2017年11月20日掲載

「労政時報」特集解説:HR tech - HR techの現状と可能性

テクノロジーがもたらす、人事の新たな価値創出のアプローチ


酒井雄平 さかい ゆうへい
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
マネージャー

最先端のIT関連技術を活用して、人事分野の業務効率化や採用・人材育成・評価・配置・登用などの戦略的展開を図る「HRテクノロジー」(HR tech)が昨今急速に注目を集めています。
今回は特別記事として、『労政時報』第3941号(17.11.24)掲載の特集「HRテクノロジーの活用と今後の展望」より、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社の酒井雄平氏にご執筆いただいた、同分野をめぐる最近動向とこれからの展開についての解説をご紹介します。

 ポイント 
先端的なIT技術を駆使し、人材マネジメント業務の効率化や人材の価値の最大化を図るHR techの活用は、既に世界的な流れである。日本でも、若手人材の減少・働き方改革などを背景とする生産性向上への関心の高まりから、HR techへの期待は高まっている
HR tech関連のサービスが実現する機能は、主に、①自動化、②いつでもどこでも化、③見える化、④モデル化の四つに分類できる
HR techの発展による人事業務効率化へのインパクトは大きく、人事の価値創出の在り方を大きく変えることが予想される。新たな価値創出のキーワードは「命中率の高い施策立案」と「一人ひとりの体験のデザイン」である
HR techを使って新たな価値を創出するため、人事組織や人事担当者には「①筋の良い仮説を立てる力」「②小さなPDCAを素早く回す力」の二つの力が今後求められるようになる

 

1 先端的なIT活用により「人材の価値」を最大化できる時代が到来する

 「HR tech」とは、「HR」と「Technology」を掛け合わせた造語であり、先端的なIT(情報技術)を駆使し、人材マネジメント業務の効率化や人材の価値の最大化を図るソリューションや手法を指す。
 この「××tech」という造語は、「Fintech」(金融×テクノロジー)、「Adtech」(広告×テクノロジー)といった他領域で先行して使われ、実際に技術主導による劇的な変化が起きている。
 一方で、IT活用の波はこれまでも存在してきた。例えば過去に給与計算のシステム化や人事情報のデジタル化などに取り組んできた人事担当者からは、期待感と同時に「今度は何が変わるのか?」というような懐疑の声も出ている。そこで本稿では、HR techのトレンドを紹介すると同時に、HR techを活用することで人事の仕事や価値の出し方がどのように変わるのかを解説し、新たな技術の活用を具体的に検討するきっかけを提供したい。
 HR techの活用は、既に世界的な流れになっている。デロイトが世界のビジネス・人事リーダー1万人以上を対象に行った「グローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンド 2017」では、全参加企業の71%がデータ活用による人事課題の解決を重要視すると回答した[図表1]。また、日本では「少子高齢化による若手人材の減少」「働き方改革」などの社会的背景によって、生産性向上への関心がより切実になっていることも、HR techへの期待を押し上げていると考えられる。
 また、近年のITを牽引(けんいん)する「SMAC」、すなわちソーシャル(Social)、モバイル(Mobile)、アナリティクス(Analytics)、クラウド(Cloud)の各技術の発展により、データの幅広い収集や分析・活用、機敏な情報のやりとりが可能になったことが、HR techの発展と普及に一役買っている[図表2]。近年特に話題となっているVR(Virtual Reality:仮想現実)や、あたかも人間のような学習・推論・判断を行うAI(Artificial Intelligence:人工知能)も、基本的にはSMAC技術と密接に結び付いている。
 こうした背景を踏まえつつ、次章では急速に増えつつあるさまざまなHR tech関連のサービスの機能を俯瞰(ふかん)的に示したい。

