2020年09月18日掲載

ストーリーで学ぶ OKR―組織風土を変革し、目標を超える組織をつくる - 第3回 立ちはだかる人事制度の壁

 

堀江真弘氏 堀江真弘
ほりえ まさひろ
Resily株式会社 代表取締役
2010年慶應義塾大学文学部卒業。2012年東京大学大学院学際情報学府卒業。大学院在学中より1年間のインターンを経てSansan株式会社に入社。Sansan事業部営業部で、法人向け名刺管理サービス「Sansan」の販売に従事。うち4カ月間、徳島県神山町にあるサテライトオフィスでオンラインでの営業手法を仕組み化する。その後、「Sansan」のスマートフォンアプリ担当プロダクトマネジャーとして、アプリリニューアルのUX設計をリードする。2017年6月にSansanを退職し、共同創業者のエンジニアとResily株式会社を創業。

 

1. 前回のおさらい

 創業30年を迎えたA社は、首都圏、関西、九州と東南アジアに拠点を持つ電気機器と産業用機械の(中堅規模の)製造業である[図表1]。近年のグローバル化により売り上げの80%超を占める基幹事業の衰退が懸念されるものの、目先の課題解決に終始し、抜本的な改革に踏み切れていなかった。
 過去の成功を引きずり、本質的な課題と向き合わない保守的な風土を変えなければと訴えた営業課長の富永に、社長の権田は風土改革の特命を下し、営業本部長の崎田とともにOKR導入の提案を聞いた。意欲はあっても、働き方改革の名の下に削られた時間の中で、新たな取り組みに向かう余裕はなくなったと多くの社員が思い込んでいる。それをOKRによって打開できる成功事例をつくることを条件にOKRの試行プロジェクトが許可された。早速、富永は同じく課長職である海外営業部の村田の賛同を得るとともに、畑中技術部長の説得に動いた。畑中からは、年単位という中長期で成果を測る技術部の特性を踏まえた人事評価制度と3カ月で評価をしていくOKRの兼ね合いを踏まえた上での計画を求められた。

図表1 A社の人物相関とOKRプロジェクトの進捗

2. 人事評価制度とOKR

 「崎田から聞いているよ。MBOとOKRをうまく共存させたいんだってな。個人的にOKRには興味を持っていたんだ。そういえば、OKRのセミナーに参加したって聞いたが、どうだった? おっと、その前に国内と海外の現場を見てきて何を感じた?」
 人事部長の三宅は、崎田と同期で長年人事畑を歩んできた。部長会議でも基幹事業への懸念が示され、人事という立場から人材育成の外部研修制度の充実や、副業や働き方改革の推進を担ってきた。三宅もまた、もっと本質的な変革が必要であることを認識し、情報を集めてOKRへたどり着いた矢先だった。
 三宅の問いに対して富永は、「基幹事業の可能性を感じました。このまま目先の対応を繰り返して、先細りさせてはいけないんです。技術は優位性があるので、マーケティングとうまく連携していけばもっとできるはずです。ただし、それには基幹事業の保守的な風土を変えて、会社全体が同じ方向を向いて連携していかないと駄目です。社員の当事者意識や自律性を変えていくことも課題になっています。そう、海外工場では、会社の業績目標と進捗(しんちょく)がモニターで示されて、毎朝全員が把握しています。でも、技術の強みを日本のマーケティングは訴求できていない点を克服していかないと、われわれに明日はありません」
 堰(せき)を切ったように思いをぶつけた富永は、持参して閉じたままのノートパソコンを開いて、三宅に参加したセミナーの説明を始めた。
 「OKRセミナーでは、OKRは評価制度と結び付けるなと説明がありました。設定した目標が高いほど、その達成見込みは低く、成果そのものが評価されることになると、評価を受ける側は不安になり萎縮します。結果、目標に手が届く内容に調整する “逆算” 運用が横行するからだそうです」
 三宅は軽くうなずき、少しだけ間をおいて話し始めた。
 「なるほど。富永はこの会社の人事制度を、どこまで理解している?」
 三宅は、A社の人事制度について成り立ちから説明を始めた。現在の人事制度は、今から15年前に導入され、以後、軽微な修正を都度加えてきた。1990年に創業し、産業向け電子機器を基幹事業とするA社は、バブル経済崩壊で厳しい経営環境にありながら、90年代は顧客の要望に応じてひたむきに製品を作ることで、基幹事業は経営の大きな柱へと成長した。近年は、製造拠点を東南アジアへと移し、国内には営業、技術開発、マーケティング、生産管理、本社機能を残した。そのような中、創業者である先代社長の理念から構想・設計された終身雇用や年功序列といった考え方に基づく人事制度は徐々に機能しなくなり、2005年に現在の人事制度が導入された。
 より成果にフォーカスすることを基本構想とした人事部の人事制度案は、過去の功績を重視する先代社長の意向と成長を支えた役員の声に押される形で、人事部が劣勢となり、議論が進んだ。最終的に当時の改革派が推奨する成果主義をMBO(目標管理制度)として組み込み、過去の功績を考慮した年功的要素を残す等級制度をベースとして人事制度の骨子がまとめられた。その後は、コンプライアンスやダイバーシティ、過労死などの社会的な関心事項に応じて、制度の微修正を行ってきた。その結果、管理職に責務が集中し、業務負荷は限界に達していた。さらに輪を掛けるように働き方改革の推進が求められた格好だ。
 「富永は、MBOとOKRを組み合わせたいんだろ。今のMBOがどう運用されているか整理できているか? 気付いていると思うが、課題は多い。整理するとこうなる」と言って、資料を見せた[図表2]
 三宅は、今回のOKRの導入検討が、かねて思い描いていた抜本的な人事制度改革の好機になると内心では期待していた。それは、ここ数年、同期の面々が充実した表情を見せる機会が減っていることに気付きながらも、人事という立場で手を打ってこられなかった自責の念に起因するともいえよう。

