2012年10月03日掲載

『日本人事』特別企画 「私の視点―これからの日本・ヒト・人事」 - 第1回 小池和男


グローバル時代の人事部の役割

 

労務行政研究所は昨年8月、人事プロフェッショナルとしてかつての時代に活躍された、また現在も活躍をされている15名の方々からのメッセージを綴った一冊
日本人事―人事のプロから働く人たちへ。時代を生き抜くメッセージ』を皆様にお届けしました。

先輩人事から後輩人事へ、人事のプロから働く人たちへ
15名の方々が往時を振り返り、熱く語ってくださったメッセージの数々に、本書の刊行以来、人事パーソンのみならず、さまざまなビジネスの現場で活躍されている読者の方々から共感の声を多数お寄せいただきました。
人と組織、それを支える人事。いま海外と隔てのない大きな舞台で闘い続ける日本企業の多くが、いかにして社員たちの力を引き出すか、どう活用していくかということに、悩みを抱えながら取り組み続けています。

今回は、「私の視点―これからの日本・ヒト・人事」と題して、研究者と企業人事の方々5名からお寄せいただいた、『日本人事』から明日に続くメッセージを連載でご紹介します。

1.国内要員、海外要員の別なく

 ふたつのことが念頭にある。第一、これからの人事の要諦は国内要員、海外要員の別なく、ということである。いいかえれば正社員ならば海外もこなさないと、とうてい企業はもたない。そうした仕組みを人事がいかに促し構築していくか、ということである。もちろん人事自身もその例外ではなく、海外勤務を経験しなくてはことが進まない。
 第二、他国の人事の実態を、コンサルタントや手近な学者にたよらず、なるべく先入主なしに把握することである。それには自分たちの海外企業に人事スタッフをおくり、その地での競争相手の状況を知ろうとすれば、そんなにむつかしいことではない。ところがこれまでのところ、日本の人事の認識、したがってその用語は混迷している。それというのも、他国のサラリー、昇進、その他人事の実態を誤解しすぎている。日本は職能制度でおくれているのに、他国は仕事ごと、「実力主義」などと誤解している。高度な仕事の「実力」などは容易に測定できるものではない。時間をかけて観察するほかない。しかもその実力はのびていく。そうした当然のことを無視し、「年功からの脱却」、そしてわけのわからぬ「役割給」その他勝手な造語で、実は他国の実態とは逆の方向に改悪している。他国のホワイトカラーサラリーは案外に日本の職能給制度に近いのだ。
 ただし、短い本稿ではおもに第一の点に焦点をあてる。第二の点は小池『日本の産業社会の「神話」』第3章(日本経済新聞出版社刊、2009)を参照していただきたい。

2.将来をイギリスの例でみる

 日本経済の将来は先行したイギリス(以下「英国」)をみれば明瞭である。英国の企業をたずね、当然にその従業員数を聞く。そうすると、英国では5000人だが、全世界では5万人などという答えがかえってくる。そこで大卒ホワイトカラーのキャリアを聞いていけば、英国内だけというのはまずありえない。海外の事業所もわたりあるき、そこで実績をあげなくては英国の本社でよい仕事につけない。それも当然、海外からの稼ぎで企業は維持されているのだ。
 マクロの数値でみても、海外直接投資はGDPのほぼ6~7割にのぼる。そこからの収益の還流がGDPの6%にものぼる。それが貿易赤字をかなりうめる。なにしろ長年の植民地支配、海外の良好な資源はほぼおさえている。それゆえ海外直接投資の収益率は先進国のなかでも抜群に高い。
 他方、日本につき海外進出ゆえの雇用の空洞化、などという聞き飽きた議論は的外れなのだ。いま海外直接投資はGDPの15%ていどだが、その急速な伸びから米独なみの3~4割にはすぐとどく。そうであれば、日本でも海外の企業活動からの収益が、確実に貿易黒字をはるかにこえる。日本はいまやこの英国の方向をまっしぐらにすすむほかない。それを英国より上手におこなうほかあるまい。そのために人事はなにをしなくてはならないか。
 英国は海外での苦労はむしろすくない。すぐれた海外資源をすでに押さえてある。なにしろ長年植民地大帝国であったからだ。それに母国語すなわち英語で通用する。のみならず、いまや米が凌駕(りょうが)したとはいえ、英語国ゆえに海外地諸国からすぐれた若者が続々英国の大学にやってくる。それをもとに世界のエリ-ト人材を集めることができる。なにより英語教育の経費はそれぞれの国が負担する。ありていにいえば、やや甘さがある。そこの日本のつけいる余地があろう。それはなにか、そして人事はそこでなにができるか。

