企業の28%が社内にモバイル用の教材を持ち、社員の誰もが社内のどこででも利用可能な学習環境を築いている。

 学習のテーマや時間、場所、コンテンツはますます個人の選択に委ねられ、組織学習は、人材開発部門が用意した一律のコンテンツを社員に学ばせる形式から、社員自身の学習ニーズに基づく自律的な学習方法に移行している。組織が提供するコンテンツでも、ソーシャルラーニング(社会知の学習)や前述のインフォーマル・ラーニングといった"学習者主導"の知識共有と相互学習の比重が高まっている。例えば、世界有数のソフトウェア企業SAP社は、ブログを使った社内外200万人が参加する学習コミュニティを有しており、投稿した質問や意見には、平均17分で最初のレスポンスが来るそうだ[注7]。

[注7]ジョン・シーリー・ブラウン教授の2013年ASTD国際会議(2013年5月21日)基調講演による。

 学習デザインの大家で、eラーニングの生みの親の1人であるエリオット・メイシー氏は、学習者主導の自律的な学習スタイルに注目し、新たな学習デザインの方向性を示している。彼によると、学習者は「自分が知りたいことだけを教えてもらいたい」と考えている。Web学習で集中できるのはたった7分にすぎず、コンテンツをすべて見るわけでもない。コンテンツは短くなり、いまや1日の集合研修は半日に圧縮され、半日の集合研修はWeb学習に変わり、Web学習は12分のビデオクリップになった。Webで参照できる情報は参照先だけを確認し、内容は記憶しない。自分が知りたいこと以外は頭の中に入れないのだ。

 学習デザイナーが作り込んだ体系的な教材は、学習者の目的に合わせてバラバラに利用されている。これから求められるのは、「忙しい中で記憶する必要がなく」「短時間に行えて」「手元でいつでも利用できる」教材だろう。

◆変化の中で人材開発部門に求められる役割とは

 今年のASTD ICEのメインテーマは「Change(変化)」。グローバル化の進展で事業環境の変化が激しくなる中、「変化への適応や変化そのものの創造に向け、人材開発や学習の在り方、人材開発部門の役割を再考しよう」という主張が、会期を通じて何度も聞かれた。

 基調講演の前には、「家族以外はすべてを変えよう」を組織哲学とする韓国サムスン社の人材開発トップのインタビュー動画が上映された。彼は「人材開発部門の役割はチェンジリーダーを育てることだけでなく、自らが経営トップの戦略パートナー、チェンジエージェントとして変革を先導することだ」と語っていた。人材開発部門のメンバーには今後、専門分野の知識や経験だけでなく、自社の事業への見識と現場の課題へ切り込む行動力が欠かせなくなるだろう。

 そして、学習スタイルの変化により人材開発部門の役割は、教材作成や研修の実施運営から「組織における効果的な学習の在り方の提案」「社員の学習ゴールの見極め」「ゴール到達に向けたコンテンツの選択」「社員の自律的な学習の支援」へと移行していくだろう。

 ASTDは2014年5月から、「American Society for Training and Development」の名称から「米国(American)」を外し、「Training」を「Talent Management」(タレントマネジメント)に変えて、ATD(Association for Talent Management)へと組織名を改める。グローバル化の進展に伴いASTDのコミュニティが国境を越えて世界に広がり、学習スタイルがデジタル世代を中心に、より学習者主導となり、教育研修だけにとどまらなくなったことが、この名称変更に表れていると言える。

 次回は、グローバルレベルでのリーダーシップ開発の動向をより具体的に、ASTDで定期的に発表されている大規模調査の要旨を通じて紹介したい。

永禮 弘之 ながれ ひろゆき
株式会社エレクセ・パートナーズ代表取締役 クライアントパートナー/ASTDジャパン 理事

化学会社の営業・営業企画・経営企画、外資系コンサルティング会社のコンサルタント、衛星放送会社の経営企画部長・事業開発部長、組織変革コンサルティング会社の取締役などを経て現在に至る。建設、化学、医薬品、食品、自動車、電機、情報通信、小売、外食、ホテル、教育出版、文具など幅広い業界の企業に対して、1万人以上の経営幹部、若手リーダーの育成を支援。ASTD日本支部理事、リーダーシップ開発委員会委員長。主な著書・雑誌寄稿に、『リーダーシップ開発の基本』(ヒューマンバリュー、日本語版監修)、『マネジャーになってしまったら読む本』(ダイヤモンド社)、『強い会社は社員が偉い』(日経BP社)、『問題発見力と解決力』(日本経済新聞社、共著)、『グループ経営の実際』(日本経済新聞社、共著)、『日経ビジネス』(2012年11月19日号、日経BP社)「イノベーションを生む組織 1人のリーダーに頼る限界」、『日経ビジネスオンライン』(日経BP社)連載「野々村人事部長の歳時記シリーズ1~3」、『日経ビジネスアソシエ』(日経BP社)連載「MBA講座」、『人材教育』(日本能率協会マネジメントセンター)寄稿「ASTD2011 International Conference & Expo レポート『リーダーシップ開発は個人の内面と向き合うアプローチへ』」、『IIBCグローバル人材育成プロジェクト』(国際ビジネスコミュニケーション協会)連載「Step by Step ゼロから始めるグローバルリーダー育成プログラム」、『労政時報』第3820号(12.4.27、労務行政)掲載「これからの管理職育成」寄稿「ミドル育成のカギは、『ピープルマネジメント』の意識付け、成長機会の7:2:1のバランス、若い頃からの判断経験の積み重ね」、「Web労政時報」連載「グローバル人材マネジメントへのリーダーシップ」(全13回)、『労政時報別冊 人事担当者が知っておきたい、10の基礎知識。8つの心構え。』(労務行政)寄稿「"グローバル化"で求められる人事の役割と考え方」など多数。

長尾 朋子 ながお ともこ
株式会社エレクセ・パートナーズ クライアントパートナー

流通・小売業で、全社能力開発・研修体系の構築、次世代リーダー、階層別マネジメント研修プログラムの企画開発・運営管理を行い、その後、教育事業会社の立ち上げや、組織変革コンサルティング会社での人材育成支援事業に携わる。現在は、研修プログラム、アセスメントなどの商品・サービスの企画開発、マーケティングをはじめ、事業会社の教育体系構築支援などを通じ、企業のリーダー人材開発支援に取り組んでいる。著書・雑誌寄稿に、『リーダーシップ開発の基本』(ヒューマンバリュー、日本語版翻訳)、『IIBCグローバル人材育成プロジェクト』(国際ビジネスコミュニケーション協会)連載「Step by Step グローバルHRが知っておきたい人材育成の実践理論」、『日経ビジネスオンライン』(日経BP社)連載「野々村人事部長の歳時記シリーズ1~3」がある。