図表2 A社の人事評価制度と課題

3. OKRの運用を想定した課題

 三宅の説明を受けて、富永はOKRによる改善期待とともに、MBOと共存させることで生じる負荷をどのように受け入れてもらうかに考えを巡らせていた。
 「富永は、OKRの導入と現在のMBOをどう組み合わせようと考えていたんだ?」
 三宅は眼鏡をそっと外し、軽く目をこすりながら富永に聞いた。
 「まずは、スモールステップとして成功事例をつくることを考えた場合、素直に教科書どおりのやり方を試すことを考えました。そのため、目標設定は権田社長もしくは崎田部長を起点に、トップOKRを設定します。そして、2階層目の部門OKRは関係する部長が設定します。今回は、基幹事業の中で、自動車機械部品XY技術の活用によるチャレンジを、OKRを用いてプロジェクト化したいと考えています。3階層目は各部署の課長以下のチームで協議します。
 下期のMBOは、個人目標を従来どおり設定します。基幹事業への収益貢献を図る新たな取り組みを実現するといった具合です。そして、プロジェクト管理という位置づけでOKRを設計します。運用は、チェックイン(筆者注:OKR進捗確認を行うための定例ミーティングのこと。チームで状況の確認、障害の取り除きを議論することにより、トラッキング・アラインメントを強める)やウィンセッション(筆者注:チェックイン後の一定期間でどんな勝利〔成果〕を収めたか、チームで共有し、称賛することによりアラインメントを高め、成果を達成する喜びを分かち合う)、1 on 1(筆者注:OKRの効果を発揮させるために、リアルタイムに相互に情報を交換し、上司は部下に自らの技術やノウハウを教え課題への対処法を提案し、部下がOKRを推進していく上での障害を取り除くことでOKRのコミットメントを高める)を実施し、継続的パフォーマンス管理の手法を試行しようと考えています。既に、技術部長の畑中さんと海外営業の村田には話をしてあります。畑中さんからは成果創出までのスパンを意識した人事評価制度との関係整理を宿題としてもらっています。今回、三宅さんにお時間をいただいたのは、推進チームのメンバーになっていただきたいと考えているからです。ぜひお力を貸していただけないでしょうか?」
 富永は湯気が消えたコーヒーカップを口に運び、三宅の様子をうかがった。
 「うん、いいじゃないか。力を貸そう。ほかには、誰がメンバーなんだ?」と、三宅は富永の提案を了承し、結構乗り気のようだった。
 富永は、崎田と村田を加えた4人で推進チームを構成することを伝え、後日あらためて人事評価制度の改善方針について三宅と協議することにした。
 「富永さん、ご無沙汰しています」
 デスクに戻る途中、休憩所に立ち寄り自動販売機から飲み物を取り出そうとしたとき、背後から朗らかな声で話し掛けられた。振り返ると、新規事業部でマーケティング課長をしていたときの部下だった滝沢が立っていた。彼女は、新卒で入社し、2期後輩に当たる。富永とともに新規事業のマーケティングで試行錯誤し、苦楽をともにした頼れる後輩だ。
 「おぉ、久しぶりだな。あの新商品、調子がいいって聞いてるぞ」
 富永の後任として新規事業のマーケティングを担当する彼女は生き生きとしており、富永は少し安心した。
 「富永さんと作ったマーケティングプランを、実直に進めているだけですよ。富永さんこそ、ちゃんと営業できているんですか?」
 屈託のない笑顔を浮かべているが、慣れない職種へ異動した富永の様子が気になるらしい。
 「営業、実はしていないんだよ。ちょっと、特命を受けることになっちゃって」
 富永はOKRの推進について、かいつまんで経緯を説明した。
 「それって面白そうじゃないですか。基幹事業に関連したチャレンジプロジェクトなんて。富永さん、私も関わるって決めたんで。部長の許可をもらっておきますね。あっ、次の打ち合わせがあるので失礼します」
 富永は小走りで去っていく彼女の背中を見つめながら、マーケティングのポジションが決まったことに安堵(あんど)した。彼女なら勝手も分かっており、コミュニケーションが容易で、新規事業の成功体験を経て自信も付いてきており、度胸も心配ない。後は、海外営業の部長への協力を根回しするよう頼んでいた村田の結果待ちだなと、富永は動静を案じた。
 社内のチャットツールで状況確認のメッセージを投げた2日後に村田から返信があった。
 「部長は駄目だった。それどころじゃない。得意先からコンペの連絡が来たらしい。あの取引先はなんとしても死守しないとならん。コンペ先は台湾とイスラエルのメーカーらしい」
 富永の表情が一瞬、曇った。あの取引先を失えば、懸念していた基幹事業の衰退が加速する。そして、海外営業部の協力が得られないとすると、今回のプロジェクトはどうなるか。
 「俺は今回のコンペチームからは外れたから、OKRはやれるぞ」
 村田のメッセージを見て、富永は天井の蛍光灯を数秒見つめ、大きく息を吐いてからパソコンのモニターに視線を戻した。先ほど自動販売機で購入したコーヒーを口に運び、三宅との人事評価制度の擦り合わせのための準備資料へと頭を切り替えた[図表3]

