公開日 2011.06.22 和田東子(HRDジャーナリスト)
経営学(けいえいがく)
経営学は企業等の組織運営について研究する学問分野である。19世紀の終わりに工業化が進展し、企業経営に本格的な“経営の技術”が求められるようになったことで誕生した。
このニーズに応えて最初に登場したのは、フレデリック・テイラー(Frederick W.Taylor)であった(『科学的管理法』1911年)。テイラーは、経営に科学的な管理手法を導入することで、従業員の管理手法を大きく進化させた。
しかしテイラーのマネジメントは、労働者を機械の一部のように管理するものだった。この経営観を変えたのが、自身も経営者であったチェスター・バーナード(Chester I.Barnard)である。1938年に『経営者の役割』を刊行し、組織を人間の活動を含むさまざまなものの相互作用の中で成立する「協働システム」としてとらえた。この概念を提出したことで、バーナードは「近代組織論の始祖」「経営学の始祖」といわれている。
第二次世界大戦後、多くの企業が多角化を進めたが、これらの企業戦略を歴史的な観点からから研究したのが、アルフレッド・チャンドラー(Alfred D. Chandler)である。チャンドラーは1950年代に起きた分権的な組織への移行や、20世紀のドイツ、アメリカ、日本の勃興について解き明かした(『経営戦略と組織』など 1962年)。経営戦略による経営の有効性を示し、経営理論、組織理論に大きな影響を与えた。
この時期に登場した大家としては、ハーバート・サイモン(Herbert A. Simon)も忘れることはできない。サイモンは、「組織は情報を媒介とした意志決定システムである」との定義をベースに、より有効に機能する組織デザインについて考えた(『経営行動』1947年)。また、人間の合理的判断には限界があることを示す「限界合理性」という概念でも有名である。その後、サイモンを中心とするカーネギー学派は長く経営学の主流となった。
1960年代以降は、実務家出身の研究者も多くの功績を残している。
「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」(PPM)を開発したボストン・コンサルタント・グループ、カーネギー学派を批判した人間関係学派(『企業の人間的側面』1966年 マクレガー)、経営のアート(芸術)的側面を強調したヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg『マネジャーの仕事』1973年)、『エクセレント・カンパニー』(1982年)のトム・ピーターズ(Thomas.J.Peters)などが新たな経営論を展開した。
彼らに共通するのは、カーネギー学派や次に述べるポジショニング学派に対する、実務家ならではのアンチテーゼである。
ポジショニング学派とは純粋理論モデル構築を目指した人々であり、『競争の戦略』(1983年)で名高いマイケル・ポーター(Michael E. Porter)が中心となった。彼らは市場構造が企業行動を決定し、企業行動が業績を決定するのだから、市場構造の分析ができれば企業の業績も導き出せるとした。
ポジショニング学派に対し、企業独自のノウハウの蓄積や経営者の力量など組織内の要因を重視するのが「資源ベースアプローチ」である。これは1959年にエディス・ペンローズ(Edith E.Penrose)が提唱した理論であり、『コア・コンピタンス経営』(1994年)のC.K.プラハラード(C.K.Prahalad)、『企業戦略論』(1996年)のジェイ・バーニー(Jay B. Barney)らによって大きく進展した。
1990年代以降はさまざまな形で、組織内部の人々の相互作用に対する関心が高まったといえる。組織学習に注目したピーター・センゲ(Peter M. Senge 『最強組織の法則』1990年)、形式知と暗黙知の相互作用によって知識が創造されるプロセスを明らかにした野中郁次郎(『知識創造企業』1995年)、企業が資源や組織を組み替え環境変化に対応していく力について論じたコンスタンス・ヘルファット(Constance E. Helfat『ダイナミック・ケイパビリティ』2007年)などが、組織と人々の関係や価値創造について新たな知見を提供している。
■参考文献
『経営学エッセンシャルズ』斎藤毅憲 編著 P28-46 P107-141
『一橋ビジネスレビュー別冊No.1 はじめての経営学』 一橋大学イノベーション研究センター 監修 P32-40
『新版 経営行動』 ハーバード・A・サイモン P1-5