2018年06月12日掲載

“未来型”要員・人件費マネジメントのデザイン - 第2回 非正規社員の無期化による影響を可視化せよ(前編)

 


山本奈々 やまもと なな
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
シニアマネジャー

非正規社員の無期化に直面した今、考えるべきことは何か

 A社は、全国に300以上の直営店舗を持つ小売業の会社で、毎年店舗数を増加させ、成長を続けており、現在の中期経営計画においても、5年後にはさらに30店舗の増加を目指している。
 同社ではこれまで、店舗運営は各店舗に店長が1人と1~2名の正社員、残りは非正規社員(パート・アルバイト)という体制を基本として運営してきたが、通算5年超契約者の無期転換ルールを定めた2013年の改正労働契約法施行を受けて、非正規社員の扱いについて検討を続けてきた。その結果、昔から貢献してきてくれた人に報いたいという社長の思いと、この人手不足の中で優秀な人材を採用・確保したいという思いから、無期化を希望する非正規社員については、限定正社員(勤務地限定とし、その分給与水準が低い)として受け入れる方針を固め、実際に2018年4月から限定正社員が30人発生する形となった。
 限定正社員制度の導入は社長の肝いりの施策ではあったが、制度導入に際しては、まずは2018年4月に間に合わせることが最重要とされ、詳細なシミュレーションまでは実施できていないのが実情であった。

社長からの一言 ~ある日の経営会議~

 人事部長の井阪は、この4月に限定正社員となった社員の様子を見るために各店舗を巡回した結果、皆がモチベーションを持って業務に取り組んでくれていることを確認し、その状況を社長に報告した。
 社長は井阪の報告を聞き終えると、おもむろに口を開きこう言った。

「限定正社員となった社員がモチベーション高く働いてくれているのは喜ばしいことだ。しかし、よくよく考えてみれば、社員にとっては契約更新の心配もなくなり、給与もアップしたのだから、モチベーションが高まるのはむしろ当然とも言える。一方で、会社にとってこの取り組みは生産性の向上につながるのだろうか? むしろ、人件費が増えるだけで終わってしまうのではないか? また、人件費以外にも、この限定正社員制度を導入することによってどんなことが起こるのか、実はきちんと考えきれていないのではないか。いまさらと思うかもしれないが、何か対応が必要なのであれば早いに越したことはないので、いま一度、この限定正社員制度導入がわが社にどんなインパクトを与えるのか、整理してくれないか」

 制度設計と導入のため、昨年1年間息をつく間もなかった井阪は、現場のメンバーがおおむね満足していることにほっと一安心したところだったが、この社長の一言により、休む間もなく次の課題に取り組むことになった。

非正規社員の無期化は、会社に何をもたらすのか

 会議終了後、自席に戻った井阪は、早速部下の三浦を呼び、社長の指示を伝えた。
「確かに、制度検討の際には、2018年4月の制度導入に間に合わせるために必死で、制度移行時の人件費インパクト試算以外についてきちんと検証しきれていない点は、私も気になっていました。これから限定正社員の人数も増えていくことを考えると、今後の計画策定にどう織り込むべきかも含めて、一度きちんと確認しておくことが必要ですね」
「そのとおりだ。漠とした指示で申し訳ないが、移行に伴う人件費インパクトにとどまらず、関連するさまざまな影響について、一度整理してみてくれないか」

 井阪の指示を受け、三浦は早速検討に取り掛かった。
「とは言うものの、具体的に何から始めるべきか…」
 そこで三浦は、限定社員制度検討の際に依頼したコンサルタントの内海に電話をかけ、相談に乗ってもらうことにした。

 数日後、A社を訪れた内海に、三浦は社長からの指示について相談を持ち掛けた。
「なるほど、社長のおっしゃることはもっともですね。そして、なかなかに難題でもあります」
「というと?」
「今、多くの会社でこうした新しい多様な雇用形態の社員が増えているのですが、実はその影響は多岐にわたるのです」
そういいながら、内海は会議室のホワイトボードにこんな図を描き出した[図表1]

[図表1]人材マネジメントサイクル
   

「三浦さんもご存じだと思いますが、これはいわゆる人材マネジメントサイクルを表した図です。そして、制度設計の際には、この"処遇(報酬)"に関するインパクト試算は実施しました。しかし、実際には新しい制度を導入したり、新しい雇用形態・職種を増やしたりするということは、このマネジメントサイクル全体に影響を与えることになるのです」
 そして、今回の限定正社員制度導入に関しては、以下のような影響が考えられると言う。

【限定正社員制度導入により想定されるインパクト】

●採用

・人材採用に関するコスト(広告費用等)の減少

・採用にかけている工数(人事部員の工数、店長の面接工数等)の減少

・(正社員として募集することによる)応募者数・採用可能人数の増加と質の向上

●配置

・新しい役割の設定に伴う、業務遂行体制の変更

●育成

・育成にかけている工数(現場における店長およびその他社員の育成工数)の減少

・初期育成機会の軽減に伴う研修コストの減少

●等級・評価

・評価実施にかかる工数の増加

●処遇(報酬)

・基本給水準の引き上げによる人件費増

・賞与なしから賞与ありになることによる人件費増

・その他手当・福利厚生の支給による人件費増

●代謝

・退職金支給による人件費増

・退職率の低下

「なるほど、人材マネジメントサイクルにのっとって考えることで、いろいろな影響を洗い出すことができますね。また、ここに書いていただいたような内容は、確かに影響として発生しそうです」
「今回の制度変更のように、非正規社員の正社員化という取り組みにおいては、やはり人件費の増加という点に注目されることが多くなってしまいます。短期的な視点からみれば確かにその通りなのですが、中長期的な観点からみると、プラスのインパクトも多く存在するのです。特に"採用"と"育成"については、中長期的にみると、いわゆる人件費以外のコストの面でプラスの効果、すなわちコスト削減効果が期待されます。要は、正社員化することで、これまで短期間での入れ替わりが前提であった非正規社員とは異なり、人が定着することとなるため、毎年の採用コストや育成にかかるコストの減少が見込まれるのです。ちなみに、ここでいう『コスト』は、単純な費用だけではなく、その業務にかかっている『工数』も含めた考え方になります」[図表2]

