2022年08月23日掲載

サステナブル人事 ――SDGs時代の新しい人材マネジメント - 第1回 総論編:サステナブル人事とは何か

株式会社日本総合研究所
人事組織・ダイバーシティ戦略グループ

林 浩二 はやし こうじ
部長/プリンシパル

髙橋千亜希 たかはし ちあき
マネジャー

1.サステナビリティの実現に向けて

 2022年4月下旬、アメリカのクレジットカード大手、マスターカード(Mastercard)の発表が人事関係者の間でちょっとした話題になった。全世界の従業員の賞与支給額を会社のESG目標(環境〔Environment〕、社会〔Social〕、ガバナンス〔Governance〕に関する目標)の達成度に連動させるというのである。具体的には、カーボンニュートラルやフィナンシャル・インクルージョン(金融包摂)、賃金のジェンダー平等に関する目標の達成度を基に従業員の賞与原資の一部を決定するという[注1]
  こういった潮流の背景には、世界的にESG投資(企業の将来性・持続性の観点から、ESGへの取り組みを評価し、投資の意思決定に取り入れる手法)が急速に拡大していることがある。サステナビリティに対する関心の高まりに伴い、欧米諸国を中心に、役員報酬の一部をESG目標の達成度に連動させることはもはや珍しいことではなくなりつつある。マスターカードの取り組みが注目されたのは、経営責任を有する役員の報酬はもとより、一般従業員の報酬までもサステナビリティに関する目標の達成度に連動させるという点にある。
  実は近年、このような取り組みはマスターカードのみならず他の会社でも徐々に広がりを見せている。例えば、イギリスの石油・ガスのスーパーメジャーであるBP[注2]、アメリカの半導体大手Intel[注3]、アルミニウム製品大手Alcoa[注4]などが挙げられる。これらの企業でも、金銭的な利益だけでなくサステナビリティ関連の目標(環境保護やダイバーシティ、安全衛生関連の目標など)の達成度を基に従業員の賞与原資を決める仕組みを取り入れている。さらに、国内企業に目を向けると、花王、ソニーグループ、富士フイルムなどでも同様の動きが広がっている[注5]

 かつて、賞与原資といえば、企業の金銭的な利益((もう)け)を従業員に分配(プロフィット・シェア)するという考え方で組み立てることが人事管理の常識であった。今や金銭的な利益(財務指標)だけでなく、非金銭的なサステナブル目標の達成度(非財務指標)に従業員の報酬が連動する時代になっているのである。

2.サステナブル人事とは

 上記の事例のような人事施策を「サステナブル人事(Sustainable Human Resource Management)」と呼ぶ。サステナブル人事は、「短期的な利益を追求するだけでなく長期的な企業価値向上の視点を持って、顧客や投資家はもとより、従業員、行政、社会などさまざまなステークホルダーに応える人材マネジメント」と定義できるだろう。
 サステナブル人事は最近になって突然誕生したわけではない。サステナブル人事の解説に移る前に、まずは伝統的な戦略人事からサステナブル人事へと至る道のりを振り返ってみよう。

[1]戦略人事とは
 企業の経営戦略の推進に資するための人材マネジメントを戦略人事(SHRM: Strategic Human Resource Management)という。戦略人事を実現するためには、人材の採用や育成、評価、報酬等の人事施策を会社の経営戦略に即して推進しなければならず、同じ業種・業態であっても、戦略によって異なる施策が選択される場合がある。
 例えば、

✓ イノベーションで競争優位を確保する戦略を採用するのであれば、異能人材を高報酬で獲得するための仕組みの整備や、従業員の主体的なチャレンジを促す評価・報酬制度を構築すべき

✓ 低コストを通じて競争優位を築く戦略を採用するのであれば、市場相場に即した合理的な賃金水準を設定し、徹底した業務効率化(改善)へのインセンティブを組み込んだ評価・報酬制度を導入すべき

というような施策が、戦略人事の文脈からは「正解」とされる。
 かつての戦略人事では、もっぱら経済的なボトムライン(企業利益)に貢献するための人材マネジメントが追求されてきた。企業がマーケットシェアの拡大や利益向上等を至上命題として掲げる以上、極めて合理的で自然な結論であったといえるだろう。

