デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
Human Capital Division.
横塚崇弘 よこづか たかひろ
マネジャー
松井和人 まつい かずと
シニアマネジャー
山本奈々 やまもと なな
執行役員 パートナー
1.はじめに
第2回で紹介した「ピープルアナリティクス活用モデル」について、前回第3回では「【課題階層1】個別人事機能レベルの課題に資するピープルアナリティクス」の具体的なケースを紹介した。本稿では、続けて「【課題階層2】人事戦略レベルの課題に資するピープルアナリティクス」を解説する[図表1]。
前回解説した【課題階層1】は、採用・配置・育成・評価・報酬・退職といった人事領域における各個別機能の効率化・高度化を目指すものであった。一方、今回の【課題階層2】は、あくまで人事領域を扱うものの、個別の人事領域だけに閉じることなく、組織目線・従業員個人目線から見て、個々の人事機能を整合させ、全体最適を目指すものである。全体最適を目指す横断的な分析が必要となる指標として、例えば、従業員エンゲージメントサーベイのスコアやDE&Iカルチャーサーベイのスコア、ウェルビーイング、ストレスチェックの度合いなどが挙げられる。前回同様に具体例として従業員エンゲージメントサーベイにフォーカスしたケースを通して分析のプロセスやポイントを解説していく。
[図表1]ピープルアナリティクス活用モデル
2.従業員エンゲージメントサーベイ分析の実践
導入:人事データ分析チーム長 松本、人事戦略の課題へ取り組むことになる
中堅医療機器メーカーである丸の内メディカル技研に所属する松本太郎(まつもとたろう、32歳)は、採用アナリティクスを通してさまざまな施策を講じた後も、採用にとどまらず他の人事領域においてもピープルアナリティクスを駆使して幾つものクイックウィンを達成していた。そのため、同社の人事部では「ピープルアナリティクスは“使える”」といった認識が広まりつつあり、人事部長の伊藤の判断の下、小規模ながらも人事データ分析を専門に扱うチームを新たに組成することとなり、松本はチーム長を拝命した。
ある日の定例報告会で、松本は人事部長の伊藤から相談を受けた。伊藤は、経営層から「昨今の経営環境の変化を受け、人材への投資を増やして、優秀な人材から選ばれる会社、ひいては社員の誰もが誇れる会社になることは重要な経営戦略であり、そのために必要な施策を検討せよ」というオーダーを受けていた。丸の内メディカル技研では、事業拡大に伴って採用力の強化等を進めてきているものの、中途採用で十分な人数が集まらないことや、若手層の他社への転職が増えていることなどにより、必要人材を充足するには道半ばであった。そのような背景から、優秀な人材の獲得や社員の定着化に向けては、今まで以上に社員にとって魅力的な会社へ変革する必要があると経営層は考えているが、現場の管理職層には、その考えが十分に浸透しておらず、結果として変革が進んでいないのではないかと疑念を抱いているとのことだった。
伊藤は「経営層の疑念はひとまずここだけの話としてほしい。本件は不用意に誰かに伝えてしまうと問題となる可能性がある。また、経営層の思い込みである可能性もあり、その場合には認識を改めてもらう必要があるため、分析を通じてきちんと精査し、今後の方向性を検討したい」と述べた。そして、「社員にとって魅力的な会社へ変革するために、何を実行していくべきか提言してほしい」と松本たちに指示した。
そこで松本は、どのような分析をすれば要因と対応策に当たりを付けることができるのかを検討し始めた。
【STEP1】課題の明確化:分析テーマの選定
松本は、伊藤からの話にあった「社員にとって魅力的な会社」として、どういった要素があるのかを明らかにするために、まずは社員が会社や仕事に対してどのように感じているか、それらを可視化することができないかを考えてみた。松本は「社内でそのような調査をやっていたな……」とつぶやき、毎年各社員へ実施している従業員エンゲージメントサーベイ(以下、エンゲージメントサーベイ)があることに目を付けたのである。
