徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー
1.はじめに
今後、企業が持続的に成長し、競争力を維持・強化していくためには、財務資本を中心とした有形資本だけでなく、人材の知識・スキル、経験、健康、モチベーションといった無形資本である「人的資本」への投資が、これまで以上に重要になっている[図表1]。現在、多くの企業が、この人的資本をいかに最大化して、企業価値の向上につなげていくかを経営戦略の柱の一つに挙げている。その実現には、魅力的な処遇や職場環境の整備によって優秀な人材を惹きつけ、モチベーションを引き出し競争力を高める施策が不可欠である。さらに、経営戦略を実現するために、どのような人材戦略を描き、従業員をどう動機づけるかが、今まさに企業経営における最大のテーマとなっている。そして、そのための人材マネジメントの手段の一つがトータルリワード戦略である。
[図表1]競争力維持・強化に向けた人的資本経営

資料出所:筆者作成
※本稿における意見に関わる部分および有り得るべき誤りは、筆者個人に帰属するものであり、所属する組織のものではないことを申し添える
2.経営戦略と人材戦略の連動
人的資本経営とは、単に人材を「コスト」として管理するのではなく、「投資すべき資本」と捉え、業績や企業価値向上の源泉として扱う考え方である。その実現に向けたファーストステップとして、経営の方針と従業員の意識のベクトルを合わせる必要がある。これは企業として、どのような人材を求め、どのように育成し、どのような行動を期待するのか、経営のメッセージを従業員一人ひとりにしっかりと伝え、理解と共感を深めていくことが重要である。
この経営の方針と従業員の意識のベクトル合わせが実現できた後にセカンドステップとして、経営戦略と人材戦略を連動させることが求められる。具体的には、事業戦略に即した人材配置を行い、一人ひとりにミッションを明確に伝えて、従業員が自らの役割を認識して業務遂行するよう推進することである。そして、このような人材を継続的に育成・輩出していくことが、企業の競争力強化につながる。
[図表2]人的資本経営のファーストステップとセカンドステップ

資料出所:筆者作成
経営戦略と人材戦略の連動に当たっては、経営層のビジネスパートナーとしてHRBP(Human Resource Business Partner:HRビジネスパートナー)を設置することは有効な手段になり得る。HRBPの導入については、各社においてさまざまな取り組みがなされているところである。HRBPを有効に機能させるためには、人事の監視役という位置づけではなく、経営と従業員双方の「伴走者」と位置づけることが重要である。経営と従業員の双方から信頼を得てこそ、経営ビジョンを達成する真のキーパーソンになる。
3.トータルリワード戦略の実効性向上
経営の方針と従業員の意識のベクトルを合致し、経営戦略と人材戦略の連動が整った後には、戦略を実践するための原動力となるインセンティブが必要となる。それが従業員に提供される報酬(リワード)である。この報酬(リワード)には、給与や賞与などの金銭報酬だけではなく、成長機会や職場環境といった価値を金銭で測りにくい非金銭報酬も含まれる[図表3]。
[図表3]戦略実践の原動力となるリワード(イメージ)

資料出所:筆者作成
また、報酬(リワード)が従業員に与える効果には、「やる気の促進」と「安心感の醸成」の二つが挙げられる。「やる気のリワード」は、受けた瞬間に高揚感をもたらすものであり、「安心感のリワード」は、長期にわたって組織や個人に浸透し、持続的な影響を及ぼすものである[図表4]。したがって、この二つをバランスさせることは、企業の短期的な成果創出と持続的成長を実現していく上でとても重要である。
[図表4]報酬(リワード)の効果

