中川繁勝 なかがわしげかつ エスジェイド代表、人財育成プロデューサー
今回は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のオットー・シャーマー博士が提唱し、最近注目を集め始めている「U理論」を人材育成の注目トピックとして紹介したい。
私が「U理論」と出会ったのは5年ほど前だっただろうか。ベテラン社員の方に声を掛けられ出かけていった先のセミナーで知った。
「U理論? なんだそりゃ? 正直、○○理論ってのは難しそうだし、そういう理屈ものには興味ないな。机上の空論だし」
そんな、思いっきり斜めな気持ちで聞いていたからだろうか。内容はさっぱり理解できなかったのを覚えている。
しかし今、時代は混沌とし、過去のやり方が通用しないケースも増え、イノベーションが求められている。組織も変化し、リーダーシップに求められるものも変わってきた。そこで注目を浴びているのが、U理論なのである。
●経験やデータに基づくロジックだけでは解決できない現実
私たちの社会は目に見えるもの、つまりデータや成果、歴史や経験を踏まえて次の一手を打つという手法で成長してきた。企業経営、組織運営にしても、欧米の先進事例を真似てきた。プロ野球では、野村元監督がヤクルト時代に実践していた「ID野球」は、明らかに過去のデータに基づいて次の戦略を導き出すアプローチだ。目に見えるデータを基に、それを理論やフレームワークに当てはめて結論を出す――という手法を私たちはとってきたのだ。
コンサルティング会社の考え方やアプローチも、どちらかというとその傾向が強い。その結果、ビジネスを理屈や型にはめて捉えたり、「ロジカル○○○」といったスキルを伸ばそう――という動きも大きくなった。
リーダーシップについても同様。リーダーのマネジメントという点でも「目に見えるデータに基づくロジカルなアプローチ」からさまざまなトレーニングが実施され、多くの会社でリーダー育成の取り組みが行われている。しかしなかなかうまくいかない、つまり、思ったようにはリーダーは育たない、というのが現状ではないだろうか。
「ロジカルな手法やスキルだけではうまくいかない」とお気付きの読者も多いと思う。まったくその通りであり、こういう時はこう動く、こう言われたらこう言い返す、といった“反応的な”スキルを学んだだけでは本当のスキルアップはできないのだ。
その点、U理論は問題の根本を見つけ、だからこそ生まれる解決手法を導き出してくれる理論、と言える。それに気付き、その価値を認め、活用しようとする人たちが日本でも少しずつ増え始めている。
●U理論とは何なのか
現在、U理論についてはさまざまな形でセミナーなどが行われており、今年になって書籍も発売された。いくつかの企業では研修プログラムとしても取り入れている。これを書いている時点で「U理論」をキーワードにGoogle検索をしてみると、1270万件もヒットする。
では、U理論とは何なのか。
短くまとめるなら、『主観から客観へスタンスを変えていくことで、事態の真因や自らの“根っこ”に気付き、周りを巻き込みながら良い方向へ進んでいく思考/学習プロセス』ということになろうか。集団や組織が新たな未来を創造するためのリーダーシップ能力をどのように開発できるか、その能力を基にしてどんなプロセスで新たな現実を生み出すことができるのか――を説いている理論である。
U理論の日本国内での認知を拡大し、またU理論が提示している可能性を日本で探求する機会を創り出すことを目的に活動しているプレゼンシング・インスティチュート・コミュニティ・ジャパン(Presencing Institute Community Japan)によると、オットー・シャーマー博士によって提唱されたU理論は、世界のさまざまな領域にわたる著名なリーダーへのインタビューやイノベーターたちとの仕事を通じた経験を基に生み出されたものであるという。決して机上の空論ではなく、さまざまな組織やコミュニティにおける変革プロジェクトの実践を通じて積み重ねられた事実の分析による集大成なのだ。
なぜ「U」理論と名付けられているのか――初めてU理論に触れる方が抱くシンプルな質問だ。それはU理論を説明する時の図を見れば明らかになる。後述するように、U理論を形作るプロセスは七つの段階から成り、そのプロセスの移行が[図表1]のようにUの字で描くイメージであることからU理論と名付けられているらしい。何かの頭文字というわけではない。
筆者流で非常に簡単に説明してしまうと、U理論とは問題解決の考え方であり、人と組織の成長の考え方、また学習モデルの一つでもある。さらには、これからの社会変革のための重要な考え方であるとも言えよう。
学習モデルと言えば、デービッド・コルブの「経験学習モデル」[図表2]がよく知られており、U理論もそれを参考にしているとも言われるが、U理論はコルブの経験学習モデルのさらに先を行く理論であると言える。それは、経験学習モデルが過去の経験に基づいているのに対し、U理論が未来からのアプローチで進める点にある。
●人材育成への適用を考える
私が人材育成の領域においてU理論を紹介する理由は、U理論が自己の内への探求を求めている点にある。さらに、この理論が西洋的なロジカルの世界だけで固められているのではなく、測りようのない「心」の領域にも触れている点や、禅などの東洋的思想が織り込まれている点にもある。これらは私たち日本人には受け入れやすい感覚であり、見えないものを感じ取るハイコンテクスト(=背景や価値観などの共有性が高い)なコミュニケーションや思考をする私たちに合っているのではないか、と感じているからだ。
