2017年09月08日掲載

Point of view - 第95回 松崎一葉 ―未成熟な時代の職場のメンタルヘルス

未成熟な時代の職場のメンタルヘルス

松崎一葉 まつざき いちよう
筑波大学大学院医学医療系 教授

宇宙航空研究開発機構・客員研究員を併任する。専門は産業精神医学で、企業の産業医として現場対応から人材開発のマクロ戦略までの企業支援を行っている。また火星有人探査に向けての長期閉鎖空間における宇宙飛行士のストレスコントールの研究を行っている。宇宙研究の成果を通じて、地上の想定外の事態や不可避のストレスに対するメンタル支援システムの構築を目指している。

困った診断書

産業精神医学を専門として、いくつかの企業で産業医を務める筆者が、昨今大変困惑する事態について紹介し、現場での労務管理・人材開発を専門とする本誌読者からも積極的にご意見をいただきたいと思い、この稿を執筆しようと思う。最近、こんなことがよく起こる。

診断名:うつ病
「うつ病の原因は職場のストレスであるため、復職のためには職場異動が必須である」

主治医は、現場を見てもいないのになぜ本人の申し立てだけで職場異動が必須と書けるのだろうか? もちろん、職場に常態的な過重労働があったり、ひどいパワハラがあったりしたらそれらを是正する必要がある。むしろそれが産業医の役割である。

いくつかのケースでは、これらはいわゆるマスコミ用語での「新型うつ」であった。正確にはこれらは「人格の未熟性に伴う適応障害」と診断されるべきものである。職場では特に過重性も無く、本人が本来希望した職種に就けず、「モチベーションが湧かない」「上司の指導の意味が理解できない」「異動しないと病気になる」と職場でも主治医の前でも申し立てており、現場ではどう対処したらよいか分からずに、産業医に相談が来るという経緯である。職場にはほとんど問題が無く、むしろ本人の未熟なパーソナリティが主因である。典型的なうつ病とは異なり、彼らは心身のエネルギーが消耗していない。したがって、「会社へは行けないが趣味は楽しめる」という状況が起こってくる、同僚上司はこのような事態を見て「これは怠けではないか?」と陰性の感情を抱きやすい。

このようなケースへの対応の原則は、本人のストレス耐性の低さを高めることに他ならない。つまり、その職場での平均的な職場ストレスに対してさえも、未成熟すぎて一人では乗り切れない職員に対して、メンタルの専門家が、精神療法やカウンセリングによって支援し、職場の中でも一定期間は軽減措置を行って支援しながら、「一般社員レベルのストレス耐性を獲得させること」にある。つまり安易な異動は、本人の未熟性や低ストレス耐性を放置することなり、また異動した先での再度の不適応を招くことになる。つまり就業規則に定められる範囲内(一般的には1年半程度)で、一定期間、最大限支援しながら、本人の内省を促し成長を支援するという枠組みが必要になるのだ。

未熟な「うつ」への処方箋

筆者は、このような未熟型「うつ」に対して、まず正確な診(み)立てを職場に伝え、不適応の主因は職場にはないことを明らかにして、今後の対処方法について話し合い、同僚上司の「陰性の感情」を排して支援を得ることを目指す。しかし、多くの多忙な現場の反応はネガティブである。「こんな多忙なのに、そんなワガママで生意気で反省もせず他罰的なヤツを面倒見るヒマは無い」と言われることが多い。

しかし現実的には、採用したからには仕方ないのだ! 配属になったからには仕方ないのだ! 人員不足のこの時代では、このような未成熟な若者でさえもキチンと支援をして成熟させ、確実な戦力になるまで育成するのだという確固たる姿勢を持たなくてはならない。そのために精神科医や産業医から専門的なアドバイスを受けて、一時期は軽減業務として負荷を減らし、メンターをつけて、そのメンターの精神的なストレスを産業医が支援する、という体制を敷いて未成熟な職員を成長させなければならない。

成長支援はダイバーシティである

実際に、このような対応を支援してきた筆者の経験からすると、多くの場合は、約1年未満でうまく成長し適応している。そして、それ以上の成果として得られるのは、このような未成熟な職員を支援してきた職場やメンターが「むしろ自分自身が多くを学んだ」と述べることである。「未成熟なヤツと思っていたけれど、先生にアドバイスをもらいながら、自分自身の怒りをコントロールすることを学んだ」「ついついパワハラ的に声を荒らげる自分こそが未熟なのだと気づいた」「家庭ではむしろ自分が一番ワガママだったことに気づいた」「子育てに応用できた」など未成熟な職員を支援してきた周囲こそが成長するのである。この現象こそがダイバーシティの効用なのである。

多様な価値観に触れ、それらとどのように付き合うかを悩み考えること。単一的な価値観の組織での行動は横並びだからある意味楽であるし、高度経済成長時代のような前例踏襲主義で許される企業では、ダイバーシティは無用かもしれないし、むしろ邪魔でもあるかもしれない。しかし、私たちの社会は今やそんなに平和で安全ではない。その中で自分たちの目指す目標を実現するためには、多様な価値観を許容し、多様な人材を活用して、適材適所にはめ込み、どのように最大限有効活用していくか。想定外や社会の理不尽に対して、ポキンと折れること無く、鋼のように柔軟でタフな組織を作り上げていくか――を考えなければならない。未成熟な人材と付き合って、彼らの成長を支援することは、今の時代だからこそ、実はわれわれに求められる課題でもあるのだ。

精神科医の斉藤 環氏はこのように述べている「社会の成熟と人の成熟は反比例する」と。戦後焼け跡の時代は、子どもは生きていくために早く成長して大人になった、団塊の世代は、大学紛争を経て大人になった。高度経済成長後を経て「豊かになった日本」しか知らない私たちは、たぶん、のほほんと大学を卒業して社会に出て初めて、世間の荒波にもまれて大人になるのだろう。未成熟な人材にあふれる今の世の中を嘆いていても仕方が無い。限られた人材のリソースを有効活用することを考えなければ企業は生き残れない。未熟な若者をどのように教育し、支援して一人前の人材に育て上げていくかについて真剣に考えなければならない時代なのである。