吉田利宏 よしだとしひろ 元衆議院法制局参事
■悪代官の家来はつらい
何がつらいといって「悪代官の家来」ほどつらいものはありません。たしかに、民百姓をいじめたかもしれません。商人(あきんど)に威張り散らしたこともあるでしょう。しかし、命までとられるようなことはしていないはずです。
水戸黄門を見ながらいつもそう思います。「南蛮抜け荷」(非合法な商行為)で闇の財をなした代官はともかく、その家来は命令に従っただけなのです。それなのに、ああ、それなのに…格さんや助さんにやられ放題。なかには、命を落とす者もいます。
「あれはお芝居だよ…」。本当にそうでしょうか。少し前の上司なら「俺が責任をとるから存分にやれ」なんて頼もしいことを言ってくれたもの。しかし、近頃は「手柄は俺のもの、責任はお前のもの」と言わんばかりの上司も増えてきたように思うのです。うかうかしていると会社の違法を体よく押しつけられ、「はい、さようなら」と放り出されることもあるかもしれません。あ~恐ろしい。
■両罰規定の考え方
罰則規定には「巨悪を眠らせない」ための工夫が整備されています。いわゆる「両罰規定」がそれです。その例を見てみましょう。
○育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律
第66条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、第62条から前条までの違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する。
この規定では、会社の従業員などが「必要な届出をしない」「虚偽報告をする」「大臣の指示に従わない」などの行為をしたときには、その行為者を罰するだけでなく、その会社などにも罰金刑を科すことが書かれています。
家来が御老公に切りかかったのは、悪代官に命じられてのこと。自分の利益のためではありません。従業員が法違反の行為をしたのも、事業活動上でのトラブルが引き金になっている可能性があります。事業活動で利益を得ているのは会社。なのに、従業員ばかりが責任を押しつけられては公平とはいえません。そのための両罰規定なのです。
■両罰規定における公平性
「いっそ従業員を無罪にしたら?」。そんな思いもあるかもしれません。しかし、それでは理が通りません。悪代官の家来は命じられたままするしか選択肢がなかったはずです。しかし、十分な判断能力のある従業員は違います。もし違法行為をするよう求められた場合には、勇気をもって「社長それは違法です!」と言わなければならないのです。
さらに、「会社が悪く従業員が正しい」とばかりは限りません。会社が繰り返し違法行為をしないよう指導していたのに、従業員が目前の実績作りに違法行為をしたというような場合も考えられます。そうした場合にまで会社を罰することはこれまた公平性に反します。
そこで、両罰規定には次のような「ただし書」が置かれる場合があります。
○労働基準法
第121条 略。ただし、事業主(事業主が法人である場合においてはその代表者、以下略)が違反の防止に必要な措置をした場合においては、この限りでない。
2 略
事業主は必要な防止措置をしたのに従業員が違法行為をした。その場合には事業主には罰則が科されないのです。先ほど挙げた「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」の両罰規定にはこのような「ただし書」がありません。しかし、同じような取り扱いがなされています。
それにしても、気になるのは代官よりわいろを受け取っていた老中のことです。「南蛮抜け荷」もそのための資金稼ぎなのですから、代官とともに処罰をお願いします。御老公様。
※本記事は人事専門資料誌「労政時報」の購読会員サイト『WEB労政時報』で2012年6月にご紹介したものです。
吉田利宏 よしだとしひろ
元衆議院法制局参事
1963年神戸市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、衆議院法制局に入局。15年にわたり、法律案や修正案の作成に携わる。法律に関する書籍の執筆・監修、講演活動を展開。
著書に『法律を読む技術・学ぶ技術』(ダイヤモンド社)、『政策立案者のための条例づくり入門』(学陽書房)、『国民投票法論点解説集』(日本評論社)、『ビジネスマンのための法令体質改善ブック』(第一法規)、『判例を学ぶ 新版 判例学習入門』(法学書院、井口 茂著、吉田利宏補訂)、『法令読解心得帖 法律・政省令の基礎知識とあるき方・しらべ方』(日本評論社、共著)など多数。近著に『つかむ つかえる 行政法』(法律文化社、2012年1月発行)がある。