資料出所:筆者作成
第3回で述べたとおり、非金銭報酬を実際に従業員に届ける上で、管理職の役割は極めて大きい。制度や方針として非金銭報酬を設計するだけでは不十分であり、それを日々のマネジメントを通じて実感できる価値として従業員に実感させる存在が管理職である。[図表5]は、管理職に期待されるマネジメントの在り方と、トータルリワード戦略との関係を示した一例である。
例えば、部下に対してパーパスやビジョン、組織目標などを分かりやすく伝える力は、トータルリワード戦略における「経営戦略と人材戦略の連動」や「チームビルディング」に深く関係する要素である。また、次世代管理職の育成や動機づけは、戦略的人事配置や適切な承認といった観点と密接に結び付いている。
さらに、部下の強みを引き出すマネジメント、キャリア形成を支援する姿勢、多様性を受容する関わり方、心理的安全性の高いチームづくりなどは、いずれも非金銭報酬の中核を成す管理職が担う重要な役割である。管理職は、これらの非金銭報酬の提供を通じて、従業員の働きがいやエンゲージメントを高め、組織全体の活性化に寄与していくことが求められている。
したがって、管理職のマネジメント力を継続的に向上させていくことは、トータルリワード戦略の実効性を高める上で不可欠な取り組みといえる。
[図表5]管理職に期待したいマネジメントと非金銭報酬の関係(例)

資料出所:筆者作成
そして、管理職自身も、このような重要な役割を果たすことで、「自分の成長」や「組織への貢献」を実感する契機となるだろう。管理職が自信と誇りを持って部下に向き合うことで、非金銭報酬の価値は組織全体に波及していくこととなり、その効果は長期的かつ安定的に企業価値を向上させることにつながる。
4.ワーキングオーナーシップ
管理職のマネジメント力の向上に加え、トータルリワード戦略の実効性を高める上で重要となる概念が「ワーキングオーナーシップ」である[図表6]。これは、従業員一人ひとりが、自分のキャリア、働き方、仕事を自律的にデザインし、主体的に取り組む姿勢を指す。これは一般的に用いられている用語ではなく、筆者が独自に提唱するものである。具体的には、以下の三つで構成される[図表6]。
① キャリアオーナーシップ:自分のキャリアを能動的に構築する力
② ワークスタイルデザイン:職場環境や働き方を自ら創造する力
③ ジョブクラフティング:仕事の内容を主体的に見直す力
[図表6]ワーキングオーナーシップ

資料出所:筆者作成
会社や上司は、動機づけの環境を整えることはできるが、実際に成果を生み出すのは従業員自身である。そのため、オーナーシップの意識を醸成することは、トータルリワード戦略において極めて重要なポイントとなる。
そして、ワーキングオーナーシップの実現には、管理職の支援が欠かせない。管理職が部下一人ひとりのキャリアビジョンや強み、価値観を理解し、適切なフィードバックや機会提供を行うことで、部下の自律的な成長を後押しできる。また、管理職自身も「自分のキャリアを自ら切り拓く」という意識を持ち、ロールモデルとなることが、組織全体においてワーキングオーナーシップ文化の醸成につながることだろう。
5.トータルリワードの効果測定——トータルリワードサーベイ
人的資本経営を実践していく上でカギとなる従業員エンゲージメントは、報酬(リワード)の価値の感じ方によって大きく左右される。しかし、その感じ方は、世代や性別など個人の価値観によって異なる。また、報酬(リワード)を増やせば当然のことながらコストの増加を伴うため、トータルリワード戦略における費用対効果をしっかりと見極める必要がある。したがって、トータルリワードの効果測定の重要性は極めて高いといえる。
この効果測定に当たっては、当社では「トータルリワードサーベイ」を開発しており、トータルリワードの重要度や満足度、従業員エンゲージメントを基に、①診断→②改善→③共有のサイクルを継続的に回して課題を明確化し、理想的な状態に近づける仕組みである[図表7]。
[図表7]トータルリワードサーベイのサイクル

資料出所:筆者作成
6.トータルリワードサーベイの活用方法
トータルリワードサーベイを活用するに当たっては、まず従業員エンゲージメントの水準に加え、金銭報酬・非金銭報酬それぞれの重要度と満足度を可視化する。これにより、従業員が何を重視し、現状をどのように評価しているかを把握できる。
各リワードの中でも、重要度は高いが満足度が低い項目は、優先的に改善すべきポイントといえる。これらの項目は、単に数値結果を見るだけにとどまらず、その背景や要因にも目を向けながら、一つひとつ丁寧に読み解いていくことが必要である[図表8]。
[図表8]トータルリワードサーベイの診断例

