2016年05月17日掲載

産業医が現地に住んでみてわかった! 東南アジアの新興国への赴任者と出張者のための健康管理 - 第1回 起こり得る健康上のリスク


国立研究開発法人 国立国際医療研究センター
国際医療協力局 医師 
和田 耕治

 

連載にあたって

 東南アジア諸国は今日、"チャイナ・プラス・ワン"として注目を集め、ミャンマーやカンボジア(16年9月1日より)にもいまや日系の航空会社が直行便を飛ばす時代である。日本企業の進出も進み、大企業だけでなく、中小企業、そして現地での仕事や起業をしに行く個人も増えている。しかし、ビジネスチャンスは多いものの、医療事情そして衛生状態は日本人にとっては厳しい状況である。
 筆者は、これまで産業医として、企業の従業員を対象に海外渡航の際のアドバイスをしてきたが、筆者自身も国際協力の一環で、2014年に家族とともにミャンマーへ1年赴任し、そして今はベトナムを頻回に訪問をしている。これまで、途上国へは出張ベースで数多く訪問していたが、現地で「生活」をする中で自分の知識不足だけでなく、実際にさまざまなトラブルを経験した。
 その経験を踏まえて本連載では、経済発展に伴ってビジネスチャンスが増える一方、医療事情が厳しいベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオスの各国について、これから赴任・出張される方々と渡航の実務を扱う人事担当者に向けて、現地で健康を守るために知っておきたいことを取り上げる。
 なぜ、これらの国なのか。それは、一般的な「海外出張の注意」では不十分だからである。東南アジア地域でも、タイ、マレーシア、シンガポールでは、その国にある私立の医療機関で日本並みの医療が受けられる。一方、本連載で取り上げる各国では、急病になった場合、国内で日本人が期待する医療が受けられないため、隣国または日本への搬送が必要になる医療レベルであることをまず理解していただきたい。そこで、実際にどのような健康上のリスクが考えられるのかについて、始めに説明していこう。

起こり得る健康上のリスク

 起こり得る健康上のリスクは大きく三つに分けることができる。①感染症、②生活習慣病に関連した合併症、③事故や怪我である。
 途上国に1カ月間滞在する場合のリスクについて、2割から6割の人が旅行者下痢症を経験すると言われている。そして1%の人が、デング熱、インフルエンザを発症すると推定されている。これは1カ月の滞在を前提にしたもので、長期滞在になればリスクもその分高くなる。これ以外にも、時差ボケ、かぜ症状、そして疲れといった症状がしばしば見られる。
 日本人を対象にした医療機関での受診者の統計を見たところ、風邪を含む呼吸器疾患、下痢、目の病気が多かった。海外渡航者の死亡については、詳細な日本人のデータがないが、米国やオーストラリアでは、海外での死亡者の約4割が心血管系、外傷が約2割で、感染症は1~2%であった。つまり感染症はよくあるが、治療さえできれば死亡するリスクは比較的小さい。むしろ心血管系の疾患、例えば心筋梗塞、脳卒中などの生活習慣病に関連する疾患が生じた場合、死亡につながる可能性が高い。また、外傷の中で特に交通事故は、高齢者を除いた場合、途上国を旅行する人の死亡原因のトップである。
 ここでは、今回対象とする地域の情報をもう少し具体的に取り上げたい。われわれの業界において、最も参考にされているのは米国の疾病予防センター(CDC)が出している「Yellow Book」(文字どおり本の表紙は黄色である)と呼ばれるものである。本文は英語だが無料で公開されているので、詳細な情報が必要な場合はぜひ活用していただきたい。
 ※Centers for Disease Control and Prevention(CDC): Yellow Book Homepage
 以下に、今回主に対象としているベトナムとカンボジアの国別情報を、筆者がYellow Bookから翻訳して要約した点を紹介する。

[1]ベトナム

・ベトナムへの旅行者は、腸チフスとA型肝炎のワクチンを行うべきである

・B型肝炎のワクチンも長期旅行者や赴任者は行うべきである

・日本脳炎のワクチンは1カ月以上滞在する者には勧められる。また短期でも田舎に行く者は考慮すべきである。日本脳炎の患者のピークは、5月から10月で、特にハノイ周辺から中国国境に向けての地域が多い

