2024年09月13日掲載

Point of view - 第260回 安田雅彦 ― 管理職を罰ゲームにしない ―― 今こそピープルマネジメントへの注力を

安田雅彦 やすだ まさひこ
株式会社 We Are The People 代表取締役

1967年生まれ。1989年に南山大学卒業後、西友にて人事採用・教育訓練を担当、子会社出向の後に同社を退社し、2001年よりグッチグループジャパン(現ケリングジャパン)にて人事企画・能力開発・事業部担当人事など人事部門全般を経験。2008年からはジョンソン・エンド・ジョンソンにてSenior HR Business Partnerを務め、組織人事や人事制度改訂・導入、Talent Managementのフレーム運用、M&Aなどをリードした。2013年にアストラゼネカへ転じた後に、2015年5月よりラッシュジャパンにてHead of People(人事統括責任者・人事部長)を務める。2021年7月末日をもって同社を退社し、自ら起業した株式会社 We Are The Peopleでの事業に専念。現在、約30社の人事アドバイザー(顧問)を務める。ソーシャル経済メディア「NewsPicks」ではプロピッカーとして活動。

管理職の現状と役割

 近年、企業社会において「管理職は罰ゲーム」という言葉が頻繁に聞かれるようになってきた。この言葉は、管理職というポジションが、上からのプレッシャーと下からの突き上げ、さらには働き方の変化に対応する多忙さの中で、報酬や権限がそれに見合わないと感じられることから生じたものだ。多くの社員が「管理職になりたくない」と感じるようになり、そのことが管理職の役割を担う人材とそのマネジメントの質の低下につながっていると考えられる。この現象は、現代の日本企業が直面している深刻な課題の一つと言える。
 管理職の本来の役割は、事業の短期的な成果を上げることにとどまらず、中長期的な組織の成長を見据えた人材育成にも責任を持つことである。しかし、多くの企業では、この役割に見合う報酬や権限が適切に与えられていないため、管理職を目指す意欲が()がれている。これが「罰ゲーム」と揶揄(やゆ)される理由の一つである。さらに、日本企業における管理職の位置づけが曖昧で、「質の良いマネジメント」が何を意味するのか、その定義が不明確であり、そのための教育が十分でないことも問題を深刻化させている。
 本来、ヒトとビジネスの成長を同時に実現することを意味する「ピープルマネジメント」とは極めて重要な職務である。短期的な目標の達成、および安定的・継続的な成長に必要な組織力の向上を支え、社員一人ひとりの能力を最大限に引き出すためには、優れたピープルマネジメントが不可欠だ。ところが、現状では管理職に課せられる責任が大きいにもかかわらず、それに見合った報酬や評価が得られないことが多い。それどころか、何らかの理由でピープルマネジメントの責を解かれてしまっても、そのままの処遇を維持できるケースも多く見られる。このような現状では管理職になる「(うま)み」があるとはいえず、そこに対するインセンティブも働かないのは当然ではないだろうか。
 加えて、前述の罰ゲーム議論の中心となっている「中間管理職」も言ってみれば、上級管理職の「部下」である。しかしながら、そこでのピープルマネジメントの質と実践度は、中間管理職が一般担当者に対して行うそれと比べて低くなりがちだ。つまり、「薄く」なっていることが多い。社長は部下である役員・執行役員に対して1on1ミーティングやフィードバックを行っているのか。目標の言語化や成果責任の遂行を明確に問うているのか。マネジメントのクオリティと実践は、本来どの階層であっても適切に求められるべきであると考える。

エンゲージメントの重要性とピープルマネジメント

 理想的なピープルマネジメントとは、組織の目標を各個人に分け与え、その達成をサポートする、その過程でメンバー一人ひとりの能力とエンゲージメントを高めることである[図表1]。企業が掲げるパーパスや目標を明確にし、それを各部門や個人ごとにブレイクダウンし、少し高い目標に挑戦させることで、社員の成長を促進することが求められる。そして、この成果責任として定義された、そしてストレッチに設定された目標を達成しようとすることで、能力の向上が生まれ、その努力の根源であるエンゲージメントや経営理念・価値観やパーパスへの共感を生み、かつその経験を将来に活かそうというキャリアへの野心醸成につながる。つまり、ピープルマネジメントとはパフォーマンスマネジメントとほぼ同義であるといえ、この概念こそが企業の持続的な成長を支える鍵となるものと考える。
 エンゲージメントがここまで重要視されるようになった背景には、社会全体での働き方の変化や労働市場の動向が大きく影響している。現代では、従業員が自身のキャリアやライフスタイルに対してより高い関心を持つようになり、企業に対しても同様の柔軟性や価値提供を求めるようになってきた。また、労働力人口の減少やグローバル競争の激化により、企業が優秀な人材を確保し、維持することがますます難しくなっている。このような環境下では、従業員のエンゲージメントを高め、企業との結びつきを強固にすることが、競争優位性を保つための最も重要な要素の一つとなっている。