[2]サステナビリティの時代へ
 しかし、このような「当面の利益向上に貢献する人材マネジメント」は企業を取り巻く多様なステークホルダーの要請に十分応えきれているだろうか。
 例えば、環境負荷の大きい製品を開発・製造して一時的に利益が上がったとしても、先述したように投資市場でESGへの関心が高まっている状況下では、やがて「環境を顧みない企業」というレッテルが貼られ、長期的な事業継続は難しくなるだろう。また、人権や労働問題への関心も高まっている。中国・新疆ウイグル自治区の人権問題をめぐり、欧米諸国を中心に新疆産の綿を使う製品の輸入規制が相次いで発表されたことは記憶に新しい。さらに、近年のフェアトレード運動に見られるように、劣悪な労働条件で労働者を搾取して作られた農作物や工業製品を敬遠する動きも活発化している。
 サステナビリティへの関心がグローバルレベルで高まる中で、たとえ一時的に大きな利益を確保できたとしても、環境に負荷を与えたり社会的公正に反したりするような経営はもはや許容されない時代になっている。

[3]グリーンHRM/トリプル・ボトムラインHRM
 こうした課題に対応し、より長期の視点でさまざまなステークホルダーに応えるための人材マネジメントとして、かねてより欧米諸国を中心に、グリーンHRM(環境対応を促す人材マネジメント)、あるいは、トリプル・ボトムラインHRM(経済的利益〔economic bottom line〕だけでなく、社会的公正〔social bottom line〕や環境保全〔environmental bottom line〕も同時に追求する人材マネジメント)という概念が発達してきた。
 具体的な施策として、例えば、イギリスの自動車メーカー、ローバー(Rover Group)では、環境に関する責任や資質をすべての職務のジョブ・ディスクリプション(職務記述書)の中に盛り込むことで、環境意識を持った人材を引き付け、確保できるようにしているという(グリーン採用)[注6]。また、1990年代において既に、アメリカの飲料メーカー、クアーズ(Coors)では、環境活動を通じてコスト削減が実現できた場合には、プロフィット・シェアリングに基づく従業員のボーナスが加算されたり、環境活動で成果を上げたタスクフォースに参加した従業員を顕彰したりする仕組みが導入されていた(グリーン報酬)。さらに、ゼロックス(Xerox)でも類似の表彰制度を取り入れるとともに、廃棄物の削減や再利用、リサイクルに関するイノベーションを称える「地球賞(Earth Award)」という表彰制度を設けていた(グリーン表彰)[注7]
 このように、売上拡大、利益向上等のために推進する戦略人事を人材マネジメントの「本流」または「主流」とするならば、環境問題や社会課題の解決など売上・利益以外の目的に従業員を動機づける人事もまた、人材マネジメントの「支流」もしくは「伏流」として脈々と息づいてきたのである。

[4]サステナブル人事へ
 これらの流れは今、サステナブル人事として合流しつつある[図表1]
 サステナブル人事への関心が高まっている理由として、気候変動問題への対応などグローバルレベルで取り組まなければならない課題が山積していることが挙げられる。実際、国連が定めたSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)を念頭に、経営目標の中にSDGs関連の項目を採り入れる企業も増加している。

[図表1]戦略人事からサステナブル人事へ

 サステナブル人事は、いわば戦略人事の進化系である。これまでは、経営目標といえば経済的な利益一辺倒であったものが、今や多くの企業においてサステナビリティの要素を経営目標の一部として取り込むようになった。そうである以上、戦略人事もまた、サステナビリティを念頭においた施策を取り入れることが不可避になる。利益目標にせよ非財務的なサステナブル目標にせよ、結局のところ企業が掲げる目標を達成するカギとなるのは人材であり、経営戦略に適合する人材を採用し、育成し、動機づけ、報いていくための仕組みを構築しなければなければ、企業の持続成長はあり得ないからである[図表2]

[図表2]なぜサステナブル人事が求められるのか?

 例えば、炭素排出量の削減を経営目標の一つに掲げるのであれば、一義的にはそのためのイノベーションやサプライチェーン・バリューチェーンの見直しなど、人事の管轄外の取り組みが必要になる。しかし、人事も傍観者ではいられない。人材マネジメントの立場からは、こうした取り組みに必要な人材のスペックを定めて採用・育成を行ったり、従業員のインセンティブとなり得るような評価・報酬制度の設計等を行ったりしなければならない。「いかにしてサステナビリティ経営の推進を人材面から支えるか」が人事に求められるのである。
 サステナブル人事の推進には、人材獲得競争が激化する中で優秀人材を自社に引き付けるという意味合いもある。デロイト(Deloitte)が実施したグローバル・サーベイによれば、新型コロナウイルスによるパンデミックの最中にあってもなお、Z世代(1990年代半ば~2010年代初めに生まれた世代:"Generation Z"とも呼ばれる)の最大の関心事項は気候変動や環境保護に関する問題であるという[注8]。「サステナブル人事」を会社の明示的なポリシーとして打ち出すことは、サステナビリティに関する感度が高い若年世代の獲得戦略としても極めて有力なのである。