エンゲージメントサーベイでは、職場の働きやすさや上司・同僚との人間関係、評価・報酬への納得感、経営戦略への共感といった項目に加え、「自分の会社で働くことを誇りに思っている」「当社で働くことを周りの人にも勧めたい」といった項目も含まれており、これが「社員にとって魅力的な会社」を表現する内容と捉えることができそうだと考えた。よって、エンゲージメントサーベイを基にデータ分析し、どのような要素がどの程度、会社に対してポジティブな印象に寄与するのかを、定量的に評価・特定することで、対応すべき施策を立案する方針を採ることとした。
松本は、「エンゲージメントサーベイは人事部人材開発課の露木が担当していたはずだ。露木ならば、調査項目や実データの所在、これまで行われてきた分析について何か知っているかもしれない」と考え、露木に相談しに行くための準備を始めた。
解説:人事データ活用のテーマの洗い出しと絞り込み
松本は、比較的スムーズにエンゲージメントサーベイの分析に着手し始めたが、「【課題階層2】人事戦略レベルの課題」に取り組まれる企業においては、実際には、経営層からのオーダーだけでなく、その他さまざまな課題解決に向けた取り組みが求められ、どの課題・分析から着手すればよいのか悩まれるケースも多いかと思う。本来は、顕在化した課題だけでなく、潜在的な課題も踏まえた上で取り組むべきテーマを洗い出して、全体最適の目線で絞り込み、推進していくことが求められるが、その際に有効な手法として[図表2]のフレームワークがある。内部環境(戦略、社内の人事課題、事業ニーズ)、外部環境(将来予測される世の中の人事課題、ピープルアナリティクスのトレンド・他社事例)、実現性・価値(保有データ、システム、組織・カルチャー、実績、実現難易度、提供価値・ROI等)といったさまざまな観点から取り組むべきテーマの洗い出しや評価を行い、優先度を決定し、自社がピープルアナリティクスを通じて何を行っていくのかを整理していくのである。
また、ピープルアナリティクスの取り組みテーマを洗い出す際には、ワークショップ形式で行うことも有効である。特に、今後のピープルアナリティクスの取り組みを拡大していくに当たり、主要なステークホルダーにも参加してもらい、絞り込みの理由を丁寧に説明して今後の協力も仰げるように関係性を築いておくことができれば、後々の進めやすさにも良い影響をもたらすであろう。
なお、テーマを洗い出す際には、より身近に想起しやすい採用・育成・評価・報酬・配置・退職といった人材マネジメントの各機能軸で検討することで、人事以外の社員もアイデアを出しやすくする方法もあるため、適宜選択して進めていただくとよいだろう。
[図表2]現場課題や組織の現状を踏まえたピープルアナリティクステーマの選出
【STEP2―1】仮説の立案と分析の実行:実現したいこと・分析ステップの明確化
松本は露木から協力を得るために、部下の近藤とともに、まずはこれまでと同様に「企画書」の作成に取り掛かった。
人事部長の伊藤との討議を経て、今回の取り組みを通じて実現したいことを「当社が社員にとって魅力的な会社へと変革するために、取り組むべき課題を特定すること」と定義し、エンゲージメントサーベイ分析で明らかにしたいことを、「社員が感じている会社への魅力に対し影響を与える要因の特定および施策効果の定量化」とした。さらに利用するデータとして、毎年実施しているエンゲージメントサーベイのデータを用いること、そして分析の結果から得られた示唆を基に施策を立案・推進していくことを定めた。加えて、マイルストーンとして報告すべき会議や関与を要請する可能性のある関係者もリストアップし、課題特定後のロードマップも定めた[図表3]。具体的な分析のステップとして、「エンゲージメント指標に寄与する項目の特定」→「施策効果の定量化」→「施策立案」の3ステップで進めることにした[図表4]。
[図表3]エンゲージメント分析の企画書
[図表4]エンゲージメント分析のステップ
企画書の完成のめどが付いたタイミングで、松本と近藤は露木との打ち合わせを設定した。露木は打ち合わせ当初、エンゲージメントサーベイを活用して社員にとって魅力的な会社へ変革するための課題を特定することには否定的な立場だったが、松本の企画書の説明を聞く中で、「エンゲージメントサーベイが比較的センシティブなデータであることは変わらないが、本企画の重要性や活用範囲を踏まえて上長と相談する」と立場を軟化させた。露木にとっては、エンゲージメントサーベイが他の分析にも活用できるような設計になっているかの不安や、これまで集計分析はしていたので新たにやれることなどないのでは、と考えていたようだが、本取り組みは既存の取り組みを否定するものではなく、さらにエンゲージメントサーベイの意義を高めるものと認識したようだった。