3.仕事をしっかり身につけること

 海外活動の人材というと、ふつう外国語を流暢にしゃべる、したがって外国の大学卒業者を採用する、あるいは外国人を採用する、などといわれる。わたくしはまったくそうはおもわない。なぜか。仕事をよく知らなくては海外でも役に立つはずがないからだ。それを説明しよう。
 なによりもまず、海外日本企業で必要とされる人材とはどのような職種か、という点である。それは「インストラクター」とよばれる人材であり、将来猛烈に不足するだろう。海外日本企業の日本からの派遣社員は一見すくない。0.7%などといわれる。それは欧米系とあまりかわらない。だが、その人たちの役割をじっくりとみていけば、実はかなりの人数が必要なのだ。
 その人たちの働きは、職場で働くその地の人たちに、より高度なことを教える。職場で起こった問題や変化にたいし、いっしょにいかにこなすかを考究し、その地の人たちにそのノウハウを伝授するのである。さきの派遣者の割合から、100~300人を1人で教えなくてならない。
 それには、たんに自分でしてみせるだけではたりない。なぜそうするか、その理由までその地の中堅に説明できなければならない。それには、自分の仕事を客観的に観察し、それをその地の人に説明する能力を要する。それは高度な技能であり、仕事の流れを把握する必要がある。関連のふかい2,3の職場を日本で経験する。これには時間がかかる。
たとえば経理なら、ある部門の原価管理をきちんとこなす。ついで関連の深い他の部門の原価管理も担当する。そのうえ、ときに財務会計も経験する。そうしたことができないと、海外でのインストラクターがつとまるはずがない。逆にいえば、いかに英語が流暢でも、それで技能を伝えることができるはずがない。

4.海外派遣者が猛烈に不足する

 かりに冒頭の英国企業ほどではなくとも、日本国内5000人、海外4万人としようか。その0.7%、すなわち海外派遣者は280人と一見少ない。しかし、その人は海外に出ずっぱりというわけにはいかない。それでは最新の技術に遅れる。日本の職場での勤務も欠かせない。そうするとその要員の4、5倍の人員が必要となろう。1300~1400人となる。しかもそればかりではない。新型モデルへの切り替え、それにともなう生産ラインの切り替え時には、数か月という短期の海外派遣者が相当に必要となる。5000人の国内要員の大半は海外も経験しないと、人手不足となろう。
 人事はそうした人たちの人材形成を企画し促さねばならない。専門のなかでのやや幅広い範囲を経験し、さらに職業語としての英語なりの訓練をする。より面倒なのは、送りだし、その帰任のポスト、などたくさんのことを用意しなければならない。再度海外へ赴くには、どれほどの期間をおくべきか。また日本帰任にあたって、どのようなポストを用意すべきか、などである。海外赴任を拒んだ人とどのような差をつけるべきか、それはまことに肝要である。それはかつて日本で転勤のない要員と転勤のある要員との差別をつけたことと、基本的にはかわるまい。海外に行こうとしないスタッフを、その後の昇進、昇格で低く遇するのは当然であろう。

5.人事も率先して海外へ

 人事のスタッフ自身も例外ではない。これまで事務系では経理が海外にでていた。どの国の多国籍企業でも経理を離さない。その地の企業ならばふつうオーナーの一族がにぎっているのであった。そして、これまで人事は労使交渉など現地の事情にくわしいその地の人に任せることが多かった。人事はその地の慣行をふまえる、という点は今後もかわるまい。だが、世界各地に海外日本企業がひろがると、その間の差異が紛争の種になりかねない。それを多少とも調整できる日本本社人事スタッフの有無が肝要ではないだろうか。
 それには各地の状況をふまえ、最低の標準ガイドラインを設定することであろう。そのためには人事のスタッフが、海外のある土地で数年は苦労しないと、まずむつかしかろう。すなわち日本本社での部課長への昇進、昇格は海外での少なくとも5年の経験を要する、などという準則、慣行の設定こそ肝要で、そうしたことに人事が率先してのりだすことだ。
 その人事は海外のその地の人にもおよぶ。日本本社の幹部、部課長に他国の人を招く。とはいえ、それはピカピカの外国の大学卒ではない。その海外日本企業の職場で業績をあげたその地の部課長から日本本社に招くのである。その下に前途ある日本の若者をつける。こうした構図が描けよう。
 なお、もうひとつの視点、他国の実態認識については、海外活動が広がり深まるほど、海外の労働の実状がわかってくるであろう。海外事業所のスタッフが修得した情報の重視であって、日本にいる手近なコンサルタントや「学者」たちの情報にはたよらないことだ。

 

小池 和男 こいけ かずお
法政大学名誉教授

1932年生まれ。東京大学卒。東京大学、名古屋大学、京都大学、スタンフォード大学(ビジネススクール)、法政大学などに勤務。2007年退職。中央職業能力審議会会長、国連コンサルタント、レスター大学客員教授なども歴任。主な著書に『仕事の経済学(第3版、東洋経済新報社、2005年)』のほか、吉野作造賞受賞の『日本産業社会の「神話」』(日本経済新聞出版社、2009年)などがある。最近著は『高品質日本の起源―発言する職場はこうして生まれた』(日本経済新聞出版社、2012年)