2019年12月27日掲載

各界の識者に学ぶ―「人生100年時代」のビジネスパーソンの生き方・働き方 - 第2回 楠木 建 氏(下)

「すべては好きから始まる」
自分には他者にどんな価値を提供できるのか
を冷静に考える時期に来ている

楠木 建 くすのき けん
一橋ビジネススクール 教授
1964年生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。
一橋大学商学部専任講師、同大学同学部助教授、同大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、同大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。専攻は競争戦略とイノベーション。
『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年、東洋経済新報社)、『「好き嫌い」と経営』(2014年、東洋経済新報社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年、文藝春秋)など著書多数。

インタビュアー: 佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)

 

働き方改革こそ「良し悪し」ではなく
「好き嫌い」で考えるべき


現在の働き方改革の位置づけについて、先生はどう思われているのでしょうか。

楠木 働き方改革は、それこそ「良し悪し」ではなく「好き嫌い」であるべきだと思います。今までの「一生懸命働かなきゃ駄目、残業して当たり前」「最後まで残っているやつが偉い」という偏った理解から、単に「早く帰るほうが偉い、有給休暇は全部取らなければいけない」と逆転するのは、どちらも間違っています。一人ひとりの"好き嫌い"や選択があるべきで、長く働くほうがより成果を出せる人はそうすればよいし、「いや、それだと調子出ない」という人は短時間で集中すればよいだけのことです。
 働き方改革の目的は「生産性の向上」ですが、これはインプットとアウトプットのバランス指標であり、分母には投入される労働時間や能力が、分子には成果が入ります。今は分母のほうを見過ぎている状態です。分子の成果が変わらないのなら、分母の投入時間を減らせば生産性が上がります。しかし、分子まで減ってしまうかもしれませんし、そうすると生産性は向上しないため、何のためにやっているのか目的を見失うことになるでしょう。
 ただ、明らかにどんな仕事にも無駄は多いので、とりあえず「早く帰れ」と言うのは、生産性に貢献するとは思います。しかし、それは表面的な話で、実際は分母で分子を割ったときに一番大きな値が出るように、一人ひとりが自分のスタイルを実践することです。本来であれば、分子である成果をどう出すのかまず考えるのが常道ですが、同じ成果を出すのであれば、分母を減らすに越したことはありません。

確かに、今は長時間労働の削減など分母ばかりに目が行きがちになっています。

楠木 それにしても、小学校みたいですよね。これは正しい、これは間違っているという良し悪しの基準を持っている先生がいて、生徒手帳に書かれているルールを守りましょうという取り組みばかりが目立ちます。いかにも幼稚です。引率する先生が旗を振って連れていってくれるという高度成長期マインドセットのよくない点です。これは、異常に追い風が吹いている高度成長期のみに意味があったやり方です。
 こう言うと僭越ですが、「もっと大人になって、当たり前に生きていきましょう」と提案したいですね。高度成長期はもう何十年前の話なのですから、異常な時代のマインドセットをそろそろ体から抜きましょう。

ビジネスパーソンはキャリアの問題に
どう立ち向かうか


[1]会社という枠を取っ払って「仕事の基本」を考え直す

現在50代の世代は、就職するときに大企業志向が強くありました。新卒で入った会社で今でも転職せずに、そのまま頑張っている方も多くいらっしゃいます。一方で、彼らは将来に対する不安から、変わらなければいけないのに、なかなか意識と行動が伴わないことに悩んでいます。

楠木 仕事というのは、自分以外の誰かのために価値を提供することです。その点において、全部自分のためにやればよい趣味とは違います。漁師を仕事にしている人は、誰かがお金を払って買ってくれる魚を必要な量だけ釣らないと生活が成り立ちません。趣味で釣りをするのとはわけが違います。
 一方で、仕事である以上、提供したものに対して金銭的な報酬や「ぜひうちで働いてください」というオファーが来たりします。こうした原点に戻って考えるべきではないでしょうか。どんなことを考え、計画して動いても、お金を払ってくれる人、すなわち、需要がなければ仕事にはなりません。
 反対に、そんなことをやろうと思ってなかったとしても、思ってもないところで、それを必要としている人がいるはずです。あまり会社という枠組みだけで考えないで、"自分は誰に対して何を提供できるのか"という、一番根本にある問いを考えてみることが必要なのです。

なるほど。それが個人の自立につながっていくのでしょうか。

楠木 個の自立といっても、誰もが起業しなければならないという話ではありません。ただ、高度成長期的な発想だと、ものの考え方が非常に「競争的」になりがちです。
 スポーツでは、誰かが勝てば誰かが負けます。金メダルは1個だけで、ビリまで優劣が一列に並ぶという競争です。それに対して現実のビジネスでは、同じ業界にも常に複数の勝者がいます。ユニクロもZARAも勝者です。その理由は、自分が提供をできる価値を提供しているからです。
 一度、会社という限られた枠を取っ払って、仕事という当たり前の基本を考え直せばよいのです。仕事とは価値を提供することで、需要がなければ価値はありません。こうした単純な規律を持って仕事をしていれば、ほとんどの問題に対する答えが出ると思います。自分で思い悩む必要はありません。すべてはお客様が決めるのです。自分で全然できてないと思っても、会社に「あなたがいなきゃ困るよ」と言われたら、それは立派な仕事です。一方で、一生懸命に計画を立てて仕事にしていても、「お呼びじゃない」と言われたら、まったく仕事になってないわけです。