図表1 データ活用による人事課題の解決に対する関心の世界的な高まり

図表2 HR techの基盤となるSMAC技術の特長

2 HR techによって実現する四つの機能

 HR tech関連のサービスが実現する機能は、主に、①自動化、②いつでもどこでも化、③見える化、④モデル化の四つに分類できる。

[1]自動化

 近年、人事領域に限らず注目されているサービスの一つに、RPA(Robotic Process Automation)と呼ばれる、一定のルールに基づいて人が行う作業を代行するソフトウェアがある。以前から存在したエクセルのマクロ等と比べ、RPAはエクセル、メールソフト、社内ポータルなどさまざまなシステムにまたがる作業が可能なことが特徴であり、多様な業務への応用が利く。また、ルールが柔軟に設定できるため、各社固有の作業にも適用可能である。人員・人件費管理や採用の選考管理、福利厚生の承認手続きなど、一見複雑だがルール化が可能な業務に対して、今後RPAが急速に普及する可能性が高い。
 自動化は人の判断にも及びつつある。これまでは、人事システムにより情報管理・作業の効率化が進んできたが、情報の検索や作業指示は人が考え、自ら探して行うことが多かった。しかし、近年の人事システムでは操作性や直観的な見やすさが急速に改善されつつあり、検索や指示を考え、実行するまでの時間が短縮されている。さらに、一部の人事システムでは、ワークフローの内容や、To Doリスト・過去の操作履歴をAIが学習して、各従業員に今行うべき作業を提案する機能も備わりつつある。今後、人事担当者自身の作業や判断の自動化だけでなく、手続きのセルフサービス化も進み、人事の負荷が大きく軽減することが見込まれる。

[2]いつでもどこでも化

 インターネットの普及に伴う最も大きな変化の一つは、ソーシャルメディアを介した双方向コミュニケーションの急激な増加である。
 同じような変化が人材育成でも進みつつあり、例えば企業内でのオンライン講座では、受講者が感じた疑問を即座に投稿し、それに対する質疑応答を担当者との間で行い、学習効果を高めるケースが増えた。こうした講座を幅広く提供する企業も存在しており、社内・社外のオンラインコンテンツを組み込んだ学習の発展が見込まれる。
 また、米国ではここ数年、「マイクロラーニング(Micro Learning)」と呼ばれるオンラインコンテンツの細分化・最小化が注目を集めている。受講の負荷を減らすとともに、ニーズに対するピンポイントな教材を提供することで、学習の効率や効果を一層高めることが期待されている。
 一方で、オンラインの会議も活用の場が広がっている。現在のWEB会議システムでは、音声だけでなく画像や動画も高い品質で共有することが可能であり、対面に近い環境を低コストで実現している。そのため、採用における説明会や面接、人事上の面談業務をオンラインで行う企業が着実に増えつつある。近い将来には、VRや会話の自動翻訳の登場も見込まれており、臨場感のさらなる向上や、多言語での面接も可能になるであろう。

[3]見える化

 従業員の状況把握は人事の重要な機能の一つであり、個人属性・評価・報酬等の人事データが整備されてきた。近年、「ピープル・アナリティクス」と呼ばれる “多様なデータを駆使して人事課題の解決を図る手法” が急速に発達している。その一環として、行動・感情・健康状態といった、より「ありのままの状態」を知るデータの整備・解析が進んでいる。
 データ収集や可視化には、モバイル端末やクラウドシステムが大きな役割を果たしている。例えば、意識調査において簡易な設問を高頻度で行ってリアルタイムに従業員の意識を把握する「パルスサーベイ」という手法が生まれている。また、人の動きに着目するサービスも増えつつあり、音声情報を解析して感情を可視化・分類するシステムや、眼(め)の動きを測定して集中力や落ち着きの程度を測る眼鏡型のデバイスが登場している。
 弊社でも、パルスサーベイ機能を搭載し、従業員が自ら健康状態・活力状況等を入力して労働時間等と合わせて自身の状態を確認するモバイルアプリや、多様な人事・検診データを集約して経営や人事が会社全体を俯瞰・分析できるダッシュボードを開発し、企業の生産性向上や健康経営の推進を支援している。
 個人だけでなく、組織の人的ネットワークを見える化する取り組みも広がっている。海外や日本の先進企業では、質問票といった手法に加えて、人の動きを測定する専用の端末やメール等の履歴を活用してデータを収集し、専用のシステムを用いて分析・可視化することで、従業員間のつながりやコミュニケーションの緊密さ、個人の影響力を把握している。つながりや影響力を分析することで、イノベーションを促す組織・職場の設計やリーダー人材の育成、つながりの弱い従業員の離職防止を実現するためのより個別具体的な施策が立案できる。