・狂犬病は、長時間を外で過ごす場合、犬や猫に接する可能性がある場合、長期でベトナムに滞在する場合には勧められる。かまれた場合にはすぐにハノイやホーチミンで免疫グロブリンの接種を受ける

・外国人が訪問するような場所ではマラリアは流行していないが、蚊に刺されないようにするべきである

・デング熱は、ベトナム全土で流行している。特に夏の雨期に流行のピークを迎えるが、1年を通じて流行している。日中(特に夜明けと夕暮れが多い)に蚊に刺されないように対策を行うべきである

・水道水は飲むべきではない。氷も避けるべきである。屋台などで売られている食べ物は避けるべきである

・喘息(ぜんそく)のある者はハノイ、ホーチミンの大気汚染により悪化する可能性がある

・車に乗っている場合にはシートベルトをするべきである。ルールを守らないことが多いため歩行時は常に車の流れを向いて歩き、急に歩く方向を変えたりしない

・ハノイやホーチミンでは外国人を対象としたクリニックや病院があるが、輸血や専門医療の質は高くない。緊急時はシンガポールやバンコクの医療機関への緊急搬送されるべきである

[2]カンボジア

・カンボジアへの渡航者はインフルエンザ、A型肝炎、B型肝炎、腸チフスのワクチンを行うべきである

・日本脳炎は、カンボジア全土で流行し、年中見られるが、5月から10月の雨期が最も患者が多い。田舎に1カ月以上滞在する者や外での作業が多い者は予防接種をすべきである。アンコールワットを訪問し、エアコンの効いたホテルに宿泊する場合にはリスクは最小限である

・狂犬病はカンボジア全土で流行している。アンコールワット訪問ではリスクは最小限である。しかし、犬にかまれた場合、免疫グロブリンはプノンペンのパスツール研究所で接種可能である

・下痢や食事を介した感染はよく発生するため市販の水を購入する

・デング熱は、カンボジア全土で流行しており、何年かに一度大流行している。雨期(5月から10月)に患者はピークとなるが1年中流行している

・マラリアは、森林地帯にて流行している。アンコールワット周辺やプノンペンではマラリア感染はあまりない

・チクングニアはカンボジアで2012年に南東部で大流行した。デング熱と同様、日中の蚊の対策が必要である

・交通事故は、急増している。バイクタクシーは避けるべきである

・最も暑いシーズンは3月から5月であり、暑さ対策が必要である

・医療の質は高くなく、緊急時にはバンコクやシンガポールに搬送されるべきである

現地に住んでみて

 筆者は、実は「感染する」ことが多い。ミャンマーで1年の間に、呼吸器感染(肺炎)、ウイルス性の髄膜炎、診断はつかなかったが高熱(デング熱でもインフルエンザでもないことは検査で分かったが。何かのウィルスだろう)などを経験した。確かに地方出張などは多かったが、節制しないほうではない。子どもたちも、5歳の子は喘息が悪くなったり、肺炎になったり、8歳の子もワクチンの効果が不十分だったのかおたふくかぜになった。妻も、嘔吐を伴う下痢を経験して数日寝込んでいた。
 前記したYellow Bookの予防策は当然ながら理解し、積極的に取り組んできた。しかし、どうしても予防できない疾患も多い。ストレスや疲れもあって免疫力が下がるといったこともあるのかもしれない。一般的には赴任1年目というのは健康リスクが高いようで、長くなると次第に感染症のリスクは減ってくるともいわれる。そのため、最初の期間はこうした健康リスクを考えながら予定を考えたい。

