「長く勤めてもらい、自社の中でキャリアを深めてもらう」
日置政克 ひおき まさかつ
常務執行役員
コンプライアンス、法務、人事・教育、安全・健康管理管掌
※お役職は2011年5月に行ったインタビュー当時のものです。
1975年東京大学卒業。同年、小松製作所入社。粟津工場総務部勤労課を皮切りに、人事部人事課、人事部人事企画課など、主として人事畑でキャリアを積む。英国コマツ株式会社、小松ドレッサーカンパニー(米国)と、海外経験も豊富。02年に広報・IR部長、03年に人事部長、04年に執行役員人事部長となり、08年より常務執行役員。2012年4月より社長付。
【コマツの概要】
日本を代表する建設・鉱山機械、産業機械のグローバル企業。建設・鉱山機械分野では、国内の12の生産拠点に加え、米州6拠点、欧州9拠点、アジア8拠点、中国8拠点の、計43の生産拠点を持つ。連結の従業員数は4万1059人、うち約55%は外国人が占めている。2013年3月期を最終年度とする中期経営計画「Global Teamwork for Tomorrow」では、製品・部品のICT(情報通信技術)化の推進、環境・安全性能の更なる進化、グローバルな販売・サービス体制の拡充、現場力の強化による改善の推進に注力し、さらなる成長を目指している。
URL=http://www.komatsu.co.jp/
本社 東京都港区赤坂2-3-6
資本金 678億7000万円(連結)
従業員数 単体9541人、連結4万4206人
<2012年3月31日現在>
※本インタビューは、人事専門資料誌「労政時報」の購読者限定サイト『WEB労政時報』にて2011年8月に掲載したものです。
聞き手、文:溝上憲文 写真:(株)トリニティ
■人事は人事屋、経理は経理屋でいい
――プロフェッショナル人材に育成するために、どのような取り組みを行っているのですか?
当社は、一言で言えば機能別人事と言っていい。したがって、生産、開発、人事、経理、調達という各部門のプロになってほしいのです。人事を長くやっている人は人事屋、経理に携わっている人は経理屋、溶接を長くやれば溶接屋というように、「○○屋」であっていいと思うのです。同じ仕事に長く携わることでそれぞれの領域の専門家に育つことになります。ですから、プロになるための教育も専門のコースで勉強する。育成も、人事部が社内横断的にやるのではなく、機能ごとに育成することになります。
また、若いときは、例えば初めに人事に配属されたら、次はまったく別の部署に異動させるということはしません。人事部内に配属されると、まず工場の総務を担当し、本社の人事部で採用や教育を担当し、次の異動で工場の人事担当主任としキャリアを磨くというのが理想だと思っています。ですから、当社の4月の人事異動は面白くないですよ。皆が予測できる範囲内ですから(笑)。例えば、開発をやっていた人が急に人事部長になるといえば、皆驚くかもしれませんが、当社ではそういう人事はしません。
――製造業では、70年代から80年代にかけては、それぞれの機能内での人事異動が主流でした。しかし、90年代以降は、幅広い視点を持たせるという観点もあり、機能を超えて全社的な異動をするようになってきています。どちらがよいのでしょうか?
私もよく分かりません。当社はこれでやっているということです。
確かに、部長クラスくらいになれば、育成の観点から横に異動させるメリットはあると思いますが、それでも、そう簡単に中には入れない。例えば、当社でずっと人事畑できた人を経理に異動させた場合、「あいつは経理を知らない」と経理のプロ集団から笑われることになるのではないでしょうか。もしかしたら、当社は閉鎖的な会社かもしれませんね。でも、うちは縦割りでいいと思っています。
――同じ事業部内でしか異動しないマネジメント層は、どうしても部分最適になり、全社的な視点に立たないために弊害もあるという指摘もあります。
マネジメント層を他部署に動かしている会社は、実践で体験することが必要という認識があるのでしょう。しかし、私はそれよりもプロの領域で長く経験することがまず大事であり、それ以外については疑似体験も含めて学べばよいという考えです。
例えば、部門横断的なプロジェクトチームに入ることで疑似体験できます。そこに何回か参加することで、人事の人も経理や開発の仕組みを一定程度は分かります。また、選抜型のビジネスリーダー教育も15年間継続しています。その程度でよいと思います。アメリカ企業をみてもそうでしょう。ずっとプロの領域でやってきた人が上の役職に就く際に、外の教育機関でマネジメントコースを勉強するというように、自分の領域と違う分野を一つか二つ学ぶ程度です。
一方で、トップマネジメントを外から招く会社もあります。しかし、当社の場合は、長く働く社員が多いですから、外からポンとトップを持ってきても、やはりうまくいかないのです。日本だけではなく、海外法人にしても、ヘッドハンティングで急にトップを招いてもうまくいきません。仕事における課題を徹底して分析し、対応策を考え出すことでトップとしてもふさわしい人材が育つと考えています。
■海外にはプロの人材を派遣する
――ところで、主な事業である建設・鉱山機械の海外売上高が全体の85%ですから、どんな領域の人でも海外と接点があるはずです。海外に派遣するのは、入社後のどの段階で行っているのですか? 当然、プロの人材を派遣することになりますし、最低でもセミプロの段階で行かせます。そうなると、単に研修として出すのを別にすれば、20代の派遣というのは少ないと思います。かつては、日本人自身を啓発したいという目的で、トレーニーとして海外に行かせた時期がありましたが、今は啓発の時代ではありません。したがって、初めて海外に駐在するのは平均で30代前半くらいでしょうか。突然、海外プロジェクトが増えたとか、猫の手も借りたいという状況ではなくなってきていますし、もしかしたら、以前より海外に出る年齢が遅くなっているかもしれません。
製造部門を含めて、海外に駐在員を送り出してから、25年以上たっています。製造部門で海外駐在経験を持つ社員は、工場の部・課長の6~7割はいるでしょう。執行役員の4分の3は海外駐在経験を持っています。
――啓発時代も含めて、過去には若くして海外にどんどん出した時期があるのですか?