[4]モデル化

 現在、人事データの分析において最も使われているツールはエクセルである。人件費や従業員満足度の経年変化や、世代・地域別の退職率の傾向分析など、大まかな推移や問題点の把握がこれまでも行われてきた。しかし、大量のデータを手軽・機敏に分析できるツールや、分析したデータを視覚的に分かりやすく示すツールの登場により、数千人以上の数百項目にわたる大量のデータを一度に分析し、項目間の関連性をひも解いて満足度の構成や退職の発生原因を統計的なモデルで示すことが可能になっている。
 数年前までは考えられなかったAIによるモデル化のサービスも実現している。例えば、転職エージェントのリクルートエージェントは、企業に提供した膨大な転職希望者のデータを基にAIが学習して、採用に至った人材の傾向を把握し、各企業のニーズにマッチする候補者を自動的に提案するサービスを導入している※1。こうした機能を各企業で保有することはまだ難しいが、いずれ技術の進歩が進めば、各企業において、AIを使った異動計画の立案やプロジェクトメンバー選定なども実現する可能性がある。
※1 株式会社リクルートエージェント「おすすめ登録者スカウトツールCAST」(https://cast.r-agent.com/cast/service/guide/index.html)参照。

 ここまで、HR techが実現する四つの機能について紹介した[図表3]。そこで本稿の後半では、これらを用いることで、人事の仕事がどう進化し、その結果、どのような価値の創出が求められるようになるかを解説する。

図表3 HR techが実現する四つの機能

3 HR techの活用により人事の価値創出のアプローチが変わる

 これまでもテクノロジーの進化が人事業務を効率化してきたが、HR techの発展によるインパクトはより大きく、人事の価値創出の在り方を変えることが予想される。筆者は、新たな価値創出のキーワードは「命中率の高い施策立案」と「一人ひとりの体験のデザイン」にあると考える。

[1]命中率の高い施策立案

 長年、「ヒト」に関する課題の解決においては、人事や現場の経験知が重視されてきた。その主な理由として、「ヒト」に関する情報は多岐にわたり、かつデータ化しづらいものが多いという分析上の制約が挙げられる。しかし、人材の基本属性・評価データ・意識調査等のデータ化が進み、HR techの発展によりデータからモデルを作成して問題視すべき要素を統計的に導き出すことが可能になった。さらに今後、行動・感情・健康状態等のデータ化が進むことも見込まれる。
 これらにより、人材のグローバル化や多様化が進み問題が複雑化・複合化した現在において、経験知のみでは把握しきれない課題をピンポイントに捉えやすくなると予想される。
 また、作成したモデルを特定の組織や個々の人材に当てはめることで、将来起きる事象を予測し、未然に手を打つことが可能になる。予測内容が外れることもあるが、モデルの検証・改善を繰り返すことで予測精度の向上も期待できる。
 ここまで述べてきたHR techによる問題解決プロセスの変化をまとめると、[図表4]のようになる。各プロセスでデータが果たす役割が大きくなるが、データを読み解いて課題を形成し、施策を立案するのはあくまでも人の役割である。データと経験知が融合することで、初めて命中率の高い施策を行うことが可能になるのだ。