3.サステナブル人事に求められる視点

[1]単一の施策パッケージは存在しない
 カウナス工科大学(リトアニア)のStankevičiūtėとSavanevičienėは、サステナブル人事の特徴として、次の点を挙げている[注9]
・長期志向(Long-term orientation)
・従業員への配慮(Care of employees)
・環境への配慮(Care of environment)
・収益性(Profitability)
・従業員参加と社会対話(Employee participation and social dialogue)
・人材育成(Employee development)
・社外との連携(External partnership)
・柔軟性(Flexibility)
・労働規制を上回るコンプライアンス(Compliance beyond labor regulations)
・従業員の協力(Employee Cooperation)
・公正と公平(Fairness and equality)
 ただ、サステナブル人事を戦略人事の進化系として位置づけるならば、常にこれらすべてが必要になるわけではなく、あくまで自社の経営戦略に即したサステナブル施策が求められるはずだ。例えば、サステナビリティに関する目標のうち、「温室効果ガスの排出量削減」など環境に関する取り組みが自社にとってのカギと考える企業であれば、「労働規制を上回るコンプライアンス」などはサステナブル人事の検討スコープには入らないだろう。
 すなわち、「サステナブル人事」という画一的な施策パッケージが存在するわけではなく、会社が掲げる経営目標によってその内容は異なると考えるべきである。

[2]発想の転換を
 一方で、これまでの「もっぱら収益向上に資する人事」から脱却し、サステナブル人事を推進するためには、これまでと異なる発想(いわば、従来からの発想の転換)が求められる。
 例えば、国連で採択されたSDGsの一つに「ジェンダー平等を実現しよう」という目標がある。これを念頭に、女性の積極的な管理職登用など、従業員のダイバーシティ推進を明示的な経営目標として掲げる企業が増えてきた。この点について、これまでは、

ダイバーシティ推進は必ずしもコストではなく、従業員のダイバーシティが進む企業は総じて利益率も高い傾向がある。よって多様な人材を採用し、育て、登用する人事管理を採用すべし

というような主張に基づき議論されることが多かった。すなわち、「ダイバーシティは利益向上に貢献する。だからダイバーシティを推進すべき」というアプローチであり、経済的利益の達成をあくまで頂点に据える発想から脱却しきれていない。
 サステナブル人事において求められるのは、長期的な企業価値の向上と短期的な利益の確保を矛盾のない形で両立させる発想である。単なる「儲かるためのダイバーシティ推進」(裏返して言うと、「儲からないのならダイバーシティなど御免こうむりたい」)であってはならないのである。

[3]五つの視点
 企業が掲げるサステナビリティ目標によってサステナブル人事の具体的な中身が異なるのは事実である。しかし、従来の発想から転換し、サステナブル人事を推し進めるためには、共通して求められる視点があるはずだ。
 このような立場から、筆者らはサステナブル人事を推進する際の五つの視点を整理した[図表3]