当社の歴史をひもとくと、日本人を国際化しないといけない時代がありました。特に輸出が中心の時代です。その後に現地での製造を始めるわけですが、輸出の時代から海外で製造を開始する時代までの間に、留学生制度によってたくさん派遣しました。海外の大学で修士号を取る、あるいは語学学校で語学を勉強させる、1年間の駐在研修や3カ月間の休暇と費用を与えて海外を経験させる短期研修制度もありました。プロとしてのキャリアを育てる手前、あるいは初期の段階で、いろいろな海外の経験をさせる場がありました。
今は実際に駐在して仕事をする、実践的な経験の時代です。住んでみないとその国は分かりません。
――逆に最近は、若い時期にすべての社員に海外の疑似体験をさせることがブームになっています。
それも一つの方法だとは思いますが、そこまでやるべきかどうかというのは、当社ではこれからの議論です。現時点では、私自身はネガティブです。当社は毎年、技術系140~150人、事務系30~40人の計180人程度の新卒を採用していますが、全員に海外の短期研修に行けというのは、多分やり過ぎじゃないでしょうか。
今は、トレーニーとして海外に派遣する場合は、全社的な制度としてではなく、それぞれの部門の判断で行っています。例えば海外営業本部の場合は、トレーニーとして行かせるケースもありますし、スペイン語が堪能ということでチリに赴任して2年目という入社4年目の女性もいます。法務部でも、入社して5~6年目の女性が駐在していますが、各部門の必要性に基づいて派遣しています。
■人事のポリシーは“地方分権”
――先ほどうかがった人事の現地化の話(前編参照)とも関連しますが、幹部人材の育成やキャリア形成の観点から、日本の本社と海外の拠点との間の人事の交流に熱心な会社が増えています。御社ではどのような取り組みをされていますか?
人事交流というのは言い得て妙な言葉だと思います。
例えば、アメリカ人がトップになる前に日本に来て仕事をしたいかといえば、絶対にそうじゃありませんよね。まず言葉が大きな障害になります。例えば、日本人の上司としてアメリカ人が就き、毎日英語を話すことになれば、一見、格好よくみえます。しかし、大げさにいえばメンタル的に問題になる人が今より増えるんじゃないですか。
1991年に入社したアメリカの社長は、入社以来20年間ずっとアメリカにいますが、彼も日本に来たいとは全然言っていない。私は昔、テネシー州の工場にいたアメリカ人の経理の課長に、日本の本社に異動しないかと話を持ち掛けたことがあります。しかし、彼は絶対に嫌だと言うのです。なぜかと聞いたら、「私はテネシー州の生活をエンジョイし、家族とこんなに幸せに暮らし、仕事にも満足している。余計なことを考えないでくれ」と。こっちは本人のキャリアのためによかれと思い、給与も3倍出すからと言っても、「キャリアの保証はないし、給料は関係ない。ここでもらっている給料に十分満足している」と言うのです。
日本人の場合は、暗黙の信頼関係がありますから、海外勤務を命じても異動します。しかしアメリカ人の場合は、日本に行くとどういう仕事が与えられ、日本に行くことでどういうキャリアになるのかと説明しなければ動きません。また、無理をして動かす必要もないと思っています。
日本人もそうですが、コマツは同じ会社に長く働き、そこでキャリアを深めていく。その中からトップになるというのが理想です。そういう意味では、日本の長期雇用型の企業風土が海外でも定着していると思っています。
――とはいっても、中国で雇った人がシンガポールに行ってキャリアを伸ばしたいというように、グローバルな拠点で活躍しながらキャリアアップを図りたいという優秀な人もいます。米国のグローバル企業の中には、そうした配置の仕組みを用意しながら、人材の確保と育成を図る企業もあります。
当社では、「海外に行けないから」という理由で辞めた社員はいません。中国企業に狙われて引き抜かれた例はありますが、日本に行くチャンスがないからという理由で辞めたわけではないのです。
ただし、中国人の場合、一生懸命に日本語を勉強していますから、もしかしたら日中の間の交流はもっとあってもよいのかもしれません。当社では日本人にフォーカスしたビジネスリーダー研修というのをやっていますが、そこに毎年2人か3人、日本語ができる中国人を入れています。
――そうしますと、日本と海外の各拠点では、コマツウェイという一本の横串(よこぐし)を通しながらも、人事・賃金制度、教育、異動の体系もそれぞれの域内で独自にやっているということですね?
