中川繁勝 なかがわしげかつ エスジェイド代表、人財育成プロデューサー
新入社員研修と同様に、「OJT(On the Job Training)をどう進めるか」というのは育成・研修担当者が頭を悩ませることの一つだ。各職場へ配属されると、新入社員たちが研修担当者の手を離れてしまうので、思うように指導を続けることができなくなる。一方で、現場のOJT担当者は多忙な場合も多く、十分に新入社員のケアができるとは言い難い現状もある。せっかく大事に卵から孵(かえ)した雛(ひな)の世話ができないというのは、新人研修担当者からすればなんとも切ない話だ。
今回は、新入社員研修後のOJTにおいて、ITを活用した、職場の先輩による新入社員のサポートの実態について触れてみたい。
1.ITツールは、導入すればうまくいくわけではない
いまでこそtwitterやfacebookがネットの世界を席捲(せっけん)しているが、ちょっと前まではブログやmixi(ミクシィ)が多くの人の注目を集めていた。そんな世の流れを受け、数年前には多くの企業が、社内のコミュニケーションツールとしてブログやmixiのようなSNS(Social Networking Service:ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の活用を検討、導入し始めた。
ところが、この手のITツールは導入すればうまくいくというわけではない。あくまでも「ツール」なのである。そのツールをうまく運用していく必要がある。社員に使ってもらい、成果を得てもらい、さらに使い続けてもらうための仕掛けだ。ところが研修担当者はITツール活用に詳しいとは限らない。ITツールに詳しい情報システム部門は、技術的な導入には積極的に支援してくれるものの、コンテンツや運用方法には深くかかわってはくれない。
結果として、うまく活用されないまま陳腐化していくというケースが多いように思う。
2.新人のOJTのために、SNSを有効に活用している企業に学ぼう
[1]クローズドだからこそ、「安心かつ安全なコミュニケーションの場」となる
そんな中、新入社員のOJTにおいてSNSをうまく活用している企業がある。筆者がお話を伺ったのは、食品メーカーの雪印メグミルク株式会社。人材育成の担当者によると、社内SNSを使って新入社員とOJT担当者、課長、部長、さらに他の先輩社員まで巻き込み、一人の新入社員を複数の先輩社員がネット上で温かく見守り、言葉を交わし合っているという。利用しているのは、株式会社ガイアックスが提供する企業向けSNS「エアリーオフィス」である。
もともとは、新入社員が職場で作成する業務レポート閲覧の簡略化と、現場で閲覧した後に人事に提出されてくる業務レポートの補完を簡略化するために導入した。新入社員は業務レポートをSNSの自分のページに書き込む。このページは特定の人のみ閲覧可能となっており、基本的にはOJT担当者と課長にアクセス権が設定されている。OJT担当者と課長から新入社員に対してコメントを記入できるようになっており、SNS上で言葉を交わし合う仕掛けだ。経験のある課長は、新人に対しあれもこれも伝えたいものだ。一方、先輩社員であるOJT担当者は、最も年の近い理解者として、仕事のやり方や考え方、振る舞いについて指導する。
SNSとはいえ、新入社員の書いた業務レポートは他部門や他の同期から覗(のぞ)かれる心配はない、クローズドな設定になっている。読み手が限定されているクローズドな世界。そこは新入社員にとって「安心かつ安全なコミュニケーションの場」になる。自宅に戻って茶の間で親兄弟に仕事の相談をするような環境といえよう。同期の目や他部署の関係者の目に触れることなく話のできる場なのだ。この新入社員サポートのSNSには同じ部署の先輩社員も感心があるらしく、「自分も仲間に入れてほしい」というリクエストがあるとのこと。さながら“いとこ"か“隣のおじさん"が茶の間に混じる――といった状況だろうか。
[2]活発なリアクションを生み出す仕組み
一般的にこの手のツールは、設定されていても、当事者が慣れていないとなかなかアクセスしなくなってしまうものだ。自分のブログを立ち上げてみたものの、1~2回しか書いたことがない、という人も多いのではないだろうか。
このSNSでは、新入社員がレポートを記入すると、SNSからOJT担当社員と課長にメールが送信される仕組みになっている。メールを見たOJT担当者と課長は、メールに書かれたリンクにアクセスして速やかに新入社員のアップした記事内容を確認できる。そして気づいた点についてはSNS上でコメントする。そのコメントの内容を、新入社員はもちろん、OJT担当者と課長の両者が確認できる。わざわざイントラネットに置かれているページへアクセスしようとは思わなくても、メールの返信ならすぐに書ける。「メールに対してクリック」というワンアクションでページが表示されることは、活発なリアクションを促す効果的な仕組みといえるだろう。
新入社員にしてみれば、報告に対してレスポンスがあるというのはうれしいものだ。口頭のコミュニケーションもそうだが、オンライン上のコミュニケーションであってもレスポンスがあるというのはありがたく、うれしい感情が湧(わ)いてくるだろう。それは次のレポートを「書く」というモチベーションにつながる。
[3]上司を巻き込むことで、OJT担当者の育成にも寄与する