図表3 OKRを起点としたA社の人事評価制度の改善方針

4. OKRによって見えてきた改善方針

 「お疲れさまです。わざわざ何度もすみません」
 富永は会議室の前で、技術課長の三木に声を掛けた。
 「いえ、こちらこそ。畑中部長に上申する前に技術の意見が欲しいって最初に聞いたときは、人事も絡むというので、また余計な制度が増えるのかと思いましたよ。私もあの技術にはリーダーとして関わっていたので、今回のプロジェクトには関わりたいんです」
 自動車機械部品XY技術に詳しい三木が断らずに協力してくれたことで、プロジェクトチームの骨格が見えてきた。富永は、徐々に関係者の顔合わせを始めることで、チームづくりの準備に取り掛かっていた。まずは、人事部長の三宅と技術課長の三木と人事評価制度の協議を進めることで、畑中技術部長を攻略する布石を打つことにした。
 「それでは、人事評価制度の具体的な方針や課題を確認していきます」
 三宅と三木に説明する形で、富永はホワイトボードにOKRの運用ルールと改善方針を書き出した。
 「まず、目標設定についてですが、従来は全社に向けて重点施策が示されただけでした。重点施策は、取締役の承認を得た中期経営計画に基づき、部長会議で協議されます。そして、部長を通じて部内へ説明があり、課長以下はそれぞれの目標を上意下達で決定していきます。ここでの課題は、部長会議の後は横の部門の情報が分断され、垂直上方しか意識されなくなることです。これがセクショナリズムの温床となっています。また、トップダウンで決定するため、ボトムアップの情報は途絶したままです。また、重点施策が定性的かつ抽象度が高い表現であるため、達成する基準が不明瞭で解釈に幅が出てしまいます。そのため、OKRでは重点施策をObjectiveにし、Key Resultsとして具体的な達成指標を示すようにします。ムーンショットなのか、ルーフショットなのか、特にトップOKRはビジョンなど組織の視座をストレッチさせる役割があります。学生スポーツに例えるならば、県大会を目指すのか、全国大会を目指すのか、全国制覇を目指すのかといった具合です。それによって組織は鼓舞されます。自分たちの仕事が世の中を変える “夢の解像度” が上がっていく感じです」
 すかさず三宅が懸念事項を整理する。
 「そうなると、OKRをつくれるかどうかが最初の課題だな。重点施策をObjectiveとして表現するといっても、うちは総花的にやりたいことが列挙されがちだからなぁ」
 三宅の意見を受けて、三木も続ける。
 「確かに、マーケティングや横の部門の状況は分からないな。それが当たり前だと思っていたけど…」
 富永はそのまま続けた。
 「次に、評価・フィードバックですが、思い切ってOKRの考え方で断捨離したいと考えています。例えば、OKRの進捗を週次で捕捉するチェックイン、業務遂行における成果をウィンセッションで確認していきます。意見は分かれると思いますが、日報と月報はなくしてもいいのではないかと考えています。もともと自己管理の仕組みとして導入されていた意図は分かります。しかし、意外と時間がかかっており、しかも日報は後から読み返されることはありません。手段が目的化しているケースもあるはずです」
 ここまでの説明を聞いて、三木が口を開いた。
 「技術部は、技術ノートを付けている。技術は地道な積み上げが大切で、日々の検証結果や気付きをメモしている。でも、これとは別に日報のフォーマットもあって、勤怠と併せて今日の出来事を書いているんだけど、僕は、これがいつ使われているか疑問に思っていたんだ。だって、評価の時には技術ノートを見ながら評価面談をしているし。研究も計画どおりにはいかない、検証する部品や素材も膨大な数の中から、配合や組み合わせを変えて試験を繰り返す。まさに手探りだ。でも人事評価は定期的にあるし、うまくいっていないときに評価されるのって、納得感がないんだよ。ここ数年は競争も激しくて高度な技術が求められるから成果も出にくい。働き方改革で時間は制限されるし、ほんとつらいよ」