図表4 HR tech活用による問題解決プロセスの進化

[2]一人ひとりの体験のデザイン

 近年、「エンプロイー・エクスペリエンス」と呼ばれる “人材が企業の中で得られる価値ある体験” を重視する考え方が世界的に注目を集めている。先述した「グローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンド 2017」においても、79%の企業がエンプロイー・エクスペリエンスを重視すると回答している。効率的なオペレーションや高機能な製品だけでなく、イノベーションが事業の成長エンジンとなる現代では、多様な人材を活用し、生き生きと課題に取り組ませ、企業に惹(ひ)きつけることが欠かせない。そのために、価値ある体験をデザインし、提供することが、企業にとって重要な課題になりつつある。
 テクノロジーの活用で先行するマーケティング領域でも、体験のデザインが重視されている。例えば、ユーザー一人ひとりの属性や嗜好(しこう)、購買履歴などから、個別に最適化された広告や販促施策を発信する手法が一例として挙げられる。また、発信内容も、単に特定の商品の紹介ではなく、細分化された各セグメントの人物像や生活習慣を克明に想定し、得られる価値やエピソードの提示に力点が置かれるようになっている。驚きや心に響く体験をユーザーに感じてもらうことで、消費行動を促しているのだ。
 人事の領域においても、HR techの活用により、人材のセグメントをより細分化して多様なデータから深く理解し、ニーズに合わせた利便性の高いサービス・学習機会の提供や創造性を刺激する職場の設計が可能になる。
 次に、これまで説明してきた二つのキーワードを基に、人材マネジメントにおいて価値創出のアプローチが具体的にどう変わるかについて考察したい。

4 新たな価値創出のアプローチの機能別事例と導入のハードル

[1]「人材を採用する」:
優秀な人材を個別に見極め・惹きつける

 採用では、必要な人材を速く、適切なコストで、十分な人数確保することが価値の出しどころであり、さまざまな工夫がなされてきた。その中でも特に困難なのは、希少性が高く優秀な人材の見極め・惹きつけであるが、HR techの活用により、今後はまさにこの点が人事の新たな価値の出しどころとなる。
 その手段の一つが面接の精度向上である。例えばグーグルでは、面接官・設問内容・面接回数といったさまざまな要素をデータ化して採用した人材のパフォーマンスとの関係性を分析し、さまざまな条件ごとの適切な設問内容の定義や、面接の適切な上限回数は4回と分析するなど、面接の精度を向上させるさまざまな洞察を生み出している※2。同じ水準までとはいかずとも、一部の企業では優秀な人材が採用時にどのような特性や経験を有しているかを分析し始めている。
※2 ラズロ・ボック『ワーク・ルールズ!―君の生き方とリーダーシップを変える』(東洋経済新報社)参照。
 優秀な人材が、自社に好印象を持つような体験づくりの重要度も一層高まる。よりリアリティのある企業説明コンテンツの開発や、候補者と相性のよさそうな面接官や内定者フォローを行う社員を選定するなどの取り組みが進むことも見込まれる。また、過去に退職した人材のうち、優秀な人材を出戻りさせる動きも見られる。退職者のネットワークづくりを行って、自社に愛着や関心を持ち続けてもらえるような情報を発信するなど、一種の退職者マーケティングが徐々に広がっていくのではなかろうか。

[2]「人材を理解する」:
一人ひとりを深く・リアルタイムに理解し、先手を打つ

 人材に関するデータが、基本属性や評価データから、行動・感情・健康状態などの「ありのままの状態」を表す要素まで広がっている。パルスサーベイ等で、リアルタイムにこれらのデータを把握できる点については前述したが、こうしたデータの活用により、今後は先手を打つことが重要になる。例えば、優秀な人材に着目し、仕事への満足度や感情・行動の傾向における変化の兆しを事業部長や上司に提供することで、モチベーション低下や退職といった事態を未然に防ぐ施策を立案することが考えられる。
 先手を打つためにはモデルの活用も欠かせない。本特集での日立製作所、パーソルホールディングスの事例に詳しく紹介されているが、モデル化により、現状の傾向の把握だけでなく、例えば「退職に影響を及ぼす上位5要因とその寄与率」「人事評価への納得性が高まることにより従業員のモチベーション指数が5%改善する」といった事業に影響を及ぼす指標とその要因の関係性を定量的に示し、将来を予測することが可能になる。今後は、予測した将来に基づいて施策を考え、費用対効果までを明らかにすることで、経営層の意思決定により深く関わることが人事の価値になるだろう。