[図表2]正社員化した場合にかかるコストの変化イメージ

「なるほど。短期的な観点だけでなく、中長期的な観点から考えることで、違ったインパクトが見えてくるということですね」
「そのとおりです。正社員化は、短期的にみればコスト増となりますが、増加した分の人件費は、いわば人材に対する会社としての"投資"として捉えるべきであり、その効果は中長期的に現れるものなのです。ですので、その投資対効果を明らかにしようとするのであれば、中長期的な観点から検証を行うことが必須となります」
 内海は、さらにこう続ける。
「また、この人材マネジメントサイクルに沿って整理できるインパクトは、主に人件費など人にかかる"コスト"の観点の話ですが、これに加えて、正社員化による社員のモチベーションや業務品質の向上、そしてその結果としてアウトプット(=売り上げ)の向上、という効果も見込めます。むしろ、会社としてはこちらの効果をより重視すべきだと考えます」
「業務品質や売り上げの向上ですか…。なるほど、確かに従業員のモチベーションが上がっているという声も聞かれているので、そういったインパクトもありそうですね。ありがとうございます、よく分かりました。とにかく、まずはプラスの影響が見込めそうな採用や育成についての実態を把握することから始めて、その効果の検証が必要ということですね」

 三浦は、以前いくつかの店舗の店長から、売り手市場が続いていることもあって、なかなかパート・アルバイトの採用ができない、という悩みを聞いていたことを思い出していた。また、パート・アルバイトの退職率も徐々に高くなっており、社員の定着化についても、ここ数年の人事部で抱え続けている悩みの一つでもあった。こうした課題が、限定正社員制度導入によりどう変化したのか、という点を特に調査してみることで、内海の言うプラスの影響を把握することができるのではないかと考えた。
 そこで、早速、三浦は現場へと出向き、主に以下の4点について店長へのヒアリングを実施した。

①限定正社員制度があることにより、今までよりも採用はしやすくなったか?

②従業員の定着化に影響はありそうか?

③今後、限定正社員が増加していくことで、店舗におけるトレーニング工数は減少しそうか?

④パート・アルバイトの社員を限定正社員へと登用することで、モチベーションや業務品質にどのような影響がみられるか?

 ヒアリングの結果を取りまとめたもの(抜粋)が、以下である。

【①採用について】

・面接時に頑張れば正社員になる道も開かれているということを説明することで、より良い人材確保につながっているように感じる

・応募してきた人から限定正社員登用について質問を受けることがあり、採用には良い影響を与えていると思う

【②定着化、④モチベーションについて】

・これまでパート・アルバイトとして一緒に働いていた仲間から正社員になるものが現れたことにより、今回、正社員登用にチャレンジしなかったものについても、どうすれば正社員になれるのかという質問を受けた

・優秀な人材を退職させないためにも、できるだけ早期に正社員化したいと考えている。限定正社員への登用の要件を、もう少し緩めることはできないか?

 育成や業務品質向上については、まだ制度を導入したばかりのこともあり、具体的な意見は出てこなかったが、各店舗の店長からは、おおむねポジティブな意見が聞かれ、今回の制度導入が従業員に対して良い影響を与えていることが徐々に明らかとなっていった。
「よし、内海さんに教えてもらった人材マネジメントサイクルの考え方と、中長期的な観点から複数年度で効果測定すべしという考え方、そしてこの店長へのヒアリング結果を取りまとめて、限定正社員制度導入の効果についての検証結果として取りまとめよう」
 三浦は、早速資料作成に取り掛かった。

 2週間後、三浦は作成した資料を井阪に提出し、内容についての説明を行った。
「なるほど、人材マネジメントサイクルの観点と、単年度ではなく複数年度で効果を測定すべき、という視点は良いね。人事の施策はなかなか単年度で効果が出るということはないので、中長期的な視点からみるべき、という指摘はとても重要だと思う。ただ…」
 井阪は、三浦が取りまとめた資料をめくりながらこう続けた。
「ここに書かれているようなインパクトが実際に発生しているのか、発生しているのであればそれはどの程度なのかということを、きちんと可視化してモニタリングしていかなければ、この取り組みの、本当の意味での効果検証はできないのではないかな。こういうことが起こりそうだ、こういう影響がありそうだということは、何となくそうだろうな、とは思うけれど、それを検証するためには"定量化"が必要だと思う。ここで挙げているようなインパクトを可視化・定量化するためにはどうすればいいのか、ということをもう少し考えてみてくれないか?」
 限定正社員制度導入に伴うインパクトの可視化、そんなことが本当にできるのだろうか…? 井阪の指摘はもっともだと思いながらも、具体的にどうすればいいのかすぐに思いつくわけではなく、三浦は新たな課題を抱えて自席に戻っていった。

(第3回へ続く)

山本奈々 やまもと なな
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー
要員・人件費計画策定・最適化マネジメント、グループ要員・人件費管理体系構築、要員・人件費のリストラクチャリング、合併に伴う要員再配置・人事統合、組織・人事戦略策定、業務設計・組織設計、人事諸制度設計、人材開発計画策定等、組織・人事・業務・経営管理領域に関わるコンサルティングに幅広く従事している。
共著書に『要員・人件費の戦略的マネジメント ~7つのストーリーから読み解く』(労務行政、2013年)