この仕掛けのおもしろいところは、OJT担当者がどんな反応をするのか、どんなコメントを書くのかを、上司である課長がチェックできるという点にもある。OJT担当者にしてみれば、自分の書く新入社員へのコメントを上長である課長に見られているわけで、いい加減なことは書けなくなるし、「上司が自分の部下指導力を見ている」という意識が働く。結果的にOJT担当者の視点も磨かれ、コメントの質も向上する。課長がコメントを書けば、それを見たOJT担当者が、コメントの視点や言葉遣い等を見習うことにもなる。これは逆に課長に対して「OJT担当者の見本になる」といういいプレッシャーとなる。
勘のいい読者はお分かりかも知れないが、この仕組みでは新入社員をサポートしているのみならず、実はOJT担当者と課長にも同時に「部下指導のOJT」機能として働いているのだ。
[4]何か問題があった際には、ログとして残る新人の報告や上司のコメントのやり取りを分析できる
人材育成担当者は全新入社員ページへのアクセス権を持っているが、これはトラブルが生じた時など、いざというときのためのものであるようだ。育成担当者自身が、いつでもすべての新入社員の様子を個別に見ることはできない。何か問題が起こった時に、その新入社員のページにアクセスし、新入社員の報告や上司のコメントのやり取りを分析することになろう。そういう意味では、現場の部下育成のログを残しておけるこの仕組みは、人材育成担当者にとっては現場にいる新入社員育成の命綱ともいえよう。
3.新人の成長のために重要なのは、「現場でどれだけ他者とかかわれたか」である
[1]SNSというツールを使うことが生み出す三つの効果
昨今は、恐ろしいほど静かな職場がある。メールの発達によって電話で話す機会も減り、コミュニケーションの多くは電子メールへと移行した。同じ部署の中とはいえ、その“しーんとしたムード"のために、話し掛けることもはばかられるような職場もある。話したいことも話せず、分からないことの渦の中でストレスを抱えてしまいがちな新入社員たちに向け、学生時代に使い慣れているであろうSNSというツールを使うことで、①コミュニケーションの取りやすい環境を作り、さらに②職場の人間関係を再構築し、③新入社員のみならずOJT担当者や課長までもを同時にOJTしてしまうことができるのだ。
[2]ITツールを介したコミュニケーションのほうが本音を出しやすい新人たち
職場の問題の多くはコミュニケーションに起因していると筆者は思う。コミュニケーションが疎(おろそか)になったり、そもそも話をしないことにより、相互の認識のギャップや誤解が生じる。そこにトラブルの芽が生まれ、チームワークの乱れも生まれ、精神的なストレスまで与えることになる。
最近の新入社員は、以前ほど抽象的な仕事の渡し方では動かなくなってきているようだ。筆者が新入社員だった20年ほど前は、ざっくりとした仕事を渡されても不明点は周りの先輩や上司に気兼ねなく聞けていた。コンピューターやネットワークが職場になかったために、話をせざるを得なかったというところもあるだろう。
「では、今もメールを使わずに話をすればいいじゃないか」
――というご意見もあろうが、昨今の新入社員たちはケータイメールのようなコミュニケーション手段に慣れており、むしろそういったITツールを介したほうが本音を出しやすく、コミュニケーションもとりやすい傾向がある。そう考えると、OJTにおける指導のアプローチや質問や報告のさせ方にも、変化があっておかしくはないだろう。
また、人材育成担当者が現場の工場長から聞いたというお話がある。SNS導入前、飲み会の席でこの工場長は、新入社員に対して世代のギャップを感じて話し掛けづらかったそうだ。しかし、SNSを利用し始めてからは、新入社員の仕事の失敗談や取り組み姿勢などSNSに掲載されていた内容を話題にすることで、新入社員との会話が盛り上がるようになったとのこと。SNSが、新入社員だけにではなく、関係する上司にも十分に役立っていることがうかがえるエピソードだ。
[3]成長のために重要なのは、「現場でどれだけ他者とかかわれたか」
口頭でのコミュニケーションであれITツールを介したものであれ、新人のOJTにおいて必要な環境は、職場の他者からの支援だ。プラスのフィードバックもマイナスのフィードバックも、そして上司・先輩から学ぶ事も、すべての「現場でどれだけ他者とかかわれたか」が成長に大きな影響を与える。SNSがつなぐ絆(きずな)が、新人に安心・安全な環境を実感させられるのであれば、彼らがのびのびと仕事をし活躍する日は決して遠くないと思う。
※本記事は、人事専門資料誌「労政時報」の購読者限定サイト『WEB労政時報』にて2011年5月に掲載したものです
中川繁勝 なかがわしげかつ エスジェイド代表、人財育成プロデューサー
システムエンジニア、ネットワーク技術者養成のマーケティングを経て、ITコンサルティング会社の人財開発マネジャーとしてコンサルタントの育成に従事した後、独立。現在は、研修講師としてロジカルシンキングやプレゼンテーション等のコミュニケーション系研修を提供するとともに、人財育成を支援するためのコンサルティングサービスも提供している。NPO法人人材育成マネジメント研究会理事。ワールド・カフェをはじめとした対話の場の普及を促進するダイナミクス・オブ・ダイアログLLPのパートナーとして、各種ワールド・カフェとワールド・カフェ・ウィークの開催を推進。また、場活流チェンジリーダー塾にてメンターとしてリーダーのあり方を養成する活動にも従事する。