後日、露木から「上長の許可を得られたので、別途データを送る。1点相談だが、われわれの課で分析を担当している藤田も関与させてもらえないだろうか。彼の成長を期待しており、また分析においてもエンゲージメントサーベイについてもよく理解しているので、助けになってくれると思う」と連絡があった。松本は藤田の関与を快諾しつつ、無事に露木からの協力も得られることができ、事前に企画書の作成を通じて考えを深めておいたことが功を奏したと実感した。
松本は、今後得られる分析結果を基に施策を企画・実行していく場面においても、各人事担当の協力や事業部の巻き込みが必要不可欠であり、露木と同様に難色を示されることもあるのではと危惧した。そのため、今後の進め方として、施策立案の段階では、各事業担当の役員等も含めて、ワークショップ形式でサーベイ分析の結果をどう受け止めるかを議論し、その上で施策の方向性案について意見をもらいながら実施するべき施策を決定していくことを企画書に織り込んだ。さらに人事部長の伊藤の承認をもらい、松本は事業部長および人事部の各課の課長に、本サーベイ分析の内容や協力要請の可能性、時期等の目安について頭出しをしておくこととした。
【STEP2―2】仮説の立案と分析の実行:エンゲージメント指標に寄与する項目の特定
今年行われたエンゲージメントサーベイを分析するに当たり、まず松本は藤田にエンゲージメントサーベイの回答率を部署・職種・性別・年代といった区分で、それぞれ確認することを指示した。結果として、それぞれの観点で80%以上の十分な回答数が得られていることが確かめられ、経営層に対してもサーベイが全社員の傾向を表していると自信を持って語ることができると安堵した。
次に、エンゲージメントサーベイの設問から得られた回答結果をそれぞれ数値に変換し、「会社に対する魅力」と考えられる項目に対して、どんな項目が影響を及ぼしている可能性があるかを見極めるために相関分析を行うことにした。当初想定していたとおり、「会社に対する魅力」の高低を表す指標として、会社へのエンゲージメントを表す項目を用いることとし、具体的には「自分の会社で働くことを誇りに思っている」「当社で働くことを周りの人にも勧めたい」「今後も当社で働き続けたいと思っている」の3項目の平均値と定義した。その他の職場の働きやすさや上司・同僚との人間関係、評価・報酬への納得感、経営戦略への共感といった項目群は「会社に対する魅力」への要因指標とみなすこととした。
藤田が算出した相関分析の結果表を眺めてみると、「自分の仕事について、裁量を持って進めることができる」「上司に仕事に関する相談がしやすいと思う」といった項目が「会社に対する魅力」に対して相関が高く、強く寄与していることが分かった。このことから同社では、より自律的な働き方ができることを求める社員が多く在籍しており、裁量を持って仕事を進められるようにすること、心理的に安全な場で仕事に関する相談ができるようにすることは、各社員が感じる「会社に対する魅力」を高める可能性があることが推察された。
藤田は、これらの結果から「この二つの項目について施策を考えればよさそうですね」と発言したが、よくよく回答結果を見てみると、既に一定程度高い項目もあれば低い項目もあることに松本は気が付いた。そこで、相関の強さはもちろん重要だが、改善余地がどのくらいある状態なのかを把握することも施策による改善効果を特定するために必要だと松本は考えた。そこで「どちらともいえない」「ややそう思わない」「そう思わない」と答えた割合を否定回答率とし、「会社に対する魅力」との相関が高く、否定回答率が高いのはどの項目かを明らかにするため、各設問項目の「会社に対する魅力」との相関と否定回答率を散布図としてプロットした[図表5]。その結果、前ステップで得られた「上司に仕事に関する相談がしやすいと思う」「自分の仕事について、裁量を持って進めることができる」についても相関係数が高く、否定回答率が高い領域にプロットされることが分かり、これらの項目の改善に向けて手を打つべきことが分かった。