[3]「人材を育て、成果を出させる」:
個人・チームに最適の支援策を提供し、成果の質を高める

 人材を育てる主な手段は、研修と仕事を通じた良質な経験の提供である。研修については、前述したマイクロラーニングや双方向的なオンラインコンテンツの整備により、一人ひとりに適したコンテンツをより簡易に受講できるようになる。個々のスキルや育成課題、キャリア志向性を基にした最適なコンテンツを選定するなど、能動的に提案する役割も強まるであろう。これらを通じ、学習効果を高めることが人事の価値の鍵となる。
 また、年々進化を続けるタレントマネジメントシステムの機能を活用することで、人材の将来性やキャリアパスを考慮した適切な異動先を選定するなど、良質な経験を幅広く提供する動きも広がっていくだろう。
 一方、チームに着目した支援も今後はより重要になる。個々の人材のタイプ・特性、チーム内外の人的ネットワーク情報、リアルタイムなチームメンバーの行動・感情を分析することで、チーム内の人間関係やメンバー間の相性、コミュニケーション状況などを正確に把握することができる。
 例えば、ネットマーケティング事業大手のセプテーニ・ホールディングスでは、個人のスキル・特性に加えてチームの環境・仕事といったさまざまな要素をデータ化して分析し、現在の環境への適応度が低い人材のパフォーマンス改善に向けた施策を立案するだけでなく、必要に応じて機動的な異動までを行っている※3。このように、個々のチームの課題を明らかにして職場環境や仕事の割り当て、人の組み合わせまで踏み込んだ解決策をリーダーや事業部長層と協働で考え、チームの成果の質を高めるといった人事の動き方がより重要になると考えられる。
※3 パーソルキャリア株式会社「『石の上にも三年』はあやしい? 社員が活躍できる職場、AIで実現 セプテーニに学ぶ」(2017. 4. 7、https://mirai.doda.jp/series/interview/septeni/)参照。

 ここまで、人事としての新たな価値創出のアプローチを紹介してきたが、それぞれの実現には、データ整備・分析手法・システム・表現方法などの技術的なハードルが存在する。[図表5]に価値創出のアプローチの例とハードルの高さの目安を整理したが、ハードルが高くなるほど時間・コスト面での負担が大きくなるため、まずは比較的ハードルの低いものから実現を図ることも一案である。
 また、もう一つ大きなハードルとなるのが現場の協力不足である。既存の方法を変えることへの抵抗に加え、採用・人材の理解・育成やパフォーマンス改善といったテーマに対する現場マネジャー層の強い想いが作用して、人事が新しいデータやツールを一方的に提示しても失敗に終わるケースが存在する。そのため、そうした現場の想いとデータ活用が必ずしも矛盾しないことを説明し、ツールやデータの活用方法を繰り返し伝えて現場のリテラシーを高め、新旧プロセスの並行期間を設けるなど丁寧な導入プランの設計が必要となる。

図表5 人事の新たな価値の出し方の例と技術的ハードル

5 仮説を立て、PDCAを素早く回す力が、新たな価値の出し方の鍵となる

 最後に、HR techを使って新たな価値を創出するために、今後の人事組織や人事担当者に求められるケイパビリティ(能力や強み)について触れたい。新しい価値創出のアプローチも、大まかなプロセスとしては「データ分析と課題形成」「施策の実行・効果検証」の二つと捉えられる。そこで見えてくるケイパビリティは、「①筋の良い仮説を立てる力」「②小さなPDCAを素早く回す力」の二つの力である。