[図表3]サステナブル人事の五つの視点

視 点 内  容
収益性の視点

・マーケットシェアや売上・利益の拡大に資する人事施策を推進する。

・従来の戦略人事の中核的な要素であり、サステナブル人事の推進においても引き続き重要な視点となる。

中長期の視点

・目先の損得ではなく、中長期的な持続可能性の観点から施策を推進する。

・例えば、当面の人件費コスト削減を最優先するのではなく、従業員の能力開発やモチベーション向上など中長期的なインパクトを見据えた施策を実行する。

傾聴と対話の視点

・株主、顧客、取引先、消費者、行政、従業員などさまざまなステークホルダーの意見を尊重する。

・例えば、労働組合や社員会等の意見・要望等を抑制するのではなく、傾聴と対話を通じて前向きな課題解決に取り組む。

多様性の視点

・属性による差別を排除し、国籍、性別、障がいの有無等にかかわりなく働くことができる環境を整える。

・多様な従業員ができるだけ公平・公正に取り扱われるような施策を推進する。

柔軟性の視点

・環境変化への柔軟な対応力を強化するための人事施策を推進する。

・解雇や退職勧奨などの「人材の入れ替え」による柔軟性よりもむしろ、学び直しの機会提供や育成本位のローテーション拡充等を通じて、持続可能性のある柔軟性を確保する。

 まず、「収益性の視点」である。従来型の戦略人事の中核的な要素であるが、サステナブル人事においても欠くべからざる視点であることに変わりはない。
 次に掲げる「中長期の視点」は、持続可能性の観点から特に重要な事項である。人材マネジメントの立場からは、人をコストではなく資本として捉える視点であり、近時注目が集まっている「人的資本経営」や、岸田内閣の施策の柱の一つである「人への投資」などのコンセプトとも符合する。
 さまざまなステークホルダーの期待・要請に応えるという観点からは、「傾聴と対話の視点」も重要だ。人事には、経営戦略と人事戦略の連動を確保すべく、経営とのコミュニケーションを強化することはもちろん、社内の大切なカウンターパートである従業員や労働組合との対話を通じた前向きな課題解決が求められる。
 会社としてどのようなサステナビリティ目標を掲げるにせよ、課題解決のためには多様なアイデアや意見をぶつけ合うことが欠かせない。この観点から、「多様性の視点」もサステナブル人事のキーワードの一つになるだろう。
 最後に、「柔軟性の視点」である。「柔軟」といっても、「短期・使い捨て」の発想による経営の柔軟性確保では持続可能な課題解決はおぼつかない。中長期的な雇用関係の下、学び直しや育成を主眼としたローテーション等を通じた柔軟な変化対応能力の醸成が必要になる。近年はジョブ型を称賛する論調が大勢を占めるが、サステナブル人事の時代には、従来のメンバーシップ型の長所が再評価されるようになるかもしれない。

 以上、第1回目の連載では、サステナブル人事についての総論的な解説を行った。サステナブル人事の推進には、経営層、従業員層が一体となって取り組む仕組みづくりが欠かせない。サステナブル人事の各論として、次回からは、経営層(第2回)、従業員層(第3回)それぞれについて具体例を取り上げながら検討を進めたい。

(第2回につづく)

※注1 https://thinkesg.jp/mastercard_esg_goals/

※注2 BP, Sustainability Report 2021 (p.30)を参照。

※注3 Intel, 2020-21 Corporate Responsibility Report (p.21)を参照。

※注4 Alcoa, 2020 Sustainability Report (p.67)を参照。

※注5 日本経済新聞(2022年6月27日付)1面を参照

※注6 Rover Groupの事例については、Human Resource Management Instituteの記事による。https://hrmi.org/green-hrm/

※注7 CoorsおよびXeroxの事例については、Wehrmeyer, W. (2017) Greening People, Human Resources and Environmental Management, Routledge, p.65~p.66による。

※注8 The Deloitte Global 2021 Millennial and Gen Z Survey (p.20)を参照。

※注9 Stankevičiūtė, Ž. and Savanevičienė, A. (2018) Designing Sustainable HRM: The Core Characteristics of Emerging Field, Sustainability 2018, 10, 4798

林 浩二 はやし こうじ
株式会社日本総合研究所
人事組織・ダイバーシティ戦略グループ 部長/プリンシパル

京都大学経済学部卒業、コーネル大学大学院修了(労使関係修士)。厚生労働省を経て日本総合研究所。人事労務管理を専門フィールドとし、国内系から外資系まで幅広い企業において人事制度改革を支援。コンサルティング実績は、製造業、建設業、商社、金融、IT産業、小売業、サービス業、メディア業界など多数。著書に『進化する人事制度 「仕事基準」人事改革の進め方』『基本と実務がぜんぶ身につく 人事労務管理入門塾』『コンサルタントが現場から語る 人事・組織マネジメントの処方箋』(いずれも労務行政)などがある。
髙橋千亜希 たかはし ちあき
株式会社日本総合研究所
人事組織・ダイバーシティ戦略グループ マネジャー

立教大大学院現代心理学研究科修了(臨床心理学修士)。産業カウンセラー(一般社団法人日本産業カウンセラー協会)。国内独立系コンサルティングファームを経て日本総合研究所。人事制度改革、人材育成など一貫して人事組織コンサルティングに従事。近年はコーポレートガバナンス推進の観点から、役員制度改革、人的情報開示等のテーマにも注力。著書に『コンサルタントが現場から語る 人事・組織マネジメントの処方箋』(労務行政)がある。