[図表5]設問項目の相関係数と否定回答率の分布
解説:分析手法の選択
各要因指標が結果指標に寄与するかどうかは、相関分析で見極めるのがシンプルな進め方といえる。一方の数値が増加すると、もう一方が増加または減少するような関係を、二つの数値の相関関係といい、相関係数は-1.0~1.0の値を取り、サンプル数等にもよるが、一般的には絶対値として±0.2~0.4は弱い相関、±0.4~0.7は中程度の相関、±0.7以上は強い相関を持つといわれ、広く活用されている(ただし、相関関係があるからといって、必ずしも原因と結果の関係〔因果関係〕があるとは限らないことに注意が必要)。
より高度な手法となるが、重回帰分析や決定木分析、共分散構造分析等を用いて寄与度を算出することが本来は望ましい。これらの数理的な手法は強力なものではあるが、まずは相関を見ることでも一定の傾向を捉えることができるため、手法ばかりにこだわる必要はない。手法の巧拙よりも、分析結果の背景にある実態を想像しながら仮説を深めていくことのほうが重要である。
【STEP2―3】仮説の立案と分析の実行:施策効果の定量化
手を打つべき領域に含まれた項目について施策効果の定量化を行うに当たり、藤田は「どの項目がより改善効果が高いのかを横並びで比較するために、回帰分析を用いて定量効果を示すのはどうでしょうか」と松本に提案した。
※以下は、その際の会話である。回帰分析についての説明は[図表6]を参照いただきたい。
松本:施策効果の定量化の際に、回帰分析を用いることはよいと思う。ただ、どのように定量化するかをもう少し説明してくれるかい?
藤田:会社へのエンゲージメントスコアを目的変数とし、一方でその他の働きやすさ等の項目は説明変数とします。今回の場合、「上司に仕事に関する相談がしやすいと思う」「自分の仕事について、裁量を持って進めることができる」も説明変数に含まれます。そこで、例えば「上司に仕事に関する相談がしやすいと思う」を改善したら、どれだけ会社へのエンゲージメントスコアが向上するのかを回帰直線を描くことで定量的に把握できるのではないか、と考えています。
松本:なるほど。つまり、施策によって説明変数が仮に1ポイント改善するとした場合、どれだけ会社へのエンゲージメントスコアが上がるのかを算出するということだね。スコアが1ポイント改善すれば、全社員の説明変数の項目を改善させるのは現実味がないから、「そう思う」「ややそう思う」と回答した社員は除いて改善効果を見ていくといいんじゃないかな。
[図表6]回帰分析の説明
藤田は、松本からのアドバイスも踏まえながら会社へのエンゲージメントの改善効果をはじき出した[図表7]。その結果、当初想定していた「上司に仕事に関する相談がしやすいと思う」が最も施策効果の高い項目であることが導き出されたのである。
これらの内容は伊藤や各人事課長にも共有し、背景となる状況や事業運営・各職場の実態の仮説を討議した。結果として、確かにこれまで同社では上司が仕事の進め方を丁寧に教えていくよりも、上司の動きを見て学ぶカルチャーが強かった。その背景には上司が受け持つ部下の人数が多く、きめ細やかな育成ができていなかったからではないかといった意見が挙がった。一方で「ベンダーとのやりとりを行う商品開発部は、確かに業務が逼迫しやすい傾向にあるが、ユーザーからのやりとりを行うカスタマーサービス部は、そこまで大変な声が上がっている気がしない」という意見もあり、データを確認してみると、確かにカスタマーサービス部は否定回答が少ない社員が集まっていることが見受けられた。それらを踏まえ、営業部門や開発部門など、特に内部やベンダーとのやりとりが多い部門では、上司のマネジメント方法を変革する必要がありそうだと推察され、参加者も顔を見合わせてうなずき、認識を深めていったのである。
[図表7]施策によるエンゲージメント改善効果
解説:エンゲージメントサーベイにおける回答分布と改善余地