資料出所:筆者作成
次に、トータルリワードサーベイの診断結果を基に改善の方向性を具体化するためにKPIを設定する。サーベイ結果は現状を把握するための出発点であり、それを実際の行動や施策に落とし込んでいくには測定可能な指標としてKPIが不可欠である。その上で、KPIを達成するに当たり、どこに改善すべきポイントが存在するのかを見極めていく必要がある。具体的には、以下の①~④のいずれに課題があるのか、あるいは複数の領域にまたがっているのかを整理することが重要である。
① 経営の方針と従業員の意識のベクトル合わせ
② 経営戦略と人材戦略の連動
③ 管理職の役割
④ ワーキングオーナーシップ
これらの観点から診断結果を分析することで、単なる制度や施策の見直しにとどまらず、経営と現場をつなぐ構造的な課題を明らかにすることができる。
また、KPIが達成に近づくにつれ、個人のパフォーマンスとウェルビーイングが高まり、最終的にはトータルリワード戦略の目的である企業価値向上や従業員自身が満足度の高い豊かな人生の実現につながると考えている[図表9]。
[図表9]トータルリワードサーベイの活用例

資料出所:筆者作成
サーベイ結果については、組織単位で丁寧なフィードバックを行い、職場における納得感を高めていくことが重要である。
サーベイ結果の共有は、各職場のリーダーが中心となって進め、メンバーとの対話を通じて、特に非金銭報酬の課題を抽出し、改善に向けた具体的な方向性を見いだしていく。このプロセスは、現場の主体性を引き出し、自律的な職場改善を促進する上で欠かせない。
こうした取り組みの背景には、職場の多様化と従業員エンゲージメント向上の重要性がある。価値観や働き方が多層化する中で、チームの一体感を保つためには、従業員一人ひとりの声や感じ方を丁寧に把握することが不可欠である。トータルリワードの観点からは、給与や賞与といった金銭報酬のみならず、承認、成長機会、職場環境などの非金銭報酬を含めた包括的なニーズの把握が重要となる。従業員が何を「価値ある報酬(リワード)」と捉えているのかを理解することで、組織はより包括的で満足度の高いリワードの設計が可能になる。
こうした取り組みを通じて従業員エンゲージメントが向上し、その結果として、組織全体のパフォーマンス向上にもつながる。また、必要に応じてサーベイ結果や取り組みの進捗を社外に開示していくことも、企業の人材戦略の透明性を担保し、社会的信頼を高める上で重要なポイントである。
7.おわりに
企業がトータルリワード戦略を通じて持続的成長を実現していくには、健康診断のように効果を定期的に確認し、改善を積み重ねる仕組みが不可欠である。現状を客観的に把握して、抽出した課題には迅速に対応し、その取り組みと成果を透明性をもって共有していく。こうした積み重ねが、企業の競争力を支え、持続的な発展につながる基盤となる。さらに、この一連のプロセスを通じて経年変化を捉え、施策を段階的に高めていく「スパイラルアップ」の視点も重要である。
トータルリワード戦略の目的は、「業績と企業価値の向上」と「従業員の豊かな人生」という二つの社会的役割を果たすことである。この目的を達成するには、トータルリワードを構成する各要素の現在の姿(As is)を効果的に測定し、自社の目指すべき姿(To be)へと進化させていく取り組みが欠かせないと考える。
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徳永祥三 とくなが しょうぞう 三菱UFJ信託銀行株式会社 トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー 公益社団法人日本年金数理人会 副理事長 日本アクチュアリー会正会員 日本証券アナリスト協会認定アナリスト 1994年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関するコンサルティング・営業・事務や三菱UFJフィナンシャル・グループおよび三菱UFJ信託銀行にて人事企画・運用、報酬委員会運営等に従事。2021年に業界初となる「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」を立ち上げ、現在は人事戦略、定年延長、女性活躍、ジョブ型人事制度、DC・ハイブリッド年金、資産形成等をテーマとした人的資本経営に関する企業向けコンサルティング部署の責任者を務める。 |
