2024年01月29日掲載

若手の離職を防止するオンボーディング設計 - 第1回 なぜ、若手社員は急に離職するのか? 部下から告げられた突然の「退職希望」の背景にあるもの

小栗隆志 おぐり たかし
株式会社リンクアンドモチベーション
フェロー

【編集部より】
今月から、全6回にわたる連載「若手の離職を防止するオンボーディング設計」がスタートします。執筆いただくのは、株式会社リンクアンドモチベーション フェローの小栗隆志氏です。
キャリア支援への注目が高まる中、先行して取り組む企業の中には「キャリア支援の結果としての離職」を危惧するケースも見られます。これは、キャリアの方向性は示せても、現在の担当業務との接続ができていないことが原因と考えられます。
本連載では、「キャリアと仕事を接続させるオンボーディングの設計」という観点から、20代の若手社員の離職を防止する取り組みについて解説していただきます。
第1回となる今回は、若手社員の突然の離職の背景にある二つの事象について取り上げます。

信頼していた部下から告げられた、突然の退職希望

 部下から、予想だにしない退職希望を伝えられた――こうした経験を持つマネジャーは少なくないのではないだろうか。まずは、以下のようなケースを見ていただきたい。

 ある企業で一定の経験を積んできた加藤(仮名)は、入社7年目を迎え、メンバーのマネジメントを任されるようになった。会社に忠誠を尽くして頑張ってきたことが認められるうれしさを感じるとともに、自分なら適切にメンバーをマネジメントできるという確固たる自信もあった。

 これは、つい2週間ほど前、入社3年目の田中(仮名)と定期的に実施しているキャリア面談でのことだ。
 「自分がこの会社でさらに成長するためには何が必要か、教えてください!」と田中から前向きな相談をもらった。自分の成長に向けて真摯(しんし)に向き合おうとする田中に対して、加藤はうれしさと同時に責任も感じた。
 最近、カウンセリングの方法を勉強した加藤は、学んだことを生かし、まずは田中の日頃の仕事ぶりを承認した。さらに、田中の築きたいキャリアや、そのために今取り組んでいることを丁寧にヒアリングした。ヒアリング内容を基に、田中と“対峙(たいじ)する姿勢”ではなく“寄り添う姿勢”であることを意識して、自分の経験も踏まえてさまざまな示唆を与えた。
 「本当にありがとうございました! いただいたアドバイスを基に頑張ってみようと思います! 今月も、絶対にチーム目標を達成しましょうね!」
 会社のためにも頑張りたいと話す田中から、逆に加藤が勇気をもらったくらいだった。

 ところが、である。今朝、急に田中から「ちょっと話を聞いてもらっていいですか?」と相談を受けた。加藤は、会議室の席に着くや否や、衝撃的な言葉を聞くことになった。
 「次の会社が決まったので来月末で退職させてください。有休を使わせてもらうので今月末まではちゃんと働きます」
 淡々と話すその表情には、申し訳なさのかけらも感じられない。つい2週間ほど前に、あんなに前向きな会話をした田中と同じ人とは思えないくらいであった。
 なぜこんなことになってしまったのか。自分は何か間違ったアドバイスをしたのだろうか……。加藤は、メンバーを持つことへの自信を木っ端みじんに打ち砕かれた。

人間には「個人人格」と「組織人格」が共存している

 私自身もこのような経験を数多く繰り返してきたし、私の部下であった管理職たちも、同じような憂き目に何度も直面している。信頼し、ともに汗を流し、意気揚々と働いていたメンバーからの急な退職希望ほど、“人間”というものが分からなくなる瞬間はない。
 いや、これはもしかすると本当に、人間というものを分かっていないからなのかもしれない。働く人間の特性を理解するために、まずそのメカニズムについて解説したい。

 原書が出版されたのは80年以上前だが、アメリカの著名な経営学者、チェスター・バーナードの代表作に『経営者の役割』がある。これは単なる経営学の本ではない。人間とは何か、組織とは何かを原理からひもとき、解説している本である。とても難解ではあるが、私が大好きな一冊だ。そこで説明されている人間像を基に考えれば、上記の田中の言動にも一定の真理があることが分かるだろう。