分析結果を施策立案につなげていくためには、相関係数が高い項目に対してだけでなく、改善余地がどれだけあるかについても確認しておく必要があることに留意しておきたい。本稿では分かりやすくするため、「そう思う」「ややそう思う」と回答した社員は除いた全ての社員に対して施策の効果があると仮定したが、より精緻に検討するためには、例えば部署や職位・職種・年齢・性別等の軸も含めて「どちらともいえない」「ややそう思わない」「そう思わない」などの中立・否定の回答を行った人に対してのみ改善効果を見込むのもよいだろう。特にエンゲージメントサーベイにおいては、“肯定層”“中間層”“否定層”がそれぞれどのように分布しているのかを見定めることが重要であり、ピープルアナリティクスとして活用する場合においても、どのような回答をしている社員に対して、どのような施策を実施すればよいのかをより具体的に絞り込むことができ、施策立案に向けて重要なインプットとなる。
【STEP3】分析結果からの施策立案:施策の立案と実施
「上司に仕事に関する相談がしやすいと思う」という項目のスコアを向上させる施策について、現状の理解や施策の妥当性、さらに今後の巻き込みも想定し、松本は伊藤に対して関係者を集めてブレストを行いたい旨を打診した。伊藤は、事業部の役員や担当部長にも出席してもらうよう改めて本取り組みの背景や結果を丁寧に説明し、「社員にとって魅力的な会社」に変革するために、これからわれわれは何をすべきかを討議した。その結果、「1on1を定期的に実施する」「何でも話してよい時間を定期的に予定しておく」「上司も一緒に考える姿勢で聞く」「上司が受け持つ部下の人数を少なくする」といった施策アイデアが出てきた。このほかにも、今回の分析で得られたエンゲージメントへの改善効果が高い項目に対して、同様にブレストを実施し、施策を立案した。導入のハードルが低い施策はすぐに実施することにしたが、施策の中にはエンゲージメントサーベイのデータだけでなく、評価や報酬、パフォーマンスといったさまざまなデータと結合させて、さらに具体的な課題を特定するための分析や、より精度の高い施策の開発が必要となるものもあり、それらを含めて全体最適の目線から必要な施策に取り組んでいった。
伊藤は、経営会議でも分析結果や今後の取り組み方針について説明し、経営層から合意を取り付けることができた。経営層は事実をベースに方向性を決定できたことで、当初感じていた疑念を晴らすことができ、上司に仕事に関する相談をしやすいカルチャーをつくっていくためには、経営層も管理職層の負荷を減らす努力が必要であることを実感したのである。
結果として、翌年に行ったエンゲージメントサーベイから、エンゲージメントが徐々に向上し始めていることが分かった。分析・施策のPDCAを継続的に回すことで人材の定着率も向上しており、この結果に経営層も満足しているという。一方で、本当に施策による効果であったのか、実際にどんな社員に、どのくらいの効果があったのか知りたいという声も上がっていた。松本は、ピープルアナリティクスによる効果を改めて実感し、さらに大きな課題に対する改善に取り組んでいくのであった。
解説:施策案の実行に向けた関係者の巻き込みとPDCAサイクル
施策の立案においては、関係者に声を掛けて分析結果を一緒に眺めることで気づいた点ややったほうがよいと思われることをブレストすることが、その後の巻き込みも含めて効果的である。企画段階から参画することによって一体感を醸成でき、その後の施策推進においてもスピードが上がると想定される。
一方で、留意しておくべきことが二つある。一つ目は分析の結果として出てくる示唆により、既存の業務を変革する必要を報告することで、現状を否定する印象を与えてしまう可能性もあることだ。そのため、関係者への示唆の共有については十分な配慮が必要となる。二つ目は、施策を立案するための関係者の巻き込みに向けては納得感の醸成が重要なため、複雑な分析手法を用いるよりも、説明しやすく妥当性があり、結果が伝わりやすい分析手法を用いることにも一定のメリットがあることである。
また、施策の効果が実際にどのように現れたのかを集計することや、分析のプロセス、施策の実行プロセスに改善すべき部分はないのかなど、振り返りを定期的に実施することが、ピープルアナリティクスの効果をさらに高めるために重要である。エンゲージメントサーベイの分析は一度の分析で完了とするのではなく、毎年のサーベイ結果を基に再度同様の分析に回してみることで、取り組むべき課題に変化が出たり、過去との比較によって、どのように変化したりしているのか背景を考察して次の施策へとつなげていけるとよいだろう。