先述のプレゼンシング・インスティチュート・コミュニティ・ジャパンの代表である中土井僚氏は、U理論のセミナーを開催している。私も参加したことがあるし、実は何度も彼によるU理論の話を聞いている。彼はその中で、彼自身が体験した分かりやすい事例を出してくれている。
彼がコンサルタント会社に勤務している時に、困った部下がいたのだそうだ。その部下はクライアントとうまく話すことができずにいた。中土井氏はなんとか彼を成長させようと、機会を与えアドバイスしていたのだが、状況は一向に改善しない。むしろ二人の関係性まで悪くなる始末。しかし、ある出来事をきっかけに、彼は自分に問題があるのではないかと感じ、事実、自分自身の中にことの原因を見つけ出した。結果的に部下との関係も改善していったという。
問題が外にあるのではなく、内にあると考えるということ。そして、自分自身を客観的に見つめること。相手の気持ちになって考えてみる、あるいは感じてみること。そのどれもが自分自身を磨く機会になり、若手からベテランまで、新人から社長にいたるまで全ての人に当てはまる自己研鑽の機会となるのだ。そしてそれをU理論のアプローチに基づいて進めていくことで、スムーズに真の問題に気付き、本当にやるべきことが必然として生まれてくる。リーダーがリーダーとして、マネジャーがマネジャーとしていかにあるべきか、どう振る舞うべきかに気付き、自ずと変化させる力がU理論にはあるのだ。
個人でこれができれば成長につながるし、このプロセスを組織に当てはめることができれば一人ひとりが自分なりのリーダーシップを発揮できるだろう。
U理論ではこのプロセスを以下の七つに分けている。
(1)ダウンローディング
(2)観る
(3)感じ取る
(4)プレゼンシング
(5)ビジョンと意図とを結晶化する
(6)生きているマイクロコズム(小宇宙)をプロトタイプする
(7)新しいやり方・仕組みを実行・具体化する
初めてこの文言を目にすると「?」と感じる部分もあるだろう。私もそうだった。人材育成に関わる皆さんには、まず(1)~(4)を知っていただき、体感していただく必要があると思う。なぜなら、(4)が[図表1]に示した「U」の底に位置する部分であり、そこにどうアプローチするかが成長や変革に必要だからだ。特に(2)→(3)が容易ではない。これは私自身の実感でもあり、中土井氏も同じように述べている。
しかし、それらを経験し実感していただければ、(2)の「観る」ができることが、人が成長する上で重要なステップになり、(3)の「感じ取る」ができるようになることが、仕事の仕方やコミュニケーションに変化を起こすためにとても重要な要素になる――ということに気付いていただけるだろう。
U理論はそれそのものを学ぶことが目的ではない。人が成長したり組織に変化をもたらすために、一人ひとりが知っておき実践することが求められる考え方であり、それらを使って具体的な行動を起こしていくことが目的になる。
●人材育成に携わる私たちから始めよう
社会は複雑性を増し、資本主義は限界まできている。一方でインターネットというコンピューター・ネットワークは世界中に張り巡らされ、悲しい災害をきっかけに私たちは「絆」という大事なつながりに改めて気付かされている。これからの私たちに必要なのは、過去の知識と経験に裏付けられた「過去からの延長線上にある未来」を描くアプローチではなく、私たち自身がどうなりたいのかという「心から望む未来」を描くことで、次のアクションを導き出す方法ではないだろうか。
人が変わりつつあるのに組織は旧態依然としている。これを変えていくきっかけとして人材育成の領域にU理論のプロセスを取り入れていくことが、私たち人材育成に関わる者に求められているのかも知れない。その意味で、読者の皆さんがU理論の考え方から、新たな気付きや実践に向けたヒントを得ていただければ幸いに思う。
<オススメ参考図書>
『U理論 ~過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術~』
(C・オットー・シャーマー著、中土井 僚、由佐 美加子訳 英治出版)
http://www.amazon.co.jp/dp/4862760430
『出現する未来』
(ピーター・センゲ、オットー・シャーマー、ジョセフ・ジャウォースキー他著、野中 郁次郎監訳、高遠 裕子訳 講談社)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062820196)
※本記事は、人事専門資料誌「労政時報」の購読者限定サイト『WEB労政時報』にて2011年10月に掲載したものです
中川繁勝 なかがわしげかつ エスジェイド代表、人財育成プロデューサー
システムエンジニア、ネットワーク技術者養成のマーケティングを経て、ITコンサルティング会社の人財開発マネジャーとしてコンサルタントの育成に従事した後、独立。現在は、研修講師としてロジカルシンキングやプレゼンテーション等のコミュニケーション系研修を提供するとともに、人財育成を支援するためのコンサルティングサービスも提供している。NPO法人人材育成マネジメント研究会理事。ワールド・カフェをはじめとした対話の場の普及を促進するダイナミクス・オブ・ダイアログLLPのパートナーとして、各種ワールド・カフェとワールド・カフェ・ウィークの開催を推進。また、場活流チェンジリーダー塾にてメンターとしてリーダーの在り方を養成する活動にも従事する。