 同書によれば、組織における人間には二つの人格がある。それは「個人人格」と「組織人格」だ[図表1]
 個人人格とは、自由な意志や動機に基づいて、何にどれくらい時間や労力を割くかを決めている人格である。人間には職業選択の自由があり、どこでどのような生活を送りたいかを決めることができるが、それは個人人格としての自分が決めている。今朝も会社に行くことを決めたのは個人人格であるし、嫌いな上司の指示に従って行動しようと決めたもの個人人格である。
 一方、組織人格とは、組織の指示によってある役割を担うことを強制されて行動している人格である。組織の目的がある以上、人間は組織の目的実現に向けて役割を全うする必要がある。会いたくないお客さまに会って頭を下げているのは組織人格であるし、上司の指示に対して忠実に活動しているのも組織人格である。

[図表1]組織で働く人に内在する二つの人格

 そしてこの二つの人格は、同時に存在しているとバーナードは言う。上司の指示に対して嫌な顔一つせず忠実に実行に移す自分(組織人格)と、上司を嫌だなと思いつつ、指示に従うことを決めている自分(個人人格)。この二つは決して矛盾することなく、両立している。本当は別の役をやりたいと思っている(個人人格)役者が、舞台の上では楽しそうにある役割を演じている(組織人格)のである。

 自分の胸に手を当てて人生を振り返ってみれば、「あの時の自分は演じていたな」と思うことが多いのではないか。例えば、クレームが多いお客さまに対して、「またお越しください」と頭を下げる自分。本当は厳しく言うタイプではないのに、上司として毅然(きぜん)と振る舞おうとする自分。
 本心とのズレの大小はあるだろうが、仕事上のほとんどのシーンで、組織人格で役割を演じていると言っても過言ではないだろう。

 このように人間像を捉えた上で、前述の退職の例に立ち返ってみよう。恐らく田中のキャリア面談における発言は、「組織人格」としての発言だったのである。
 「キャリア面談だし、前向きな質問や発言をしておくことが役割としては正解だろう」と組織人格で振る舞っていたのだ。加藤は、そのような“組織人格としての振る舞い”に気づくことができなかった。離職防止を目指す上では、前提としてこの「組織人格」と「個人人格」の存在を理解することが必要なのである。

離職しやすい時代だからこそ、「個人人格」への理解を

 一昔前は、個人人格を表出させると「社会人としてのスタンスがなっていない」と否定されることが多かった。社会人として言われたことを忠実に実行することが正義とされ、個人人格でパフォーマンスが上下する人への評価は低かった。個人人格は組織人格の中に内包されており、たとえ文句があっても表に出してしまえば“社会人失格”という烙印(らくいん)を押されていたのである。
 しかし最近は、むしろ個人人格のほうが重要視される時代になってきた。例えば、個人人格とズレている行動を強制することは、パワーハラスメントであると捉えられ、非難されるようになった。また、近年長時間労働への規制が強化されてきていることの一因として、個人の尊厳に反する働き方への反発が高まっていることが挙げられるだろう。個人人格を尊重する企業が良い企業とされ、就職ランキングの上位に上がるようになっている。
 これらの一連の変化は、“組織による強制”から、“個人に対する意思の尊重”へのシフトの結果である。これはマネジメントする側にとっても良いことだ。個人人格に基づく意見を教えてもらうことで、前述の加藤のような悲劇を減らすことができる。

 一方で、これまでの個人人格を押さえ付けてきたマネジメントスタイルからの変化が求められるため、それが一つの壁になるだろう。今の時代は、個人人格に反した指導や強制をすれば、個人人格側から簡単に逆襲を受けることになる。「お金をもらっているのだから、会社が(上司が)考えるように働くのが当然だろう」という価値観は、当然通用しない。指導や強制ではなく、個人人格に「働きたい」「努力してみたい」と思ってもらうような感化や共感が必要なのだ。
 だからこそ、マネジメントする側は、個人人格へのより一層の理解が必要になってくるのだ。このことを理解しなければ、本連載の主題である「離職防止」を実現することは難しい。