他者に価値を提供できる何かを自分自身が持っているのか冷静に判断するわけですね。

楠木 オリンピックであれば2桁ぐらいの種目数しかありませんが、仕事であれば職種は数え切れないくらいあるわけです。ビジネスというのは本来、好き嫌いという価値基準と親和性が高いのです。
 私の意見では、ビジネスにおける供給側、つまり企業側の戦略的な意思決定も、本質的に好き嫌いの問題です。商品を買うのか、買わないのかは、顧客側が自分の好き嫌いを基準に選択するわけです。向こうのニーズ、こちらが提供できる価値が「多対多」のマッチングとなります。自分が好きで得意な、他人よりもできることでなければいけないし、そうでないと需要になりません。「得意」というのは、やはり「好き」ということなので、「すべては好きから始まる」というのはこうした意味合いです。

[2]ビジネスパーソンに向けたアドバイス

特に40~50代のビジネスパーソンにとって、自分が好きでかつ得意だと売りにできるものを自覚していくことは今後重要になってくると思われますが、いかがですか。

楠木 誰もがその仕事の第一人者になれと言うわけではありませんが、40~50代まで働いていれば、必ず好きでかつ得意なものがあるはずです。しかし、会社という枠の中で考えると、当たり前のリアリティが見えなくなってしまいがちです。
 そもそも会社は本来、その人の貢献に対して対価を払い、雇用を保証しているわけです。こうした当たり前のことをみんな忘れてしまっていると思います。ある特定の時期に定着しただけなのに、日本文化のように曲解された高度成長期のシステムは、いまや人を惑わせているのです。かつて日本企業の三種の神器としてもてはやされた年功序列・終身雇用・企業内組合は、"高度成長という特殊状況の下でのみ有効に機能した仕組み"と割り切る覚悟が必要ということです。繰り返しますが、それは本当は「覚悟」というほどのものでもありません。年功序列や終身雇用というのは、そっちのほうがごく特殊な状況下でしか成立しない「異常な慣行」だったのです。

新卒時には大企業志向が強かった現在の50代と比べ、最近の20代は、躊躇なくベンチャー企業を指向するケースが増えてきているように思います。こうした傾向を先生はどう評価されますか。

楠木 どちらがよい、悪いという問題ではないですね。自分の好き嫌いに忠実であればよいと思います。ベンチャーに行くことが大企業に行くよりもよいとは思いません。良し悪しの話ではありませんから。ただ問題は、「良し悪し」の問題に強制的に翻訳する考え方があることです。
 かつては「大企業でなきゃ駄目だ、大企業のほうが優れている」という考え方がありました。さすがに今はこうした考え方は薄れつつありますが、「大企業なんかに行ってどうする、ベンチャーのほうが優れているし進んでいる」と逆転しているのだとすれば、それは同じように間違っています。本来はどちらを選ぶかは「好き嫌い」の問題なのに、優劣や「良し悪し」にすり替えているのです。「大企業志向帝国主義」がなくなったことは歓迎しますが、「ベンチャー志向至上主義」はまったく歓迎しません。あくまで私の意見はニュートラルです。

現在の20~30代は、高度成長期の記憶はまったくありませんが、高度成長期の呪縛からはすでに解き放たれているという理解でよいでしょうか。

楠木 中には大企業でやっていきたいと言う人もいるでしょうし、組織には所属せずに働いていくと言う人もいるでしょう。考え方は多様化しています。外野の声ではなく、自分の内的な価値基準に忠実に判断して選択・行動していくことが望ましい在り方です。
 キャリア形成の中核にあるのは、その人の能力や得手不得手です。一方、どこに就職するかというのは、そのときどきの運や縁が左右されるものです。自分が好きなことは何なのかと自問自答してキャリアを考えることはとても大切ですが、これは"夢に日付を入れる"という打算的な「計画」ではあり得ません。自分の中にある、どういうことが好きなのか価値観や価値基準は、偶然によって左右されるものではないので、それを大切にしていくべきでしょう。

インタビュアー佐藤文男(佐藤人材・サーチ株式会社 代表取締役)
1984年一橋大学法学部卒業後、日商岩井、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券、ブリヂストン等異業種においてキャリアを積み、1997年より人材紹介ビジネスの世界に入る。2003年10月に佐藤人材・サーチ株式会社を設立して代表取締役社長に就任。本業の傍ら、2017年4月から山梨学院大学の経営学部客員教授として「実践キャリア論」の授業を実施する。著書は今まで18冊(共著1冊)を出版する。