 三宅は、三木の発言から畑中部長が成果創出までのスパンを意識した人事評価制度を条件にした真意がようやく分かった。技術に限ったことではない。営業もマーケティングも同じなのだ。限られたリソースの中で、より高い成果を求められている。だからこそ、選択と集中、優先順位づけによって、生産性を高め、こまめに状況を把握する継続的パフォーマンス管理が必要なのだ。
 「続いて、等級制度については、どのような改善ができるか制度設計の議論にとどめます。実質、終身雇用を前提として勤続年数と過去の功績が重視されてきましたが、役割や創意工夫といった業務の成果や行動といった貢献度を重視します。行動指針やバリュー評価といわれるものです」
 三宅が思いついたように説明をさえぎった。
 「OKRなら、各自期待される『コト』が明確だな。あぁ、すまない。そういえば、70歳就業機会確保の努力義務化って、聞いたことあるか? 2021年4月から適用されるんだが、期待される成果と貢献のバランスで等級の合意が取れるように、一定の育成を経た後は、ポスト可変型から職務給や市場価値といったノーレイティングの考え方を取り入れて等級制度を再整備したほうが納得してもらえそうだ。年齢には勝てない、それを前提に個人的な特性を踏まえて、成果を出せるポジション、役割を合意する。どうしても等級だと、肩書から降格だという印象が生まれてしまう。でも実際は違う。人事評価制度から挑戦を奨励するってメッセージを伝えたい」
 思わぬ三宅の気持ちの高まりに戸惑いつつ、富永は最大の壁を越えた手応えを感じていた。

5. MBO的な風土とOKRの挑戦

 畑中技術部長への上申を三木とともに突破し、ここまでの準備の報告を営業本部長の崎田にすることになった。
 富永が一通り報告を終えると、崎田はコーヒーを一口飲んで、ぽつりと言った。
 「自動車機械部品XY技術か。新しい技術というわけではなく、これを選んだ理由は何だ? 大沢取締役が嫌がりそうだな」
 大沢取締役は、権田社長の懐刀といわれる技術担当役員だ。
 「承知しています。ですが、今回のOKRを進めるに当たっては、自社で完結することが重要だと考えます。権田社長と大沢取締役による提携会社を用いての自社技術部門と外部との競争が、社内の不信につながり、従業員のエンゲージメントの低下を招いたのではないでしょうか。ここで基幹事業において自社完結で成功事例をつくることこそ、組織のためになるのではないでしょうか。ROIは新たな販路の獲得による収益貢献です」
 崎田は内心落ち着かなかった。このOKRは、すべてを “見える化” することになる。そのことは、部下の手柄は上司の手柄という慣習が当たり前の基幹事業のカルチャーを根本から否定することになることに気付いたからだ。
 組織は、それを率いる者たちによって変わる。
 「技術と企画で世の中は変わる」と社長の権田が信念を伝えても、それを受け止める事業部長の崎田が本質的なマネージャー業務に傾注せず、顧客対応によってKPIを追い掛けることに終始してきたという現実がある。「世の中を変える」ことがゴールではなく、KPI達成が組織のゴールになってしまっていたのだ。

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 次回、推進チームがOKRの設定と運用について協議を重ね、実際にOKRを設定するとともに、運用のガイドラインを整備していく。いよいよプロジェクトが始まり、OKRがスタートし、課題やその克服方法を検討していく。