人事の基本ポリシーは、“Decentralization”(地方分権)なんです。逃げていると言われればそれは甘んじて受けますが、基本的には、それぞれの地域の歴史、文化を反映したものを尊重し、国や制度の違いを正しく認識しようという立場です。要は、日本から干渉はしないということです。日本では一般社員層に職能資格制度を導入していますが、アメリカ人に職能資格制度を説明しても分かりません。
――企業の中には、職能資格制度をやめてグローバル標準の職務給型の制度を導入しようという機運がありますが、それについてはどうですか?
私からすれば、逆に、どうして一緒にする必要があるのか疑問に思いますね。確かに、社員の多くが日本から海外、または、海外から日本に異動するのであれば共通の制度が必要になるでしょう。でも、当社ではそれほど異動しません。仮に世界共通の人事制度を作っても、それをメンテナンスしながらちゃんと機能するように維持できるかといえば、どちらかといえば、絵に描いた餅になるような気がします。もちろん、会社や業態によってグローバルな人事戦略は違っていてよいと思います。
――業態の違いですか。コマツは典型的な製造業だと思うのですが。
当社は、日本の国籍を捨てられません。やはり技術は日本で生み出すことにこだわり、心臓部であるエンジン、油圧機器は絶対に自社で開発・製造するという信念を持っています。例えば、同業他社ではエンジンを外部から調達しているところもありますが、うちはそういうビジネスモデルは採りません。製造を委託すると魂が入らないものづくりになってしまうという想いがあるのです。日本での製造を捨てるという発想はまったくありません。
――“地方分権”主義。現地の裁量に任せることが、逆に社員の定着やモチベーションにもつながるということですか?
当社の海外拠点の製造部門の社員は、比較的長く働いています。モチベーションと長期勤続には相関関係があると認識しています。これは何も日本のやり方が優れているということではなく、各国においても類似点があるのです。アメリカの会社の社長も入社して20年ですし、彼に続く人も長く働いています。2008年に社長に就任した南アフリカの販売会社の社長は、1981年に最初は部品管理工として入社した人です。中国の社長も1986年に入社しています。
日本企業の本音からいえば、世界の拠点をうまくコントロールしたいという思いがあるでしょう。しかし、実際は世界の各地域を全部コントロールすることなどできないのです。ですから、現地の経営陣や現地に赴任した日本人に任せる。その中でコマツウェイ(前編参照)のような発想がだんだん根付いてくれば、現地の優秀な人材も育つようになってくると考えていますし、実際に育っています。
――お話を聞いていると、グローバル経営の理想型を追うのではなく、長年の海外での経験を踏まえ、一歩ずつ着実にコマツらしい経営を築いてきたように思います。
いずれにしても、当社におけるグローバル経営は“普段着”でやってきたということです。特別に構えることなく、仕事のチャンスの一つが海外にあるからということです。
今後も海外が伸びていくことは間違いありません。我々としては、より海外の人たちに多くのチャンスを与えつつ、巻き込んでいかないといけない。そのためには、ますます現地化を推進していく必要があります。現地化を図るには、長く勤めてもらい、コマツの中でキャリアを形成してもらうこと、そしてコマツウェイの価値観、心構えを理解してもらうことが大事だと思っています。
――本日はありがとうございました。
溝上憲文(みぞうえ・のりふみ) ジャーナリスト
1958年鹿児島県生まれ。明治大学卒業。経済誌記者などを経て独立。経営、ビジネス、人事、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍中。著書に『隣りの成果主義』(光文社)、『超・学歴社会』(同)、『団塊難民』(廣済堂出版)、『「いらない社員」はこう決まる』(光文社)などがある。