[図表1]「ピープルマネジメント」を分解する

図表1

資料出所:筆者作成([図表2、3]も同じ)

信頼関係と成果責任の重要性

 エンゲージメントを育むためには、単に目標や期待を示すだけでは不十分であり、上司と部下の間に強い信頼関係が構築されていなければならない[図表2]。信頼関係がなければ、部下は上司の指示やフィードバックを真摯(しんし)に受け止められず、その結果、目標達成への意欲が低下してしまう可能性がある。したがって、信頼関係は、ピープルマネジメントの成功に不可欠な要素である。
 この信頼関係は自然に生まれるものではなく、仕組みと日々の努力によって作られるべきものである。上司は部下とのコミュニケーションを積極的に行い、透明性のあるフィードバックを提供することで、部下が自分の役割を理解し、目標に向かって努力できる環境を作り上げる必要がある。また、部下が困難に直面したときには適切なサポートを提供し、彼らが自信を持って業務に取り組めるよう支援することが求められる。このような取り組みが日々積み重なることで、信頼関係が築かれ、部下のエンゲージメントが高まっていく。
 さらに管理職には、人材育成やエンゲージメントの程度、つまりピープルマネジメントの質・実践度も「成果責任」として問われるべきである。企業の成長を支えるには、単に短期的な売り上げや利益だけが評価基準となるのではなく、組織全体の長期的な成長を促すための人材育成やエンゲージメント向上も、管理職の重要な責務として認識することは不可欠なはずだ。これにより、管理職は自らの業績だけでなく、部下の成長やエンゲージメントにも責任を持つようになり、結果的に組織全体のパフォーマンスが向上する。
 そして、そのような形で管理職の責任が明確に定義され、その遂行度がおのおのの管理職に問われるような状況であれば、おのずと部下のことが気になり「1on1ミーティングで何を話したらよいか分からない」といったような状況にはならないはずである。

[図表2]「エンゲージメント」の構造

図表2

パーパスの浸透と職場のエンゲージメント

 ピープルマネジメントが果たす役割として欠かせないことの一つが、企業の理念やパーパスの浸透である。近年、多くの企業が、この重要性を認識し始めているが、その実現には上司と部下のコミュニケーションの充実が不可欠である。企業の理念やパーパスは、ただ掲げられるだけでは社員に浸透しない。それらを各部門、さらには各社員にまで具体的な目標や行動指針として落とし込み、日々の業務を通じて実感できるようにする。
 そして、加えて大切なことは企業のパーパスと個人のパーパスに接点を求めることである[図表3]。企業が事業を通じて世の中に提供したい価値を明示するとともに、働く人間にも自身の「パーパス」を問う。そのための機会を持つ。具体的には「キャリアカンバセーション(将来キャリアに向けての対話)」などの実践を通じて行うが、このような機会・対話こそ企業が目指すものへの個人の理解とそこへの共感につながり、言い方を変えれば経営理念・パーパスの浸透とは、このようなコミュニケーションでしか起き得ないものと考える。
 また、こうしたピープルマネジメントの実践は、エンゲージメントの高い職場を生み出し、結果として企業が「働く場所として選ばれる」ための基盤を築く。エンゲージメントの高い職場環境は、社員が自らのキャリアに積極的に関与し、企業の成長に貢献する意欲を持つ場となる。さらに、こうした企業は、労働市場においても魅力的な雇用先として認識されるため、優秀な人材を()きつけることができる。これにより、企業は競争優位を確保し、持続的に成長することが可能となるのである。

[図表3]組織のパーパスと個人のパーパス

図表3

ピープルマネジメントの未来

 日本企業が今後、事業成長と人材育成を両立させるためには、ここまで述べたようなあるべきピープルマネジメントの姿を各企業が自社で明確に定義し、社内に明示するとともに、それを実現するための全体構造を見直す必要がある。トップから現場のマネージャーまでが一貫したマネジメントの在り方を実践し、社員のエンゲージメントや成長意欲を高めることで、組織全体のパフォーマンスを向上させることができるだろう。
 ピープルマネジメントとは、単なる部下への優しさやケアにとどまらず、パフォーマンスをマネジメントすることであり、同時に中長期的な価値創出とビジネスの成長を実現する組織力の向上に直結する重要な職務である。企業の目標達成に向けて、管理職が部下と真摯に向き合い、成果を求める姿勢を持つことが、これからの日本企業に求められる「ピープルマネジメント」の本来あるべき姿である。
 このアプローチを実践することで、エンゲージメントの高い職場環境が築かれ、企業は「働く場所として選ばれる」存在となる。結果として、企業は優秀な人材を獲得しやすくなり、人材面での競争優位も確立できるだろう。この意味も含め、今こそ企業はピープルマネジメントの重要性に真剣に向き合うべき時なのである。