さらに、今回は各人への施策効果は「そう思う」「ややそう思う」を除いた回答者に対して1ポイント上がると仮定を置いていたが、施策を実施した履歴データと社員ごとのエンゲージメントの変化データがあれば、施策によって各人のエンゲージメントがどの程度改善するかの予測といった、より高度な分析も可能になってくる。このようにデータを蓄積していくことで、分析のレベルをさらに向上させることも実現できる。その際、行動ログや評価データ等との複合的なデータ連携を求められることもあるため、連結ロジックの検討やアクセス権限・データの取り扱いルールなども、スムーズな分析に向けて事前に整理しておきたい。
3.本稿のまとめ
今回は、「【課題階層 2】人事戦略レベルの課題に資するピープルアナリティクス」について、エンゲージメントサーベイの分析をケースとして取り上げ、解説した。本来は、さらに各種人事データ等も組み合わせた分析を行うことが多いが、スペースの都合上割愛している点に留意いただきたい。なお、本記事で解説した以下の方法は、ピープルアナリティクスをさらに拡大・加速して、全社的な取り組みを進めるために、効果的な方法である。
- 分析に着手する前から施策の実行までを見据えた企画書を作成することで、必要な関係者・部門を見極め、可能な限り前段階で連携を取り、機運の醸成を図っていくこと
- 分析においては、手法の巧緻よりも、分かりやすい分析手法を用いて、ビジネス実態を踏まえた納得感のある説明を目指すこと
- 施策の立案においては、関係者を巻き込み、適宜説明・共有・討議を行いながら推進するという過程を共にすること
本稿が、読者の皆さんのピープルアナリティクスへの理解を高める機会になれば幸いである。
※本ケースに登場する企業・個人等は全て架空の名称です。
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横塚崇弘 よこづか たかひろ デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 マネジャー 大手SIerにてERPパッケージソフトの開発に従事後、ヘルスケア分野のスタートアップに創業メンバーとして参画。その後、日系コンサルティングファームにてAI活用コンサルティングやデータ活用組織立上支援に従事し、デロイト トーマツ コンサルティング(DTC)に入社。DTCではデジタルやデータを活用した人事機能変革プロジェクトに関与し、特に直近はピープルアナリティクス領域に注力している。 |
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松井和人 まつい かずと デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー 10年以上にわたり、一貫して「組織・人事」関連のコンサルティング業務に従事。近年は、ピープルアナリティクス領域に注力しており、最適配置に向けたデータ分析や組織内ネットワーク分析、エンゲージメント分析、幹部開発等の人材育成に向けた分析等、幅広い実績を有している。 特に直近は、AIを活用した異動配置検討をサポートするツール・サービスである“Talent Matching”の開発・提供に尽力している。 |
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山本奈々 やまもと なな デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員 パートナー 人事中計の策定、要員・人件費計画の策定(Workforce Planning)および最適化マネジメント、要員・人件費計画策定プロセスの高度化、人材のトランジション実行支援、組織・人事戦略策定、同一労働同一賃金、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)推進支援、ピープルアナリティクス、人事制度設計等、組織・人事関連のコンサルティングに幅広く従事している。 共著書に『要員・人件費の戦略的マネジメント ~7つのストーリーから読み解く』『"未来型"要員・人件費マネジメントのデザイン』(ともに労務行政) |