[1]筋の良い仮説を立てる力

 従来、人事データの分析は、経年・組織別比較といった切り口で要素を分析し、特異な傾向を見つけて課題を形成するアプローチが主流であった。今後、分析可能なデータが飛躍的に増大すると、従来の方法で網羅的に分析するのは困難になる。理屈上は、経営課題に関するすべての要素をデータ化し、分析の専門家やAIを駆使して課題を発見することも不可能ではないが、コストや期間を考えると非効率的だ。そこで、“筋の良い仮説” を基に収集するデータを決め、分析方法を設計することが重要になる。
 筋の良い仮説を立てるに当たり、まず重要になるのが、事業の価値の出し方に関する深い理解である。例えば、人的生産性の向上という経営課題を想定すると、仮説を立てるためには人材の評価や能力だけでなく、売り上げ・利益の源泉、各機能に求められる成果、業務プロセスなどの事業そのものに関する幅広い要素を考慮する必要がある(なお、検証する仮説に漏れのないよう、多少筋が良くなくても数を多く出すことが望ましい)。
 また、もう一つ重要なのが “着眼点の数字化” である。同じ例で「組織間の連携が弱い」という仮説を想定すると、検証には「連携」の指標化が必要となる。組織間のコミュニケーションプロセスを洗い出しておのおのの質・量・所要時間・付帯コストなどの観点から適切な指標を特定するという、バランスドスコアカードにおけるKPI設定に近い思考プロセスが求められる。
 このようにして筋の良い仮説を立てることで、質の良いデータを作成・収集することが可能になる。人事データ分析においては、多様なデータ形式の統一や一元化がしばしば障壁になるが、整理された目的に基づいてデータを収集することが解決の近道となる。質の良いデータは、新たな分析テーマが生じたときにも力強い武器となる。

[2]小さなPDCAを素早く回す力

 命中率の高い施策を立案することが人事の新たな価値となるが、初めから命中率を上げることは難しいため、小さなPDCAを素早く回すことが重要になる。具体的には、課題の解決策を実行する際にはパイロット実験を行い、期間やコストを抑えて効果検証することが望ましい。
 また、解決策の中にHR techのさまざまなサービスを組み入れることも重要である。従来、ITツールの導入には多額の投資が必要だったが、近年さまざまなツールのクラウド化が進んだことにより、初期投資を抑えて必要最小限な機能のみを素早く導入することが可能になった。その意味において、日頃からさまざまなHR techのサービス動向を把握しておくことも重要である。
 小さなPDCAを回して成果が上がったら、その成果を最大限に活用したい。施策の適用範囲を広げることはもちろんであるが、小さな成功を積み重ねることで、前述の筋の良い仮説を立てる力や、データ分析力を高めることも重要である。これらの力を高めつつ、新たな価値創出のアプローチを社内に周知することで、人事としての存在価値を高めて好循環をもたらすことが望ましい。
 最後に、人事担当者個人のケイパビリティの高め方について触れておきたい。HR techを活用して新たな価値を出すに当たり、担当者1人がすべての役割を担うことは難しい。そこで、得意としたい領域を二つ程度見極めることを推奨したい。例えば、事業課題の理解を強みとすることはもちろん重要であるが、そこにさまざまなツールの理解を加えることで、関与できる範囲を大きく増やし、個人としての価値の出し方を広げることができる。その上で、例えばデータ分析能力については社内外の専門家とつながっておくなど、補完する手段やネットワークを備えることで、新たな価値をさまざまな場面で発揮することが可能になるであろう。

酒井雄平(さかい ゆうへい)
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 マネジャー
大手不動産デベロッパー、大手総合コンサルティングファームを経て現職。10年以上のコンサルティング経験を有し、人事戦略立案ならびに制度設計・導入、人事部門改革および業務改革等を得意とする。近年はピープル・アナリティクス領域に注力し、ハイパフォーマーの退職リスク分析と退職抑制策立案、デジタルツールを用いた社員の行動・感情の可視化・生産性向上支援等の実績を有する。