 さらに言えば、近年では転職市場の変化が離職しやすさに拍車をかけている。これまでは、転職するためには大きな労力が必要であった。転職エージェントを通じての転職の場合、まずは人材バンクに登録して、キャリアカウンセラーと面談の時間を設定する。そのプロセス自体も、現在働いている会社にばれないように、夕方以降や週末にこっそりと実施する必要があった。そこで初めて自分の転職希望を伝えて、転職エージェントからいくつか転職候補会社の打診をもらう。実際に数社と面接を重ねて内定をもらい、現在の仕事や職場と天秤(てんびん)にかけて転職を決断する。そこから、現在の会社からの激しい引き留めや懐柔策を乗り越えて、ようやく転職が実現する。とても長く険しい道のりだったと言えよう。

 最近では人材会社におけるDXが進み、登録から候補会社の打診までのプロセスがかなり効率的になり、簡略化された。コロナ禍を経て、面談もオンラインで行えるようになるなど、より手軽に実施できるようになってきた。最近では人材不足感からダイレクトリクルーティング(外部の採用支援会社などをできるだけ通さずに、企業が採用候補者に直接的にアプローチする採用手法)やリファラルリクルーティング(社員などの人脈から候補者の紹介を受ける採用手法)など、企業の採用姿勢も変化し、強化されている。転職希望者がわざわざ動かなくても、企業から積極的に働きかけてくれるようになってきたのだ。「ちょっと転職に興味があるな」と思って検索サイトに「転職」と入力しようものなら、ありとあらゆる仕組みで追撃される状況である。
 個人人格が優勢になり、個々人の働き方や希望が尊重されるようになってきたこと。転職希望者が転職するためのハードルが少なくなってきたこと。この二つは、離職防止というテーマからすると厳しい潮流だ。

[図表2]離職しやすい時代になった二つの背景

若手社員の定着を実現するために

 このように、「離職防止」というテーマからすると、かなり“向かい風”な状況ではある。しかし、それでも会社や組織の発展のためには人材が必要であり、必要なスキルセットを持った人材から選ばれ続ける必要がある。
 一定の規模がある企業であれば、人員調達の中心戦略として新卒採用を重視していることが多いだろう。一方、前述のような時代背景から、新卒採用に加えて「新卒定着」も企業が持続的に成長していくための重要テーマになってきていると言える。
 私自身も経営者として、優秀な新卒の採用・定着の大切さを実感してきた。一方で、優秀な新卒を採用し、スキルを鍛え、まさにこれからという時の「退職宣告」で、身を切られる思いをしたことも一度や二度ではない。
 そこで本連載では、リンクアンドモチベーションが20年以上にわたり提供してきたコンサルティングの知見や、私自身が経営実務の中で経験してきたことを基に、離職防止のための実践的なフレームワークや観点をお伝えしていきたい。

 本連載は今回を入れて全6回である。次回(2回目)は「転職することは悪いことなのか?」という問いを立て、離職が持つ意味を考察していきたい。3回目以降は、若手社員(ここではおおむね20代の社員)を入社年次で3段階に分け、「入社年次別の離職要因とその対応策」を解説していく予定である。数カ月の期間ではあるがお付き合いいただければ幸いだ。

プロフィール写真 小栗隆志 おぐり たかし
株式会社リンクアンドモチベーション
フェロー

早稲田大学卒業後、2002年に株式会社リンクアンドモチべーション入社。営業・コンサルティングに従事し、幅広い顧客の組織変革を成功に導く。2011年に株式会社アビバ(現:株式会社リンクアカデミー)取締役就任。2014年に株式会社リンクアカデミー代表取締役社長就任。2017年に株式会社リンクアンドモチべーション取締役就任。組織から選ばれる個人(アイカンパニー)創りを支援する個人開発部門の統括責任者を務めた後、2023年より現職。