最近の話題のテーマ ~ジカウイルス感染症~

 今回は最後に、話題のテーマを取り上げておきたい。
 ジカウイルス感染症は(メディアではジカ熱と呼ばれることが多いようだが)、デング熱のウイルスと同じ属のウイルスの感染症で、ヤブ蚊と呼ばれる昼間に吸血する蚊により感染する。すでに、タイ、フィリピン、ベトナムでは感染者が確認されている。これらの国は危険で、ほかの国は大丈夫、というわけではない。ある程度の検査態勢が整っている国で感染者が明らかになっているという状況である。つまり、カンボジア、ミャンマーのような検査態勢が十分にない国でも、潜在的にはジカ熱の感染が広がっている可能性がある。しかし、感染者の8割は特段の症状も伴わない。症状のある人では、発熱のほかに体に発疹が出るのが特徴である。
 ブラジルでは、妊婦のジカウイルス感染症と、知能の発達遅滞など大きな障害を残す胎児の小頭症発症に関連があるという報告がなされたが、現在ではその因果関係がある程度証明されている。妊娠初期に感染した場合のリスクについて、小頭症の子どもが生まれる可能性は1%程度と考えられている。この1%を高いと見るか低いと見るかは難しい。また、最近では、胎児が小頭症という状態にまでならないにしても、その後の子どもの発達に影響を与える影響も示唆されている。
 ジカウイルス感染症に関して、現在日本では、医療機関から保健所を通して治療に必要という場合に限り、自治体の管理する地方衛生研究所でのみ検査ができる。自分がジカ熱に感染したかどうか知りたいという妊婦さんが検査を求めても、その段階で発症している可能性がなければ検査はできない。
 ジカウィルス感染症は出張者や赴任者にとって大きな課題である。妊娠可能な女性を出張させていいのか、妊娠も予定している奥さんを配偶者として帯同させていいのか?
 性行為でもジカウイルス感染症に感染する可能性があり、流行が確認されている国から帰国した場合には、無症状でも1カ月は性行為の際にコンドームを使用しましょう(つまり妊娠を希望している場合は1カ月伸ばさなければならない)、といったことにもなっている。
 蚊に刺されなければいいのだが、日常生活において蚊に絶対さされないようにする対策は難しい。もちろん、すべての蚊がリスクというわけでない。ジカウイルス感染症の感染者を刺した蚊がウイルスを体内に保持してあなたを刺す、という条件が必要である。

 リスクをどう考えるかは難しい。蚊の対策をしたとしても、途上国での日常生活では、妊娠初期の妻がジカ熱に感染して、1%程度の確率で小頭症の子が生まれるリスクよりも、交通事故に遭い大きな怪我をするリスクのほうが高いかもしれない。ミャンマーのヤンゴンでは、雨期の大雨の後には町中が水浸しになる。そこに雨で切れた電線が入り、周囲の人を感電させ死亡させるリスクもある。毎年、ヤンゴンだけでも100人ほどが感電して死亡しているという噂もある。そうしたリスクをヤンゴンに赴任した場合には受容して生活しなければならない。
 ジカウイルス感染症を理由に、配偶者のいる赴任者に対して単身赴任をさせるなど、家族を分断するのがよいのかの判断は難しい。医師に相談?…残念ながら相談を受けた医師が訴えられることも珍しくない時代においては、教科書的なことしか言えないだろう。つまり、「妊娠可能性があるなら日本に奥さんはいなさい」。企業としても問われたら、正しい回答は同様である。一律に妊娠可能な女性を帯同するような赴任は禁止するのがいいのか、それともリスクを受容して連れていくのか。最後は赴任者に自分で決めさせるのか。難しいところである。

 ※参考:ジカ熱の最新情報
  ・海外旅行と病気.org 「ジカ熱 最新情報」
  ・厚生労働省 「ジカウイルス感染症について」

和田 耕治 わだ こうじ
国立国際医療研究センター 国際医療協力局
2000年産業医科大学医学部卒業、臨床研修医、専属産業医を経て、カナダ国マギル大学産業保健学修士課程修了、ポストドクトラルフェロー。2007年北里大学医学部衛生学公衆衛生学助教、その後講師、准教授を経て、2012年より国立国際医療研究センター国際医療協力局に勤務。ミャンマーにおける感染症対策ならびにベトナムを中心とした医療機関の質改善重点事業に従事。